DOG ON THE BEACH
炉心融解 / 鏡音リン
- 2012-02-11
- Category - Art
- Tag - music / animation / vocaloid / philosophy
今更な事を書くけど、久しぶりに観たので。2008年末に発表され、恐らくニコニコ動画で二度のミリオン再生を稼いだ動画。まとめてるサイトも在るし面倒なので詳細は書かないけど、これを観てると、今後の音楽制作がどういう方向に進んでいくのか色々と(余計なお世話だが)考えてしまう。これは楽曲も、歌詞も、動画も出来が良いので人気を博すのはよく解る。でもそれ以上に僕が感心するのは、ヴォーカロイドだと歌い手の持つ音域や息継ぎなどを全く考慮せずに作曲出来るという事実である。特にこの曲だと、淀みなく何処までも伸びていくヴォーカルは最大の魅力だ。当たり前だけど、まさに超人的。作曲の自由度が人類史上希に見るほど高いのだ。
どの楽曲か忘れたけど、モーツァルトが贔屓のソプラノ歌手に依頼され、そのソプラノ歌手の喉が追いつけないほどの複雑さと音域で(意地悪く)作曲して渡したら、見事歌いきられてしまったというエピソードが在ったように思うが、そんな遣り取りが発生する事も今後は無いのかも知れない。
一方、生音を好み、歌い手の声質や抑揚など、生身の人間にしか出せないような要素を音楽の重要なものとして捉えているなら、幾ら音が自由でもフェイクにしか思えないかも知れない。ただ、現在ではエフェクトのかかったヴォーカルを好む流れもあり(ex. Perfume)、当座の流れとしては二分するのかも知れない。どちらがより優れているか、というのは既に土俵違いで、音楽の何を好むのかという事になりそうな気がする。それはたぶん生活のスタイルというか、より自分の好む質感であるのかどうかという事になりそうだ。
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因みに上記のリンク先にこの動画のクレジットが記載されていて、各担当の自サイトへ繋がってるんだけど、誰も彼も凄そうだ。もしかすると、この国の才能はこの界隈に集約されつつあるのかも知れない。
この曲もそうだけど、今を持って終末感漂う昨今の歌詞の世界観については、また別の機会に。この歌詞なんて、人を絞め殺す事を夢想(動画では、絞め殺す相手は幼い頃の自分にようだ)しておいて、挙げ句の果てには「自分が居ない世界の方が正しい」みたいな事言ってるし。一般に流通する J-POP ではまずお目にかかれない歌である。
- Last Modified : 2012-03-25
Violin Concerto, Op.35 I Allegro moderato / Peter Ilyich Tchaikovsky
- 2008-01-23
- Category - Art
- Tag - music / philosophy
一体どういう流れでこの曲のCDを買うに至ったのか全く覚えていないのだが、僕は学生の時に、1988年に発売されたロンドン交響楽団とチョン・キョンファが演奏するCDを手に入れ、それから長い間度々この曲を聴いてきた。
同じ曲を何人もの人が演奏している場合、どうしても最初に聴いた音が基準となってしまい、その後は基準曲に対する比較として聴いてしまうのは常である。他の人が演奏したものをラジオなどで何組か聴いてはいるのだが、どうも違うというか物足りないというか、結局その他の音源は買うまでには至らず、このCDだけを聴き続けている。何というか煮えたぎるような情熱が足りない。ハイフェッツなんかだと、余りにもさらっとし過ぎていてうっかりと聴き流してしまいそうになる。
今年の正月にのだめカンタービレの特番を観ていたところ、劇中ではこの曲が「派手な曲」扱いされている事が意外に思えた。この曲を知った頃の僕の精神状態のせいか、それともチャイコフスキーの半生を知った際のの印象なのか、僕はこの曲に対して長い間負の印象を持っていた。曲中、バイオリンのソロの部分で、所々に奏でられる粗野とも言えるような目の粗いくぐもった低音や、押し殺した叫びのような断続的な高音が、そのような印象を僕にもたらすのかも知れない。それらの音を経ているからこそオーケストラの爆発的なメロディーが、まるで突然に世界が開けたような歓喜を呼び起こすのだろう。
ところで、これは全くの蛇足で本当に余計な事だとは思うが、この曲の最後で全ての音が収束する時のリズムが、射精直後の、開放感と後悔と諦めとが複雑に入り交じったあの感覚によく似ている。
同じ曲を何人もの人が演奏している場合、どうしても最初に聴いた音が基準となってしまい、その後は基準曲に対する比較として聴いてしまうのは常である。他の人が演奏したものをラジオなどで何組か聴いてはいるのだが、どうも違うというか物足りないというか、結局その他の音源は買うまでには至らず、このCDだけを聴き続けている。何というか煮えたぎるような情熱が足りない。ハイフェッツなんかだと、余りにもさらっとし過ぎていてうっかりと聴き流してしまいそうになる。
今年の正月にのだめカンタービレの特番を観ていたところ、劇中ではこの曲が「派手な曲」扱いされている事が意外に思えた。この曲を知った頃の僕の精神状態のせいか、それともチャイコフスキーの半生を知った際のの印象なのか、僕はこの曲に対して長い間負の印象を持っていた。曲中、バイオリンのソロの部分で、所々に奏でられる粗野とも言えるような目の粗いくぐもった低音や、押し殺した叫びのような断続的な高音が、そのような印象を僕にもたらすのかも知れない。それらの音を経ているからこそオーケストラの爆発的なメロディーが、まるで突然に世界が開けたような歓喜を呼び起こすのだろう。
ところで、これは全くの蛇足で本当に余計な事だとは思うが、この曲の最後で全ての音が収束する時のリズムが、射精直後の、開放感と後悔と諦めとが複雑に入り交じったあの感覚によく似ている。
町田町蔵
- 2007-07-28
- Category - Art
- Tag - music / sociology / philosophy
布袋寅泰、町田康の顔面を殴るの巻。一昨日から楽しませて貰っている。Yahoo トピックでこの記事を見つけてしまったものだから、これは祭りに違いないと2ちゃんねるの「芸能ニュース速報+」で該当スレッドを見つけて早速読み始めてしまった。だいたい発言は同じ様な事が繰り返されるのだが、たまに80年代のその界隈の裏話とか出てくるので、それ目当てで読んでいたのだ。しかしさすがに3スレッド目で飽きた。スレッド内では「何故、布袋は町田を殴るに至ったのか?」という話題と「殴られたからって被害届を出すのは元パンクス小説家としてどうか?」に二分されているが、僕個人としては前者はどうでもよい。後者に関しては少々気になるところなのだが、スレッド内でその命題に対する、すこぶるナイスなレスポンスを見つけた。
町田はパンクだから被害届け出したんだよ解りにくいとは思うが、パンクとは個人の気に入らない者(事)に対するアンチテーゼ、言ってみりゃただの悪意であるのだもの。社会的な正当性や倫理観などとは無縁の行為なのだ。自分が受けた圧力に対して、ねじくれた悪意で返すのがパンクの姿勢である。場合に拠ってはそれが喜びともなる。まあこれは僕の勝手な解釈だ。
ただのロックだったら出さなかっただろうな
いつものように Wikipedia で検索すると「パンク・ロック」に関してはこんな大層な事が書かれている。特に思想的特徴の辺り。そしてそれが日本に伝わってくると、様相が違ってくるようで、思想として確立するまでには至っていない。しかしながら、中には真面目に考え、その定義を求めようとする人も居たりする訳である。
時々思うのは、文化的な奔流の発端は思想なんかじゃないと思うのだ。思想とはあくまで、後々になってから、或る現象を解りやすく括る為の方便だと思っている。そりゃまあ、社会の大きな流れとなるには共感を覚え、賛同する人々の感情を汲み取るような何かしら原義が在るとは思うのだけれど、個人レベルの話と、共同体レベルの話であれば、その中心となるものが全然別個のものだと思うのである。
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話がやたらと大きくなってきたので元に戻す。
高校3年の頃、Uちゃんというパンクスの友人が居た。3年になるまでお互いにその存在を知らなかったのだが、デッサンを習っていた教室で一緒になり仲良くなったのだ。それから僕は、彼の影響で時々アマチュア・バンドが出演するギクに顔を出すようになった。僕がパンクと実際に触れ合っていたのはその頃だけだ。彼方此方で色々なものを見聞きしながらも、相変わらずそれに踏み込む事も出来ず、傍観するような態度で眺めていた。
その頃のUちゃんとの会話の中で、こんなエピソードを聞いた。或る時Uちゃんは自宅でとあるバンド(聞いたはずだけど忘れた)のテープを聴いていたところ、彼の妹がそこに現れ、やたらと横柄な態度で「それ、ダビングしてよ。」と言い放たれたらしい。その態度にムカついた彼は言われた通りにダビングするフリをして、実はボリュームを0に下げて録音して渡したとか。Uちゃんはそんな事を話しながらウッシッシッシと笑っていた。妹の傲慢さに悪意で報復する兄。僕はその時、内心は「なんて性格の悪い奴なんだ。」と思っていたのだが、今現在となってもそのエピソードを楽しく思い出す。
僕がパンクに関して知り得たのはUちゃんから教えられた事ばかりだ。つまりは彼のフィルターを通しての事なので、どう考えても一般的な認識であるはずはないのだけれど、その出で立ちや行動を介して、他人から指さされる事で己の存在を確認するという、そういう精神性を持った人間をパンクスと呼ぶものだと僕は思っている。だからこそ、上に引用した2ちゃんねるでのレスポンスにひどく共感を覚えたのである。
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町田町蔵。数々の逸話を残すパンクスのアイドルであった。「つるつるの壺」の文庫本に掲載された中島らもの解説や、「へらへらぼっちゃん」の文庫本に掲載された大槻ケンヂの解説や、ケラリーノ・サンドロヴィッチ(当時は有頂天のケラ)のブログ「日々是嫌日」の記事を読めば、その一端は知れると思う。とか偉そうに書いているが、僕だってそれ以外には知らない。
それと、大槻ケンヂの解説の中にも出てきた、日比谷野音でのライヴ「天国注射の昼」の映像の一部が Youtube にアップされていた。ケラが書いた記事にあるように見事に前歯が折られている。気持ち悪い癖に凄まじく格好良い。
Silent Snow Stream / Cornelius
- 2006-01-22
- Category - Art
- Tag - music / philosophy
雪をモチーフにした曲と言えば、僕はこの曲を思い出す。Cornelius の1st アルバム「 The First Question Award 」に収められた「 Silent Snow Stream 」。小沢健二の書く詩はかなり好きだが、小山田圭吾の書く詩は余り好きではない。しかしこの曲の詩は好きである。楽曲で言うのなら小山田圭吾の作る曲の方が好きなのだが。
負の感情は、それを受けた者にも負の感情を芽生えさせ、やがては連鎖を生む。
雪の降る日は、出来れば微かに光を残す空であって欲しい。空を見上げ、その先に見届ける物が無いにしろ、その視線を吸い込めるだけの色は蓄えていて欲しいのである。
いつ頃までだろうか。昔は、全ての事を知らなければ気が済まなかった。今はもう、それはない。知ろうとすればする程、何処かで誰かの悪意らしきもの(若しくはそう思えてしまうもの)に突き当たる。とても嫌な気分になるし、暫くその事に捕らわれてしまう。つまりは、猜疑心の塊となり、何もかもから距離を置いてしまうようになるのだ。もうそんな事はしたくない。どうせ全てを知る事が出来ないのであれば、何も知らない方がマシだ。
昼過ぎに聞こえるヘリコプターの音を
僕は聞きながら悪い夢ばかり見てる
遠く吸い込まれるいらだちの声
きっと正しいのはこの世界だけだろう
真夜中にゆっくりと降り出した雪の中へ
僕達の声が消えてく
降りそそぐ 静かすぎる雪の中へ
負の感情は、それを受けた者にも負の感情を芽生えさせ、やがては連鎖を生む。
雪の降る日は、出来れば微かに光を残す空であって欲しい。空を見上げ、その先に見届ける物が無いにしろ、その視線を吸い込めるだけの色は蓄えていて欲しいのである。
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