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DOG ON THE BEACH

ドガと郭絵師

 数ヶ月前に録っていた日曜美術館のエドガー・ドガの回を観ていたら、なかなか面白い事を紹介していた。

 ドガがよく描いたバレエの踊り子達。その妖しくも可愛らしい踊る姿の向こう側の、分厚いカーテンの影に佇む男達はどういう人間であるのか、という考証。当時のフランスのバレエ界は困窮しており、劇場の運営や、スタッフや踊り子達の生活を維持していく為には、金持ちの客達をパトロンに付けるしかなかったのだ、というような意味の事を言っていた。踊り終えた踊り子達は、カーテンの裏側で贔屓にしてくれている男達の相手をしていたとか。その「相手をする」というのがどの意味まで含めたものなのかは明言していなかったけれど、まあ、それは事情によって色々だろうな。

 そして、そういう状況は日本の花柳界や歌舞伎界とよく似ているんじゃないかと思い始めたら、下世話な話だけれども、俄然興味が沸いてきた。今までドガが何故踊り子を描くのかなんて考えた事もなかったけど、彼女達の姿に自分を重ねる事もあったのだろうか。そういう事を考えていると、郭に通い詰めながら遊女達を描き続けた、江戸時代の絵師達を思い起こす。江戸のジャポニスムの運動とそれは、まあ関係ないよな。でも、欧州でジャポニスムが長い間影響を与え続けたのは何故なのか、少し調べてみたくなった。

絵画と気候

 歳をとってきたせいなのか、近頃興味を持つ絵画と言えば日本画ばかりである。昔、学生の頃には日本画には全く興味がなかった。僕が通っていた大学には存在しなかったが、日本画科に通う連中が居る事が不思議でならなかった。日本画を観て心地良いと思った事が一度もなかったからである。それがどうした事か、最近は日本画ばかりが気になっている。
 他人の事は解らないので自分の事に関して言えば、歳をとると生命体として弱くなるが故に、いやが上にも自身のおかれた環境に寄り添うものを好むようになるのではないだろうか。例えば特にこの時期、この高温多湿な環境のもとで油で溶いた絵の具をべったりと厚塗りした絵など観たいであろうか。僕は鬱陶しくて仕方がない。そういう絵は完全に空調管理した室内でのみ、というかそういう環境でしか観る気になれない。こうした環境下で不快をもたらさずにすんなりと入り込めるのは、やはり日本画である。美術とは博物館に閉じこめられたものを観るものではなく、もっと生活の中に散在するものを眺めるべきものであると僕は思う。

 学生の頃から日本画に興味を持ち、更にはそれを習得しようとする人達は、これと同じような事を思っているのだろうか。それとも別な入り口が在るのだろうか。今更戻れはしないが、少し興味がある。

 そう言えば何年か前に、年若い知人に同じ事を語って聞かせた覚えがある。彼女は東京を離れ、今では何処かで穏やかに暮らしているようだが、元気なのかなあ。

雑踏の中の静寂

 前年末の夜に新宿を彷徨いていた時、西口の小田急百貨店近く、シャネルのショーウィンドウの前辺りで、何年ぶりかに「私の志集 三00円」と書かれたプラカードを首から提げて、頭上を渡る遊歩道の柱の前に立つ女性を見かけた。彼女の名前は冬子という。東京在住の人なら一度くらいは新宿へ赴いた際に見かけた事があるであろう、半ば都市伝説となりかけている女性である。「私の志集」で検索すれば幾らでも出てくる。その女性を見かけた人、詩集を買った人、その女性に話しかけた人。中には冷やかしどころかからかい半分で近づく輩もいたりする。僕はそういう事をする人間が大嫌いなのでそれらの記事は無視するとして、実際にその女性に話かけた人達の書いた記事を抜粋して下にリンクする。それらを読めば、人々が彼女を見てどういう風に感じ、そして接していったのかが分かる。まあ、僕のフィルタを通しているので多少偏った選択にはなっていると思うが。
 1999年に発行された田口ランディの「もう消費すら快楽じゃない彼女へ」という随筆の中にもその女性の事が書かれていて、田口ランディもその女性に話しかけたようなのだけれども、事情が上記にリンクしたサイトの運営者達の話とは随分と違う。田口ランディの聞いた話だとその女性は三代目であるというのだ。僕は訝りながらもあとがきを読んだ。すると「本当と嘘が混ぜっこぜになってしまった。」と書いてあったので、恐らく半分以上が創作であるのだろう。しかしそこに書かれている当の女性の発言は非常に現実味を帯びて僕に迫ってくる。
(中略)私の詩を買ってください、という目的のもとにこうして雑踏のなかに立っていることが、なんともいえない気分なのです。適度にちっぽけで、適度に無記名で、適度に主張していて、そしてこのすべての世界とつながっていると思える。不思議な感覚です。
(中略)だって私には主張したい事なんてないんです。だからずっと自分がなんなのかわからなかった。でも、こうしているとよくわかります。これが私です。
 その日僕は少しの間躊躇した後に、彼女に歩み寄り声をかけた。一部下さい。それまで虚空を見つめていた(何故かしら皆この表現を使う)彼女はの目は、ふいに近付いて来た僕をしっかりと見据えて応えた。はい、どうぞ。僕は100円玉三枚と引き替えに差し出された志集を受け取った。何か話かけてみようかとも思ったのだが結局、どうも、とだけ言い残してその場を離れた。この人の邪魔をしてはいけない。彼女の虚ろで強く、ほんの少しだけ温度を感じる眼差しを見てそう思った。彼女に声をかけ志集を買ったのは興味本位である。その上更に色々と知ろうとするのは、非常に邪であるように思われた。
 昔、僕が未だ上京したての頃の一時期、毎週末渋谷に出かけ、ハチ公前の地下街からの出口付近の擁壁の上に座り込んで、駅へと流れていく群衆を眺めて過ごしていた事がある。ただぼんやりと眺めるだけで、声をかけられる事も声をかける事もなく、ただただ奔流から取り残された石ころの如く其処に居た。そんな風に過ごしていて、一体どうしたかったのか未だに自分でもよく解らない。刺激に飢えていたのか、それとも人間そのものに飢えていたのか。とにかく、群衆に対峙する事に拠って何かを満たそうとしていたのではないだろうか。昔から人付き合いが余り得意ではないので、いつ何処に居ても気付けば本流から外れていた僕は、そうする事に拠って何かを補おうとしていたのかも知れない。たぶんその当時は別な事を考えていたのだとは思うけれど。

 ★

 人は他者との接触に拠ってしか自分を確認する事が出来ない。というような事を誰かが書いていた。他者に対して強く自分を主張するには気力も体力もネタも要る。それらの要素が乏しい場合に自分を主張しようとするならば、己の肉体を晒すしかないように思う。自分の存在を他者に知らしめるには、ただただ己の肉体を晒し続けるしかない。それは苦痛を伴った安堵をもたらすだろう。

 こうしてこれを書いている今も、きっと彼女は意志を持つ新宿の風景として立ち続けているのだろう。

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 しまだゆきやすという人が「私の志集 三〇〇円」というタイトルで20分程の短編のドキュメンタリ映画を撮っていて、第2回ガンダーラ映画祭に出品している。去年の7月にも上映されていたらしいのだが僕は全く知らなかった。また何処かで上映してくれないかなあ。

絵初め

 父方の祖母の葬儀の時に、伯母の一人から少し面白い話を聞いた。僕がまだ幼い頃の話だ。だいたいこういう時というのは、自分の子供の頃のロクでもない話を聞かされるのが常であるが、その時もやはり御多分に漏れず、しっかりとその口を閉じたまま早い内に墓場に直行して貰いたいと思ってしまうような話を聞かされた。ま、そんな話の中の一つ。

 ある時、伯母に抱き抱えられていた僕は彼女に向かってこう言ったそうだ。「おばちゃん、ゾウの絵を描いてそれを僕にちょーだい。」・・・どういう事だろうか。普通ならば「ゾウが欲しいから買って。」などと無茶を言うのが無邪気な子供の在るべき姿であろう。なのになぜ「絵」が欲しいのか。その「絵」を自分で描かずに人に描かせようとするところがやはり子供であるが、僕は実物のゾウよりも「絵に描かれたゾウ」の方が好きだったのだろうか。その話は感慨深いようで、それでいて己の恥を露呈してしまうような、複雑な心境に陥る話であった。

千の風になって

 昨年末の事。恒例の紅白歌合戦で秋川雅史が歌う「千の風になって」を聴いた。僕は全然知らなかったのだけれど、世界中で知られる詩に新井満が曲と訳詞をつけた歌であるらしい。聴いていて、不覚にも家族の手前で涙を流しそうになった。映像の中でも紹介されているように、この詩の起源は作者不詳と認識されているようなのだが、色々と探してみると諸説あるようである。詩の内容を読んでいると、何となく神道に近いような気もする事から、個人的にはネイティヴ・アメリカンの民話から出たのではないだろうかと思っている。
 「あなたがわたしを思うのならば、わたしはいつでもここにいます。」というような文を何処かで読んだ事があるような気がするのだけれど、あれは一体何の文章だったのだろうか。

触手

 夜、漆黒の帳に覆われた空に白い雲が浮かんでいる。世界に動きはない。僕は煙草に火を点け、星を探す。と、空の端っこに一点の光が明滅するのを見つけた。緩やかなスピードでこちら側に近づいてくるその光の正体は、果たしてヘリコプターであり、見上げるその姿は深海を遊泳する海老のようであった。光源は一つではなく、透き通るような赤と黄と青の光を、それぞれ違った間隔で明滅させている。
 触手を伸ばして何かを探しているようでもあり、寸断なく緊張を張り巡らし、単独飛行を楽しんでいるようでもある。彼はゆっくりと私の真上を通り過ぎた。

ポケット

 秋の陽射しは慎み深く、雲高く。肌を舐め流れゆく風は、己の発する熱と声とを運び去っていく。彼方に見えるは引き千切られた雲と、その前を横切るヘリコプター。最近空ばかりを眺めるようになった。行き場のなくなったこの感情を、一体何処へ向かわせればよいのかと思案するも、それさえも宙に浮いて流されてしまう。
 ポケットを増やそう。持て余した何かを取り敢えず仕舞っておけるようなポケットを。手に持ったまま、所在無くうろうろしていても仕方がない。いつかそれを取り出して、誰かに差し出す事がないとしても、取り敢えず今は仕舞っておこう。
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