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DOG ON THE BEACH

メールマガジン「断腸亭日乗」

 というサービスを岩波書店がやってくれないかなぁ、と夢想している。開始時期は、荷風が書き始めたのが1917年(大正6年)9月16日からなので、100周年記念の2017年の同日からでどうだろう。毎朝、前日の日付の荷風の日記が配信され、そしてそれは勿論42年間続く。その間にはインターネットの状況も大きく変わっているだろうし、無謀な気もするが、それだけに面白そうだ。
 
 このサービスを受けて一番喜ぶのは、その年に丁度荷風と同じ38歳を迎えた独身の男性だろうな。100年前に生きていた一人の極めて個人主義の男の毎日を、パラレルな感覚で読み続ける事が出来る。それはとても面白い経験だと思うんだけど、冷静に考えると、そんな物好きは提供する側にしても受け取る側にしても余り居ないのかも知れないな。

大つごもり夜話

 スーパーの入口の横、壁に貼りだされたチラシを私は眺めている。仕事収めの帰り。ななめがけにした布製のバッグが肩からずり落ちそうになる。それを左手で受け止め、右手にさげたポリ袋を持ちなおす。食品売場は既におせちやその他お正月用のものばかりが並んでいて、否応も無くお祭り感がただよっている。日常で使う食材は野菜やレトルトなどのパッケージ商品があいかわらずの場所に陳列されているだけ。私はそちらの棚で買い物をすませた。

 私はどうしても、こういうお祭り的な雰囲気に入りこめない。騒がしくてイヤなのだ。もしかしてそれは私の育ちのせいかもしれない。騒がしい家庭だった。私はそれがとても嫌いで、いつも独りになりたいと思っていた。

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 父はこれまでに三度会社をおこし、三度とも倒産した。そして現在四度目に挑戦中だ。家族はもちろんその渦中で翻弄される。生活の不安もかえりみずに父は私財を投資し続けた。三度目の倒産の後、ちょうど専門学校を卒業出来た私は家を出た。父はものすごく反対したが、私は負けなかった。私が欲しかったのは安定した生活だ。地道に働いていればそれなりに暮らせる毎日だ。父の影響下にいる限りそれはないと思った。私には二人の兄がいる。彼らは父の仕事を手伝う形で家にずっといるが、大人になってからは余り話したこともない。彼らは父に似た性質を持っているのか、それとも父に合わせているだけなのか、何かしら反抗している姿を見たことがない。私にとっては同類の人間だ。母だけは違うだろうと思っているが、彼女は父に従うばかりで、何か相談をしても「それはお父さんに相談しなさい」と言ってしまうような何もない人だ。そんな人達の中で暮らしていると、いつのまにか私は家族の中で孤立し、結果として独りで過ごす時間が多かった。

 そんな彼らからは「おまえには表情がない」「何だか怖い」とよく言われた。そりゃそうだろう、と思う。家族の中でたった独りそこに居ることを拒否しているのだから当たり前だ。この人達はそんなこともわからないのかと、私はさらにくすぶった。でも困ったのは、私は家にいる時以外でも同じ表情をしているらしい。学校の友達にも言われたことがある。私が男の子にモテなかったのもそのせいかもしれない。学生の頃に一人だけ付き合ったことのある男の子からは、「何を考えているのか全然わからないから辛い」と言い残されてフラれた。あの時はすごく落ち込んだな。ただその場合は、付き合ってるうちに男の子の横暴な面を見てしまうと、父や兄達の事を思い出し、げんなりしてしまって私は反射的に閉じてしまうのだ。そんな時には私はきっと能面のような顔をしているのだろう。でもそれはしょうがない。しょうがないよ。だってイヤなのだ。その人から離れたくて仕方なくなってしまうのだ。

 そんなことがあってから、私はさらに独りで過ごすようになった。そしてそれがとても気に入っていた。文具メーカーにデザイナとして就職した私は、毎日決まった時間に出社し、遅くなることが多いけど、一日しっかり働いて、帰りに駅のそばのスーパーで買い物をして部屋に帰る。安売りしていたお総菜をそのまま食べたり、作り置きのものを温め直して食べたり、録画していたドラマを観たり、本を読んだり、ぼんやりしたり。誰も私の邪魔をしないし、とても幸せだと思った。
 固定電話は置いてないし、携帯の番号も家族には教えていない。友人や知人とはメールでのやりとりだけだから、非常識な時間に電話で起こされることもない。経済的に自立したことで、私は穏やかで理想的な生活を手にすることが出来た。私はそのことがとても誇らしい。ただほんのちょっと、これは生活が安定していて余裕があるからだと思うけど、誰かが私の生活圏内に入り込んできても、悪くはないなと思っている。それはまだ、ほんのちょっとという限定的なものだけれど。

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 レジで支払いをすませると、私はスーパーの外に出た。するとそのまわりで正月飾りを売っている人達がいた。吹いてくる風が冷たいので、マフラーをキツく巻き直しながらそれらの商品を眺めてみた。個人でやっている人がこの場所を借りて商売をしているのだろう、商品はどれも、どことなく質素な雰囲気があった。その中に、小ぶりで可愛らしいしめ飾りを見つけた。私は思わずそれを手に取り値段をたずねていた。「800円です」こんなに小さいのにそれはちょっと高いなーとは思ったのだけれど、ご祝儀のつもりで店の主人に1000円札を手渡した。

 部屋に戻った私は、机のひきだしの中から両面テープを探し出して、買ったしめ飾りを玄関の扉に貼り付けた。そして、そう言えばしめ飾りの意味について正確なところを知らないな、と思って私はインターネットで調べてみた。
本来の宗教的意味は、各家庭が、正月に迎える年神を祀る依り代である。
 ということらしい。年神様か。穏やかで優しそうだ。私の家にやってくるのがそんな人なら良いな。いや、人ではなくて神様か。私にうるさいことを言って煩わせることなく、穏やかな時間だけをもたらしてくれるのなら大歓迎だ。神様バンザイ。

 私は玄関の扉に貼り付けてあるしめ飾りを思い浮かべつつ、少しだけお酒をのむことにした。良い気分だった。

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このエントリ内に書かれている事は大体に於いて事実と異なります。

正岡子規の己が葬儀に関する遺言

 本日 NHK ドラマ「坂の上の雲」にて正岡子規が死んだが、自分の葬儀に関して色々と注文をつけていたらしく、その葬儀の場面でモノローグとして読まれた。正確に知っておきたかったので、改めて WEB で調べてみたら以下のような文章を見つけた。

 われらなくなり候とも葬式の広告など無用に候。家も町も狭き故二、三十人もつめかけ候はば柩の動きもとれまじく候。

 何派の葬式をなすとも柩の前にて弔辞伝記の類読み上候事無用に候。

 戒名といふもの用ゐ候事無用に候。かつて古人の年表など作り候時狭き紙面にいろいろ書き並べ候にあたり戒名といふもの長たらしくて書込に困り申候。戒名などはなくもがなと存候。

 自然石の石碑はいやな事に候。

 柩の前にて通夜すること無用に候。通夜するとも代りあひて可致候。

 柩の前にて空涙は無用に候。談笑平生の如くあるべく候。

仰臥漫録:正岡子規最晩年の日記

 そしてそれとは別に、正岡子規の遺言書なるページを見つけた。岩波文庫からの転載であるらしい。

余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解していた
悟りといふ事は 如何なる場合にも
平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いひで
悟りといふ事は 如何なる場合にも
平気で生きている事であった

正岡子規遺言書(PDF)

 特に何か感銘を受けたとか、そういう事でもない。己が葬儀の華美に催される事を嫌うのはよく聞く話である。しかし文章として明文化されているのは初めて見るし、近い将来の自分に参考になるのではないかと思い、此処に記しておく。独り床に伏していると、時折こんな事を考える。

じいちゃんと翔太

 去年の冬にありふれた奇跡という、山田太一脚本のドラマが放送されていて、僕はそれがとても好きで毎週欠かさずに観ていた。で、その劇中で井川比佐志演じる祖父と、加瀬亮演じる孫のお茶の間での話の噛み合わないテキトーな会話が特に気に入っていて、何だか自分でも台詞を書いてみたくなったので書いてみた。 実は放映当時から書き始めたのだけれど、なかなか思い付かないし、途中で半年くらいこの下書きの事を忘れていたりもしたので、ようやく今日まとまったという案配だ。本当は風間杜夫演じる父親がこれに入ってくると更に面白いのだが、それはどうにも思い付かなかったので、取りあえずは二人で。

 ★

「じいちゃんよ」

「どうした」

「じいちゃんはどんな女が好きなの」

「なんだよ薮から棒に」

「いや何となく」

「何となくってなんだよ」

「何となくは・・・何となくだよ」

「わからねえやつだな」

「・・・で」

「で、って何だよ」

「じいちゃんの好きな女のタイプの話だよ」

「そりゃあ・・・」

「ばあちゃん、 なんて言うなよ」

「なんでだよ」

「昔はどうか知らねえけど今シワシワじゃねえかよ。わかんねえよ」

「ちぇっ。滅多なこと言うもんじゃねえ。ばあちゃんだってな、昔はそりゃあ色っぽい女だったんだぞ」

「・・・へえ、そうなんだ」

「おうよ。色が白くてつやつやでよ。こんなちっちゃいくせに、出てるとかあ出てるって感じよ」

「もう、表現がいやらしいんだよ、じいちゃんは」

「うるせえ奴だな。じゃあどう言やいいんだよ」

「要するにあれだろ。トランジスタグラマーだろ」

「虎のフンドシしたババア。 なんでえそりゃあ、おっかねえな」

「違うよじいちゃん。トランジスタグラマーだよ」

「だからそういうメリケン語を使うなてんだよ。意味がわからねえじゃねえか」

「今はそういう時代なんだよ、じいちゃん。少しくらい覚えようよ」

「いいや、俺はやらねえ」

「なんでよ」

「俺は余計な事はしねえ主義なんだ」

「意味がわからねえよ。それになに腕組んで偉そうにしてんだよ」

「ちぇっ。うるせえ奴だな」

「・・・ で、どうやってばあちゃんを口説いたの」

「俺か。 へへへ、そいつあ簡単だ」

「どうやったの。聞かしてよ」

「いいか。俺は言わずと知れた札付きの悪、おまけに馬鹿よ。片やばあちゃんは町内きってのお嬢さんときた。まともに行っちゃあ勝ち目はねえ」

「まあ、そうだよね」

「でな。そこで俺はちょいと考えた。あれだけの美人だ、そこいら歩きゃあ男どもが声をかけてくるにちげえねえ」

「うん」

「中にゃあ押し出しのつええヤツもいるかもしんねえ。嫌がるばあちゃんを無理矢理連れて行こうとするとかな」

「まあ、いるかもしんねえな」

「だろ。そこで俺の出番よ」

「何で」

「何でって・・・わからねえかなあ。俺がばあちゃんを助けるのよ」

「そりゃわかるけどさ、そんな都合良くじいちゃんがそこにいるはずねえだろよ」

「そんなの簡単じゃねえか。ばあちゃんの後つけてりゃ、いずれどっかの馬の骨がばあちゃんを見初めちまって、居ても立ってもいられねえ感じになってよ。三日もしねえうちに追いかけ回すに決まってるじゃねえか。そこで俺様のご登場って訳よ」

「じゃあ・・・じいちゃんそれまでずっとばあちゃんの後つけるのか」

「おうよ」

「じいちゃん」

「なんだ」

「それストーカーってんだよ」
  • Last Modified : 2010-07-25

色即ぜねれいしょん〜黒猫チェルシー

 そう言えばそろそろ公開だったかなあと公式HP(注意:強制ウィンドウ・サイジング)を見てみれば、予告編等々がアップされており、YouTube にも公式の動画がアップロードされていたので、それらをぽちぽちと眺めていた。

制作発表


予告編


 んで、主人公役の渡辺大知。パンクバンドをやっているという事で、以前にその事を知った時は、あそう、ふーん、という感じで流していたのだけれど、今日改めてそのバンド " 黒猫チェルシー " の PV を観てみたら、予想以上に良くて、すっかり魅了されてしまった。

嘘とドイツ兵 / 黒猫チェルシー


 これはもう、制作発表の動画に見てとれる人物像とは全くの別人である。町田町蔵と大槻ケンヂを混ぜたような、動画内で岸田繁いうところのハラワタ系で、観ていてどことなく親しみを覚えるような、ある意味正統な日本の少年パンクであった。音的にはパンクとはいえ随分と洗練されているけど、渡辺大知はパンクス以外の何者でもない。近頃の、ただキレイなだけのバンドマンに比べて明らかに異質である。こんな男の子を主役に起用するとは、前作の " アイデン&ティティ " の主役に峯田和伸を起用するに続いて、田口トモロヲはさすがに目の付け所がばちかぶりである。

SR サイタマノラッパー / 入江悠

 いとうせいこう大根仁が激賞していたので、渋谷のユーロスペースで " SR サイタマノラッパー " をリバイバル上映を観てきた。

 若い頃(最近この言葉をフツーに使えるようになった)というのは、あらゆるシーンに於いて悔しい思いをするものである。とにかく、やる事なす事全てにケチが付く。粋がって格好つけてみても失笑されるだけだし、グレてみても本気の人達を見ていたらとても怖くなってやる事が中途半端だし、フツーにやれと言われてやってみればどうにも浮いてしまう。一体どうすれば巧くいくのかさっぱり判らないし、だいいち何処が悪いのかさえ判らない。言うならば、個人史に於ける馬鹿の時代である。思い返してみても、毎日毎日延々と燻っていた記憶しかない。そして、そういう人間を傍から見れば非常に痛々しく感じる。基本、そういう映画であった。

 この映画の特筆すべき素晴らしい点は、上記の二人が既に書いてしまっているので、それをなぞる形になってしまうが、取り敢えず書いてみる。
 みひろ扮する元AV女優の同級生が東京に戻るべく、駅へと続く階段を登る場面。みひろが重いスーツケースを引っ張り上げながら階段を登り、数人の男子高校生が階段上から降りてきて擦れ違う。ただそれだけのシーンでほんの一瞬なのだけれど、それはもう舞踏劇を観ているような素晴らしい光景であった。
 そしてラストの、いとうせいこう氏が言うところの口説きの部分。俯いて、ボソボソと吐き出される言葉が、ひとたびリズムを刻んで繰り出された瞬間、突如として攻撃性を帯びて暴れ出す。状況からすれば滑稽にも見えるそのスタイルは余りにも切実である。その切実さは、巧くいかない己の人生を思い患い燻っていた魂を再燃させているかのようであった。

彼女はサイボーグ / クァク・ジェヨン

 言ってみれば童貞脳で創り上げられたドラえもんベースの恋愛物語。クァク・ジェヨンが監督で綾瀬はるか主演というだけの理由で何となく観に行ったのだが、観終えた後どうにも気になって仕方がないので次ぎの日にも観た。で結局3回観たのだけれどそれでも飽きたらずにとうとうDVDまで買ってしまった。ゲロを吐くシーンなんてどうやったって好きにはなれないし、観ていて恥ずかしくなるシーンが幾つもあったりするのに何故繰り返して観たくなるのか。
 この映画の中の綾瀬はるかが超絶可愛いという事ははっきりと言える。しかしそれだけでは説明できないので繰り返し観ながら色々と考えてみたのだが、よく解らない。僕はは自分が嫌いなものに関しては色々と考察してその理由を突き止めるのだが、好きなものに関しては「好き」という時点でそれ以上は余り考えなくなるようだ。なかなか考察するまでに及ばない。

 迫るくる危険から主人を守り、主人の不都合を退け手助けする事を最優先事項として行動するように造られたロボット。それを単なるプログラムであるとして感情を切り離す事が出来るというのなら、人と人との間に存在すると言われる愛情とは一体何だろうね。

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  • Last Modified : 2008-11-23
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