DOG ON THE BEACH
浅草サンバカーニバル雑感 2010
- 2010-09-08
- Category - Hobby
- Tag - photograph / tokyo / gala / entertainment




そう言えば去年は行かなかった。今年は余り体調が良くなかったから、少し覗くだけにしようと思っていそいそと出掛けたのだけれど、やっぱり今回も最後まで居てしまった。背摂氏34度を超える炎天下、いろいろな方向で身体が保ちそうになかったのだけれど、なんとか保ってしまうのがよく判らない。サンバを聴いて興奮状態にあったからかな。
打楽器隊が目の前に差し掛かり、バトゥカーダに包まれると身体を動かさずにはいられない。という人は、今年も周りに居なかった。いや、唯一人、僕の近くに居た母娘の、50代であろう母親が踊っていた。それは本当に楽しそうに。一昨年も思ったけど、この祭りに集まった人々はサンバが好きな訳ではないんだな。見せ物としてのパレードを見物に来ているだけだ。
片やエスコーラに参加している人達のブログを読んでいると、日本中のバテリア(打楽器隊)が心待ちにしている年に一度の祭りだとかそんな事が書いてあった。この祭りを一番楽しんでいるのは彼らなのだろうな。それが証拠に、一昨年に比べ主要なエスコーラの規模が格段に大きくなっていた。祭りの方向性として、規模が大きくなる事は何となく解る。人が多ければ多いほど楽しいだろうから。
ところで、ひとつ気付いた事がある。山車の上に乗って、派手な衣装で踊っている女性達は、どのエスコーラを観ても非常によく似たタイプの女性が乗っている。場合よったら「あれ、この人さっきも乗ってなかったっけ」などと思うくらいに似ていた。考えてみれば、何かしらの立場や力を持っていなければ山車には乗れない気がする。するとあれか、もしや彼女達は近隣の姐さん達なんじゃなかろうか。考えすぎかな。
それと、パレードの配列はある程度決められているようだ。そしてキーとなる人がそれぞれのパートを指導している。今年はそれにも気付いた。調べてみるとこういう構成のようだ。いろいろ知っていくと楽しい。
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2008年に書いた浅草サンバカーニバルの記事。
- Last Modified : 2010-09-08
浅草サンバカーニバル雑感
- 2008-09-06
- Category - Days
- Tag - diary / gala / entertainment
色々と細かい感想をメモ代わりに箇条書き。忘れてしまうのも勿体ないので。
Youtube で色々と観てみたんだけど、この映像は短いがリオ・デ・ジャネイロの人々の狂乱振りがよく判ると思う。そして下のヤツは宣伝用の映像。もう何というか規模が大き過ぎて目眩がしそうである。そりゃあ金も動くし犯罪も起きるわ。
- サンバのリズムにはどうしても抗えないようだ。何故ならば観ている間僕はずっと腰を動かしていたからである。周囲を見渡すと皆さん割と静に見つめているか手を振って演者に応えているかのどちらかが大半を占めていて、僕と同じようにリズムに取り憑かれていたのは、通りの向こう側に一脚にデジカメを付けて構えている僕より少し年下の男くらいなものであった。じっと立っているより踊っていた方が疲れないんだよね。楽しいし。
- そう言えば、1970年代のリオのカーニバルでの歴代の優勝エスコーラ(チーム)のテーマ曲を集めたCDを持っていたはずなのだけれど見当たらない。
- 露出度が高く頭や背中に羽根飾りを付けたような出で立ちで踊るダンサー(呼び方が判らない)にはアフリカ系もアングロサクソン系も日本人も居るのだけれど、どうしても日本人(というかアジア系)の女性が一番生々しく感じるのは何故だろうか。ずっと以前に知り合いの写真家の個展を覗いた時に、共通の知人の女性のヌード写真が在って、何だか観ているこっちが恥ずかしくなってまともに観れなかった事があるが、それと同じような事かも知れない。自分に近ければ近い程羞恥心が働く法則。
- 映画「ドラムライン」を観た時にも同じ様な事を思ったが、バテリア(打楽器隊)というのは本当に格好良い。
- 正確にどのチームだったのかは覚えていないけれど、ケツから数えて3番目までのどれかのチームの中に、全身に金粉を塗った女性ダンサーが三人ほど居た。「007 ゴールドフィンガー」の映像では観た事はあったが生で観ると物凄い衝撃だ。身体の隆起した部位や皺などの陰翳がとんでもなくエロティックで、じっと観ていると意識が向こう側へ飛んでしまいそうな感じがした。しかし金粉(実際には鉱物の金ではなく何かしらの塗料だと思うけど)を全身に塗ると皮膚呼吸が出来なくなって危険だと聞いた事があるのだけれど、顔の部分は塗っていなくて金色の面を被っているにしても、あの炎天下でそんな事して大丈夫だったのだろうか。
- 参加チーム「GRES SAUDE YOKOHAMANGUEIRA」の代表者の1987年のリオのカーニバル体験記。1チームの構成人数が5000人とは桁が違い過ぎますな。
Youtube で色々と観てみたんだけど、この映像は短いがリオ・デ・ジャネイロの人々の狂乱振りがよく判ると思う。そして下のヤツは宣伝用の映像。もう何というか規模が大き過ぎて目眩がしそうである。そりゃあ金も動くし犯罪も起きるわ。
借り物の祝祭
- 2008-09-03
- Category - People
- Tag - sociology / religion / gala / entertainment
浅草サンバカーニバルの起源を辿れば、Wikipedia やその他の殆どのページには同じ記述が在る。
さて僕が考えていたのは、何故この借り物の祭りが東京に根付き毎年盛んに行われているのかという事だ。この祭りはコンテスト形式であり、事前の審査を経た20チームがパレードに参加する。各チームが運営するサイトを読んでいると、大体がリオのカーニバルやサンバという音楽の愛好者達で構成されている。中には在日のブラジル人が指導している場合もある。チームを構成するのは学生から一般人果てはプロのミュージシャンまで様々であるが、その思いも様々であるようだ。この祭り全体を構成するのは、飽くまで経済的効果を期待する主催者と、サンバの愛好者と、祭り好きの観客。そう考えると非常に巧く組み合わさった現象であるように思える。しかしどうも腑に落ちないというか、動機が弱いというか、曖昧さが全体を覆ってしまうのである。ブラジルでのサンバ・カーニバルの成り立ちの様相と比べてしまうからだろうか。彼の国では宗教や社会的な貧困状態などからカーニバルの存在する意味やその熱狂の度合いが想像しやすい。でもこの国にはそんなものは存在しないのである。
この国はどうしてこんなにも多くの祭りが存在するのだろうか。全国津々浦々、大なり小なりの祭りがひっきりなしに催されているし、地域の伝統や宗教的な解釈はまるで無視しされている。僕は何となく、近代化に伴ってハレとケの感覚が薄れ混乱してしまったが為に、無理矢理にその感覚を呼び戻そうとしているような気がしている。例えば、僕のような地方出身者が上京し新宿や渋谷・池袋などの繁華街に訪れてまず何を思うかと言えば「お祭りみたいだなあ」という感覚。地方の田舎に育てばこんなにも多くの人々を見るのは祭りの時くらいだからである。そんな風にして「毎日がお祭り」のような状況の中で暮らしていたら、古来の祭りの規模や日常と変わらないテンションで行われる祭事ではハレ(非日常)を感じる事は出来ないだろう。そこで必要となるのは目新しさや異質さで、それを満たす手っ取り早い方法が外来の祭事を輸入する事だったのではないかと僕は思う。
浅草はかつて映画館や演芸など娯楽の一大中心地として名を馳せたが、昭和30~40年代にはすでに街の活気が下火になりつつあった。これを案じた当時の台東区長である内山榮一と浅草喜劇出身俳優の伴淳三郎の発案により1981年に初めて実施されたといわれる。1981年なんてついこの間の事だ。何故浅草にサンバカーニバルなのかという疑問は考えても意味がないだろう。この国はキリスト教の祝祭を平然と自国の祭り・イベントとしてやってのけるし、果てはキリストやモーゼやブッダの墓が在るとかないとかそんな事まで、街や地域の経済を興す為に作ったりするような国なのである。調べてみれば高円寺阿波おどりも同じ様な理由で始められたようだし、とにかく借り物のスタイルであれ何であれ、呼び物となりそうなものであればそれを催して金を落とさせる。全国何処でも大なり小なりやっている経済活動である。それは、全てとは言わないが元々この国の各地方に伝来する宗教的な祭りさえも含まれてしまう。浅草とサンバカーニバルを関連づける事柄があるとすれば、浅草が観光地で日常的に祭りを催しているようなもので観光客の扱いにも慣れているだろうし、昔から三社祭のような大祭を継続させるだけの素地がある土地なのだから、受け容れやすかったのだろうという事は考えられる。いずれにしても節操の無さを感じる事は否めないのであるが。
さて僕が考えていたのは、何故この借り物の祭りが東京に根付き毎年盛んに行われているのかという事だ。この祭りはコンテスト形式であり、事前の審査を経た20チームがパレードに参加する。各チームが運営するサイトを読んでいると、大体がリオのカーニバルやサンバという音楽の愛好者達で構成されている。中には在日のブラジル人が指導している場合もある。チームを構成するのは学生から一般人果てはプロのミュージシャンまで様々であるが、その思いも様々であるようだ。この祭り全体を構成するのは、飽くまで経済的効果を期待する主催者と、サンバの愛好者と、祭り好きの観客。そう考えると非常に巧く組み合わさった現象であるように思える。しかしどうも腑に落ちないというか、動機が弱いというか、曖昧さが全体を覆ってしまうのである。ブラジルでのサンバ・カーニバルの成り立ちの様相と比べてしまうからだろうか。彼の国では宗教や社会的な貧困状態などからカーニバルの存在する意味やその熱狂の度合いが想像しやすい。でもこの国にはそんなものは存在しないのである。
この国はどうしてこんなにも多くの祭りが存在するのだろうか。全国津々浦々、大なり小なりの祭りがひっきりなしに催されているし、地域の伝統や宗教的な解釈はまるで無視しされている。僕は何となく、近代化に伴ってハレとケの感覚が薄れ混乱してしまったが為に、無理矢理にその感覚を呼び戻そうとしているような気がしている。例えば、僕のような地方出身者が上京し新宿や渋谷・池袋などの繁華街に訪れてまず何を思うかと言えば「お祭りみたいだなあ」という感覚。地方の田舎に育てばこんなにも多くの人々を見るのは祭りの時くらいだからである。そんな風にして「毎日がお祭り」のような状況の中で暮らしていたら、古来の祭りの規模や日常と変わらないテンションで行われる祭事ではハレ(非日常)を感じる事は出来ないだろう。そこで必要となるのは目新しさや異質さで、それを満たす手っ取り早い方法が外来の祭事を輸入する事だったのではないかと僕は思う。
夢二 / 鈴木 清順
- 2008-05-06
- Category - Art
- Tag - movie / japanese / clothes / installation
そう言えば鈴木清順の映画は一作も観ていないなあというのと、この映画のコマーシャルは昔観た事あったなあというのと、竹久夢二を描いたものなら観てみたいなあというので観てみた。主要人物は実在の人をモデルに、というか名前そのままなのだけれど性格等は実際とはあまり関係なく設定されているし、物語としても実際とは全く関係ない創作である。しかしそれはどうでも良いし、そもそも其処に期待はしていない。僕が DVD のジャケットを観た時に感じた、虚無感に苛まれた人間の色気。恐らくそれがこの映画全編に映し込まれているであろう予感に期待したのである。しかし実際に観れば、予想とは少し違い、人間の色気というよりその場の状況の色気が映されていた。湖や河川や森林の色気、舞台は金沢だがその町屋の造りの色気、手染めの着物の柄の色気、それを纏う女の色気。僕が大好きな世界がそこに映し出されていた。その他、金屏風の前に一輪だけ花が咲いた小鉢を台座に乗せて置いている様とか、赤く怪しく染み広がる揚屋のネオンのような灯りだとか、心打ち震えるような映像で満たされている。
幾ら革命的な美であっても伝統的な美を踏襲すべきである。それを知った上で打破し利用するべきである。この映画を観ながら、そんな事を考えていた。
炬燵ライフに於けるその装具、供物及び着衣についての考察
休日に一日部屋に籠もってぼけーっとしていると、いろいろと下らない事を考えてしまうものだ。昨日なども柔らかい陽射しが差し込む部屋の中で、オイルヒーターと加湿器で暖められた空気に微睡んでいたのだが、ふいに炬燵が欲しいなと思いついた。思いつくのは勝手だが我が家は狭い。ベッドかテーブルを始末しない限りは炬燵を置くスペースは無い。その歴然とした事実は如何ともしがたいので、炬燵を購入する件はすっぱり諦め、僕にとっての理想的な炬燵ライフについて考え始めたという訳である。以下にその諸条件を記す。
- 炬燵布団には暖色を用いる。江戸前の藍と灰色と黒の縦縞も考えたが、何処となく寒々しいので止める。因みに僕の実家では、母の好みが大きく反映されていて、色は赤から橙までの色で、格子柄が多かったように思う。それでなければゴブラン織りのような重圧な文様柄。
- 天板は木目を用いる。まあ、それ以外の物って見た事ないけど。
- その天板の上に配置されるのは、急須・湯飲み・竹編みの容器に収まった蜜柑若しくは林檎・サラダ一番・アルファベットチョコレート、そして新聞広告を折って作った屑入れ・花瓶が一つ。
- 部屋の隅には画面の大きなテレビ。自分の周りに放置されているのは漫画と小説。
- どうせその内に横になるので座椅子は要らない。その代わりに枕代わりにする座布団。
- そんな空間での自分の衣服はというと、丹前。これは外せない。その下には着古したスウェットシャツ若しくはセーター。で下半身にはやはりジャージだろうか。出来ればバッタもんである事が望ましい。「 adidos 」とか「 Pama 」とか「 Mike 」が適当だろう。
- ここまで揃えればかなり充実した炬燵ライフを送る事が出来る。しかし欲を言えば、言わせて頂くならば、外を眺めるのに雪見障子が欲しいところである。そして勿論眺めるべき庭も。
丹前
今週に入ってから、陽が落ちてからの気温も下がってきた事だし、押し入れの中から丹前を引っ張り出してきた。少し早い気もしたが、丹前を羽織ったままごろごろしていると、柔らかな暖かさに包まれて幸せな気分になれるのだ。
僕が所有している丹前は、実は友人の置き土産である。藍と青と灰色の縦縞で、あからさまに江戸前な代物だ。実家に住んでいる時はちゃんと僕専用の丹前(故郷では綿入れとも呼んだ)が用意されていたりしたものだが、いざ上京して独り暮らしを始めると、自分で丹前を買おうという気にはなかなかなれずに、そのまま月日は流れたのであった。それがある日、友人が地元に帰る(んだったか米国に行くんだったか記憶が曖昧だが)ので「お前にこれをやる」という事で譲り受けたのであった。今では毎年冬になると重宝している。
さて、いつものように「丹前」の歴史でも知ろうかと Wikipedia で調べてみたら、意外や意外、吉原の遊女勝山の衣装が発祥で、彼女に気に入られたい旗本連中を元に広まったのであるという。不思議だ。丹前というと、そういう色っぽい事からは遙か遠く離れた実用一本槍の衣服であるとばかり思っていたのに。
僕が所有している丹前は、実は友人の置き土産である。藍と青と灰色の縦縞で、あからさまに江戸前な代物だ。実家に住んでいる時はちゃんと僕専用の丹前(故郷では綿入れとも呼んだ)が用意されていたりしたものだが、いざ上京して独り暮らしを始めると、自分で丹前を買おうという気にはなかなかなれずに、そのまま月日は流れたのであった。それがある日、友人が地元に帰る(んだったか米国に行くんだったか記憶が曖昧だが)ので「お前にこれをやる」という事で譲り受けたのであった。今では毎年冬になると重宝している。
さて、いつものように「丹前」の歴史でも知ろうかと Wikipedia で調べてみたら、意外や意外、吉原の遊女勝山の衣装が発祥で、彼女に気に入られたい旗本連中を元に広まったのであるという。不思議だ。丹前というと、そういう色っぽい事からは遙か遠く離れた実用一本槍の衣服であるとばかり思っていたのに。
縦縞の粋
前回に続いて美意識の研究を読み解き、自分に判りやすいように再編する試み。今回は縦縞という模様が何故「粋」であるかについて。「粋」という観点からすれば「横縞」よりも「縦縞」の方が「粋」であるらしい。それは何故かというと
僕の思考は、今現在この辺りで止まってしまう。情報が足りなさ過ぎて、まったく持って体系化出来ていない。そもそも、何かを体系化するという事に慣れていない私には、とんでも無い事柄に首を突っ込んでしまったような気もする。
前回も同じ様な事書いたが、単純にパッと見で、縦縞は美しいと思う。僕は今現在着物を持ってはいないが、もし自分で着物を誂えるなら、やはり縦縞が良いと思う。しかも、物凄く細く接近した平行線の。それを単純に「美」だと思っていたのだが、それに意味が加えられると「美意識」というものになるのだろうか。「美」とは極個人的なものである。それが広がる為には「意識」が必要なのであろうか。では何故「美」を広める必要が在ったのか。それはもしかすると「生き抜く為の知恵」であるのかも知れない。
横縞よりも縦縞の方が平行線を平行線として容易に知覚させるからという事であるらしいのだが、それでは平行線として知覚しやすい事が何故「粋」なのかというと
物の本によれば、着物の縦縞の平行線は男と女の暗示になります。男と女は、平行線である方が「いき」である。〜中略〜二つの線は限りなく近づくが決して接しない、その状態を「いき」とよびます。「決して接しない=平行線」を強調する縦縞が「いき」なのは、その所為です。という事であるらしい。付かず離れずの男女関係の緊張感に「美」を認めるという部分には、些かの異も唱える気はないのだが、僕が不思議に思うのは、何故この(限定された関係性における)美意識が、地域の文化としてまでに広まって行ったのかという事である。極度に発達した遊里の存在がそれであろうか。江戸の遊里の発達には参勤交代の制度が大いに拍車をかけているという事だが、そうすると、武士の間で持て囃される美意識が町人の間にまで下ったという事であろうか。
僕の思考は、今現在この辺りで止まってしまう。情報が足りなさ過ぎて、まったく持って体系化出来ていない。そもそも、何かを体系化するという事に慣れていない私には、とんでも無い事柄に首を突っ込んでしまったような気もする。
前回も同じ様な事書いたが、単純にパッと見で、縦縞は美しいと思う。僕は今現在着物を持ってはいないが、もし自分で着物を誂えるなら、やはり縦縞が良いと思う。しかも、物凄く細く接近した平行線の。それを単純に「美」だと思っていたのだが、それに意味が加えられると「美意識」というものになるのだろうか。「美」とは極個人的なものである。それが広がる為には「意識」が必要なのであろうか。では何故「美」を広める必要が在ったのか。それはもしかすると「生き抜く為の知恵」であるのかも知れない。






