DOG ON THE BEACH
色即ぜねれいしょん〜黒猫チェルシー
そう言えばそろそろ公開だったかなあと公式HP(注意:強制ウィンドウ・サイジング)を見てみれば、予告編等々がアップされており、YouTube にも公式の動画がアップロードされていたので、それらをぽちぽちと眺めていた。
制作発表
予告編
んで、主人公役の渡辺大知。パンクバンドをやっているという事で、以前にその事を知った時は、あそう、ふーん、という感じで流していたのだけれど、今日改めてそのバンド " 黒猫チェルシー " の PV を観てみたら、予想以上に良くて、すっかり魅了されてしまった。
嘘とドイツ兵 / 黒猫チェルシー
これはもう、制作発表の動画に見てとれる人物像とは全くの別人である。町田町蔵と大槻ケンヂを混ぜたような、動画内で岸田繁いうところのハラワタ系で、観ていてどことなく親しみを覚えるような、ある意味正統な日本の少年パンクであった。音的にはパンクとはいえ随分と洗練されているけど、渡辺大知はパンクス以外の何者でもない。近頃の、ただキレイなだけのバンドマンに比べて明らかに異質である。こんな男の子を主役に起用するとは、前作の " アイデン&ティティ " の主役に峯田和伸を起用するに続いて、田口トモロヲはさすがに目の付け所がばちかぶりである。
制作発表
予告編
んで、主人公役の渡辺大知。パンクバンドをやっているという事で、以前にその事を知った時は、あそう、ふーん、という感じで流していたのだけれど、今日改めてそのバンド " 黒猫チェルシー " の PV を観てみたら、予想以上に良くて、すっかり魅了されてしまった。
嘘とドイツ兵 / 黒猫チェルシー
これはもう、制作発表の動画に見てとれる人物像とは全くの別人である。町田町蔵と大槻ケンヂを混ぜたような、動画内で岸田繁いうところのハラワタ系で、観ていてどことなく親しみを覚えるような、ある意味正統な日本の少年パンクであった。音的にはパンクとはいえ随分と洗練されているけど、渡辺大知はパンクス以外の何者でもない。近頃の、ただキレイなだけのバンドマンに比べて明らかに異質である。こんな男の子を主役に起用するとは、前作の " アイデン&ティティ " の主役に峯田和伸を起用するに続いて、田口トモロヲはさすがに目の付け所がばちかぶりである。
SR サイタマノラッパー / 入江悠
いとうせいこうと大根仁が激賞していたので、渋谷のユーロスペースで " SR サイタマノラッパー " をリバイバル上映を観てきた。
若い頃(最近この言葉をフツーに使えるようになった)というのは、あらゆるシーンに於いて悔しい思いをするものである。とにかく、やる事なす事全てにケチが付く。粋がって格好つけてみても失笑されるだけだし、グレてみても本気の人達を見ていたらとても怖くなってやる事が中途半端だし、フツーにやれと言われてやってみればどうにも浮いてしまう。一体どうすれば巧くいくのかさっぱり判らないし、だいいち何処が悪いのかさえ判らない。言うならば、個人史に於ける馬鹿の時代である。思い返してみても、毎日毎日延々と燻っていた記憶しかない。そして、そういう人間を傍から見れば非常に痛々しく感じる。基本、そういう映画であった。
この映画の特筆すべき素晴らしい点は、上記の二人が既に書いてしまっているので、それをなぞる形になってしまうが、取り敢えず書いてみる。
みひろ扮する元AV女優の同級生が東京に戻るべく、駅へと続く階段を登る場面。みひろが重いスーツケースを引っ張り上げながら階段を登り、数人の男子高校生が階段上から降りてきて擦れ違う。ただそれだけのシーンでほんの一瞬なのだけれど、それはもう舞踏劇を観ているような素晴らしい光景であった。
そしてラストの、いとうせいこう氏が言うところの口説きの部分。俯いて、ボソボソと吐き出される言葉が、ひとたびリズムを刻んで繰り出された瞬間、突如として攻撃性を帯びて暴れ出す。状況からすれば滑稽にも見えるそのスタイルは余りにも切実である。その切実さは、巧くいかない己の人生を思い患い燻っていた魂を再燃させているかのようであった。
若い頃(最近この言葉をフツーに使えるようになった)というのは、あらゆるシーンに於いて悔しい思いをするものである。とにかく、やる事なす事全てにケチが付く。粋がって格好つけてみても失笑されるだけだし、グレてみても本気の人達を見ていたらとても怖くなってやる事が中途半端だし、フツーにやれと言われてやってみればどうにも浮いてしまう。一体どうすれば巧くいくのかさっぱり判らないし、だいいち何処が悪いのかさえ判らない。言うならば、個人史に於ける馬鹿の時代である。思い返してみても、毎日毎日延々と燻っていた記憶しかない。そして、そういう人間を傍から見れば非常に痛々しく感じる。基本、そういう映画であった。
この映画の特筆すべき素晴らしい点は、上記の二人が既に書いてしまっているので、それをなぞる形になってしまうが、取り敢えず書いてみる。
みひろ扮する元AV女優の同級生が東京に戻るべく、駅へと続く階段を登る場面。みひろが重いスーツケースを引っ張り上げながら階段を登り、数人の男子高校生が階段上から降りてきて擦れ違う。ただそれだけのシーンでほんの一瞬なのだけれど、それはもう舞踏劇を観ているような素晴らしい光景であった。
そしてラストの、いとうせいこう氏が言うところの口説きの部分。俯いて、ボソボソと吐き出される言葉が、ひとたびリズムを刻んで繰り出された瞬間、突如として攻撃性を帯びて暴れ出す。状況からすれば滑稽にも見えるそのスタイルは余りにも切実である。その切実さは、巧くいかない己の人生を思い患い燻っていた魂を再燃させているかのようであった。
そもそもハイレグとは何だったのか。
1980年代中頃、ハイレグという形状の水着が流行った。現在から見ればとても変だと僕なんかは思うのだが、その当時はハイレグこそがセクシーの代名詞であった。上のリンク先にもあるように「セクシーで人目をひく・脚が長く見える・動きやすい・涼しい」とまあ、そんな理由なのだろう。しかし僕にはセクシーというのが今一つ分からなかった。そう、僕は流行っている当時から「何処となく変だな」と思っていたのだ。ハイレグは未だ良い。鋭角に切り込んだデルタラインがスリルを感じさせるのは勿論解る。しかしその傾向が過剰となりスーパーハイレグになるともう違和感が先だってセクシーでも何でもないのだ。太腿の付け根の上まで露わになった女性の大腿部は、僕にバッタの脚を思い起こさせる。
取り敢えずこれだけ書けば僕がハイレグを好きではない事を伝える事が出来たと思う。但し競泳水着の場合はこの限りではない。あれは動きやすさ(機能性)が優先されるだろうからハイレグ以外は有り得ないと思う。実際にそれを着用して運動するにしても、鑑賞されるにしても。
★
さて、2000年を迎えると今度はローライズが流行りだした。最初こそ僕も若干の違和感を感じていたのだが、今となってはすっかり慣れてしまい、それどころかローであればローである程良い気がしている。ファスナーの長さが5cmしかないようなジーンズを穿いた女性を見かけると心の中で小躍りするくらい好きである。ハイレグの場合は無闇やたらと公明正大というか「こんなに切れ込んだわよ。どう? 好きでしょ? 申し分ないでしょ? 素晴らしいでしょ?」という感じのスポーツ感覚がどうにも白けてしまうのだが、ローライズの場合は若干の迂闊さが存在する。しかしそれとて計算し尽くした上での迂闊さなのであって、それ無しで露出されたものは「だらしなさ」でしかない。どちらかと言えば、この方が日本人のエロティシズムの感覚に近いと思う。
★
で、こういう見方ってのは理性と本能(性欲)のどちらが欲する事なのだろうか。水着や下着などの色や素材・カットなどのデザインを注視して考えるならばそれは理性だろうし、肌の露出加減や隠蔽の際どさを考えるならばそれは本能であるように思う。しかしこんな風に単純には考えられない事も一応は知っている。何も観るのは男だけとは限らないのだ。
以前に会社を辞めた元同僚(女)二人と久しぶりに会おうとホテルのカフェで待ち合わせした時の事。彼女らがやってくるのを待つ間、本を読んでやり過ごそうとしている僕の隣の席に、背が高くとてもスタイルの良い二人の女の子が座った。二人はローライズのジーンズを穿いており、席に座る際に露出した下着が見えた。オレンジと紫のどちらもレースの下着であった。どうやらそのカフェの支配人の知り合いらしく、せっかくだから来てやったわよ的な態度の二人に、支配人自ら給仕をして何やかやと世話を焼いていた。やがて元同僚の二人が登場し、珈琲を飲みながら近況などをてんでバラバラに語りつつ午後を過ごした。隣の席の二人の女の子は気付けばいつの間にか居なくなっていた。
そして散々喋って話題も無くなった頃、僕は場繋ぎに「さっき隣の席に女の子が二人座ってさ、その子達が物凄いローライズ穿いてんのよ。そんでついつい見たら紫とか黒のパンツが見えたんだよねー」と女性相手に喋るには少々難のある話題をうっかり喋ってしまったのだけれど、元同僚の二人は「え?どこどこ?」「隣?隣ってどっち?」と予想外の反応が返ってくる。「いや、もう居ないよ」と僕は答えたのだけれど「えええっ!何で直ぐに教えてくれないんですか!」とか言う。「え、どして? 見たかった?」と訊けば「当たり前じゃないですか!」とユニゾンで怒鳴られる。「えー・・・何で見たいの?」「女の子大好きなんですよ。可愛いじゃないですか! で、何処なんですか?」「だからもう居ないって」「えええええっ!!」因みにこの二人は結婚してるし、僕が知る限りではレズビアンでもない。そういう感覚は本当に解らない。男が思うエロティシズムとは別な感覚で、女は女を観ているのだろう。
★
僕に解ったのは「よくわからない」という事だけだった。
取り敢えずこれだけ書けば僕がハイレグを好きではない事を伝える事が出来たと思う。但し競泳水着の場合はこの限りではない。あれは動きやすさ(機能性)が優先されるだろうからハイレグ以外は有り得ないと思う。実際にそれを着用して運動するにしても、鑑賞されるにしても。
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さて、2000年を迎えると今度はローライズが流行りだした。最初こそ僕も若干の違和感を感じていたのだが、今となってはすっかり慣れてしまい、それどころかローであればローである程良い気がしている。ファスナーの長さが5cmしかないようなジーンズを穿いた女性を見かけると心の中で小躍りするくらい好きである。ハイレグの場合は無闇やたらと公明正大というか「こんなに切れ込んだわよ。どう? 好きでしょ? 申し分ないでしょ? 素晴らしいでしょ?」という感じのスポーツ感覚がどうにも白けてしまうのだが、ローライズの場合は若干の迂闊さが存在する。しかしそれとて計算し尽くした上での迂闊さなのであって、それ無しで露出されたものは「だらしなさ」でしかない。どちらかと言えば、この方が日本人のエロティシズムの感覚に近いと思う。
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で、こういう見方ってのは理性と本能(性欲)のどちらが欲する事なのだろうか。水着や下着などの色や素材・カットなどのデザインを注視して考えるならばそれは理性だろうし、肌の露出加減や隠蔽の際どさを考えるならばそれは本能であるように思う。しかしこんな風に単純には考えられない事も一応は知っている。何も観るのは男だけとは限らないのだ。
以前に会社を辞めた元同僚(女)二人と久しぶりに会おうとホテルのカフェで待ち合わせした時の事。彼女らがやってくるのを待つ間、本を読んでやり過ごそうとしている僕の隣の席に、背が高くとてもスタイルの良い二人の女の子が座った。二人はローライズのジーンズを穿いており、席に座る際に露出した下着が見えた。オレンジと紫のどちらもレースの下着であった。どうやらそのカフェの支配人の知り合いらしく、せっかくだから来てやったわよ的な態度の二人に、支配人自ら給仕をして何やかやと世話を焼いていた。やがて元同僚の二人が登場し、珈琲を飲みながら近況などをてんでバラバラに語りつつ午後を過ごした。隣の席の二人の女の子は気付けばいつの間にか居なくなっていた。
そして散々喋って話題も無くなった頃、僕は場繋ぎに「さっき隣の席に女の子が二人座ってさ、その子達が物凄いローライズ穿いてんのよ。そんでついつい見たら紫とか黒のパンツが見えたんだよねー」と女性相手に喋るには少々難のある話題をうっかり喋ってしまったのだけれど、元同僚の二人は「え?どこどこ?」「隣?隣ってどっち?」と予想外の反応が返ってくる。「いや、もう居ないよ」と僕は答えたのだけれど「えええっ!何で直ぐに教えてくれないんですか!」とか言う。「え、どして? 見たかった?」と訊けば「当たり前じゃないですか!」とユニゾンで怒鳴られる。「えー・・・何で見たいの?」「女の子大好きなんですよ。可愛いじゃないですか! で、何処なんですか?」「だからもう居ないって」「えええええっ!!」因みにこの二人は結婚してるし、僕が知る限りではレズビアンでもない。そういう感覚は本当に解らない。男が思うエロティシズムとは別な感覚で、女は女を観ているのだろう。
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僕に解ったのは「よくわからない」という事だけだった。
- Last Modified : 2009-03-24
伏し目のボッティチェルリ

因みにボッティチェルリがいつも伏し目がちだとかそういう話ではない。先週放映された新日曜美術館の「パリは何故芸術都市と成り得たか?」という特集を観ていると、その中で上に(全体の一部分だが)掲げたボッティチェルリの「ヴィーナスと美神」というフレスコ画が紹介された。あーこの画家の描く女の顔は好きだなあとか呑気に眺めていたら、ふいに自分がボッティチェルリの安い画集を持っている事を思いだし、書架から引っ張り出した。
何故僕はボッティチェルリの画集を持っているのだろうか。恐らく何処かで手にしたボッティチェルリの絵を観て、今回と同じ様な感想を持ち、目当ての絵が収録されている安い画集を取り敢えず買ったのだろう。きっとそうだ。しかしその画集には「ヴィーナスと美神」は載っていない。じゃあどの絵を目当てにして買ったのかと頁を捲って探してみたところ、案外に早く、しかも確信を持って見つけ出す事が出来た。どう考えてもこれだ。

「マニフィカトの聖母」この聖母の顔というか伏し目がちな表情にもの凄く惹かれる。そしてこの流れで更に思い出したのは、僕はそもそもこういう表情をする女が好きだったという事である。その事を久しぶりに思い出した。思い当たるフシは幾つかある。そう言えば緒川たまきも時々こういう表情を見せている気がする。いや気のせいかな。しかし一体何時からこういう好みの種が僕の中に植え付けられたのだろうか。学生の頃にはボッティチェルリには何の興味も持っていなかったはずなので、この絵が原型ではないと思う。その事についてはどうにも思い出せない。というのは嘘でしっかりと思い出した。思い出したのは良いが後悔で押し潰されそうである。気付かなければ良かったよ。まいったねどうも。
しとやかな獣 / オリガト・プラスティコ
一昨日、新宿は紀伊国屋ホールにて " しとやかな獣 " を観てきた。未だ観てはいないが新藤兼人脚本・川島雄三監督の原作映画には興味があったし、ケラリーノ・サンドロヴィッチの黒光りのするユーモアは好きだし、テレビドラマや映画でちょくちょく見かける近藤公園という役者も気になっていた。しかし実際のところ、書くまでもない事だが、僕は緒川たまきをどうしても観たかったのである。実際に観る緒川たまきはやはり緒川たまきであるのだが、映像や紙面で観るよりもずっとほっそりとしていて、それ故に儚げな雰囲気も持ち合わせており、いやはや可憐である。可憐なんて言葉は生まれて初めて使ったな。しかし他に上手い言葉が思い浮かばないので取り敢えずそう書いておく。
僕は上手側の前方の席に座っていたのだけれど、劇中何度となく僕の目の前で芝居が行われるので僕は気が気ではなかった。僕の眼球から計って4メートル弱の舞台上に緒川たまきが立っており、これは観る為の催しであるのだから凝視し放題である。はずなのだが直視するには余りにも目映く、僕は手をかざしたい気持ちを必至に堪えつつ瞬きをくり返しながら見つめていた。そんな事をしていては芝居を追う事なんて出来はしまいと思うだろうが、緒川たまきばかりを観ていると目眩がして仕方がないので、他の役者に注意を向けて気を紛らせていたので物語の進行を見逃す事はなかった。しかしその間も緒川たまきの白く細長い指が僕の脳裏から離れてくれない。そして、劇中で緒川たまきがソファに押し倒される場面が在るのだけれど、仰向けになった緒川たまきの額から鼻梁、顎先に至るまでの造形は信じ難いほどに美しかった。
この芝居はDVD化されたりするのだろうか。しかしそうなったとしても後方から引きで撮った映像なのだろうな。それだと見えないものが色々と在る。出来得れば、僕の眼球に写った映像をそのまま記録したい。観ている間中僕は「どうしたら良いのか判らない」状態で、メディアを通さずに見せつけられる肉体の放つ光に平伏していたのである。以前にも何かの折に書いた気がするがもう一度書く。美しさとは観る物を圧倒する強大な力である。
- Last Modified : 2009-02-09
更にしつこく、緒川たまき。
ニコニコ動画で見つけたPV物。やはり今回も埋め込まずにリンクだけ。アカウント取得の上ご鑑賞下さい。
以前にも YouTube で観ていたのだが見失って忘れていたのだ。それぞれに趣きは違うのだけれど、どちらの作品も緒川たまきは「夢の女」的な扱いで、それがまた良いんだよなあ。下衆な現実だけを見せつけられたって、それの一体何処が嬉しいのだ。そりゃあ勿論現実は現実として受け容れますが、それを夢のように愛せとは全く不条理不届き千万。死ね。馬鹿。死ね。現実を承知した上だからこそ夢は楽しいのだ。とかなんとか考えているうちに LaB LIFe の方が YouTube にも在るのを見つけた。以下に掲載。
追記:つい先日アップロードされた土曜ソリトンSIDE-B。薄々は感じていたけど、緒川たまきという人は結構いらん事を言ってしまう人なのだなあ。
以前にも YouTube で観ていたのだが見失って忘れていたのだ。それぞれに趣きは違うのだけれど、どちらの作品も緒川たまきは「夢の女」的な扱いで、それがまた良いんだよなあ。下衆な現実だけを見せつけられたって、それの一体何処が嬉しいのだ。そりゃあ勿論現実は現実として受け容れますが、それを夢のように愛せとは全く不条理不届き千万。死ね。馬鹿。死ね。現実を承知した上だからこそ夢は楽しいのだ。とかなんとか考えているうちに LaB LIFe の方が YouTube にも在るのを見つけた。以下に掲載。
追記:つい先日アップロードされた土曜ソリトンSIDE-B。薄々は感じていたけど、緒川たまきという人は結構いらん事を言ってしまう人なのだなあ。
- Last Modified : 2009-02-14
緒川たまき、再び。
僕の中で緒川たまきブームが再燃。ブームったってここ数日の話だが。先日時効警察の第三話を観ていて段々とまた気になってきて Youtube その他で色々を漁ってみたのだった。前回にガセビアの動画を載せた時に2つ画像と音声がずれているものが在ったが、いつの間にかそれを修正してアップしている(2, 3 埋め込み無効の設定の為リンクのみ)人が居たり、色々観る事が出来て嬉しい。以下に羅列する。表示が遅くなるので埋め込まずリンクのみ。
文學ト云フ事 1994年にフジテレビで放映された番組
i・z 1997年頃のインタビュー番組
土曜ソリトン B-SIDE 1995〜1996年にNHKで放映された番組 物凄く90年代な雰囲気である。80年代のよりもやはりこっちの方が好きだな。80年代の雰囲気にはどうやっても乗れない。番組名には微かに覚えがあるが、当時は緒川たまきを知らないし高野寛には興味がなかったので観なかったのだろう。しかしオープニングだけではなく番組を全部観てみたいなと思って更に探したら一回分だけ在った。それはYMOの特集回であった。再生リストとして組まれていないので、youtube サイトの右側の関連動画リストに表示された続編を適宜観られたし。
その他に、インタビュー記事などを彼方此方読み漁っていたのだが、この人の持つ趣味嗜好も何だか良いなあ。
文學ト云フ事 1994年にフジテレビで放映された番組
i・z 1997年頃のインタビュー番組
土曜ソリトン B-SIDE 1995〜1996年にNHKで放映された番組 物凄く90年代な雰囲気である。80年代のよりもやはりこっちの方が好きだな。80年代の雰囲気にはどうやっても乗れない。番組名には微かに覚えがあるが、当時は緒川たまきを知らないし高野寛には興味がなかったので観なかったのだろう。しかしオープニングだけではなく番組を全部観てみたいなと思って更に探したら一回分だけ在った。それはYMOの特集回であった。再生リストとして組まれていないので、youtube サイトの右側の関連動画リストに表示された続編を適宜観られたし。
その他に、インタビュー記事などを彼方此方読み漁っていたのだが、この人の持つ趣味嗜好も何だか良いなあ。
- Last Modified : 2009-01-15






