DOG ON THE BEACH
雨垂れの快楽
- 2010-06-20
- Category - Days
- Tag - diary / environment
僕が小学校低学年の頃の話。
学校の隣には寺が在り、見上げるような山門と砂利を敷いた参道が延びる割と大きな仏閣であった。僕らは毎日、学校の帰り道にこの寺の境内を抜けて帰った。何故なら、境内やその一角の広場は僕らの恰好の遊び場であったからだ。帰り際の教室で約束を交わして其処に集まる時もあったし、後から通りかかった際にメンバーに加えて貰う事もあった。缶蹴りをしたり、フワフワボールで野球をしたりして毎日隈無く遊んでいた。樹木も多かったので、蝉取りもしていた気がする。とにかくあらゆる方法を使って遊んでいたのだ。
しかし記憶の隅に、独りで境内に佇む自分の姿が見える。比喩ではなく、確かに一人きりで其処に居た記憶がある。季節は夏の初めで、一体どういう事情だったのか憶えていないが、山門の近くに、恐らく営繕用に備えられた木材を積んだ場所が在り、山門の屋根で雨を凌ぎながらも僕はその近くに座り込んでいた。其処で何をしていたのかというと、何もせずにじっとしていただけである。
雨が無数の木の葉を叩き、屋根を流れて地面に落ちる様を僕はただ眺めていた。雨を吸い込んだ樹木と土は匂いを放ち、僕をそれを胸一杯に吸い込んで、何処までも落ちていくような不可思議な感覚を楽しんでいた。そういうのを誰かと共有した記憶はないから、恐らくその為に独りでいたのかも知れない。何となく気持ちの良い事を、誰かに説明する言葉を持たなかったから、そうするしかなかったのだろう。
大人になると、こういう事を言葉にする事が出来て嬉しく思う。堂々と公言出来るし、なんなら誰かと一緒に愉しむ事も出来る。でもまあ、そういう事に感心を持たない人も居るので、それだから面と向かっては余り話さないのだろうな。「え? なんで?」とか言われるとがっかりするし。
★
それから10年以上経って、ショパンの「雨だれ」という曲を知り、視覚や嗅覚だけではなく、聴覚でも雨を愉しんでいた事に気付いた。音は記憶に残りにくいものなのだろうか。一時期は雨の日が嫌いで仕方がなかったが、今では当時と同じような感覚で愉しんでいる。何がきっかけなのか判らないけど、そんな原始的とも言えそうな愉しみを取り戻せて嬉しい。ただし、雨の勢いに拠るけどね。風の強い日や土砂降りはどうも愉しめない。
学校の隣には寺が在り、見上げるような山門と砂利を敷いた参道が延びる割と大きな仏閣であった。僕らは毎日、学校の帰り道にこの寺の境内を抜けて帰った。何故なら、境内やその一角の広場は僕らの恰好の遊び場であったからだ。帰り際の教室で約束を交わして其処に集まる時もあったし、後から通りかかった際にメンバーに加えて貰う事もあった。缶蹴りをしたり、フワフワボールで野球をしたりして毎日隈無く遊んでいた。樹木も多かったので、蝉取りもしていた気がする。とにかくあらゆる方法を使って遊んでいたのだ。
しかし記憶の隅に、独りで境内に佇む自分の姿が見える。比喩ではなく、確かに一人きりで其処に居た記憶がある。季節は夏の初めで、一体どういう事情だったのか憶えていないが、山門の近くに、恐らく営繕用に備えられた木材を積んだ場所が在り、山門の屋根で雨を凌ぎながらも僕はその近くに座り込んでいた。其処で何をしていたのかというと、何もせずにじっとしていただけである。
雨が無数の木の葉を叩き、屋根を流れて地面に落ちる様を僕はただ眺めていた。雨を吸い込んだ樹木と土は匂いを放ち、僕をそれを胸一杯に吸い込んで、何処までも落ちていくような不可思議な感覚を楽しんでいた。そういうのを誰かと共有した記憶はないから、恐らくその為に独りでいたのかも知れない。何となく気持ちの良い事を、誰かに説明する言葉を持たなかったから、そうするしかなかったのだろう。
大人になると、こういう事を言葉にする事が出来て嬉しく思う。堂々と公言出来るし、なんなら誰かと一緒に愉しむ事も出来る。でもまあ、そういう事に感心を持たない人も居るので、それだから面と向かっては余り話さないのだろうな。「え? なんで?」とか言われるとがっかりするし。
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それから10年以上経って、ショパンの「雨だれ」という曲を知り、視覚や嗅覚だけではなく、聴覚でも雨を愉しんでいた事に気付いた。音は記憶に残りにくいものなのだろうか。一時期は雨の日が嫌いで仕方がなかったが、今では当時と同じような感覚で愉しんでいる。何がきっかけなのか判らないけど、そんな原始的とも言えそうな愉しみを取り戻せて嬉しい。ただし、雨の勢いに拠るけどね。風の強い日や土砂降りはどうも愉しめない。
12月のネオン
- 2010-01-09
- Category - People
- Tag - sexuality / philosophy
去年のクリスマスの少し前だっただろうか、僕は夜の新宿を歩いていた。新宿通りの左側の歩道をJR新宿駅から三丁目へ向かって。そしてちょうど伊勢丹の入口、ショーウィンドウの光が溢れている辺りに差し掛かった時、僕の視界には歩道から外れた位置で二人の男が向かい合っている姿が入ってきた。二人とも体躯が大きく短髪で、ブルージーンにスタジャンを着ていた。例えるならば、大学か若しくは社会人のラグビー部のチームメイトという感じであった。共に 180cmは優に超えるであろう身長なので、百貨店前の人混みの中でも頭ひとつ飛び出ており、とにかく目立つ二人連れであった。そしてそんな彼らは向かい合って何をしていたのかというと、両の手を繋いでお互いの顔を見つめ合っていたのだ。とても幸せそうな表情で。
新宿を東に向かって歩いて行けば、ゲイのカップルを見かける事はそう珍しい事ではない。しかし彼らほど幸せそうに見えるカップルを僕は見た事がなかった。僕の眼鏡に色が着いていたのかも知れないが、大体は少し緊張した面持ちで、殊更に堂々と振る舞おうとしていたように思う。だからだろうか、彼らの姿が僕の目にはとても新鮮に映ったのだ。しかし僕が持った印象はそれだけでは説明できない。洪水が如き人波に押し流されて、僕は立ち止まる事も出来ないまま彼らの傍らを通り過ぎた。夜の影を歩む僕の目が捉えたものは、粉飾された幸福の模倣などではなく、ただただ幸福な二人の人間の姿であった。そういう人達を見かける事は希だ。殊更に騒ぎ立てる必要もなく、好きな人とお互いに見つめ合いながら微笑む事が出来るというのは、なんと幸せな事だろうか。良いものを見せて貰った。そう思いながら僕は横断歩道を渡った。
新宿を東に向かって歩いて行けば、ゲイのカップルを見かける事はそう珍しい事ではない。しかし彼らほど幸せそうに見えるカップルを僕は見た事がなかった。僕の眼鏡に色が着いていたのかも知れないが、大体は少し緊張した面持ちで、殊更に堂々と振る舞おうとしていたように思う。だからだろうか、彼らの姿が僕の目にはとても新鮮に映ったのだ。しかし僕が持った印象はそれだけでは説明できない。洪水が如き人波に押し流されて、僕は立ち止まる事も出来ないまま彼らの傍らを通り過ぎた。夜の影を歩む僕の目が捉えたものは、粉飾された幸福の模倣などではなく、ただただ幸福な二人の人間の姿であった。そういう人達を見かける事は希だ。殊更に騒ぎ立てる必要もなく、好きな人とお互いに見つめ合いながら微笑む事が出来るというのは、なんと幸せな事だろうか。良いものを見せて貰った。そう思いながら僕は横断歩道を渡った。
床屋とサンデーソングブック
- 2009-09-06
- Category - People
- Tag - music / installation / environment
近所の床屋に通うようになって随分経つ。その床屋は基本的に主人夫婦で営んでいて、何年か毎に入れ替わるインターンがそれに加わる。ずっと前は先代の爺さんが昔馴染みの客が訪れた場合のみ鋏を握っていたが、何年か前に完全に引退した。余りにも長い間通い続けていると、この店の推移までも見て取れるので、妙に感慨深い気持ちになったりもする。
この店は自宅が併設されており、そのどちらも二階建てである。つまり店の二階にも散髪台が在る。そしてこの空間がとても気持ち良くて、それ目当てで通っていると言っても言い過ぎではない。道路に面した大きな窓からは惜しみない陽光が入り部屋を満たす。そしてどの季節に訪れても絶妙な空調が客をもてなしてくれる。一体どうすればそんなにも心地良い設定が出来るのか不思議に思えるくらいだ。空気がとても柔らかく、まるで微睡みの為に作られたかのようだ。
そして更には、店内にはいつも東京FMが流れていて、僕は日曜の午後に訪れる事が多いせいか、山下達郎のサンデーソングブックがよく流れている。これがまたとても具合が良くて、もともとFMの音は柔らかくて好きなのだが、放送する音源自体を山下達郎が拘ってリマスターしている(具体的にどうとかは解らない)からか、耳心地の良いオールディーズが開放的な気分にさせてくれるのである。正に日曜日。幸いな事に主人は無駄に話しかけてこないので、思う様この状況を満喫出来る。
髪の毛を洗って貰ったり切って貰ったりする環境としてこれ以上はないような気がしている。だからこそ僕はこの店にずっと通い続けているのだし、これからも通い続けるだろう。こういう自分の身体に直接触れるような場所では、ほんの少しでも不快な要素があると自然と遠のいてしまうものだ。その要素が見当たらないのだから、自分の生活の中に変わることなく残しておきたいのである。
この店は自宅が併設されており、そのどちらも二階建てである。つまり店の二階にも散髪台が在る。そしてこの空間がとても気持ち良くて、それ目当てで通っていると言っても言い過ぎではない。道路に面した大きな窓からは惜しみない陽光が入り部屋を満たす。そしてどの季節に訪れても絶妙な空調が客をもてなしてくれる。一体どうすればそんなにも心地良い設定が出来るのか不思議に思えるくらいだ。空気がとても柔らかく、まるで微睡みの為に作られたかのようだ。
そして更には、店内にはいつも東京FMが流れていて、僕は日曜の午後に訪れる事が多いせいか、山下達郎のサンデーソングブックがよく流れている。これがまたとても具合が良くて、もともとFMの音は柔らかくて好きなのだが、放送する音源自体を山下達郎が拘ってリマスターしている(具体的にどうとかは解らない)からか、耳心地の良いオールディーズが開放的な気分にさせてくれるのである。正に日曜日。幸いな事に主人は無駄に話しかけてこないので、思う様この状況を満喫出来る。
髪の毛を洗って貰ったり切って貰ったりする環境としてこれ以上はないような気がしている。だからこそ僕はこの店にずっと通い続けているのだし、これからも通い続けるだろう。こういう自分の身体に直接触れるような場所では、ほんの少しでも不快な要素があると自然と遠のいてしまうものだ。その要素が見当たらないのだから、自分の生活の中に変わることなく残しておきたいのである。
秋の好きなところ
- 2009-09-03
- Category - People
- Tag - environment
すっかりと秋の色を帯び始めた今日この頃であるが、些か急な変化に戸惑っている。季節が順当に進めばまず、陽気は夏の余韻を残しつつも大気は乾き、空は涼しげな風を吹き流し、地上では黄金色の陽の光の満ちた時を過ごすはずなのであるが、何故かしら今年は気温がやけに低い。朝方に寒くて目を覚ましたりする。僕はそういう経験が本当に好きではないので、朝冷たくなってしまった水道水で顔を洗う時なんかに軽く落ち込んだりする。ああ、これから先は益々冷たくなっていく一方の水で顔を洗わねばならないのか。と、既に冬に対する恐れを抱いていたりもする。
これから僕が過ごす事になる季節にはこんなにも色々な良いところが在るのだ、と念頭に置いて暮らして行かねば、日々を繰り返していく事が憂鬱で仕方なくなってしまいそうだ。それはとても嫌なので、今年の初めにも書いたようにこの季節の良いところを揚げて行こうと思う。何故かこういう事はその度毎に思い出しておかないと、去年の事などすっかり忘れてしまっているのだ。
これから僕が過ごす事になる季節にはこんなにも色々な良いところが在るのだ、と念頭に置いて暮らして行かねば、日々を繰り返していく事が憂鬱で仕方なくなってしまいそうだ。それはとても嫌なので、今年の初めにも書いたようにこの季節の良いところを揚げて行こうと思う。何故かこういう事はその度毎に思い出しておかないと、去年の事などすっかり忘れてしまっているのだ。
- 空の高さ。
実際には雲が薄く高い位置に流れているので空を高く感じる。夏の空に比べて圧迫感が少なく何かしらほっとした気分になる。 - 虫の声。
遠くに近くに、様々な角度から聞こえてくるこの音声は、心地良い距離感をもって僕を慰める。 - 11月に一日だけ遠くから風に乗って届く畑焼きの匂い。
確認した事はないのだけれど、恐らく千葉の方から。毎年一日だけ気付く。 - 稲やススキや葦の穂が風に揺れる様。
しかしその姿にお目に掛かれる事はなかなかない。荒川の辺に葦は生い茂っているけど。 - その年に初めてセーターを下ろして頭から被った時の衣類の匂い。
- デザート・ブーツの皮の柔らかさと可愛らしさ。
今は持っていない。その内に是非手に入れたい。 - 日本酒の舌触りのまろやかさ。
- 梨のシャクシャクとした歯応え。
- 新茶の新鮮さと柔らかい味。
- 本(特に文庫本)の活字の美しさ。
何故だか知らないけどこの季節が一番目に優しくてくっきりと映る気がする。 - J.S. バッハのチェロ・ソナタ
- ジュール・マスネのタイスの瞑想曲
- Last Modified : 2009-09-03
こんなところか・・・意外と少ないな。何だか観念的な事柄が多いし。夏に脳が溶けてるから、その揺り返しかな。
香りの記憶
高校3年の頃、僕は市内に在るデッサン塾に毎日放課後に通っていたのだけれど、同じように其処に通ってくる一人の女の子を好きになった。彼女は同じ市内に住んでいて隣の市に在る女子校に通っていた。馴れ初めなど詳細は省くが、すっかり仲良くなった後に僕は彼女に誘われて都市部に在る小さな法律事務所で働く彼女の姉の元へ遊びに行った事がある。その姉の住む自宅へではない、仕事場へだ。今考えれば図々しいにも程があるが高校生に分別など期待しても無駄である。もちろん突然訪ねた訳ではなく、その姉のボスである弁護士が法廷で被告となる人物の弁護をすべく事務所を留守にしている合間を狙っての訪問である。
さてこの姉、仮にYさんとしておくが、僕らより10歳年上の28歳。吉田拓郎とデヴィット・ボウイとミック・ジャガーが好きでロスマンズの煙草を好む背の高い美人であった。紹介されて一体そこで何を話したかなんてまるで覚えてはいないけれど、とにかく主張の強い人で、自分の好きなミュージシャンや作家や洋服のブランド(何しろ1980年代なのもので)の話を延々と語られた気がする。そしてどういう流れだったかYさんは何処からともなく白っぽい小瓶を持ち出してきて、これが今気に入っている香水なのだと教えてくれた。アナイス・アナイスという香水だった。Eau de Parfum ではなく Eau de Toilette。香りの強さと持続時間が違うのだという。柔らかく華やかで吸い込まれそうな印象の香りだった。
その説明を終えるとYさんはおもむろに頭上にプシュプシュと香水を散布すると、自分はその下でくるくると身体を回転させた。一体この人は何を始めたのかと思って見ていると、これが香りを身に纏う一番良い方法なのだと言う。僕は呆然とした顔で見ていたのだろう、ついでのように僕の顔に向けて香水を吹き付けた。そうされて僕はドギマギしていただけだったが、10歳も年下の、しかも黒いスリムのジーンズにユニオンジャックとストーンズのベロマークを縫いつけ、ダイエースプレーで髪の毛をピンピンに尖らせた姿で好きな女の子の家族に会いに来るというどう考えてもアホ以外の何者でもないガキは、からかわれて当然だろう。
★
香りというのは記憶に残りやすいのか、その後もずっとその香りを覚えていた。大学に入って1年か2年の頃、一般教養の心理学の授業中にその香りを嗅いだ。その主は当時連れだって行動していた連中の間では「心理学」と密かに呼ばれていた一学年上の女性だった。「心理学」と呼んでいたのでは勿論心理学の授業で見かけるからというだけの話で、女の子と書かずに女性と書いたのは非常に大人っぽい人だったからである。顔立ちは違うが今思い返せば大塚寧々のような雰囲気を持っていて、肌がとても白く滑らかで背中がぱっくりと割れたシャツを着たりしていた。アホで童貞な男はそういう女性に当たり前のように弱い。
それから2年ほど経ち、今度は同級生の女の子が同じ香りをつけているのに遭遇した。幼い顔立ちの子だったので似合わないなと思っただけですぐに忘れた。服と同じように香りも人それぞれに似合う似合わないというのがあるという事にその時気付いた。
その後その香りを嗅ぐ機会はなかった。輸入が中止されたという話を聞いたし、暫くして再開されたという話も聞いた。そういう話を何故知っているのか、そしてそれを誰から聞いたのか全く覚えていないが、恐らく事ある毎にアナイス・アナイスの話を知り合った女性にしていたのだろう。それでもその香りを身に纏っている人には出会わなかった。
★
それから10年ほどが経ち、その頃に知り合った女性から嗅ぎ覚えのある香りが漂ってくる。これってもしやアナイス・アナイスでは? ああでも似た香りかも知れないし突然「それってアナイス・アナイス?」と訊くのも変というか失礼というか微妙な気もするし・・・。暫くそうして煩悶していたのだがとうとう我慢できずに尋ねてみた。すると「これは香水ではなく石鹸の香りで、アナイス・アナイスの香水の香りは甘過ぎて好きではない」という事であった。
若い人は甘い香りを好み、大人になったら渋みや辛みが入り交じった香りを好むような気がする。その昔には「大人の香り」と認識していたアナイス・アナイスは、実際の大人からみれば「甘過ぎる」と感じられる幼い香りなのか。昔Yさんに連れられて行ったデパートでゲランのミツコの香りを嗅がされた事があるが、脳味噌が溶け出しそうなくらいに濃厚な女の香りがして「これは無理だ」と思った記憶がある。しかし中年のオッサンとなった今ならばもしかしたらその香りを好ましく思えるのだろうか。
さてこの姉、仮にYさんとしておくが、僕らより10歳年上の28歳。吉田拓郎とデヴィット・ボウイとミック・ジャガーが好きでロスマンズの煙草を好む背の高い美人であった。紹介されて一体そこで何を話したかなんてまるで覚えてはいないけれど、とにかく主張の強い人で、自分の好きなミュージシャンや作家や洋服のブランド(何しろ1980年代なのもので)の話を延々と語られた気がする。そしてどういう流れだったかYさんは何処からともなく白っぽい小瓶を持ち出してきて、これが今気に入っている香水なのだと教えてくれた。アナイス・アナイスという香水だった。Eau de Parfum ではなく Eau de Toilette。香りの強さと持続時間が違うのだという。柔らかく華やかで吸い込まれそうな印象の香りだった。
その説明を終えるとYさんはおもむろに頭上にプシュプシュと香水を散布すると、自分はその下でくるくると身体を回転させた。一体この人は何を始めたのかと思って見ていると、これが香りを身に纏う一番良い方法なのだと言う。僕は呆然とした顔で見ていたのだろう、ついでのように僕の顔に向けて香水を吹き付けた。そうされて僕はドギマギしていただけだったが、10歳も年下の、しかも黒いスリムのジーンズにユニオンジャックとストーンズのベロマークを縫いつけ、ダイエースプレーで髪の毛をピンピンに尖らせた姿で好きな女の子の家族に会いに来るというどう考えてもアホ以外の何者でもないガキは、からかわれて当然だろう。
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香りというのは記憶に残りやすいのか、その後もずっとその香りを覚えていた。大学に入って1年か2年の頃、一般教養の心理学の授業中にその香りを嗅いだ。その主は当時連れだって行動していた連中の間では「心理学」と密かに呼ばれていた一学年上の女性だった。「心理学」と呼んでいたのでは勿論心理学の授業で見かけるからというだけの話で、女の子と書かずに女性と書いたのは非常に大人っぽい人だったからである。顔立ちは違うが今思い返せば大塚寧々のような雰囲気を持っていて、肌がとても白く滑らかで背中がぱっくりと割れたシャツを着たりしていた。アホで童貞な男はそういう女性に当たり前のように弱い。
それから2年ほど経ち、今度は同級生の女の子が同じ香りをつけているのに遭遇した。幼い顔立ちの子だったので似合わないなと思っただけですぐに忘れた。服と同じように香りも人それぞれに似合う似合わないというのがあるという事にその時気付いた。
その後その香りを嗅ぐ機会はなかった。輸入が中止されたという話を聞いたし、暫くして再開されたという話も聞いた。そういう話を何故知っているのか、そしてそれを誰から聞いたのか全く覚えていないが、恐らく事ある毎にアナイス・アナイスの話を知り合った女性にしていたのだろう。それでもその香りを身に纏っている人には出会わなかった。
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それから10年ほどが経ち、その頃に知り合った女性から嗅ぎ覚えのある香りが漂ってくる。これってもしやアナイス・アナイスでは? ああでも似た香りかも知れないし突然「それってアナイス・アナイス?」と訊くのも変というか失礼というか微妙な気もするし・・・。暫くそうして煩悶していたのだがとうとう我慢できずに尋ねてみた。すると「これは香水ではなく石鹸の香りで、アナイス・アナイスの香水の香りは甘過ぎて好きではない」という事であった。
若い人は甘い香りを好み、大人になったら渋みや辛みが入り交じった香りを好むような気がする。その昔には「大人の香り」と認識していたアナイス・アナイスは、実際の大人からみれば「甘過ぎる」と感じられる幼い香りなのか。昔Yさんに連れられて行ったデパートでゲランのミツコの香りを嗅がされた事があるが、脳味噌が溶け出しそうなくらいに濃厚な女の香りがして「これは無理だ」と思った記憶がある。しかし中年のオッサンとなった今ならばもしかしたらその香りを好ましく思えるのだろうか。
そもそもハイレグとは何だったのか。
1980年代中頃、ハイレグという形状の水着が流行った。現在から見ればとても変だと僕なんかは思うのだが、その当時はハイレグこそがセクシーの代名詞であった。上のリンク先にもあるように「セクシーで人目をひく・脚が長く見える・動きやすい・涼しい」とまあ、そんな理由なのだろう。しかし僕にはセクシーというのが今一つ分からなかった。そう、僕は流行っている当時から「何処となく変だな」と思っていたのだ。ハイレグは未だ良い。鋭角に切り込んだデルタラインがスリルを感じさせるのは勿論解る。しかしその傾向が過剰となりスーパーハイレグになるともう違和感が先だってセクシーでも何でもないのだ。太腿の付け根の上まで露わになった女性の大腿部は、僕にバッタの脚を思い起こさせる。
取り敢えずこれだけ書けば僕がハイレグを好きではない事を伝える事が出来たと思う。但し競泳水着の場合はこの限りではない。あれは動きやすさ(機能性)が優先されるだろうからハイレグ以外は有り得ないと思う。実際にそれを着用して運動するにしても、鑑賞されるにしても。
★
さて、2000年を迎えると今度はローライズが流行りだした。最初こそ僕も若干の違和感を感じていたのだが、今となってはすっかり慣れてしまい、それどころかローであればローである程良い気がしている。ファスナーの長さが5cmしかないようなジーンズを穿いた女性を見かけると心の中で小躍りするくらい好きである。ハイレグの場合は無闇やたらと公明正大というか「こんなに切れ込んだわよ。どう? 好きでしょ? 申し分ないでしょ? 素晴らしいでしょ?」という感じのスポーツ感覚がどうにも白けてしまうのだが、ローライズの場合は若干の迂闊さが存在する。しかしそれとて計算し尽くした上での迂闊さなのであって、それ無しで露出されたものは「だらしなさ」でしかない。どちらかと言えば、この方が日本人のエロティシズムの感覚に近いと思う。
★
で、こういう見方ってのは理性と本能(性欲)のどちらが欲する事なのだろうか。水着や下着などの色や素材・カットなどのデザインを注視して考えるならばそれは理性だろうし、肌の露出加減や隠蔽の際どさを考えるならばそれは本能であるように思う。しかしこんな風に単純には考えられない事も一応は知っている。何も観るのは男だけとは限らないのだ。
以前に会社を辞めた元同僚(女)二人と久しぶりに会おうとホテルのカフェで待ち合わせした時の事。彼女らがやってくるのを待つ間、本を読んでやり過ごそうとしている僕の隣の席に、背が高くとてもスタイルの良い二人の女の子が座った。二人はローライズのジーンズを穿いており、席に座る際に露出した下着が見えた。オレンジと紫のどちらもレースの下着であった。どうやらそのカフェの支配人の知り合いらしく、せっかくだから来てやったわよ的な態度の二人に、支配人自ら給仕をして何やかやと世話を焼いていた。やがて元同僚の二人が登場し、珈琲を飲みながら近況などをてんでバラバラに語りつつ午後を過ごした。隣の席の二人の女の子は気付けばいつの間にか居なくなっていた。
そして散々喋って話題も無くなった頃、僕は場繋ぎに「さっき隣の席に女の子が二人座ってさ、その子達が物凄いローライズ穿いてんのよ。そんでついつい見たら紫とか黒のパンツが見えたんだよねー」と女性相手に喋るには少々難のある話題をうっかり喋ってしまったのだけれど、元同僚の二人は「え?どこどこ?」「隣?隣ってどっち?」と予想外の反応が返ってくる。「いや、もう居ないよ」と僕は答えたのだけれど「えええっ!何で直ぐに教えてくれないんですか!」とか言う。「え、どして? 見たかった?」と訊けば「当たり前じゃないですか!」とユニゾンで怒鳴られる。「えー・・・何で見たいの?」「女の子大好きなんですよ。可愛いじゃないですか! で、何処なんですか?」「だからもう居ないって」「えええええっ!!」因みにこの二人は結婚してるし、僕が知る限りではレズビアンでもない。そういう感覚は本当に解らない。男が思うエロティシズムとは別な感覚で、女は女を観ているのだろう。
★
僕に解ったのは「よくわからない」という事だけだった。
取り敢えずこれだけ書けば僕がハイレグを好きではない事を伝える事が出来たと思う。但し競泳水着の場合はこの限りではない。あれは動きやすさ(機能性)が優先されるだろうからハイレグ以外は有り得ないと思う。実際にそれを着用して運動するにしても、鑑賞されるにしても。
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さて、2000年を迎えると今度はローライズが流行りだした。最初こそ僕も若干の違和感を感じていたのだが、今となってはすっかり慣れてしまい、それどころかローであればローである程良い気がしている。ファスナーの長さが5cmしかないようなジーンズを穿いた女性を見かけると心の中で小躍りするくらい好きである。ハイレグの場合は無闇やたらと公明正大というか「こんなに切れ込んだわよ。どう? 好きでしょ? 申し分ないでしょ? 素晴らしいでしょ?」という感じのスポーツ感覚がどうにも白けてしまうのだが、ローライズの場合は若干の迂闊さが存在する。しかしそれとて計算し尽くした上での迂闊さなのであって、それ無しで露出されたものは「だらしなさ」でしかない。どちらかと言えば、この方が日本人のエロティシズムの感覚に近いと思う。
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で、こういう見方ってのは理性と本能(性欲)のどちらが欲する事なのだろうか。水着や下着などの色や素材・カットなどのデザインを注視して考えるならばそれは理性だろうし、肌の露出加減や隠蔽の際どさを考えるならばそれは本能であるように思う。しかしこんな風に単純には考えられない事も一応は知っている。何も観るのは男だけとは限らないのだ。
以前に会社を辞めた元同僚(女)二人と久しぶりに会おうとホテルのカフェで待ち合わせした時の事。彼女らがやってくるのを待つ間、本を読んでやり過ごそうとしている僕の隣の席に、背が高くとてもスタイルの良い二人の女の子が座った。二人はローライズのジーンズを穿いており、席に座る際に露出した下着が見えた。オレンジと紫のどちらもレースの下着であった。どうやらそのカフェの支配人の知り合いらしく、せっかくだから来てやったわよ的な態度の二人に、支配人自ら給仕をして何やかやと世話を焼いていた。やがて元同僚の二人が登場し、珈琲を飲みながら近況などをてんでバラバラに語りつつ午後を過ごした。隣の席の二人の女の子は気付けばいつの間にか居なくなっていた。
そして散々喋って話題も無くなった頃、僕は場繋ぎに「さっき隣の席に女の子が二人座ってさ、その子達が物凄いローライズ穿いてんのよ。そんでついつい見たら紫とか黒のパンツが見えたんだよねー」と女性相手に喋るには少々難のある話題をうっかり喋ってしまったのだけれど、元同僚の二人は「え?どこどこ?」「隣?隣ってどっち?」と予想外の反応が返ってくる。「いや、もう居ないよ」と僕は答えたのだけれど「えええっ!何で直ぐに教えてくれないんですか!」とか言う。「え、どして? 見たかった?」と訊けば「当たり前じゃないですか!」とユニゾンで怒鳴られる。「えー・・・何で見たいの?」「女の子大好きなんですよ。可愛いじゃないですか! で、何処なんですか?」「だからもう居ないって」「えええええっ!!」因みにこの二人は結婚してるし、僕が知る限りではレズビアンでもない。そういう感覚は本当に解らない。男が思うエロティシズムとは別な感覚で、女は女を観ているのだろう。
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僕に解ったのは「よくわからない」という事だけだった。
- Last Modified : 2009-03-24
緒川たまき結婚報道がもたらすもの
- 2009-03-07
- Category - People
- Tag - sexuality / philosophy
休日の朝遅くに目を覚ました僕は、カーテンを開け、晴れ渡る青空に目を細めた後、パワーブックを起動させる。そしてブラウザを開いた僕の目に飛び込んできたのは緒川たまきとケラリーノ・サンドロヴィッチの結婚報道。僕は声も無く嘆いた。それは複雑に過ぎる混じり合った感情の押し出された形なのかも知れない。きっと色々な人達が色々な事を書いてるだろうとグーグルのブログ検索で探ってみると「たまきちゃん結婚おめでとう!」とか「ケラリーノ・サンドロビッチって誰?ヘンな名前w」みたいな記事ばかりで、余りにもツマラナイので早々に読むのを止めた。そんな中、僕の巡回先に一人だけこの件について記事を書いている人が居て、それが秀逸で面白かった。
緒川たまき結婚で試される童貞力 / Webdog
特にこの辺りの行が大好きである。
それにしてもケラめ、おめでとうなんて絶対に言わないぞ。
先日観た緒川たまきの神々しくさえある姿が、昼間の光に晒され、朧気に消えていく・・・。
緒川たまき結婚で試される童貞力 / Webdog
特にこの辺りの行が大好きである。
結婚を報じるあらゆるニュース記事を読みながら僕はなにかを掴もうと必死になった。なんだかよく分からないけど眠っていた童貞力がめきめきと伸び始めた。伸び続けて止まらない。第一報を目にしてから30分、もはや僕はすっかり童貞だ。ああ、こんな風に思う事あるよなあ。上の記事にも在るように、原田知世が結婚した時とか森口瑤子が結婚した時とか本上まなみが結婚した時とか麻生久美子が結婚した時とかに僕はそんな感じだった。僅か数ミクロンの微かな希望でさえも手繰り寄せて縋りたくなるような心許ない気持ちというか、「切ない」という曖昧な表現の中にはこういう「憧れの対象への手の届かなさ」が多分に含まれているような気がする。「手が届かない」からこそ「憧れ」であり、「憧れ」ているからこそ心も下半身もねじ切るようにして見つめてしまうのだろう。「憧れ」るにはその対象となる人に関する情報量の少なさが必須であるように思う。メディアへの露出が比較的多く、巷でプライベートを報道されまくっているようなアイドルにはどうやっても「憧れ」る事が出来ない。
それにしてもケラめ、おめでとうなんて絶対に言わないぞ。
先日観た緒川たまきの神々しくさえある姿が、昼間の光に晒され、朧気に消えていく・・・。
- Last Modified : 2009-03-07






