DOG ON THE BEACH
絵画と気候
- 2008-06-30
- Category - Art
- Tag - japanese / environment / painting
歳をとってきたせいなのか、近頃興味を持つ絵画と言えば日本画ばかりである。昔、学生の頃には日本画には全く興味がなかった。僕が通っていた大学には存在しなかったが、日本画科に通う連中が居る事が不思議でならなかった。日本画を観て心地良いと思った事が一度もなかったからである。それがどうした事か、最近は日本画ばかりが気になっている。
他人の事は解らないので自分の事に関して言えば、歳をとると生命体として弱くなるが故に、いやが上にも自身のおかれた環境に寄り添うものを好むようになるのではないだろうか。例えば特にこの時期、この高温多湿な環境のもとで油で溶いた絵の具をべったりと厚塗りした絵など観たいであろうか。僕は鬱陶しくて仕方がない。そういう絵は完全に空調管理した室内でのみ、というかそういう環境でしか観る気になれない。こうした環境下で不快をもたらさずにすんなりと入り込めるのは、やはり日本画である。美術とは博物館に閉じこめられたものを観るものではなく、もっと生活の中に散在するものを眺めるべきものであると僕は思う。
学生の頃から日本画に興味を持ち、更にはそれを習得しようとする人達は、これと同じような事を思っているのだろうか。それとも別な入り口が在るのだろうか。今更戻れはしないが、少し興味がある。
そう言えば何年か前に、年若い知人に同じ事を語って聞かせた覚えがある。彼女は東京を離れ、今では何処かで穏やかに暮らしているようだが、元気なのかなあ。
他人の事は解らないので自分の事に関して言えば、歳をとると生命体として弱くなるが故に、いやが上にも自身のおかれた環境に寄り添うものを好むようになるのではないだろうか。例えば特にこの時期、この高温多湿な環境のもとで油で溶いた絵の具をべったりと厚塗りした絵など観たいであろうか。僕は鬱陶しくて仕方がない。そういう絵は完全に空調管理した室内でのみ、というかそういう環境でしか観る気になれない。こうした環境下で不快をもたらさずにすんなりと入り込めるのは、やはり日本画である。美術とは博物館に閉じこめられたものを観るものではなく、もっと生活の中に散在するものを眺めるべきものであると僕は思う。
学生の頃から日本画に興味を持ち、更にはそれを習得しようとする人達は、これと同じような事を思っているのだろうか。それとも別な入り口が在るのだろうか。今更戻れはしないが、少し興味がある。
そう言えば何年か前に、年若い知人に同じ事を語って聞かせた覚えがある。彼女は東京を離れ、今では何処かで穏やかに暮らしているようだが、元気なのかなあ。
若冲と江戸絵画展 / 東京国立博物館
若冲と〜と銘打つくらいだから、だいたい半々くらいだろうと思っていたら、思いの外若冲の絵は少なかった。若冲の絵だけ観たいのなら三の丸尚蔵館の若冲の動植綵絵30幅の展示を観た方が良いように思う。かといって、他の絵が気に入らなかった訳ではない。特に僕の気に入ったのは、葛蛇玉筆の「雪中松に兎・梅に鴉図屏風」。良い絵は色々とあった。
ひとつ、絵の見せ方に(僕が知る限りでは)新しい試みがあった。数々の屏風絵に当てる照明は、低い位置から数段階の調光を施され、様々な明るさで絵を観る事が出来る。個人的には明るすぎるのは良くないと思う。谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」にもあるし、以前に観たテレビ番組で紹介されていた米国の若冲コレクターは、若冲の絵を観る為に和室を造り、夜、篝火を焚いて若冲の絵を鑑賞していた。「 All for Jakuchu. 」と彼は言っていた。考えてみれば当然である。その絵を描いている時と同じ状態で観るのが、絵は一番美しい。
ひとつ、絵の見せ方に(僕が知る限りでは)新しい試みがあった。数々の屏風絵に当てる照明は、低い位置から数段階の調光を施され、様々な明るさで絵を観る事が出来る。個人的には明るすぎるのは良くないと思う。谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」にもあるし、以前に観たテレビ番組で紹介されていた米国の若冲コレクターは、若冲の絵を観る為に和室を造り、夜、篝火を焚いて若冲の絵を鑑賞していた。「 All for Jakuchu. 」と彼は言っていた。考えてみれば当然である。その絵を描いている時と同じ状態で観るのが、絵は一番美しい。
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