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DOG ON THE BEACH

ドガと郭絵師

 数ヶ月前に録っていた日曜美術館のエドガー・ドガの回を観ていたら、なかなか面白い事を紹介していた。

 ドガがよく描いたバレエの踊り子達。その妖しくも可愛らしい踊る姿の向こう側の、分厚いカーテンの影に佇む男達はどういう人間であるのか、という考証。当時のフランスのバレエ界は困窮しており、劇場の運営や、スタッフや踊り子達の生活を維持していく為には、金持ちの客達をパトロンに付けるしかなかったのだ、というような意味の事を言っていた。踊り終えた踊り子達は、カーテンの裏側で贔屓にしてくれている男達の相手をしていたとか。その「相手をする」というのがどの意味まで含めたものなのかは明言していなかったけれど、まあ、それは事情によって色々だろうな。

 そして、そういう状況は日本の花柳界や歌舞伎界とよく似ているんじゃないかと思い始めたら、下世話な話だけれども、俄然興味が沸いてきた。今までドガが何故踊り子を描くのかなんて考えた事もなかったけど、彼女達の姿に自分を重ねる事もあったのだろうか。そういう事を考えていると、郭に通い詰めながら遊女達を描き続けた、江戸時代の絵師達を思い起こす。江戸のジャポニスムの運動とそれは、まあ関係ないよな。でも、欧州でジャポニスムが長い間影響を与え続けたのは何故なのか、少し調べてみたくなった。

クラウド・ダイアリー

 先週 Tumblr に流れてきたこのテキスト。
俺は日記は書かない。人のコメント欄を日記として使う。誰にも全体を俯瞰することはできない。これを「クラウドダイアリー」と言う。

@himanainu_kawai ヒマナイヌ川井拓也
 これ読むと、何だかワクワクするな。ローカルにテキストを残しておけば自分は全てを把握出来るものね。物事は、というか、個々の所在がすべからく流動的である事で、何かしらこれまでにない価値観が生まれて来そうな気がする。
  • Last Modified : 2011-11-09

絵画と気候

 歳をとってきたせいなのか、近頃興味を持つ絵画と言えば日本画ばかりである。昔、学生の頃には日本画には全く興味がなかった。僕が通っていた大学には存在しなかったが、日本画科に通う連中が居る事が不思議でならなかった。日本画を観て心地良いと思った事が一度もなかったからである。それがどうした事か、最近は日本画ばかりが気になっている。
 他人の事は解らないので自分の事に関して言えば、歳をとると生命体として弱くなるが故に、いやが上にも自身のおかれた環境に寄り添うものを好むようになるのではないだろうか。例えば特にこの時期、この高温多湿な環境のもとで油で溶いた絵の具をべったりと厚塗りした絵など観たいであろうか。僕は鬱陶しくて仕方がない。そういう絵は完全に空調管理した室内でのみ、というかそういう環境でしか観る気になれない。こうした環境下で不快をもたらさずにすんなりと入り込めるのは、やはり日本画である。美術とは博物館に閉じこめられたものを観るものではなく、もっと生活の中に散在するものを眺めるべきものであると僕は思う。

 学生の頃から日本画に興味を持ち、更にはそれを習得しようとする人達は、これと同じような事を思っているのだろうか。それとも別な入り口が在るのだろうか。今更戻れはしないが、少し興味がある。

 そう言えば何年か前に、年若い知人に同じ事を語って聞かせた覚えがある。彼女は東京を離れ、今では何処かで穏やかに暮らしているようだが、元気なのかなあ。

絵初め

 父方の祖母の葬儀の時に、伯母の一人から少し面白い話を聞いた。僕がまだ幼い頃の話だ。だいたいこういう時というのは、自分の子供の頃のロクでもない話を聞かされるのが常であるが、その時もやはり御多分に漏れず、しっかりとその口を閉じたまま早い内に墓場に直行して貰いたいと思ってしまうような話を聞かされた。ま、そんな話の中の一つ。

 ある時、伯母に抱き抱えられていた僕は彼女に向かってこう言ったそうだ。「おばちゃん、ゾウの絵を描いてそれを僕にちょーだい。」・・・どういう事だろうか。普通ならば「ゾウが欲しいから買って。」などと無茶を言うのが無邪気な子供の在るべき姿であろう。なのになぜ「絵」が欲しいのか。その「絵」を自分で描かずに人に描かせようとするところがやはり子供であるが、僕は実物のゾウよりも「絵に描かれたゾウ」の方が好きだったのだろうか。その話は感慨深いようで、それでいて己の恥を露呈してしまうような、複雑な心境に陥る話であった。

パウル・クレー展 / 川村記念美術館

 今年の3月に大丸百貨店で開催された展覧会より断然こっちの方が良かった。作品の構成に纏まりがあったし、僕の好きなペンで描かれた線書きの上から水彩で着色するという技法の絵や、四角く色彩を構成するという技法の絵が多かったからなのだが。

 これまでに観た事がない絵が多かったので図録を購入したのだが、改めて印刷物の絵と実物の絵の、色味の違いに愕然とする。実物の絵を目の前にして受けた印象がそのまま印刷されている訳ではないのだ。やはり図録は図録でしかない。
 例えば「回心した女の堕落」という絵。クレーにしては珍しくヴィヴィットな色を使って描いている。ほんの一部に灰色と黒を使ってはいるが、その他は全部赤から黄までのグラデーション。特に、他の作品では線描きに黒が灰色を使う事が多いが、この作品は線描きも赤で、それは絵の大部分を占める。そんな色構成で描かれた絵は往々にして苛烈な印象を与えるが、この絵は興奮と同時に静寂さをも観る者に与えるのだ。観ていると何故か気持ちが落ち着いてくる。そんな色彩がこの世に在るとは驚きである。
 そして、図録で同じ絵を観てみると、その印象はあっさりと消え失せてしまっているのだ。

 展覧会の話に戻す。気に入った絵が多かったせいか、会場から離れがたかった。出来る事ならいつまでもその絵の前に居たかったのである。その色彩や造形がこの世に存在し、今この瞬間に自分の目の前に在るという事実がとても嬉しく、そしてそれは此処でしか観る事は出来ない。見物客である一人の女性は、10cm角くらいの小さな絵に顔を近づけながらそっと微笑んでいた。僕は美とはそういうものだと思っている。絵画にしろ彫刻にしろ陶器にしろ文章にしろ音楽にしろ、どうしようもなく、そうである事以外は考えられない存在がすなわち美であるのではないか、と。
 それとは別にこうも考える。先ほどの女性とは別の初老の女性は、腕に下げたバッグの中から、手垢のついた、表紙がボロボロになったクレーの画集を覗かせていた。個人に取っての最高の美とは、それは主観に拠るものでしか有り得ないのではないかと。

表裏の逆転、若しくは個体内でのパラレルな共存。

 昔、未だネット上は極めて非日常的な空間で、匿名性を利用して日記を公開している人達がたくさん居て、僕はその人達に引っ張られるようにしてインターネットの世界に入り込んだ。普段目にする事のない言葉がひっそりと書き連ねられ、抑えられていた感情が圧縮機にかけられたようにひりだしてくる様を眺めていたのだった。

 それから数年が経ち、インターネットの普及と共に言葉は平準化され、其処は非日常的な場所ではなく日常の延長となった。奇妙な唸り声を上げるモデムを介して、こちらから何かを探しに行く場所ではなく、ブロードバンドに拠りあたかも窓を開けるようにして眺め得る風景となった。良い悪いではない。ただそうであるだけの話。

 不便極まりないダイヤルアップの時代にも、少人数ながらコミュニティは在った。匿名性はいつしか人格を持ち、それらが互いに交差していくうちに或る関係性を持つようにもなった。当初の匿名性は希薄になり、書けない事も次第に増えてくる。そして誰かが別な名前で、無料のサーバスペースを使って裏日記を書き始める。勿論最初は誰も気付かないが、そもそも顕示欲が強くなければ日記を公開したりするはずもないので、自分の日記ページの中に隠しリンクを張ったり、特定の人にだけ教えたりする。それがいつの間にか周知の事となって、関係性は複雑化する。非常に人間臭い村がそこに出来上がってしまうのである。

 此処までは昔そういう事もあったな、という思い出話でしかないのだが、最近思うのだ。インターネット上でのやりとりがコミュニティ主体になってきている昨今、物理的・社会的な距離を飛躍的に縮め、様々な人と知り合えるのは結構なのだが、それだけに自己が晒し晒される頻度や深度が増大する。それに疲れたり嫌になったのであれば、そのコミュニティから離れれば済む話のような気もするが、中にはそれをドロップアウトのように感じる人も居るかも知れない。学校や会社からのそれと同じ感覚で。

 それとは別に、そのドロップアウト的な行動を好む人も居るだろう。極端な話、オフラインで生活していると、日常化されたインターネット村の裏側に居るような気がしてくる事がある。・・・何だか取りとめの無い話になってきた。また後で書き換えるかも知れない。

若冲と江戸絵画展 / 東京国立博物館

 若冲と〜と銘打つくらいだから、だいたい半々くらいだろうと思っていたら、思いの外若冲の絵は少なかった。若冲の絵だけ観たいのなら三の丸尚蔵館の若冲の動植綵絵30幅の展示を観た方が良いように思う。かといって、他の絵が気に入らなかった訳ではない。特に僕の気に入ったのは、葛蛇玉筆の「雪中松に兎・梅に鴉図屏風」。良い絵は色々とあった。

 ひとつ、絵の見せ方に(僕が知る限りでは)新しい試みがあった。数々の屏風絵に当てる照明は、低い位置から数段階の調光を施され、様々な明るさで絵を観る事が出来る。個人的には明るすぎるのは良くないと思う。谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」にもあるし、以前に観たテレビ番組で紹介されていた米国の若冲コレクターは、若冲の絵を観る為に和室を造り、夜、篝火を焚いて若冲の絵を鑑賞していた。「 All for Jakuchu. 」と彼は言っていた。考えてみれば当然である。その絵を描いている時と同じ状態で観るのが、絵は一番美しい。
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