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DOG ON THE BEACH

国立科学博物館付属自然教育園

 植物に囲まれないと堪えられない(この感覚は非常に理解し難いと思うが)と思い、先々週JR目黒駅に近い国立科学博物館付属自然教育園に行って来た。



 これまで東京に在る植物園と言えば都立夢の島熱帯植物園東京大学大学院理学系研究科付属植物園(小石川植物園)などは時折訪れていたのだが此処には初めて来た。隣の東京都庭園美術館には来た事があったのだけれど。



 敷地は広くそして開けた場所も少ないので、敷地の端に寄らなければ森に遮られて周囲に建つビルなど全く視界に入って来ない。森の中を歩き回っていてふいに空を見上げて「あれ、此処は何処だっけ」という感覚に陥る事が頻繁に有る。森林や湿地を歩いていると色々な懐かしい匂いがしてくる。樹木の匂い・落ち葉の匂い・草の匂い・池の匂い・土の匂い。かつての僕は一体何処でこのような匂いを嗅いでいたのかまるで判然としないのだが、とにかく不可思議で安心する。そして遂には此処に住みたいとさえ思うのであった。

音源棚の省スペース化

 以前から懸念されていた我が家の収納棚。先日雑誌を処分したので若干のスペースは空いたが、それでも足らずに新たに購入された本やCDやDVDは全て床に直に置かれる事になる。部屋掃除の際はおろか普通に部屋の中を歩行するのにも邪魔になる。或る程度は我慢するつもりでいたがさすがにもう無理だ。購入を控えれば解決すると言われるかも知れないが、そうはいかない。これらを購入するのは日々の食事とさして変わらぬ行為なのである。まあそれは言い過ぎだとしても買わない事は有り得ない。だがしかし、足元が邪魔だからと言って棚に無理矢理詰め込んでしまえば、ちょいと服を引っかけたとか軽い地震が起きた折に、不安定な状態で積まれたCDはバラバラと床に落下し、プラケースがバリバリに割れてしまうという事態が起きてしまう。こういうのは結構凹む。床に這いつくばり夜の夜中の薄暗い電灯の下、潤む目尻を袖で拭いながらも散らばったプラスティックの破片を拾い集めていると、何かしら得体の知れない悪意に晒されているような気持ちにもなるものである。
 さて、そういう思いはもう懲り懲りだと長い間この状況の打開策を思案していた僕であるが、ついにこういう便利なものを見つけた。下北沢に在るフラッシュ・ディスク・ランチという中古レコード屋つうかCD屋で考案されたソフトケースである。実はほぼ日のこのページで知ったのだ。他にもこの人なんかも詳しく説明していて、とても良さそうなので実践する事にしたのだ。このソフトケースは当のフラッシュ・ディスク・ランチで店頭販売・通信販売している他、タワーレコーズでも店頭販売・通信阪場している。



 左上の写真は、このソフトケースの売られている状態のパッケージ。CD一枚当たりに必要なのは右上の写真にあるように、不織布の内袋と塩化ビニール製の外袋が一枚ずつである。まずはCDをバラバラに分解して表ジャケット・裏ジャケットを取りだそう。



 不織布の内袋にディスクを入れ、透明の外袋に裏ジャケを入れる。背表紙の部分が正面に折り返されるがこれは重要。後々にCDを探す時にこれが見えないと大変困る。次に表ジャケを入れて外袋のベロの部分を差し込めば完了。全ての面のジャケが見える状態になる。プラケースというのは普段は余り気にしないけれど、実際には無数の疵が入っていたり黄ばんでいたりして結構老朽化している。今回新品のケースに入れ替えたら、それはもう手持ちのCDが蘇るように綺麗に見える。しかもソフトケースに入れ替える事に因って、何というか買わされてしまった工業製品というのではなく、自分の為の音源ストックという感じがしてとても気分が良い。



 左上の写真のように、僕はそれらのソフトケースを無印良品のポリプロビレンの程よい大きさのケースに入れる事にした。何が面倒臭いって、この大きさのケースを探し出し買ってくるのが一番面倒臭い。大きさも確認出来たので今度からは通販にしよう。最初は同じ無印で売っているラタンのケースで小洒落てみようかと考えていたのだが、収納量が少ない割には高いので止めた。
 右上の写真では少し見えづらいが背表紙もちゃんと見えるし、このポリプロビレンのケース一箱で約90枚のCDが収まる。その結果不要になったプラケースが左下の写真。これだけの物がゴミとなる。これでも棚からはみ出た分のCDだけを収めたのである。一つの塔の高さを測ったら約34cmであった。CDが33枚で34cmとして考えると、僕の部屋の棚に収められている残りのCDが横幅120cm×4列。120×4÷34×33+90=555。この部屋にはだいたいそれだけの量のCDが在るようだ。

 さて、このソフトケースの売り文句は「収納スペースを1/3に!」というものである。そう考えるとつまり、僕の部屋には1500枚相当の収納スペースが存在するという事であり、何となれば「あと1000枚はCDを買っても良い」という事である。これは嬉しい。これは僕以外の「CDを買わずにはいられない」諸兄、特にご家族を持たれた貴兄にも大変な朗報であろう。「もうCD買うのは止めなきゃな」と思っていたのに「三倍の量までは増やせますよ」と甘く囁かれているのである。これでもう「もう収納出来ないんだからCD買うの止めてよ!」と無粋極まりない苦言に甘んじる事もあるまい。
 と思ったのだが、もう一つ辛辣な小言があるのを思い出した。「もう必要ないでしょ!?」・・・これはキツい。生活のレベルをどの辺りに設定するのかにも拠るがだいたいこの台詞は言われそうである。音楽なんて個人的なものでしかないと思うので「家族の為に必要なのか?」と訊かれれば必要は無いのかも知れない。しかし僕はこう反論したい。「あのな、人がフツーに生きていて触れられる事柄なんて限りがあるでしょ?それは単に生活する場所の物理的な違いだけの話じゃなくて、生まれも違えば育ちも違う色んな立場で生きている人達のそれぞれの感じ方というかさ、世界観を垣間見る事が出来る訳じゃない?それは最低限度必要な事かって言われれば必要ないかも知れないんだけど、人間の幅を広げるって事を考えれば重要な事だと思う訳よ。それは何も音楽に限った事じゃなくて文学でも美術でも学術的な本にしてもそうだよ。限られた情報だけで生きていくのって余裕が持てないし大変だよ。強さってのは知る事に因って得られると思うんだよね。だから俺はさ、本でもCDでも出来るだけ色んなものを見聞きしたいと思ってるんだ。勿論好き嫌いは在るよ。でもそれは自分にとって好ましい世界が一体どんな風に成り立っているのかという鍵を知る事に繋がると思ってるんだ。」とこのくらいの事は言い返したいのだが、実はこれ、今テキトーに考えて書いただけである。

炬燵ライフに於けるその装具、供物及び着衣についての考察

 休日に一日部屋に籠もってぼけーっとしていると、いろいろと下らない事を考えてしまうものだ。昨日なども柔らかい陽射しが差し込む部屋の中で、オイルヒーターと加湿器で暖められた空気に微睡んでいたのだが、ふいに炬燵が欲しいなと思いついた。思いつくのは勝手だが我が家は狭い。ベッドかテーブルを始末しない限りは炬燵を置くスペースは無い。その歴然とした事実は如何ともしがたいので、炬燵を購入する件はすっぱり諦め、僕にとっての理想的な炬燵ライフについて考え始めたという訳である。以下にその諸条件を記す。
  • 炬燵布団には暖色を用いる。江戸前の藍と灰色と黒の縦縞も考えたが、何処となく寒々しいので止める。因みに僕の実家では、母の好みが大きく反映されていて、色は赤から橙までの色で、格子柄が多かったように思う。それでなければゴブラン織りのような重圧な文様柄。
  • 天板は木目を用いる。まあ、それ以外の物って見た事ないけど。
  • その天板の上に配置されるのは、急須・湯飲み・竹編みの容器に収まった蜜柑若しくは林檎・サラダ一番・アルファベットチョコレート、そして新聞広告を折って作った屑入れ・花瓶が一つ。
  • 部屋の隅には画面の大きなテレビ。自分の周りに放置されているのは漫画と小説。
  • どうせその内に横になるので座椅子は要らない。その代わりに枕代わりにする座布団。
  • そんな空間での自分の衣服はというと、丹前。これは外せない。その下には着古したスウェットシャツ若しくはセーター。で下半身にはやはりジャージだろうか。出来ればバッタもんである事が望ましい。「 adidos 」とか「 Pama 」とか「 Mike 」が適当だろう。
  • ここまで揃えればかなり充実した炬燵ライフを送る事が出来る。しかし欲を言えば、言わせて頂くならば、外を眺めるのに雪見障子が欲しいところである。そして勿論眺めるべき庭も。
 とまあ、こんな事を考えていたのだが、かなり個人的な経験に基づくものになってしまったので、僕以外の誰の役にも立たないだろうという気はする。世の中には炬燵と共に冬を過ごさない人はたくさん居るのだろうし、最早炬燵に愛着を感じる人の方が少ないかも知れない。炬燵を用いると掃除が大変だし、それを怠ると不衛生であるし、考えてみればちっとも合理的ではない。しかし、あの暖かさはいつまでも冬の記憶として忘れられないのである。

小菊

 暫く前に、ラジオに出ていた假屋崎省吾が「最近の菊はいろんな種類があって綺麗なんですよお。」と話していたので、先週末に近所の花屋でサービス品として売られていた淡い黄色の小菊を一束買った。正確な名前は知らない。それを部屋にあったフラスコに挿している。何故そんな物が在るのかというと・・・よく思い出せないが我が家には花瓶の他にも色々と瓶が在るのだ。コカコーラの瓶(200ml)とか、北欧製の液体石鹸の瓶とか。
 それでどの瓶に挿そうかと考えあぐねて、ふと「粗末な感じのする奴が良いのではないか。」と思いフラスコに挿した訳なのだが、割とそれが気に入ってテーブルの上、パワーブックの隣に飾ってある。

 そして今日、一日部屋に居たのでその菊を眺める時間が長かったのだが、飾ってから一週間経つというのに、買った時と変わりない淡く穏やかな黄色い花はこの季節に良く似合うような気がした。しかし何かこう、薄い印象が周りに在る物全てに浸透している感じで、静けさを創り出しているいるようにも思えるのであった。美しい。確かにそうだが、何処となく薄幸そうな印象を持ってしまうのは、やはりフラスコなんかに挿しているからなのだろうか。

 儚げな色彩を持ち、しなやかさと意外な強靱さを併せ持つ和花を最近になって気に入り始めた。

アカバナー

 先々週の或る夜、我が家の出窓において、パッと見は気付かないがその実非常に不可思議な変化に気付いた。その出窓にはベンジャミンとハイビスカスとブーゲンビリアの鉢植えを置いているのだが、別にそれらの花が咲いていた訳ではない。出窓のカウンターの部分、ハイビスカスの周りがうっすらと濡れているように見えるので指で触れてみたら、何かネバネバしているのである。ハイビスカスの葉に触れると、そこもネバネバしていた。困惑した僕は腕組みをしながら唸っていたのだが、何も思い当たらない。匂いを嗅いでみても無臭だし、そのネバネバが一体何なのか判らない。しかし不気味だ。
 色々と考えてみた。疑わしい事がひとつ。アイロン用のニューキーピングのスプレーを自分で吹き付けたのだかも知れない。僕は夢遊病のような習癖はないのだけれど、昔に一度だけある。或る朝目覚めたら枕元に机の一番上の引き出しの中身が丁寧に並べられていた事があったのだ。そして後から自分が引き出しを開けて中に入っていた物を取りだし、並べている事をうっすらと思い出してしまって我ながら怖くなり、その事については出来るだけ思い出さないようにしていたのだ。
 しかしだ。ニューキーピングは糊の匂いがするので、違うだろう。じゃあ何か。全然判らない。かと言ってこのまま放っておくのも気味が悪いので、とうとう先週末に恐る恐るネバネバを拭き取った。

 そして今週。月曜の朝見てみたら、拭き取ったはずのネバネバがまたまた散布している。どういう事だろうか。葉に触れればねっとりとしている。もしかしたらハイビスカス自体がネバネバを散布しているのだろうか。調べてみるとこんな記事を見つけた。
 その昔、沖縄のおばあさんは、とても黒髪を大切にしていて、黒髪を守るためにアカバナーの粘液と良質粘土で洗髪していました。粘土の吸着効果で汚れを落とし、ハイビスカスの優れた保湿力でツヤのあるしっとりとした髪が得られました。
 ハワイではハイビスカスの粘液と良質粘土で洗髪する風習があり、優れた保湿力でツヤのあるしっとりした髪を維持していました。また、またこのハイビスカスの粘液を顔に塗り、肌の乾燥を防ぎ、張りとツヤを与え、皮膚を保護しています。
 ハイビスカスって粘液を出すんだ・・・。我が家にハイビスカスの鉢植えを置いて長いけど、そんなの今まで見た事がないのだけどなあ。今此処で話題にしているネバネバがその粘液であるかどうかは判らない。樹液というと幹に切り込みを入れると其処から滴ってくるものだが、今回の場合は散布しているからなあ。粘液が散布されるって聞いた事ないよなあ。

東京の桜

 思えば、子供の頃には桜なんかちっとも好きではなかった。どちらかと言えば花より、桜の木に棲息する毛虫の方が印象に残っている。そいつらに刺されると本当に痛い。そんな痛みの記憶ばかりが残っている。桜が好きになったのは歳を取ってからだと思う。それは何故だろうか。よく判らない。
 毎年観ていて思うのだけれど、桜の花は開花からほぼ一週間くらいで散る。待ちに待っての一週間である。更にはその時期には何故か必ず雨が降ったり風が吹き荒れたりする。切ない。そんな意地悪すんじゃねえよ、てな事を天に向かって嘆いたりしそうにもなる。それでも桜の花は淡い色彩を孕みつつ、豊満に咲き誇る。歳を取れば取るほどに梅の花が好きになっていくという説も在る。確かに梅の花は可愛いし可憐である。しかしながら色気という点で桜に適わない。桜には後も先も無い。溢れんばかりの過剰さで咲き乱れては、直ぐさま散って落ちる。かくも短い命の花だからこそ美しいのだと思う。

 この時期、電車に乗って東京の街を移動していると、こんな所にも桜の木が在ったのかと改めて認識するのであるが、それさえも二週間も経てば忘れ去ってしまいそうなのである。一年の間ひっそりと佇んでいた桜の木は、この一週間の間だけ、約束された光を浴びながら、狂おしいほどの熱情で天を仰いでいるのである。

桜坂

 東京は昨日から桜が満開であった。しかしながら昨日は所用で出かける事がままならず、本日のみの桜行脚だ。今日足を運んだのは東京は大田区に在る桜坂。東急多摩川線の沼辺駅から歩いて間もない場所に在る。福山雅治の歌で有名だし、タモリの「TOKYO坂道美学入門」でも紹介されているので、一度は行ってみたかったのである。

坂の中途に掛けられた橋の上から: 両脇の高い位置に桜の木が植えられていて、道路に追い被さるように花が咲き乱れている。この「桜が自分に覆い被さってくる」という感覚は実に良い。まあ、実際には道路は車道しかないので其処を歩く訳には行かないので非常に残念ではあるのですが。両側の高い位置にある歩道の横には住宅が建ち並んでいるので、其処の住人及び招待客達が駐車場にテーブルと椅子を並べて花見と洒落込んでいました。こういうのは地元の人達の特権ですね。羨ましい。しかしながら、此処の桜は車で坂を登ったり降りたりしながら観るのが一番美しいような気もします。

 余談ですが、此処数週間の間、僕の頭の中は「桜祭り」でありました。桜に関する歌を色々聴いたり、WEBの彼方此方で桜の画像を漁ったり、どういう訳だか解りませんが本当にもう桜色の花びらで一杯だったのです。
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