DOG ON THE BEACH
幸福という創造物
- 2007-03-01
- Category - People
- Tag - philosophy / psychology / photograph
つい先ほど、イトーヨーカドーで慎ましい夕食を買い求めて部屋へ戻るべく踏切を渡ろうとしていた時、擦れ違った男子中学生が携帯電話で誰か向かってこう話しているのが聞こえた。「ご飯ある?」相手は母親であろうか、学習塾の帰りなのかよく判らないけれども、これから帰る家に何かしら期待が持てるというのは幸せな事だなあ、と思う。
そう言えば、ずっと以前に青山のワタリウム美術館で売られているポストカードを眺めている時に見つけた一葉の写真を思い出す。何処か外国のビーチで撮った写真で、高い位置から幼い男の子が父親の胸へ向かってダイヴする瞬間を写していた。男の子は父親が自分を受け止めてくれる事を一瞬たりとも疑う事なく満面の笑顔で飛び降りている。父親は少しだけ困ったような表情を浮かべながらも、逞しい上半身を輝かせながらしっかりと腰を据えて息子を受け止めようとしている。僕はカードを棚に戻す事も忘れてずっと眺めていた。
このような写真を撮りたいなあ、などと時折思う。しかし実際にはこれとは凡そ反対の要素を持つ写真ばかりを撮ってしまう。それはそれで仕方ないと思ってはいるのだけれども、いつの日にかそんな写真を撮る事が出来たならば、己の死が間近に迫る日々を、その写真を眺めながら過ごしたいと思う。自分はそんな幸福な世界を生きて来たのだと、自分を欺いてでも、そう思いながら死にたい。
そう言えば、ずっと以前に青山のワタリウム美術館で売られているポストカードを眺めている時に見つけた一葉の写真を思い出す。何処か外国のビーチで撮った写真で、高い位置から幼い男の子が父親の胸へ向かってダイヴする瞬間を写していた。男の子は父親が自分を受け止めてくれる事を一瞬たりとも疑う事なく満面の笑顔で飛び降りている。父親は少しだけ困ったような表情を浮かべながらも、逞しい上半身を輝かせながらしっかりと腰を据えて息子を受け止めようとしている。僕はカードを棚に戻す事も忘れてずっと眺めていた。
このような写真を撮りたいなあ、などと時折思う。しかし実際にはこれとは凡そ反対の要素を持つ写真ばかりを撮ってしまう。それはそれで仕方ないと思ってはいるのだけれども、いつの日にかそんな写真を撮る事が出来たならば、己の死が間近に迫る日々を、その写真を眺めながら過ごしたいと思う。自分はそんな幸福な世界を生きて来たのだと、自分を欺いてでも、そう思いながら死にたい。
写欲
- 2006-04-30
- Category - Days
- Tag - diary / photograph / psychology
なんて事について考えてみる。
僕が写真を撮る事を日常の一部にした理由は此処で書いた通りだが、どうもそれだけでは説明になっていない部分もあるので追記したい。しかしそれほど正確に説明出来る自信もない。それは自分でもよく解らないからである。なので、この文章を書く事は私が自分の事を考える為の口実に過ぎない。と、こんな前置きを書いてしまうと、長々と書かねばならないような気にもなるが、簡単にしか書かない。
思い出や関係性を可視化しないと気が済まない、不安に感じるというのは、自分の人生、それが大袈裟ならば生活に何からの希薄さを感じているからではないか。自分以外の人達の事に転じると、少し前のプリクラやSNSの可視化された交友関係などはその現れであるように思う。
生活の希薄さが求めるものは他人との関係性に対するものだけではない。同じ様な事で、物欲・複数の資格取得・複数の語学の習得・食べ歩き、度重なる旅行など。これらをやる人が全てそうであるというのではない。中にはそんな人が居るという意味である。判断の基準としては、それをやる必要が客観的に見てあるのかどうか。適切であるか、過剰であるか。そう考えると、人々が余暇でやっている事はそんな事ばかりである。
何となく偏った意見であるようにも思えるが、今はそんな風に考えている。
僕が写真を撮る事を日常の一部にした理由は此処で書いた通りだが、どうもそれだけでは説明になっていない部分もあるので追記したい。しかしそれほど正確に説明出来る自信もない。それは自分でもよく解らないからである。なので、この文章を書く事は私が自分の事を考える為の口実に過ぎない。と、こんな前置きを書いてしまうと、長々と書かねばならないような気にもなるが、簡単にしか書かない。
思い出や関係性を可視化しないと気が済まない、不安に感じるというのは、自分の人生、それが大袈裟ならば生活に何からの希薄さを感じているからではないか。自分以外の人達の事に転じると、少し前のプリクラやSNSの可視化された交友関係などはその現れであるように思う。
生活の希薄さが求めるものは他人との関係性に対するものだけではない。同じ様な事で、物欲・複数の資格取得・複数の語学の習得・食べ歩き、度重なる旅行など。これらをやる人が全てそうであるというのではない。中にはそんな人が居るという意味である。判断の基準としては、それをやる必要が客観的に見てあるのかどうか。適切であるか、過剰であるか。そう考えると、人々が余暇でやっている事はそんな事ばかりである。
何となく偏った意見であるようにも思えるが、今はそんな風に考えている。
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