DOG ON THE BEACH
メールマガジン「断腸亭日乗」
- 2012-01-21
- Category - Art
- Tag - literature
というサービスを岩波書店がやってくれないかなぁ、と夢想している。開始時期は、荷風が書き始めたのが1917年(大正6年)9月16日からなので、100周年記念の2017年の同日からでどうだろう。毎朝、前日の日付の荷風の日記が配信され、そしてそれは勿論42年間続く。その間にはインターネットの状況も大きく変わっているだろうし、無謀な気もするが、それだけに面白そうだ。
このサービスを受けて一番喜ぶのは、その年に丁度荷風と同じ38歳を迎えた独身の男性だろうな。100年前に生きていた一人の極めて個人主義の男の毎日を、パラレルな感覚で読み続ける事が出来る。それはとても面白い経験だと思うんだけど、冷静に考えると、そんな物好きは提供する側にしても受け取る側にしても余り居ないのかも知れないな。
このサービスを受けて一番喜ぶのは、その年に丁度荷風と同じ38歳を迎えた独身の男性だろうな。100年前に生きていた一人の極めて個人主義の男の毎日を、パラレルな感覚で読み続ける事が出来る。それはとても面白い経験だと思うんだけど、冷静に考えると、そんな物好きは提供する側にしても受け取る側にしても余り居ないのかも知れないな。
大つごもり夜話
- 2011-12-31
- Category - Art
- Tag - fiction / literature
スーパーの入口の横、壁に貼りだされたチラシを私は眺めている。仕事収めの帰り。ななめがけにした布製のバッグが肩からずり落ちそうになる。それを左手で受け止め、右手にさげたポリ袋を持ちなおす。食品売場は既におせちやその他お正月用のものばかりが並んでいて、否応も無くお祭り感がただよっている。日常で使う食材は野菜やレトルトなどのパッケージ商品があいかわらずの場所に陳列されているだけ。私はそちらの棚で買い物をすませた。
私はどうしても、こういうお祭り的な雰囲気に入りこめない。騒がしくてイヤなのだ。もしかしてそれは私の育ちのせいかもしれない。騒がしい家庭だった。私はそれがとても嫌いで、いつも独りになりたいと思っていた。
-
父はこれまでに三度会社をおこし、三度とも倒産した。そして現在四度目に挑戦中だ。家族はもちろんその渦中で翻弄される。生活の不安もかえりみずに父は私財を投資し続けた。三度目の倒産の後、ちょうど専門学校を卒業出来た私は家を出た。父はものすごく反対したが、私は負けなかった。私が欲しかったのは安定した生活だ。地道に働いていればそれなりに暮らせる毎日だ。父の影響下にいる限りそれはないと思った。私には二人の兄がいる。彼らは父の仕事を手伝う形で家にずっといるが、大人になってからは余り話したこともない。彼らは父に似た性質を持っているのか、それとも父に合わせているだけなのか、何かしら反抗している姿を見たことがない。私にとっては同類の人間だ。母だけは違うだろうと思っているが、彼女は父に従うばかりで、何か相談をしても「それはお父さんに相談しなさい」と言ってしまうような何もない人だ。そんな人達の中で暮らしていると、いつのまにか私は家族の中で孤立し、結果として独りで過ごす時間が多かった。
そんな彼らからは「おまえには表情がない」「何だか怖い」とよく言われた。そりゃそうだろう、と思う。家族の中でたった独りそこに居ることを拒否しているのだから当たり前だ。この人達はそんなこともわからないのかと、私はさらにくすぶった。でも困ったのは、私は家にいる時以外でも同じ表情をしているらしい。学校の友達にも言われたことがある。私が男の子にモテなかったのもそのせいかもしれない。学生の頃に一人だけ付き合ったことのある男の子からは、「何を考えているのか全然わからないから辛い」と言い残されてフラれた。あの時はすごく落ち込んだな。ただその場合は、付き合ってるうちに男の子の横暴な面を見てしまうと、父や兄達の事を思い出し、げんなりしてしまって私は反射的に閉じてしまうのだ。そんな時には私はきっと能面のような顔をしているのだろう。でもそれはしょうがない。しょうがないよ。だってイヤなのだ。その人から離れたくて仕方なくなってしまうのだ。
そんなことがあってから、私はさらに独りで過ごすようになった。そしてそれがとても気に入っていた。文具メーカーにデザイナとして就職した私は、毎日決まった時間に出社し、遅くなることが多いけど、一日しっかり働いて、帰りに駅のそばのスーパーで買い物をして部屋に帰る。安売りしていたお総菜をそのまま食べたり、作り置きのものを温め直して食べたり、録画していたドラマを観たり、本を読んだり、ぼんやりしたり。誰も私の邪魔をしないし、とても幸せだと思った。
固定電話は置いてないし、携帯の番号も家族には教えていない。友人や知人とはメールでのやりとりだけだから、非常識な時間に電話で起こされることもない。経済的に自立したことで、私は穏やかで理想的な生活を手にすることが出来た。私はそのことがとても誇らしい。ただほんのちょっと、これは生活が安定していて余裕があるからだと思うけど、誰かが私の生活圏内に入り込んできても、悪くはないなと思っている。それはまだ、ほんのちょっとという限定的なものだけれど。
-
レジで支払いをすませると、私はスーパーの外に出た。するとそのまわりで正月飾りを売っている人達がいた。吹いてくる風が冷たいので、マフラーをキツく巻き直しながらそれらの商品を眺めてみた。個人でやっている人がこの場所を借りて商売をしているのだろう、商品はどれも、どことなく質素な雰囲気があった。その中に、小ぶりで可愛らしいしめ飾りを見つけた。私は思わずそれを手に取り値段をたずねていた。「800円です」こんなに小さいのにそれはちょっと高いなーとは思ったのだけれど、ご祝儀のつもりで店の主人に1000円札を手渡した。
部屋に戻った私は、机のひきだしの中から両面テープを探し出して、買ったしめ飾りを玄関の扉に貼り付けた。そして、そう言えばしめ飾りの意味について正確なところを知らないな、と思って私はインターネットで調べてみた。
私は玄関の扉に貼り付けてあるしめ飾りを思い浮かべつつ、少しだけお酒をのむことにした。良い気分だった。
- - -
このエントリ内に書かれている事は大体に於いて事実と異なります。
私はどうしても、こういうお祭り的な雰囲気に入りこめない。騒がしくてイヤなのだ。もしかしてそれは私の育ちのせいかもしれない。騒がしい家庭だった。私はそれがとても嫌いで、いつも独りになりたいと思っていた。
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父はこれまでに三度会社をおこし、三度とも倒産した。そして現在四度目に挑戦中だ。家族はもちろんその渦中で翻弄される。生活の不安もかえりみずに父は私財を投資し続けた。三度目の倒産の後、ちょうど専門学校を卒業出来た私は家を出た。父はものすごく反対したが、私は負けなかった。私が欲しかったのは安定した生活だ。地道に働いていればそれなりに暮らせる毎日だ。父の影響下にいる限りそれはないと思った。私には二人の兄がいる。彼らは父の仕事を手伝う形で家にずっといるが、大人になってからは余り話したこともない。彼らは父に似た性質を持っているのか、それとも父に合わせているだけなのか、何かしら反抗している姿を見たことがない。私にとっては同類の人間だ。母だけは違うだろうと思っているが、彼女は父に従うばかりで、何か相談をしても「それはお父さんに相談しなさい」と言ってしまうような何もない人だ。そんな人達の中で暮らしていると、いつのまにか私は家族の中で孤立し、結果として独りで過ごす時間が多かった。
そんな彼らからは「おまえには表情がない」「何だか怖い」とよく言われた。そりゃそうだろう、と思う。家族の中でたった独りそこに居ることを拒否しているのだから当たり前だ。この人達はそんなこともわからないのかと、私はさらにくすぶった。でも困ったのは、私は家にいる時以外でも同じ表情をしているらしい。学校の友達にも言われたことがある。私が男の子にモテなかったのもそのせいかもしれない。学生の頃に一人だけ付き合ったことのある男の子からは、「何を考えているのか全然わからないから辛い」と言い残されてフラれた。あの時はすごく落ち込んだな。ただその場合は、付き合ってるうちに男の子の横暴な面を見てしまうと、父や兄達の事を思い出し、げんなりしてしまって私は反射的に閉じてしまうのだ。そんな時には私はきっと能面のような顔をしているのだろう。でもそれはしょうがない。しょうがないよ。だってイヤなのだ。その人から離れたくて仕方なくなってしまうのだ。
そんなことがあってから、私はさらに独りで過ごすようになった。そしてそれがとても気に入っていた。文具メーカーにデザイナとして就職した私は、毎日決まった時間に出社し、遅くなることが多いけど、一日しっかり働いて、帰りに駅のそばのスーパーで買い物をして部屋に帰る。安売りしていたお総菜をそのまま食べたり、作り置きのものを温め直して食べたり、録画していたドラマを観たり、本を読んだり、ぼんやりしたり。誰も私の邪魔をしないし、とても幸せだと思った。
固定電話は置いてないし、携帯の番号も家族には教えていない。友人や知人とはメールでのやりとりだけだから、非常識な時間に電話で起こされることもない。経済的に自立したことで、私は穏やかで理想的な生活を手にすることが出来た。私はそのことがとても誇らしい。ただほんのちょっと、これは生活が安定していて余裕があるからだと思うけど、誰かが私の生活圏内に入り込んできても、悪くはないなと思っている。それはまだ、ほんのちょっとという限定的なものだけれど。
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レジで支払いをすませると、私はスーパーの外に出た。するとそのまわりで正月飾りを売っている人達がいた。吹いてくる風が冷たいので、マフラーをキツく巻き直しながらそれらの商品を眺めてみた。個人でやっている人がこの場所を借りて商売をしているのだろう、商品はどれも、どことなく質素な雰囲気があった。その中に、小ぶりで可愛らしいしめ飾りを見つけた。私は思わずそれを手に取り値段をたずねていた。「800円です」こんなに小さいのにそれはちょっと高いなーとは思ったのだけれど、ご祝儀のつもりで店の主人に1000円札を手渡した。
部屋に戻った私は、机のひきだしの中から両面テープを探し出して、買ったしめ飾りを玄関の扉に貼り付けた。そして、そう言えばしめ飾りの意味について正確なところを知らないな、と思って私はインターネットで調べてみた。
本来の宗教的意味は、各家庭が、正月に迎える年神を祀る依り代である。ということらしい。年神様か。穏やかで優しそうだ。私の家にやってくるのがそんな人なら良いな。いや、人ではなくて神様か。私にうるさいことを言って煩わせることなく、穏やかな時間だけをもたらしてくれるのなら大歓迎だ。神様バンザイ。
私は玄関の扉に貼り付けてあるしめ飾りを思い浮かべつつ、少しだけお酒をのむことにした。良い気分だった。
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このエントリ内に書かれている事は大体に於いて事実と異なります。
正岡子規の己が葬儀に関する遺言
- 2010-12-12
- Category - Art
- Tag - philosophy / literature / hatena
本日 NHK ドラマ「坂の上の雲」にて正岡子規が死んだが、自分の葬儀に関して色々と注文をつけていたらしく、その葬儀の場面でモノローグとして読まれた。正確に知っておきたかったので、改めて WEB で調べてみたら以下のような文章を見つけた。
仰臥漫録:正岡子規最晩年の日記
そしてそれとは別に、正岡子規の遺言書なるページを見つけた。岩波文庫からの転載であるらしい。
正岡子規遺言書(PDF)
特に何か感銘を受けたとか、そういう事でもない。己が葬儀の華美に催される事を嫌うのはよく聞く話である。しかし文章として明文化されているのは初めて見るし、近い将来の自分に参考になるのではないかと思い、此処に記しておく。独り床に伏していると、時折こんな事を考える。
われらなくなり候とも葬式の広告など無用に候。家も町も狭き故二、三十人もつめかけ候はば柩の動きもとれまじく候。
何派の葬式をなすとも柩の前にて弔辞伝記の類読み上候事無用に候。
戒名といふもの用ゐ候事無用に候。かつて古人の年表など作り候時狭き紙面にいろいろ書き並べ候にあたり戒名といふもの長たらしくて書込に困り申候。戒名などはなくもがなと存候。
自然石の石碑はいやな事に候。
柩の前にて通夜すること無用に候。通夜するとも代りあひて可致候。
柩の前にて空涙は無用に候。談笑平生の如くあるべく候。
仰臥漫録:正岡子規最晩年の日記
そしてそれとは別に、正岡子規の遺言書なるページを見つけた。岩波文庫からの転載であるらしい。
余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解していた
悟りといふ事は 如何なる場合にも
平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いひで
悟りといふ事は 如何なる場合にも
平気で生きている事であった
正岡子規遺言書(PDF)
特に何か感銘を受けたとか、そういう事でもない。己が葬儀の華美に催される事を嫌うのはよく聞く話である。しかし文章として明文化されているのは初めて見るし、近い将来の自分に参考になるのではないかと思い、此処に記しておく。独り床に伏していると、時折こんな事を考える。
じいちゃんと翔太
- 2010-07-25
- Category - Art
- Tag - anecdote / literature
去年の冬にありふれた奇跡という、山田太一脚本のドラマが放送されていて、僕はそれがとても好きで毎週欠かさずに観ていた。で、その劇中で井川比佐志演じる祖父と、加瀬亮演じる孫のお茶の間での話の噛み合わないテキトーな会話が特に気に入っていて、何だか自分でも台詞を書いてみたくなったので書いてみた。 実は放映当時から書き始めたのだけれど、なかなか思い付かないし、途中で半年くらいこの下書きの事を忘れていたりもしたので、ようやく今日まとまったという案配だ。本当は風間杜夫演じる父親がこれに入ってくると更に面白いのだが、それはどうにも思い付かなかったので、取りあえずは二人で。
★
「じいちゃんよ」
「どうした」
「じいちゃんはどんな女が好きなの」
「なんだよ薮から棒に」
「いや何となく」
「何となくってなんだよ」
「何となくは・・・何となくだよ」
「わからねえやつだな」
「・・・で」
「で、って何だよ」
「じいちゃんの好きな女のタイプの話だよ」
「そりゃあ・・・」
「ばあちゃん、 なんて言うなよ」
「なんでだよ」
「昔はどうか知らねえけど今シワシワじゃねえかよ。わかんねえよ」
「ちぇっ。滅多なこと言うもんじゃねえ。ばあちゃんだってな、昔はそりゃあ色っぽい女だったんだぞ」
「・・・へえ、そうなんだ」
「おうよ。色が白くてつやつやでよ。こんなちっちゃいくせに、出てるとかあ出てるって感じよ」
「もう、表現がいやらしいんだよ、じいちゃんは」
「うるせえ奴だな。じゃあどう言やいいんだよ」
「要するにあれだろ。トランジスタグラマーだろ」
「虎のフンドシしたババア。 なんでえそりゃあ、おっかねえな」
「違うよじいちゃん。トランジスタグラマーだよ」
「だからそういうメリケン語を使うなてんだよ。意味がわからねえじゃねえか」
「今はそういう時代なんだよ、じいちゃん。少しくらい覚えようよ」
「いいや、俺はやらねえ」
「なんでよ」
「俺は余計な事はしねえ主義なんだ」
「意味がわからねえよ。それになに腕組んで偉そうにしてんだよ」
「ちぇっ。うるせえ奴だな」
「・・・ で、どうやってばあちゃんを口説いたの」
「俺か。 へへへ、そいつあ簡単だ」
「どうやったの。聞かしてよ」
「いいか。俺は言わずと知れた札付きの悪、おまけに馬鹿よ。片やばあちゃんは町内きってのお嬢さんときた。まともに行っちゃあ勝ち目はねえ」
「まあ、そうだよね」
「でな。そこで俺はちょいと考えた。あれだけの美人だ、そこいら歩きゃあ男どもが声をかけてくるにちげえねえ」
「うん」
「中にゃあ押し出しのつええヤツもいるかもしんねえ。嫌がるばあちゃんを無理矢理連れて行こうとするとかな」
「まあ、いるかもしんねえな」
「だろ。そこで俺の出番よ」
「何で」
「何でって・・・わからねえかなあ。俺がばあちゃんを助けるのよ」
「そりゃわかるけどさ、そんな都合良くじいちゃんがそこにいるはずねえだろよ」
「そんなの簡単じゃねえか。ばあちゃんの後つけてりゃ、いずれどっかの馬の骨がばあちゃんを見初めちまって、居ても立ってもいられねえ感じになってよ。三日もしねえうちに追いかけ回すに決まってるじゃねえか。そこで俺様のご登場って訳よ」
「じゃあ・・・じいちゃんそれまでずっとばあちゃんの後つけるのか」
「おうよ」
「じいちゃん」
「なんだ」
「それストーカーってんだよ」
★
「じいちゃんよ」
「どうした」
「じいちゃんはどんな女が好きなの」
「なんだよ薮から棒に」
「いや何となく」
「何となくってなんだよ」
「何となくは・・・何となくだよ」
「わからねえやつだな」
「・・・で」
「で、って何だよ」
「じいちゃんの好きな女のタイプの話だよ」
「そりゃあ・・・」
「ばあちゃん、 なんて言うなよ」
「なんでだよ」
「昔はどうか知らねえけど今シワシワじゃねえかよ。わかんねえよ」
「ちぇっ。滅多なこと言うもんじゃねえ。ばあちゃんだってな、昔はそりゃあ色っぽい女だったんだぞ」
「・・・へえ、そうなんだ」
「おうよ。色が白くてつやつやでよ。こんなちっちゃいくせに、出てるとかあ出てるって感じよ」
「もう、表現がいやらしいんだよ、じいちゃんは」
「うるせえ奴だな。じゃあどう言やいいんだよ」
「要するにあれだろ。トランジスタグラマーだろ」
「虎のフンドシしたババア。 なんでえそりゃあ、おっかねえな」
「違うよじいちゃん。トランジスタグラマーだよ」
「だからそういうメリケン語を使うなてんだよ。意味がわからねえじゃねえか」
「今はそういう時代なんだよ、じいちゃん。少しくらい覚えようよ」
「いいや、俺はやらねえ」
「なんでよ」
「俺は余計な事はしねえ主義なんだ」
「意味がわからねえよ。それになに腕組んで偉そうにしてんだよ」
「ちぇっ。うるせえ奴だな」
「・・・ で、どうやってばあちゃんを口説いたの」
「俺か。 へへへ、そいつあ簡単だ」
「どうやったの。聞かしてよ」
「いいか。俺は言わずと知れた札付きの悪、おまけに馬鹿よ。片やばあちゃんは町内きってのお嬢さんときた。まともに行っちゃあ勝ち目はねえ」
「まあ、そうだよね」
「でな。そこで俺はちょいと考えた。あれだけの美人だ、そこいら歩きゃあ男どもが声をかけてくるにちげえねえ」
「うん」
「中にゃあ押し出しのつええヤツもいるかもしんねえ。嫌がるばあちゃんを無理矢理連れて行こうとするとかな」
「まあ、いるかもしんねえな」
「だろ。そこで俺の出番よ」
「何で」
「何でって・・・わからねえかなあ。俺がばあちゃんを助けるのよ」
「そりゃわかるけどさ、そんな都合良くじいちゃんがそこにいるはずねえだろよ」
「そんなの簡単じゃねえか。ばあちゃんの後つけてりゃ、いずれどっかの馬の骨がばあちゃんを見初めちまって、居ても立ってもいられねえ感じになってよ。三日もしねえうちに追いかけ回すに決まってるじゃねえか。そこで俺様のご登場って訳よ」
「じゃあ・・・じいちゃんそれまでずっとばあちゃんの後つけるのか」
「おうよ」
「じいちゃん」
「なんだ」
「それストーカーってんだよ」
- Last Modified : 2010-07-25
今生の別れ、その言葉たるや
- 2009-12-03
- Category - People
- Tag - japanese / philosophy / language
今放映中の " JIN -仁- " の第五話のラストにこういう場面があった。梅毒を患い末期の症状に苦しむ女郎を救おうと、江戸時代にタイムスリップした現代の医者が、当時には存在しえないペニシリンを用いて治療を施す。しかしペニシリンの精製が間に合わず、とうとう患者は最期を迎える。そして今際の際に女郎はこう呟いて、手を合わせたまま息を引き取るのである。
どうしてこんなにも美しい言葉が日本の社会から失われてしまったのだろうか。いろいろ調べてみると、どうもこの言葉は武家若しくは郭の女性が主に使っていたようで、時期を異にすれどもどちらも解体された階級若しくは職場であるので、そのタイミングで失われたのだろうか。惜しい事です。情感溢れる古の言葉は、近代化や合理化に馴染む事が出来ずに風化してしまったのかも知れません。そしてそれと共にある種の美しさをも失ってしまったように思える。
挨拶というのは大変美しいものだと思うのだけれど、それをしない人もたくさん居る。他人の事情は想像を以てしても知る事はできないが、挨拶なくして一体何時、好意や感謝を伝える事が出来るのだろうか、とも考えるのである。
みなさま・・・ありがとう。けんど・・・苦しむことにも飽きなんした。堪忍しておくれなんし。・・・おさらばえ。凄く印象に残る場面であったので少し検索してみたところ、同じように思う人はたくさん居るようで、数多くの記事がヒットした。特に「おさらばえ」の言葉が反響を呼んでいるようだ。僕にしても、なんと美しく響く言葉だろうかと打ち震えた。言葉を分解してみれば「それならば・それでは」という意味の「然らば」の頭に「御」を付け足し、尾に女性言葉の「え」を付け足した単純な言葉であるのだが、導き出される情感は果てしがない。
どうしてこんなにも美しい言葉が日本の社会から失われてしまったのだろうか。いろいろ調べてみると、どうもこの言葉は武家若しくは郭の女性が主に使っていたようで、時期を異にすれどもどちらも解体された階級若しくは職場であるので、そのタイミングで失われたのだろうか。惜しい事です。情感溢れる古の言葉は、近代化や合理化に馴染む事が出来ずに風化してしまったのかも知れません。そしてそれと共にある種の美しさをも失ってしまったように思える。
挨拶というのは大変美しいものだと思うのだけれど、それをしない人もたくさん居る。他人の事情は想像を以てしても知る事はできないが、挨拶なくして一体何時、好意や感謝を伝える事が出来るのだろうか、とも考えるのである。
- Last Modified : 2009-12-04
ちゃんちゃらおかP音頭
今朝電車の中でふいに思い出されたこの歌のサビ。何の歌だっけ。誰が歌ってたんだっけ。思い出そうとする間ずっと僕の頭の中では「ちゃんちゃーら、ちゃんちゃーら、ちゃんちゃーら、おかピー!」と誰かが歌い続けている。つい口ずさみそうになるのを堪えながら考え続ける。するとサンプラザ中野の顔がうっすらと浮かんできた。という事は歌っていたのは爆風スランプか。電車の中で思い出せたのはここまで。
ネットで調べてみると僕と同じようにふと思い出してしまう人が何人かいるようだ。
表示される絵は全く関係ないと思うが、これがオリジナルバージョン。そしてなんとファイテンション☆テレビというテレビ東京系の番組で24年振りにリメイクされたらしい。歌っているのは改名後のサンプラザ中野くん。
キャラクターがとても可愛いく、振り真似したくなる。今更だけど、流行らないかな、これ。
ちゃんちゃーら、ちゃんちゃーら、ちゃんちゃーら、おかピー! ・・・「ピー!」の部分がとても良い。
ネットで調べてみると僕と同じようにふと思い出してしまう人が何人かいるようだ。
今日、会社で突然この曲を思い出したんです。誰の曲か全く思い出せなくって、他の人に聞いてもだーれも分からずじまい。ただこのメロディだけが帰りの電車の中でもぐるぐるしてました。そう、これは爆風スランプのサンプラザ中野がオールナイトニッポンの番組の中で「こぼうず隊」として出した音頭なのでした。Wikipedia にはこうある。
ちゃんちゃらおかP音頭 - 関心空間
1985年9月には、爆風スランプが「こぼうず隊」と名義を変えて歌った「ちゃんちゃらおかP音頭」の歌詞をリスナーから募集している(同時に、その替え歌も募集していた)。ちなみに「おかP」という言葉は現代用語の基礎知識にも載った事があるという。1985年か。高校の頃だけど、僕はサンプラザ中野のオールナイトニッポンは聴いてなかったしなあ。何故知っているのだろう。恐らく同じクラスの誰かが、教室で繰り返し真似て歌うのを聴いていたのだろう。そんな気がする。
サンプラザ中野のオールナイトニッポン - Wikipedia
表示される絵は全く関係ないと思うが、これがオリジナルバージョン。そしてなんとファイテンション☆テレビというテレビ東京系の番組で24年振りにリメイクされたらしい。歌っているのは改名後のサンプラザ中野くん。
キャラクターがとても可愛いく、振り真似したくなる。今更だけど、流行らないかな、これ。
ちゃんちゃーら、ちゃんちゃーら、ちゃんちゃーら、おかピー! ・・・「ピー!」の部分がとても良い。
- Last Modified : 2009-05-22
水と人の親和性
- 2008-04-09
- Category - People
- Tag - psychology / comic / literature / environment
羽海野チカの " 3月のライオン " を読んでいたらこんな場面が在った。事故で両親と妹を亡くした17歳でプロ棋士の主人公は、自宅の近所(モデルとしては月島)を流れる河を眺めながらこう考える。
ただ、頭の中がごちゃごちゃして一体全体何から手を付けて良いのか、更に進んでもう何もしたくないと思っているような時には、河の流れを眺めて過ごせば幾らかは気が楽になるような気がする。言葉を換えるならば、有効な自分の緩め方であると思う。
河が好きだ。好きなものなんてそんなにはないけど・・・。水がたくさんあつまった姿を見ていると、ぼうっとして頭がしんとする。よく解る表現である。川面をじっと眺めていると次第に周囲の音や匂いやその他の感覚が少しずつ遠のいて頭の中がとても静かになる。僕は生まれてこの方河の近くにしか住んだ事がないので、それだけ親しみも在るし懐かしさもある。しかしそれだけでは説明出来ない何とも言いようのない感覚に陥ってしまうのである。それが物質としての水そのものにその影響力が在るのか、それとも水の流れにあるのか、今を持ってよく解らない。
ただ、頭の中がごちゃごちゃして一体全体何から手を付けて良いのか、更に進んでもう何もしたくないと思っているような時には、河の流れを眺めて過ごせば幾らかは気が楽になるような気がする。言葉を換えるならば、有効な自分の緩め方であると思う。






