DOG ON THE BEACH
炬燵ライフに於けるその装具、供物及び着衣についての考察
休日に一日部屋に籠もってぼけーっとしていると、いろいろと下らない事を考えてしまうものだ。昨日なども柔らかい陽射しが差し込む部屋の中で、オイルヒーターと加湿器で暖められた空気に微睡んでいたのだが、ふいに炬燵が欲しいなと思いついた。思いつくのは勝手だが我が家は狭い。ベッドかテーブルを始末しない限りは炬燵を置くスペースは無い。その歴然とした事実は如何ともしがたいので、炬燵を購入する件はすっぱり諦め、僕にとっての理想的な炬燵ライフについて考え始めたという訳である。以下にその諸条件を記す。
- 炬燵布団には暖色を用いる。江戸前の藍と灰色と黒の縦縞も考えたが、何処となく寒々しいので止める。因みに僕の実家では、母の好みが大きく反映されていて、色は赤から橙までの色で、格子柄が多かったように思う。それでなければゴブラン織りのような重圧な文様柄。
- 天板は木目を用いる。まあ、それ以外の物って見た事ないけど。
- その天板の上に配置されるのは、急須・湯飲み・竹編みの容器に収まった蜜柑若しくは林檎・サラダ一番・アルファベットチョコレート、そして新聞広告を折って作った屑入れ・花瓶が一つ。
- 部屋の隅には画面の大きなテレビ。自分の周りに放置されているのは漫画と小説。
- どうせその内に横になるので座椅子は要らない。その代わりに枕代わりにする座布団。
- そんな空間での自分の衣服はというと、丹前。これは外せない。その下には着古したスウェットシャツ若しくはセーター。で下半身にはやはりジャージだろうか。出来ればバッタもんである事が望ましい。「 adidos 」とか「 Pama 」とか「 Mike 」が適当だろう。
- ここまで揃えればかなり充実した炬燵ライフを送る事が出来る。しかし欲を言えば、言わせて頂くならば、外を眺めるのに雪見障子が欲しいところである。そして勿論眺めるべき庭も。
盛り蕎麦とざる蕎麦
十数年前に上京して以来、関東の食べ物に親しんでいる。がしかし、どうにも納得出来ない事がままある。西日本で生まれ育った人間にとって蕎麦・饂飩(うどん)のつゆが醤油でやたらと黒いというのがその代表的なものであったりするのだが、今回はそれではなく「盛り蕎麦」と「ざる蕎麦」との価格差である。
実は、僕が未だ福岡に住んでいる頃には「年越し蕎麦」以外に蕎麦を食べる習慣がなかった。とすると当然蕎麦を外食する事もなかったので「盛り蕎麦・ざる蕎麦」の類は食べた事がなかった。つまり上京して始めて蕎麦をつゆに浸けて食べるという事を経験したのだが、それが一体どのタイミングで口にしたのかは覚えていない。素麺を食べるのと違いはないので抵抗があった訳ではない。それでも習慣とは恐ろしいもので、恐らく上京後数年経ってからようやく口にしたのではないかと思う。
話が逸れた。今では、この季節から秋口までは蕎麦を食べる事を毎年楽しみにしている僕であるが、やはり「盛り蕎麦」と「ざる蕎麦」の価格差が腑に落ちない。どう見ても、一掴みの刻んだ焼き海苔が蕎麦の上に乗っかっているかそうでないかの違いしかない。それでいて50円から店に拠っては100円の価格差が有る。一消費者である僕が考えるに、焼き海苔のトッピングは20円か30円程度にしか思えない。「海苔がなんでそげん高かとか!」何度そう叫びそうになった事か。しかしながら他の客はその事実を普通に受け容れ蕎麦を啜っている光景を目にすると、なかなかそう騒ぎ立てる事も出来ず、かと言って納得は出来ないので店員に訊くのである。「あのう、盛り蕎麦とざる蕎麦ってどう違うんですか?」返ってくる答えは何処で訊いても同じ。「海苔が付いてるか、付いてないかです。」
以来僕は煮え切らぬ腹を抱えたまま、海苔も食べたきゃ「ざる蕎麦」を注文し、そんなの要らんと思えば「盛り蕎麦」を注文していた。外出した際にたまたま立ち寄った蕎麦屋で、答えは分かっている癖に、懲りもせずに同じ質問をした事も一度ではないのだが、やっぱり同じ答えしか返って来ず、この不可解さを一体誰と共有すべきかを考えたりしていたのだ。
しかしである。つい数日前になんとなーく Wikipedia で蕎麦を調べてみたところ、驚くべき事実を知る事になった。以下はその引用。
それはそうとして、この現代に於いて「焼き海苔の有無」と「砂糖と味醂の価格差」であの価格差はやはり納得出来ないように思える。海苔のトッピングやつゆのチョイスはサービスという事でも十分やっていけると思うのだけれど、わざわざメニューまで分け続けているというのは、伝統の形骸化と言えなくもないように思う。
2007.05.28 : コメントを戴き、実は諸説在る事が判った。
実は、僕が未だ福岡に住んでいる頃には「年越し蕎麦」以外に蕎麦を食べる習慣がなかった。とすると当然蕎麦を外食する事もなかったので「盛り蕎麦・ざる蕎麦」の類は食べた事がなかった。つまり上京して始めて蕎麦をつゆに浸けて食べるという事を経験したのだが、それが一体どのタイミングで口にしたのかは覚えていない。素麺を食べるのと違いはないので抵抗があった訳ではない。それでも習慣とは恐ろしいもので、恐らく上京後数年経ってからようやく口にしたのではないかと思う。
話が逸れた。今では、この季節から秋口までは蕎麦を食べる事を毎年楽しみにしている僕であるが、やはり「盛り蕎麦」と「ざる蕎麦」の価格差が腑に落ちない。どう見ても、一掴みの刻んだ焼き海苔が蕎麦の上に乗っかっているかそうでないかの違いしかない。それでいて50円から店に拠っては100円の価格差が有る。一消費者である僕が考えるに、焼き海苔のトッピングは20円か30円程度にしか思えない。「海苔がなんでそげん高かとか!」何度そう叫びそうになった事か。しかしながら他の客はその事実を普通に受け容れ蕎麦を啜っている光景を目にすると、なかなかそう騒ぎ立てる事も出来ず、かと言って納得は出来ないので店員に訊くのである。「あのう、盛り蕎麦とざる蕎麦ってどう違うんですか?」返ってくる答えは何処で訊いても同じ。「海苔が付いてるか、付いてないかです。」
以来僕は煮え切らぬ腹を抱えたまま、海苔も食べたきゃ「ざる蕎麦」を注文し、そんなの要らんと思えば「盛り蕎麦」を注文していた。外出した際にたまたま立ち寄った蕎麦屋で、答えは分かっている癖に、懲りもせずに同じ質問をした事も一度ではないのだが、やっぱり同じ答えしか返って来ず、この不可解さを一体誰と共有すべきかを考えたりしていたのだ。
しかしである。つい数日前になんとなーく Wikipedia で蕎麦を調べてみたところ、驚くべき事実を知る事になった。以下はその引用。
盛り蕎麦とざる蕎麦の違いは、その蕎麦つゆにある。ざる蕎麦は砂糖を用いた蕎麦つゆで、盛り蕎麦は味醂等で味付けした蕎麦つゆで食べる。江戸時代、当時はまだ砂糖は貴重品であり、区別を明確にするために蕎麦を盛る器に違いをつけたり、高級品であった海苔を散らしたとされる。砂糖が誰にでも手に入るようになった現在では、そういう区別をする蕎麦屋は少ないかも知れない。なお、冷たい蕎麦に刻んだ海苔を散らすようになったのは明治以降である。気付かなかった・・・。当時海苔が高級品だったのだろうなくらいは想像していたのだけれど、砂糖と味醂の差であったとは・・・。同じ店で「盛り蕎麦」と「ざる蕎麦」をそれぞれ食べた事はあるが、それは全然別な日にたまたま別なメニューを注文したのであって、同時に二種類注文して食べ比べた訳ではなかったのだ。自分の味覚が鈍磨されているとは思っていないし、砂糖と味醂の味の差は何となくでも判るつもりでいたのだが、これはどうした事か。この事実を確認するにはやはり、誰か付き添って貰って「盛り蕎麦」と「ざる蕎麦」をそれぞれ注文して食べ比べてみるしかないのだろうか。
それはそうとして、この現代に於いて「焼き海苔の有無」と「砂糖と味醂の価格差」であの価格差はやはり納得出来ないように思える。海苔のトッピングやつゆのチョイスはサービスという事でも十分やっていけると思うのだけれど、わざわざメニューまで分け続けているというのは、伝統の形骸化と言えなくもないように思う。
2007.05.28 : コメントを戴き、実は諸説在る事が判った。
生の根幹としての食
環境goo の中で見つけた記事。
追記2006.06.01 : 上記の記事を書いた島村菜津というライターが書いた「スローフードな日本!」という本の中にも、この夫婦や水俣の話が出てくる。その中で気になったのは「地元学」という言葉。水俣市の市役所員、吉本哲郎氏が提唱する水俣市を再生をさせる方法論(本人曰く哲学)である。自らの生きる土地(場所)を知り、その中で可能な環境サイクルを構築する事。「ないものねだりから、あるもの探し」へ。「地元」という感覚で言うと、生まれ育った故郷が私にはそれに当たる。しかしながら、生憎と故郷を離れて10年を遙かに超える。自分の立ち位置、つまり生活している場所は此処である。私が知るべきはこの土地である。「あるもの探し」という考えが、自分が写真やなんかでやっている事に近いので、何となく嬉しくなった。くるりの「 World's end super nova 」という曲の中にこういう歌詞が在る。「同じ望みなら ここで叶えよう」いつの頃からか、この考えが染みついてしまった。
杉本雄・栄子さんのご夫婦は、半農半漁の鴛鴦夫婦である。上品な味わいの無添加いりこそれに三十年近くも無農薬の夏みかんやたまねぎを作っている。故郷に舞い戻った息子さんたちと、かなりの量を生産する。出会ったその日、五トン舟で漁から舞い戻った栄子さんが、水俣病で十年も寝たきりだったとは、とても信じられなかった。輝くような生命力に満ちていた。なぜ、という愚かな疑問に、彼女は答えた。最後の言葉を読んで、とても嬉しくなった。こんなにも希望を感じさせる言葉は滅多にお目にかかれない。短絡的な考えかも知れないが、正しい食を保っていれば、人は健常で居られるのだ。老いを止める事は出来ないのだろうが、少なくとも、十分な人生を享受する事が出来るのだ。もしかすると(飛躍した妄想だけれど)精神的疾患も食で治す事が出来るのではないだろうか、などという事まで考えてしまう。
「食べもので病気になったとですから、食べもので直すとです。」
追記2006.06.01 : 上記の記事を書いた島村菜津というライターが書いた「スローフードな日本!」という本の中にも、この夫婦や水俣の話が出てくる。その中で気になったのは「地元学」という言葉。水俣市の市役所員、吉本哲郎氏が提唱する水俣市を再生をさせる方法論(本人曰く哲学)である。自らの生きる土地(場所)を知り、その中で可能な環境サイクルを構築する事。「ないものねだりから、あるもの探し」へ。「地元」という感覚で言うと、生まれ育った故郷が私にはそれに当たる。しかしながら、生憎と故郷を離れて10年を遙かに超える。自分の立ち位置、つまり生活している場所は此処である。私が知るべきはこの土地である。「あるもの探し」という考えが、自分が写真やなんかでやっている事に近いので、何となく嬉しくなった。くるりの「 World's end super nova 」という曲の中にこういう歌詞が在る。「同じ望みなら ここで叶えよう」いつの頃からか、この考えが染みついてしまった。
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