DOG ON THE BEACH
母と息子のバラッド
確か7月の半ば頃の話。梅雨が開けるか開けないかの瀬戸際の快晴の日に、僕は打ち合わせに挑むべく地下鉄の駅へと向かっていた。薄暗い地下へと降りる入口の前で、何やら高校生くらいの男の子がもたついている。彼は長身だというだけではなく、太っているという訳でもなく、縦にも横にも大きな巨漢であった。真っ黒な学生ズボンに白い半袖の開襟シャツ、坊主頭の下の表情は大変幼くどちらかと言えば愛らしい。そんな彼が一体そんな場所(通行の邪魔)で何をまごついているのか判らないが、突然横を向いてこう言ったのである。「お母さん、これ持ってて」それを聞いて初めて男の子の隣に佇んでいる女性の存在に気がついた。年の頃は40過ぎ、身長は150cmあるだろうか。僕の母もそうだが、とても小さなお母さんである。「もう・・・」と嘆きながら息子から鞄を受け取る。どうやら息子は定期券を探しているらしい。
巨漢の息子にちっちゃな母親。不思議だ。父親が巨漢なのだろうか。でもそんな事より、この二人を見ていると何故だか頬を緩むのだ。どれだけ身体が大きかろうが息子は息子で、どれだけ身体が小さかろうが母は母である。その事実は僕をとても楽しい気分にさせる。
巨漢の息子にちっちゃな母親。不思議だ。父親が巨漢なのだろうか。でもそんな事より、この二人を見ていると何故だか頬を緩むのだ。どれだけ身体が大きかろうが息子は息子で、どれだけ身体が小さかろうが母は母である。その事実は僕をとても楽しい気分にさせる。
渚のシンドバッド / 橋口亮輔
- 2008-07-10
- Category - Art
- Tag - movie / philosophy / sociology / sexuality
先に書いておくと、登場人物の一人が浜崎あゆみである事に、エンディングロールを見るまで気がつかなかった。まあそれは良いとして、己の内なる欲望や欲求に対して羞恥心や罪悪感のようなものを持っている人間にとっては、思春期はまさに地獄の季節である。募り高まる性的な欲求と傷つきやすい自尊心とが最早膠着状態となり、対象を目の前にしてしまえば、世界と自分との距離感を全く掴めずに混乱したまま全てを告げてしまう。それは勿論自分自身と対象となる人間しか目に映っていないからであるが、そういう無様な若い人間の姿も、少し離れた場所から眺めれば結構美しく思えるものである。
この映画ではそういう事が正確な上に密度をもって描かれている。しかもそれが次々と映し出されるものだから、観ているこちらとしては思わず一時停止ボタンを押してしまうのである。もう見ていられないのだ。かといってそれで観るのを止めてしまう事はなく、腹をくくり息を止めてまた再生ボタンを押す。
誰かに受け容れられ安心出来る事を、不器用極まりないアプローチで追い求める登場人物達は皆必要以上に傷つき、そのまま生き続けていく事を恐れている。その恐れの中、傷つかず傷つけずに安心して生きて行くにはどうすれば良いのか。混沌とした迷いの中、彼らは懸命に日常を過ごして行く。
この流れで言えば、次作が「ハッシュ!」となるのは凄く解る。橋口亮輔は一貫して、人の生き方を追い求めているのだと思う。僕はこういう作家が好きだ。音楽にしろ文学にしろ何にしろ、人の一生を描いたものはとても愛おしい。それがカテゴライズとして何と呼ばれるかなんて事は本当にどうでも良い。
★
印象的だった場面を幾つか。
- 浜崎あゆみ扮する、過去に強姦された経験を持つ女子高生が、精神科医との面談時にこう話す。「私、やられてる時にも人の身体って暖かいんだなあと思った。だから、私は人の温かさというものを信じない。」
- 撮影の舞台となった長崎の美しい風景。蜜柑畑を抜けた先の陽の光に溢れた浜辺。
- 山口耕史扮する男子高校生が、自分が河に沈めた自転車を引き上げ、それに乗って走る場面。自転車を駆る少年は美しい。
ハッシュ! / 橋口亮輔
一組のゲイのカップルの間に「子供を作りたい」と言うヘテロの女が割り込んで来る話。誰かには誰かが必要だが、それが家族や恋人である必要はない。長く連れ添う事が稀なゲイ・カップル。将来を思ってみても、養子でも貰わなければ家族が増える事はない。片や女は、長らくの不摂生(不特定の男との性交)が祟り子宮に陽性の筋腫が見つかる。出産をする気がないのなら摘出してしまえば良いのでは?と医師に薦められる。
この映画の中では、家族制は(核家族でさえ)否定されている。将来の孤独から自分を一生涯救ってくれるほどの確固としたものではないという理由で。であれば、利害(それだけではないが)の通じる相手を見つけ、一緒に生きていくのが進むべき道ではないか。
印象に残った台詞。ゲイ・カップルが些細な喧嘩の後にベッドで強く抱き合う。片方が言う「苦しいよ。」そしてもう片方が答える「寂しいよりいいじゃん。」
★
とまあ、此処までは僕が2006年に書いた記事である。何故今更こんなものを引っ張り出してきたのかというと、橋口亮輔の今年の夏公開予定の最新作「ぐるりのこと。」が気になって仕方がないからである。
主演のリリー・フランキーは勿論大好きだし、木村多江も好きである。だからそれだけでも観る気満々なのに、此処の橋口亮輔のインタビュー記事を読んだらもう居ても立ってもいられない気分になってきた。せっかくなので引用しておく。
★
因みに、この映画の予告編を観ていると、リリー・フランキーという男に何というか、愛しさみたいなものを感じてくる。何処がどうとは説明出来ないのだけれど。
この映画の中では、家族制は(核家族でさえ)否定されている。将来の孤独から自分を一生涯救ってくれるほどの確固としたものではないという理由で。であれば、利害(それだけではないが)の通じる相手を見つけ、一緒に生きていくのが進むべき道ではないか。
印象に残った台詞。ゲイ・カップルが些細な喧嘩の後にベッドで強く抱き合う。片方が言う「苦しいよ。」そしてもう片方が答える「寂しいよりいいじゃん。」
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とまあ、此処までは僕が2006年に書いた記事である。何故今更こんなものを引っ張り出してきたのかというと、橋口亮輔の今年の夏公開予定の最新作「ぐるりのこと。」が気になって仕方がないからである。
主演のリリー・フランキーは勿論大好きだし、木村多江も好きである。だからそれだけでも観る気満々なのに、此処の橋口亮輔のインタビュー記事を読んだらもう居ても立ってもいられない気分になってきた。せっかくなので引用しておく。
それまで、日本映画の中で真面目に扱われてこなかったゲイの登場人物たちを10年通して描いてきて、『ハッシュ!』(2001)で大きな評価をいただいたので、ひとつやり終えた感があったんです。じゃあ何を撮ろうって考えたときに、『ハッシュ!』以降の人間関係、それも“絶対に別れない夫 婦”をやろう!と思って。
実は僕が「ハッシュ!」の後、鬱になったん ですね。「映画なんてできない、もう無理だ」って1年 くらい何もしない時期があって…。そんな時、2001年の 米テロ事件が起きたんです。実はテロと鬱ってす ごくよく似てて、くすぶっていた過去の問題が全部表面 化しちゃうという共通点があるんですね。そんな90年以降の犯罪史が、僕の鬱屈した想いとリンクして、 「どうやったら希望をもって人は生きられるんだろう?」と、祈りにも似た想いで考えていました。でも結局、希望なんて人と人 との間にしか生まれないですよね。面倒くさいし、やっか いだけど、人と人との繋がりしかないんだって。…だから 何が起きようとも“絶対に別れない”夫婦なんです。僕は未婚であるので夫婦の事についてはよく解らない。しかしこれまでの経験上、人と人は、出会えば何れは別れ別れになるものだと思っている。血縁関係にしたって、不仲であれば大仰な名目でもなければ顔を合わす事もない。まあ、これは僕個人に関しての事だが。ただ、前述の僕が書いた記事と、橋口亮輔のインタビュー記事との間の流れを考えれば「絶対に自分の目の前から居なくならない人がいる」事への羨望は、僕の裡にもその欲求は十分に備わっている。だから、そういう人と人との関係は一体どういう風に形作られているのか、その事に大変興味がある。公開まであと半年もあるが、きっと忘れた頃に突然思いだして慌てて劇場へ足を運ぶのだろう。
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因みに、この映画の予告編を観ていると、リリー・フランキーという男に何というか、愛しさみたいなものを感じてくる。何処がどうとは説明出来ないのだけれど。
ハッシュ! / 橋口亮輔
一組のゲイのカップルの間に「子供を作りたい」と言うヘテロの女が割り込んで来る話。全体的には「 About a boy 」と同じような感想を持った。誰かには誰かが必要だが、それが家族や恋人である必要はない、そういう話。長く連れ添う事が稀なゲイ・カップル。将来を思ってみても、養子でも貰わなければ家族が増える事はない。方や女は、長らくの不摂生(不特定の男との性交)が祟り子宮に陽性の筋腫が見つかる。出産をする気がないのなら摘出してしまえば良いのでは?と医師に薦められる。
この映画の中では、家族制(核家族でさえ)は否定されている。将来の孤立(孤独)から生涯救ってくれるほど確固としたものではないという理由で。であれば、利害(それだけではないが)の通じる相手を見つけ、一緒に生きていくのが進むべき道ではないか。
印象に残った台詞。ゲイ・カップルが些細な喧嘩の後にベッドで強く抱き合う。片方が言う「苦しいよ。」そしてもう片方が答える「寂しいよりいいじゃん。」
Asexual
最近知りました。Asexual に関連する Web サイトでは以下のような定義付けがされているようです。
そんな事を思い出しながら、きっと彼女のセクシャリティはこういう事だったのだろうな、と思っていたのでした。何れにしても、僕が傍らから見ていてそう思っただけで、実際のところは彼女自身にしか判らないでしょう。疎遠になってしまったので、現在の彼女の事は知りませんが、その当時にこの定義を知っていれば、彼女はもっと楽に生きていられたのかも知れません。マイノリティの定義付けは、下手をすればマジョリティからの隔離に繋がり兼ねません。しかし、その定義の御陰で少しでも自分の性(または生)を認める事に役立てば、それは良い事なのではないだろうか、と思っています。
参考サイト:Asexual-Japan
余談ですが、上記のサイトで紹介されていたこのコラムが大変面白いです。馬場秀和という方のコラムなのですが、馬場氏ご夫婦は付き合い始めから、同姓・結婚と、その間に一度も性交渉がないそうで、その事に関して書かれています。しかしながらそんな切実な事柄について書いているのに、笑えます。腹が捩れるくらいに笑えます。そしてとどのつまりはノロケています。当人は相当悩んだハズですが、幸せそうです。
男性および女性のどちらも性愛の対象としない人、もしくは性欲がない人。僕自身は、淡泊に見られがちですが、異性を性対象とするヘテロです。では何故 Asexual に興味を持つのかというと、Asexual の定義を知って、昔、近くに居た女性の事を思い出したからです。その人が性的な事柄に対して不快感を持っている事には気付いていました。レズビアンではなかったと思うし、男と付き合ったりはしていましたが、彼女の言動からは性的な言葉を聞いた事は殆どなく、たまにあっても吐き捨てるような感じでした。それに、相手に対する独占欲などは全くないようで、反対に相手から独占される事を酷く嫌っていました。好きという感情は持っていても、恋愛感情は持てなかったようです。本人はそれらが受け容れられない事を悩んでいましたし、当時の僕としては理解する事が全く出来なかったので、いつも話は平行線を辿るばかりでした。
そんな事を思い出しながら、きっと彼女のセクシャリティはこういう事だったのだろうな、と思っていたのでした。何れにしても、僕が傍らから見ていてそう思っただけで、実際のところは彼女自身にしか判らないでしょう。疎遠になってしまったので、現在の彼女の事は知りませんが、その当時にこの定義を知っていれば、彼女はもっと楽に生きていられたのかも知れません。マイノリティの定義付けは、下手をすればマジョリティからの隔離に繋がり兼ねません。しかし、その定義の御陰で少しでも自分の性(または生)を認める事に役立てば、それは良い事なのではないだろうか、と思っています。
参考サイト:Asexual-Japan
余談ですが、上記のサイトで紹介されていたこのコラムが大変面白いです。馬場秀和という方のコラムなのですが、馬場氏ご夫婦は付き合い始めから、同姓・結婚と、その間に一度も性交渉がないそうで、その事に関して書かれています。しかしながらそんな切実な事柄について書いているのに、笑えます。腹が捩れるくらいに笑えます。そしてとどのつまりはノロケています。当人は相当悩んだハズですが、幸せそうです。
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