DOG ON THE BEACH
Spring of life / Perfume
暫くパフュームには興味を失っていたのだけれど、ラジオから流れてきたこの曲を聴いて、これはちょっと久しぶりに良いかも知れないなどと思いながら Youtube で PV を観た。電源プラグコードに繋がれたまま、身に纏った高輝度 LED から光を放ちながら踊る姿がとても良い。この人達は、こんな風にロボトミーの悲哀を感じさせるような曲や映像がとても似合うと思うし、そこが大変な魅力になっていると思う。
一時期は、声に過剰なエフェクトをかけられたりする事に耐えられないとかで、制作側と揉めてたようだけど、今でもそうなのだろうか。彼女達の個人を語られる事が殆どなくてよく判らないのだが、至ってフツーの人達のように見える。これだったら自分たちでなくても良いのじゃないか、というような反感を持っていたようだけれど、恐らく彼女達でなければこうはならないような気もする。例えば、彼女達よりもっと美形のメンバーを集めて同じ事をやったとしても、何処か空々しさを感じしてしまいそうだし、モーニング娘。とか AKB48 ような均質化した印象の人達が大勢でやっても、このような悲哀を醸し出す事はないような気がする。個性が際立ってもいけないが、かといってのっぺりとした能面のような印象を与えてもいけない。人数が少ない事が功を奏して、明確に見分けがついて、それがあたかもアンドロイド制作者が頑張って個性を創造した、というような印象を持てるところが良いのかも知れない。僕の妄想でしかないけれど、そういった絶妙なバランスの上に成り立っているような気もする。
★
話は変わるが、少し前に、パフュームはもしかしたらキャンディーズの流れであるのかも知れないと考えた。単純な発想だけれど、キャンディ−ズの初期のマネージャーをやっていた大里洋吉が、Perfume が所属する芸能事務所アミューズの現会長であるから、というだけの話なんだけど、年老いた芸能事務所経営者が「キャンディーズの夢をもう一度」と考える事もありそうな話であるなあ、と。フツーの女の子に戻ってしまったキャンディーズを、20数年後にパフュームとして再生させるのは、なかなか面白い発想である。しかしそんな話は聞いた事がないし、これもまた僕の勝手な妄想でしかない。
この人達は至ってフツーの人達のように見える、と前述したが、それも含めてキャンディーズに重ねてしまう。アイドルを目指し、その座を手に入れ、その立場に耐えられずにそこから降りてしまった人達と、同じような経緯で、今その絶頂に在る人達。彼女達も、いずれそこから降りる日が来るのだろうか。
- Last Modified : 2012-04-29
最近気に入ったバンドミュージック
Na Na Na / My Chemical Romance
Denise / Fountains of Wayne
Tongue Tied / Group Love
Show Me / Team Me
D.E.N.W.A / The Telephones
日中、ラジオをずっと点けっ放しにしていると、否応も無く色々な音楽を耳にする事になる。仕事場で聴いているのは J-WAVE なので、どちらかと言えば洋楽寄りの音楽を耳にするのだが、上に挙げたのは「これは今まで聴いたものとは、少し趣が違うなぁ」と僕が感じたものの中で、何処となく似ている気がする曲を列挙してみた。上から三つがアメリカのバンドで、四番目がノルウェイ、最後が日本。
Wikipedia に在る記事を読むと、Alternative Rock だとか、Power Pop だとか、New Wave Rock だとか書いてあるが、そんなジャンル分けはよく解らないし、どうも共通した雰囲気を感じる。世の中の白人音楽にはこういう流れが在るのだろうか。僕が疎いだけで、ちゃんとした系譜があるのだろうか。その辺りの音楽にとうに興味を無くしていた僕の拙い認識では、白人音楽はオルタナティヴと呼ばれる人達が出て来たところで止まっている。上に挙げた曲にしたって、そんなに新しい事をしているとは思えないのだけれど、一昨年か去年辺りからか、なかなか良いなと思う曲が出てきた感じだ。一応メインのヴォーカルは居るが、コーラスのパートが目立つ。その共通項は単なる流行なのか、それとも何かしらの意味を示しているのか、よく解らないが僕は気に入っている。
★
歳を拾ってくると、やはり体力も気力も落ちてくるもので、昔のように派手な音楽はあまり聴く気になれない。というか聴けない。例えば、何を思ったかラジオが朝っぱらから「この曲聴いて元気だそうぜ!」的なノリで騒々しい曲を流す事がまま在る。そういうのは聴く立場の僕の気分がローな場合は、ラジオを叩き壊したくなるくらいには迷惑に感じる。
まあ、それはそれとして、上に挙げた曲は意外にも乗れた。乗れたから気に入ったのだろう。音楽はシンクロ出来なければただの騒音である。楽曲がどうこうの前に、僕自身の状態の変化もあるのかも知れないが、シンクロ出来る音楽を見つけられた事を僕は嬉しく思う。
ところで、他に思い付かないので仕方なくそう書いたけど、バンドミュージックって表現は非常にダサいですね。
Denise / Fountains of Wayne
Tongue Tied / Group Love
Show Me / Team Me
D.E.N.W.A / The Telephones
日中、ラジオをずっと点けっ放しにしていると、否応も無く色々な音楽を耳にする事になる。仕事場で聴いているのは J-WAVE なので、どちらかと言えば洋楽寄りの音楽を耳にするのだが、上に挙げたのは「これは今まで聴いたものとは、少し趣が違うなぁ」と僕が感じたものの中で、何処となく似ている気がする曲を列挙してみた。上から三つがアメリカのバンドで、四番目がノルウェイ、最後が日本。
Wikipedia に在る記事を読むと、Alternative Rock だとか、Power Pop だとか、New Wave Rock だとか書いてあるが、そんなジャンル分けはよく解らないし、どうも共通した雰囲気を感じる。世の中の白人音楽にはこういう流れが在るのだろうか。僕が疎いだけで、ちゃんとした系譜があるのだろうか。その辺りの音楽にとうに興味を無くしていた僕の拙い認識では、白人音楽はオルタナティヴと呼ばれる人達が出て来たところで止まっている。上に挙げた曲にしたって、そんなに新しい事をしているとは思えないのだけれど、一昨年か去年辺りからか、なかなか良いなと思う曲が出てきた感じだ。一応メインのヴォーカルは居るが、コーラスのパートが目立つ。その共通項は単なる流行なのか、それとも何かしらの意味を示しているのか、よく解らないが僕は気に入っている。
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歳を拾ってくると、やはり体力も気力も落ちてくるもので、昔のように派手な音楽はあまり聴く気になれない。というか聴けない。例えば、何を思ったかラジオが朝っぱらから「この曲聴いて元気だそうぜ!」的なノリで騒々しい曲を流す事がまま在る。そういうのは聴く立場の僕の気分がローな場合は、ラジオを叩き壊したくなるくらいには迷惑に感じる。
まあ、それはそれとして、上に挙げた曲は意外にも乗れた。乗れたから気に入ったのだろう。音楽はシンクロ出来なければただの騒音である。楽曲がどうこうの前に、僕自身の状態の変化もあるのかも知れないが、シンクロ出来る音楽を見つけられた事を僕は嬉しく思う。
ところで、他に思い付かないので仕方なくそう書いたけど、バンドミュージックって表現は非常にダサいですね。
- Last Modified : 2012-03-25
盪在空中
大膽走一步@未知物種音樂祭
少し前に青木由香がラジオで紹介していた台湾のインディーズバンド。タイトル(バンド名)からも窺えるように、台湾語で歌っているそうだ。紡ぎ出す音が好みなので Youtube で色々聴いてみたのだが、時折ハッとするような流麗なアンサンブルを奏でたりして、アレンジのセンスに感心させられる。ただ、ヴォーカルがもの凄く下手なのだ。聴いているこちらが心配になるくらいに音を外す。音程を保てないより以前に声量も全然足りていない。
點菸 @我的草本羅曼史3
色々観ていると、既に2006年からこのバンド形態で活動しているようなので、彼は少なくとも6年間は下手な歌を歌い続けている事になる。青木由香も同じような評価であったし、恐らく周囲の誰もがそう思っているだろう。そして僕が思うに、彼はどうしても歌いたい訳ではなさそうに見える。ギターを弾いている時の方が気持ちよさそうだし伸び伸びしている。
歌が下手なバンドと言えば Number Girl で、そのヴォーカルを勤めるのは向井秀徳だが、彼の場合は「絶叫眼鏡」の異名から解るように、叫びたいだけである。歌詞の世界観もあるのだろうけど、彼の絶叫はバンドの音の一部として成立している。それと同じようなものかも知れない。僕には未だ認識出来ていない何かをもって、このバンドが成立しているのだろう。もっと歌の上手い誰かをヴォーカルに据えて、このバンドが演奏するところを思い浮かべてみるが、なかなか巧く想像出来ない。つまり、そういう事なのかも知れない。
直直去@Roxy Roots
僕は台湾語を読めないし、検索して調べてみてもメンバーの名前や略歴すら解らないのだけれど、ずっと聴いていると、ところどころに Fishmans の影響が窺える。偶然というにはアレンジの端々に聞き覚えが在る。Fishmans の廉価版みたいなフォロワーのバンドは日本にも存在するけど、こちらの方が、離れている分丁度良い取り入れ方をしていると感じられる。同じ土壌でのフォローは気味が悪い。亡霊に縋っているような感じがして嫌なのだ。
fullset@落日飛車發片演出
彼らの歌っている内容が、少しでも解ればなぁ。
少し前に青木由香がラジオで紹介していた台湾のインディーズバンド。タイトル(バンド名)からも窺えるように、台湾語で歌っているそうだ。紡ぎ出す音が好みなので Youtube で色々聴いてみたのだが、時折ハッとするような流麗なアンサンブルを奏でたりして、アレンジのセンスに感心させられる。ただ、ヴォーカルがもの凄く下手なのだ。聴いているこちらが心配になるくらいに音を外す。音程を保てないより以前に声量も全然足りていない。
點菸 @我的草本羅曼史3
色々観ていると、既に2006年からこのバンド形態で活動しているようなので、彼は少なくとも6年間は下手な歌を歌い続けている事になる。青木由香も同じような評価であったし、恐らく周囲の誰もがそう思っているだろう。そして僕が思うに、彼はどうしても歌いたい訳ではなさそうに見える。ギターを弾いている時の方が気持ちよさそうだし伸び伸びしている。
歌が下手なバンドと言えば Number Girl で、そのヴォーカルを勤めるのは向井秀徳だが、彼の場合は「絶叫眼鏡」の異名から解るように、叫びたいだけである。歌詞の世界観もあるのだろうけど、彼の絶叫はバンドの音の一部として成立している。それと同じようなものかも知れない。僕には未だ認識出来ていない何かをもって、このバンドが成立しているのだろう。もっと歌の上手い誰かをヴォーカルに据えて、このバンドが演奏するところを思い浮かべてみるが、なかなか巧く想像出来ない。つまり、そういう事なのかも知れない。
直直去@Roxy Roots
僕は台湾語を読めないし、検索して調べてみてもメンバーの名前や略歴すら解らないのだけれど、ずっと聴いていると、ところどころに Fishmans の影響が窺える。偶然というにはアレンジの端々に聞き覚えが在る。Fishmans の廉価版みたいなフォロワーのバンドは日本にも存在するけど、こちらの方が、離れている分丁度良い取り入れ方をしていると感じられる。同じ土壌でのフォローは気味が悪い。亡霊に縋っているような感じがして嫌なのだ。
fullset@落日飛車發片演出
彼らの歌っている内容が、少しでも解ればなぁ。
- Last Modified : 2012-03-10
炉心融解 / 鏡音リン
- 2012-02-11
- Category - Art
- Tag - music / animation / vocaloid / philosophy
今更な事を書くけど、久しぶりに観たので。2008年末に発表され、恐らくニコニコ動画で二度のミリオン再生を稼いだ動画。まとめてるサイトも在るし面倒なので詳細は書かないけど、これを観てると、今後の音楽制作がどういう方向に進んでいくのか色々と(余計なお世話だが)考えてしまう。これは楽曲も、歌詞も、動画も出来が良いので人気を博すのはよく解る。でもそれ以上に僕が感心するのは、ヴォーカロイドだと歌い手の持つ音域や息継ぎなどを全く考慮せずに作曲出来るという事実である。特にこの曲だと、淀みなく何処までも伸びていくヴォーカルは最大の魅力だ。当たり前だけど、まさに超人的。作曲の自由度が人類史上希に見るほど高いのだ。
どの楽曲か忘れたけど、モーツァルトが贔屓のソプラノ歌手に依頼され、そのソプラノ歌手の喉が追いつけないほどの複雑さと音域で(意地悪く)作曲して渡したら、見事歌いきられてしまったというエピソードが在ったように思うが、そんな遣り取りが発生する事も今後は無いのかも知れない。
一方、生音を好み、歌い手の声質や抑揚など、生身の人間にしか出せないような要素を音楽の重要なものとして捉えているなら、幾ら音が自由でもフェイクにしか思えないかも知れない。ただ、現在ではエフェクトのかかったヴォーカルを好む流れもあり(ex. Perfume)、当座の流れとしては二分するのかも知れない。どちらがより優れているか、というのは既に土俵違いで、音楽の何を好むのかという事になりそうな気がする。それはたぶん生活のスタイルというか、より自分の好む質感であるのかどうかという事になりそうだ。
-
因みに上記のリンク先にこの動画のクレジットが記載されていて、各担当の自サイトへ繋がってるんだけど、誰も彼も凄そうだ。もしかすると、この国の才能はこの界隈に集約されつつあるのかも知れない。
この曲もそうだけど、今を持って終末感漂う昨今の歌詞の世界観については、また別の機会に。この歌詞なんて、人を絞め殺す事を夢想(動画では、絞め殺す相手は幼い頃の自分にようだ)しておいて、挙げ句の果てには「自分が居ない世界の方が正しい」みたいな事言ってるし。一般に流通する J-POP ではまずお目にかかれない歌である。
- Last Modified : 2012-03-25
メールマガジン「断腸亭日乗」
- 2012-01-21
- Category - Art
- Tag - literature
というサービスを岩波書店がやってくれないかなぁ、と夢想している。開始時期は、荷風が書き始めたのが1917年(大正6年)9月16日からなので、100周年記念の2017年の同日からでどうだろう。毎朝、前日の日付の荷風の日記が配信され、そしてそれは勿論42年間続く。その間にはインターネットの状況も大きく変わっているだろうし、無謀な気もするが、それだけに面白そうだ。
このサービスを受けて一番喜ぶのは、その年に丁度荷風と同じ38歳を迎えた独身の男性だろうな。100年前に生きていた一人の極めて個人主義の男の毎日を、パラレルな感覚で読み続ける事が出来る。それはとても面白い経験だと思うんだけど、冷静に考えると、そんな物好きは提供する側にしても受け取る側にしても余り居ないのかも知れないな。
このサービスを受けて一番喜ぶのは、その年に丁度荷風と同じ38歳を迎えた独身の男性だろうな。100年前に生きていた一人の極めて個人主義の男の毎日を、パラレルな感覚で読み続ける事が出来る。それはとても面白い経験だと思うんだけど、冷静に考えると、そんな物好きは提供する側にしても受け取る側にしても余り居ないのかも知れないな。
大つごもり夜話
- 2011-12-31
- Category - Art
- Tag - fiction / literature
スーパーの入口の横、壁に貼りだされたチラシを私は眺めている。仕事収めの帰り。ななめがけにした布製のバッグが肩からずり落ちそうになる。それを左手で受け止め、右手にさげたポリ袋を持ちなおす。食品売場は既におせちやその他お正月用のものばかりが並んでいて、否応も無くお祭り感がただよっている。日常で使う食材は野菜やレトルトなどのパッケージ商品があいかわらずの場所に陳列されているだけ。私はそちらの棚で買い物をすませた。
私はどうしても、こういうお祭り的な雰囲気に入りこめない。騒がしくてイヤなのだ。もしかしてそれは私の育ちのせいかもしれない。騒がしい家庭だった。私はそれがとても嫌いで、いつも独りになりたいと思っていた。
-
父はこれまでに三度会社をおこし、三度とも倒産した。そして現在四度目に挑戦中だ。家族はもちろんその渦中で翻弄される。生活の不安もかえりみずに父は私財を投資し続けた。三度目の倒産の後、ちょうど専門学校を卒業出来た私は家を出た。父はものすごく反対したが、私は負けなかった。私が欲しかったのは安定した生活だ。地道に働いていればそれなりに暮らせる毎日だ。父の影響下にいる限りそれはないと思った。私には二人の兄がいる。彼らは父の仕事を手伝う形で家にずっといるが、大人になってからは余り話したこともない。彼らは父に似た性質を持っているのか、それとも父に合わせているだけなのか、何かしら反抗している姿を見たことがない。私にとっては同類の人間だ。母だけは違うだろうと思っているが、彼女は父に従うばかりで、何か相談をしても「それはお父さんに相談しなさい」と言ってしまうような何もない人だ。そんな人達の中で暮らしていると、いつのまにか私は家族の中で孤立し、結果として独りで過ごす時間が多かった。
そんな彼らからは「おまえには表情がない」「何だか怖い」とよく言われた。そりゃそうだろう、と思う。家族の中でたった独りそこに居ることを拒否しているのだから当たり前だ。この人達はそんなこともわからないのかと、私はさらにくすぶった。でも困ったのは、私は家にいる時以外でも同じ表情をしているらしい。学校の友達にも言われたことがある。私が男の子にモテなかったのもそのせいかもしれない。学生の頃に一人だけ付き合ったことのある男の子からは、「何を考えているのか全然わからないから辛い」と言い残されてフラれた。あの時はすごく落ち込んだな。ただその場合は、付き合ってるうちに男の子の横暴な面を見てしまうと、父や兄達の事を思い出し、げんなりしてしまって私は反射的に閉じてしまうのだ。そんな時には私はきっと能面のような顔をしているのだろう。でもそれはしょうがない。しょうがないよ。だってイヤなのだ。その人から離れたくて仕方なくなってしまうのだ。
そんなことがあってから、私はさらに独りで過ごすようになった。そしてそれがとても気に入っていた。文具メーカーにデザイナとして就職した私は、毎日決まった時間に出社し、遅くなることが多いけど、一日しっかり働いて、帰りに駅のそばのスーパーで買い物をして部屋に帰る。安売りしていたお総菜をそのまま食べたり、作り置きのものを温め直して食べたり、録画していたドラマを観たり、本を読んだり、ぼんやりしたり。誰も私の邪魔をしないし、とても幸せだと思った。
固定電話は置いてないし、携帯の番号も家族には教えていない。友人や知人とはメールでのやりとりだけだから、非常識な時間に電話で起こされることもない。経済的に自立したことで、私は穏やかで理想的な生活を手にすることが出来た。私はそのことがとても誇らしい。ただほんのちょっと、これは生活が安定していて余裕があるからだと思うけど、誰かが私の生活圏内に入り込んできても、悪くはないなと思っている。それはまだ、ほんのちょっとという限定的なものだけれど。
-
レジで支払いをすませると、私はスーパーの外に出た。するとそのまわりで正月飾りを売っている人達がいた。吹いてくる風が冷たいので、マフラーをキツく巻き直しながらそれらの商品を眺めてみた。個人でやっている人がこの場所を借りて商売をしているのだろう、商品はどれも、どことなく質素な雰囲気があった。その中に、小ぶりで可愛らしいしめ飾りを見つけた。私は思わずそれを手に取り値段をたずねていた。「800円です」こんなに小さいのにそれはちょっと高いなーとは思ったのだけれど、ご祝儀のつもりで店の主人に1000円札を手渡した。
部屋に戻った私は、机のひきだしの中から両面テープを探し出して、買ったしめ飾りを玄関の扉に貼り付けた。そして、そう言えばしめ飾りの意味について正確なところを知らないな、と思って私はインターネットで調べてみた。
私は玄関の扉に貼り付けてあるしめ飾りを思い浮かべつつ、少しだけお酒をのむことにした。良い気分だった。
- - -
このエントリ内に書かれている事は大体に於いて事実と異なります。
私はどうしても、こういうお祭り的な雰囲気に入りこめない。騒がしくてイヤなのだ。もしかしてそれは私の育ちのせいかもしれない。騒がしい家庭だった。私はそれがとても嫌いで、いつも独りになりたいと思っていた。
-
父はこれまでに三度会社をおこし、三度とも倒産した。そして現在四度目に挑戦中だ。家族はもちろんその渦中で翻弄される。生活の不安もかえりみずに父は私財を投資し続けた。三度目の倒産の後、ちょうど専門学校を卒業出来た私は家を出た。父はものすごく反対したが、私は負けなかった。私が欲しかったのは安定した生活だ。地道に働いていればそれなりに暮らせる毎日だ。父の影響下にいる限りそれはないと思った。私には二人の兄がいる。彼らは父の仕事を手伝う形で家にずっといるが、大人になってからは余り話したこともない。彼らは父に似た性質を持っているのか、それとも父に合わせているだけなのか、何かしら反抗している姿を見たことがない。私にとっては同類の人間だ。母だけは違うだろうと思っているが、彼女は父に従うばかりで、何か相談をしても「それはお父さんに相談しなさい」と言ってしまうような何もない人だ。そんな人達の中で暮らしていると、いつのまにか私は家族の中で孤立し、結果として独りで過ごす時間が多かった。
そんな彼らからは「おまえには表情がない」「何だか怖い」とよく言われた。そりゃそうだろう、と思う。家族の中でたった独りそこに居ることを拒否しているのだから当たり前だ。この人達はそんなこともわからないのかと、私はさらにくすぶった。でも困ったのは、私は家にいる時以外でも同じ表情をしているらしい。学校の友達にも言われたことがある。私が男の子にモテなかったのもそのせいかもしれない。学生の頃に一人だけ付き合ったことのある男の子からは、「何を考えているのか全然わからないから辛い」と言い残されてフラれた。あの時はすごく落ち込んだな。ただその場合は、付き合ってるうちに男の子の横暴な面を見てしまうと、父や兄達の事を思い出し、げんなりしてしまって私は反射的に閉じてしまうのだ。そんな時には私はきっと能面のような顔をしているのだろう。でもそれはしょうがない。しょうがないよ。だってイヤなのだ。その人から離れたくて仕方なくなってしまうのだ。
そんなことがあってから、私はさらに独りで過ごすようになった。そしてそれがとても気に入っていた。文具メーカーにデザイナとして就職した私は、毎日決まった時間に出社し、遅くなることが多いけど、一日しっかり働いて、帰りに駅のそばのスーパーで買い物をして部屋に帰る。安売りしていたお総菜をそのまま食べたり、作り置きのものを温め直して食べたり、録画していたドラマを観たり、本を読んだり、ぼんやりしたり。誰も私の邪魔をしないし、とても幸せだと思った。
固定電話は置いてないし、携帯の番号も家族には教えていない。友人や知人とはメールでのやりとりだけだから、非常識な時間に電話で起こされることもない。経済的に自立したことで、私は穏やかで理想的な生活を手にすることが出来た。私はそのことがとても誇らしい。ただほんのちょっと、これは生活が安定していて余裕があるからだと思うけど、誰かが私の生活圏内に入り込んできても、悪くはないなと思っている。それはまだ、ほんのちょっとという限定的なものだけれど。
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レジで支払いをすませると、私はスーパーの外に出た。するとそのまわりで正月飾りを売っている人達がいた。吹いてくる風が冷たいので、マフラーをキツく巻き直しながらそれらの商品を眺めてみた。個人でやっている人がこの場所を借りて商売をしているのだろう、商品はどれも、どことなく質素な雰囲気があった。その中に、小ぶりで可愛らしいしめ飾りを見つけた。私は思わずそれを手に取り値段をたずねていた。「800円です」こんなに小さいのにそれはちょっと高いなーとは思ったのだけれど、ご祝儀のつもりで店の主人に1000円札を手渡した。
部屋に戻った私は、机のひきだしの中から両面テープを探し出して、買ったしめ飾りを玄関の扉に貼り付けた。そして、そう言えばしめ飾りの意味について正確なところを知らないな、と思って私はインターネットで調べてみた。
本来の宗教的意味は、各家庭が、正月に迎える年神を祀る依り代である。ということらしい。年神様か。穏やかで優しそうだ。私の家にやってくるのがそんな人なら良いな。いや、人ではなくて神様か。私にうるさいことを言って煩わせることなく、穏やかな時間だけをもたらしてくれるのなら大歓迎だ。神様バンザイ。
私は玄関の扉に貼り付けてあるしめ飾りを思い浮かべつつ、少しだけお酒をのむことにした。良い気分だった。
- - -
このエントリ内に書かれている事は大体に於いて事実と異なります。
正岡子規の己が葬儀に関する遺言
- 2010-12-12
- Category - Art
- Tag - philosophy / literature / hatena
本日 NHK ドラマ「坂の上の雲」にて正岡子規が死んだが、自分の葬儀に関して色々と注文をつけていたらしく、その葬儀の場面でモノローグとして読まれた。正確に知っておきたかったので、改めて WEB で調べてみたら以下のような文章を見つけた。
仰臥漫録:正岡子規最晩年の日記
そしてそれとは別に、正岡子規の遺言書なるページを見つけた。岩波文庫からの転載であるらしい。
正岡子規遺言書(PDF)
特に何か感銘を受けたとか、そういう事でもない。己が葬儀の華美に催される事を嫌うのはよく聞く話である。しかし文章として明文化されているのは初めて見るし、近い将来の自分に参考になるのではないかと思い、此処に記しておく。独り床に伏していると、時折こんな事を考える。
われらなくなり候とも葬式の広告など無用に候。家も町も狭き故二、三十人もつめかけ候はば柩の動きもとれまじく候。
何派の葬式をなすとも柩の前にて弔辞伝記の類読み上候事無用に候。
戒名といふもの用ゐ候事無用に候。かつて古人の年表など作り候時狭き紙面にいろいろ書き並べ候にあたり戒名といふもの長たらしくて書込に困り申候。戒名などはなくもがなと存候。
自然石の石碑はいやな事に候。
柩の前にて通夜すること無用に候。通夜するとも代りあひて可致候。
柩の前にて空涙は無用に候。談笑平生の如くあるべく候。
仰臥漫録:正岡子規最晩年の日記
そしてそれとは別に、正岡子規の遺言書なるページを見つけた。岩波文庫からの転載であるらしい。
余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解していた
悟りといふ事は 如何なる場合にも
平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いひで
悟りといふ事は 如何なる場合にも
平気で生きている事であった
正岡子規遺言書(PDF)
特に何か感銘を受けたとか、そういう事でもない。己が葬儀の華美に催される事を嫌うのはよく聞く話である。しかし文章として明文化されているのは初めて見るし、近い将来の自分に参考になるのではないかと思い、此処に記しておく。独り床に伏していると、時折こんな事を考える。






