DOG ON THE BEACH
食卓の器
今年になって、それまでに使っていた食器を落として割ったり、よくよく見ればあちこち欠けていたりして、それらの買い換えを言い訳にちょこちょこと器を買い揃えていた。本来なら直接自分の眼で見て、触って、それから選びたいのだけれど、そういう店をなかなか見つけられず、見つかるのはやたらと高額な器を扱っている店か、それともなんちゃって感溢れるしゃれおつ和風な店がどちらかであった。
世の中に出回っている器がそれらだけであるはずがないとは思ってはいたものの、どうにも手段を思い付かず、仕方がないので手っ取り早く楽天に出店している陶器を扱う店を探したのだった。
結果として、京都の陶工を何人も抱える店を見つけ、そこで酒器と皿、丼を買った。僕は流麗な文様の入ったものは余り好きではなく、かつ肉が薄いものも余り好きではない。ただそれは、自分が日常の中で使うという前提での話だ。自分の作る料理を盛りつける事を考えていくと、どちらかと言えば地味な形や色合いの物が適当であるように思えるし、うっかりと落としたりする事を考えると肉厚な方が安心である。それに、特にグラスやぐい呑みなんかでは、唇に器を当てがった時の厚ぼったさが、飲み物に柔らかさを与え、それを含めて美味いと感じる。日常で使う器の良さというのは、そういう事ではないのかなあ、と思っている。
そして今は沖縄の陶器が気に入っている。器に繊細さはないが、上記の条件は満たしており、何より安い。京都の店と同じように何人もの陶工を抱えた店だが、値段はおよそ半分。恐らく他の地方の伝統的な器に比べても同じようなものだろう。この値段の差はどこから来るものなのだろうか。観賞用として用いられてきた歴史が浅いのだろうか。詳しく歴史を紐解いて行けば判るのかも知れないが、その事にはさして興味も沸かないので、調べないままであるかも知れない。取りあえず今のところは、使い心地の良い器を適度な値段で手に入れる事が出来れば、それで十分なのだから。
世の中に出回っている器がそれらだけであるはずがないとは思ってはいたものの、どうにも手段を思い付かず、仕方がないので手っ取り早く楽天に出店している陶器を扱う店を探したのだった。
結果として、京都の陶工を何人も抱える店を見つけ、そこで酒器と皿、丼を買った。僕は流麗な文様の入ったものは余り好きではなく、かつ肉が薄いものも余り好きではない。ただそれは、自分が日常の中で使うという前提での話だ。自分の作る料理を盛りつける事を考えていくと、どちらかと言えば地味な形や色合いの物が適当であるように思えるし、うっかりと落としたりする事を考えると肉厚な方が安心である。それに、特にグラスやぐい呑みなんかでは、唇に器を当てがった時の厚ぼったさが、飲み物に柔らかさを与え、それを含めて美味いと感じる。日常で使う器の良さというのは、そういう事ではないのかなあ、と思っている。
そして今は沖縄の陶器が気に入っている。器に繊細さはないが、上記の条件は満たしており、何より安い。京都の店と同じように何人もの陶工を抱えた店だが、値段はおよそ半分。恐らく他の地方の伝統的な器に比べても同じようなものだろう。この値段の差はどこから来るものなのだろうか。観賞用として用いられてきた歴史が浅いのだろうか。詳しく歴史を紐解いて行けば判るのかも知れないが、その事にはさして興味も沸かないので、調べないままであるかも知れない。取りあえず今のところは、使い心地の良い器を適度な値段で手に入れる事が出来れば、それで十分なのだから。
サラマンドラ
子供の頃に見聞きしたもので、大人になった今でも記憶に残っていて、度々思い出しては当時と同じような強烈な気分に陥るというものが在る。子供というのは何ら防御する事なく、真っ正面から受け止めてしまうので、良くも悪くもその印象が心のど真ん中に刻印されてしまうものだ。NHK「みんなのうた」で流れていた「サラマンドラ」という歌は、僕にとってはそういうものの一つだ。
歌っているのは尾藤イサオ。尾藤イサオと言えば「あしたのジョー」の主題歌だが、それと同じテンションで歌い上げる。そのはらわたを震わすような声におののいていたというのもあるが、歌詞の現すそれまでに感じた事のない淋しさに、小学校に上がったばかりの僕は打ちのめされてしまったのだった。この世に、そんなにも甚大で強烈な淋しさが存在するという事が信じられなかった。そう言えばその当時、この歌を好きだったのかどうかよく判らない。でも、とにかく、僕に重くのしかかってくるその歌に耳を塞ぐ事は出来なかった。
大人になった現在、そのような淋しさが現実に存在する事は知っている。その存在を消す事の出来ぬ事実として受け容れる心構えも一応はある。それでも尚、この歌の歌詞を聴いていると、やりきれない気持ちで一杯になるのである。アニメーションの可愛らしさが唯のの救いであるが、NHKはどうして、このような歌を子供向けの番組で流そうと考えたのだろうか。それこそが教育だと思ったのだろうか。それはたぶん、正しいような気がする。
余談:この映像、僕の記憶にあるものと少し違う気がする。僕の記憶では「こぼれる炎ぐちひとつ」のところで、サラマンドラが夜空に向けてポッと小さな炎を吐いていたと思う。別バージョンでもあるのかな。
歌っているのは尾藤イサオ。尾藤イサオと言えば「あしたのジョー」の主題歌だが、それと同じテンションで歌い上げる。そのはらわたを震わすような声におののいていたというのもあるが、歌詞の現すそれまでに感じた事のない淋しさに、小学校に上がったばかりの僕は打ちのめされてしまったのだった。この世に、そんなにも甚大で強烈な淋しさが存在するという事が信じられなかった。そう言えばその当時、この歌を好きだったのかどうかよく判らない。でも、とにかく、僕に重くのしかかってくるその歌に耳を塞ぐ事は出来なかった。
大人になった現在、そのような淋しさが現実に存在する事は知っている。その存在を消す事の出来ぬ事実として受け容れる心構えも一応はある。それでも尚、この歌の歌詞を聴いていると、やりきれない気持ちで一杯になるのである。アニメーションの可愛らしさが唯のの救いであるが、NHKはどうして、このような歌を子供向けの番組で流そうと考えたのだろうか。それこそが教育だと思ったのだろうか。それはたぶん、正しいような気がする。
余談:この映像、僕の記憶にあるものと少し違う気がする。僕の記憶では「こぼれる炎ぐちひとつ」のところで、サラマンドラが夜空に向けてポッと小さな炎を吐いていたと思う。別バージョンでもあるのかな。
視覚的言語感覚
- 2008-08-26
- Category - Art
- Tag - design / linguistics
僕は洋楽のCDを買う時、出来るだけ洋盤を買う事にしている。洋盤の方が安いという経済的な理由はこの際横に置いておくとして、僕が洋盤を好んで買うのは、洋楽のCDのジャケットやライナーノーツに日本語が記載されているのが何となく嫌だからである。この感覚を説明するのは非常に難しいのだが、例えば Led Zeppelin の四枚目のアルバム「 IV 」。CDは持っていないのでレコードの話をするが、このアルバムはジャケットにクレジットは一切記載されていない。これはバンドのメンバーの意向でジャケットに文字を入れたくなかったらしい。ここまで拘っているのに文字を入れてしまうのは無粋である。ましてや制作する際には意識する事すらない多国語の文字を入れるなんて事は冒涜に近い。(同じ理由で、現在煙草のパッケージに記載されている「肺がんの原因の云々」の文字が嫌で堪らない)
解り易いというより極端な例を挙げてしまったが、要するに文字一つとは言えそれは全体を構成するデザイン要素の一つであるので、それを考えなしに変更するというのが気に入らないのである。
因みにこの感覚は多方面に適応する。先日僕は前々から欲しかった Gaspard et Lisa の絵本を二冊買ったのであるが、随分前から何度も絵本コーナーに佇んで(おっさんが独りそんな場所に居る事を想像するとかなり変だが)品定めをしていた。しかしやはりどうしても日本語のタイトルや本文が嫌なので棚に戻していたのだ。そしてついに僕は思いきって紀伊国屋新宿本店の7階洋書コーナーでフランス語版を手に取った。これである。全く申し分ない。一瞬、全巻買ってしまおうかとも考えたが取り敢えずは止めておいた。何故なら僕はフランス語を全く解さないからである。しかしながら全く読めないのも悔しいのでポケットサイズの仏日辞典を一緒に購入した。絵本に書いてある文章くらいはイケるだろうと多寡を括っているのだが、今のところ何も手を付けていない。何故なら今「独りで学べる韓国語楽々スタート」というテキストを読んでいるからである。文字と発音でいきなり躓いてはいるけどね。
解り易いというより極端な例を挙げてしまったが、要するに文字一つとは言えそれは全体を構成するデザイン要素の一つであるので、それを考えなしに変更するというのが気に入らないのである。
因みにこの感覚は多方面に適応する。先日僕は前々から欲しかった Gaspard et Lisa の絵本を二冊買ったのであるが、随分前から何度も絵本コーナーに佇んで(おっさんが独りそんな場所に居る事を想像するとかなり変だが)品定めをしていた。しかしやはりどうしても日本語のタイトルや本文が嫌なので棚に戻していたのだ。そしてついに僕は思いきって紀伊国屋新宿本店の7階洋書コーナーでフランス語版を手に取った。これである。全く申し分ない。一瞬、全巻買ってしまおうかとも考えたが取り敢えずは止めておいた。何故なら僕はフランス語を全く解さないからである。しかしながら全く読めないのも悔しいのでポケットサイズの仏日辞典を一緒に購入した。絵本に書いてある文章くらいはイケるだろうと多寡を括っているのだが、今のところ何も手を付けていない。何故なら今「独りで学べる韓国語楽々スタート」というテキストを読んでいるからである。文字と発音でいきなり躓いてはいるけどね。
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