DOG ON THE BEACH
桜坂
東京は昨日から桜が満開であった。しかしながら昨日は所用で出かける事がままならず、本日のみの桜行脚だ。今日足を運んだのは東京は大田区に在る桜坂。東急多摩川線の沼辺駅から歩いて間もない場所に在る。福山雅治の歌で有名だし、タモリの「TOKYO坂道美学入門」でも紹介されているので、一度は行ってみたかったのである。
坂の中途に掛けられた橋の上から: 両脇の高い位置に桜の木が植えられていて、道路に追い被さるように花が咲き乱れている。この「桜が自分に覆い被さってくる」という感覚は実に良い。まあ、実際には道路は車道しかないので其処を歩く訳には行かないので非常に残念ではあるのですが。両側の高い位置にある歩道の横には住宅が建ち並んでいるので、其処の住人及び招待客達が駐車場にテーブルと椅子を並べて花見と洒落込んでいました。こういうのは地元の人達の特権ですね。羨ましい。しかしながら、此処の桜は車で坂を登ったり降りたりしながら観るのが一番美しいような気もします。
余談ですが、此処数週間の間、僕の頭の中は「桜祭り」でありました。桜に関する歌を色々聴いたり、WEBの彼方此方で桜の画像を漁ったり、どういう訳だか解りませんが本当にもう桜色の花びらで一杯だったのです。
坂の中途に掛けられた橋の上から: 両脇の高い位置に桜の木が植えられていて、道路に追い被さるように花が咲き乱れている。この「桜が自分に覆い被さってくる」という感覚は実に良い。まあ、実際には道路は車道しかないので其処を歩く訳には行かないので非常に残念ではあるのですが。両側の高い位置にある歩道の横には住宅が建ち並んでいるので、其処の住人及び招待客達が駐車場にテーブルと椅子を並べて花見と洒落込んでいました。こういうのは地元の人達の特権ですね。羨ましい。しかしながら、此処の桜は車で坂を登ったり降りたりしながら観るのが一番美しいような気もします。余談ですが、此処数週間の間、僕の頭の中は「桜祭り」でありました。桜に関する歌を色々聴いたり、WEBの彼方此方で桜の画像を漁ったり、どういう訳だか解りませんが本当にもう桜色の花びらで一杯だったのです。
Dental Clinic Fun Club
数年前から通い続けている歯科医院がある。仕事場の近所に在って、虫歯が痛み始めたのをきっかけに登院したのだが、ついでに色々な箇所を治療していたら結局数ヶ月通うハメになったのである。かつてない程の時間をかけて一応全ての歯の治療が終わり、その後一ヶ月に一度、三ヶ月に一度と定期検診の期間を延ばし、去年の夏には「次回は半年後ですね。」とまで言われる程に回復した。
このような経緯を経て今年の初めにその「半年検診」を受けて来たのだが、最初は診察、そしてクリーニング、それからメンテナンス。という具合に数回を要して検診を行う予定である。
でもまあ、そんな話はどうだっていい。重要なのは、その検診を施してくれる歯科衛生士が美形だと言う事である。「可愛い」でも「美人」でもない「美形」なのである。誰に例えようもないので解り難いと思うのだが、見た瞬間「こりゃすげえ。」と思えるほどに顔の造作が美しい。以前は歯列矯正の金具をつけていた(それはそれで気に入っていた)のだが、今回見たら晴れて金具が取れたようだ。
さて、想像して頂きたい。そんな美形の女性に無理から自分の口を広げられて見るも無惨な歯や歯茎を凝視されるのである。引っ張られた皮膚につられて鼻はひしゃげて変な顔だし、涎も溢れている。何となれば鼻毛が二三本飛び出ているかも知れない。こんな恥辱を迫られる機会などそうそうないだろう。
そんな風にして短くはない時が経つ。好い加減に慣れるだろうと思うかも知れないが慣れない。毎回緊張する。加えて最近、彼女は腕を上げた(と言うべきか?)らしく、施術が一段落すると「楽にしてください。」と開け疲れた顎にそっと手を添えて閉めてくれる。
解って頂けるだろうか。優しく己の口を閉じてくれる事がこれほどまでに感動的だとは思わなかった。このまま病人か、はたまた老人になってしまいたいくらいなのだ。
未だこの後メンテ治療は続くのであるが、何となく、と言わず明らかに楽しみにしている己の性根が呪わしい。
このような経緯を経て今年の初めにその「半年検診」を受けて来たのだが、最初は診察、そしてクリーニング、それからメンテナンス。という具合に数回を要して検診を行う予定である。
でもまあ、そんな話はどうだっていい。重要なのは、その検診を施してくれる歯科衛生士が美形だと言う事である。「可愛い」でも「美人」でもない「美形」なのである。誰に例えようもないので解り難いと思うのだが、見た瞬間「こりゃすげえ。」と思えるほどに顔の造作が美しい。以前は歯列矯正の金具をつけていた(それはそれで気に入っていた)のだが、今回見たら晴れて金具が取れたようだ。
さて、想像して頂きたい。そんな美形の女性に無理から自分の口を広げられて見るも無惨な歯や歯茎を凝視されるのである。引っ張られた皮膚につられて鼻はひしゃげて変な顔だし、涎も溢れている。何となれば鼻毛が二三本飛び出ているかも知れない。こんな恥辱を迫られる機会などそうそうないだろう。
そんな風にして短くはない時が経つ。好い加減に慣れるだろうと思うかも知れないが慣れない。毎回緊張する。加えて最近、彼女は腕を上げた(と言うべきか?)らしく、施術が一段落すると「楽にしてください。」と開け疲れた顎にそっと手を添えて閉めてくれる。
解って頂けるだろうか。優しく己の口を閉じてくれる事がこれほどまでに感動的だとは思わなかった。このまま病人か、はたまた老人になってしまいたいくらいなのだ。
未だこの後メンテ治療は続くのであるが、何となく、と言わず明らかに楽しみにしている己の性根が呪わしい。
茗荷谷の坂
- 2007-01-23
- Category - Days
- Tag - slope / environment / tokyo
坂を歩くなら文京区だろうと思い、池袋駅から東京メトロ丸の内線に乗り換えて茗荷谷へ。駅から外へ出ると、予想していたより街並みが近代化されており、それが気に入らないと言えばそうなのだが致し方ない。何も僕の好みに従って街が作られている訳ではない。
湯立坂: 地下鉄の駅から出て北西へ。なだらかな坂道と緩やかな坂道。その両側に木々が生い茂っている。坂道の途中に何処その不動産会社が計画している多層階建てマンションの建設に反対する野立て看板が立っていた。見慣れた美しい景観が失われるのを恐れる気持ちは解る。つい最近、僕が住む下町にもついに高層のマンションが建った。そのおかげでそれまで見渡せていた空の一部が遮られてしまうのである。それを見て人が感情的になるというのは今では十分に理解出来る。
網干坂: 小石川植物園の西側を通る坂道。植物園を囲むブロック塀が物々しい印象を受けるが、ブロックの創り出す垂直線に対して坂の勾配が認識しやすいので僕はなかなか好きである。写真に撮った場合も判りやすい。それと塀に沿って放置された自転車が侘びし気に見えてそれが良い感じである。
氷川坂: 先ほどの網干坂を登りきって、左に回るとこの坂が在る。最初は面白くも何ともないが坂下に近づくにつれて傾斜がきつくなり楽しくなってくる。写真は坂の途中に建つ民家。庭木の枝を建物の前面に這わせているのが面白い。思うのだが、坂の途中に建つ家に住むのはどういう気分だろう。窓から顔を出せば坂下を見下ろす事が出来て、玄関を一歩外へ出ればそこは傾斜する大地である。実際にそういう環境で育った人に出会った事がないのでよく判らないが、その事は人の物凄く基本的な部分に影響しそうな気がする。
播磨坂: こういった整備された道幅の広い坂は特に好きでも何でもないのだが、この坂は長く続くのでそれを歩いている時の体感は気に入った。観るのではなく、傾斜を身体で感じ続けるという事に坂道の美が伺えるのである。
久しぶりに坂を鑑賞した訳だが、僕の習性として一旦歩き出すと疲れても何故かそのまま歩き続けてしまう。途中で脚を止め、辺りを見回せば面白いものでも見つけられるのだとは思うが、どうしてもそれが出来ない。これを貧乏性と言うのかせっかちと言うのか、何れにせよ落ち着きがないのである。
湯立坂: 地下鉄の駅から出て北西へ。なだらかな坂道と緩やかな坂道。その両側に木々が生い茂っている。坂道の途中に何処その不動産会社が計画している多層階建てマンションの建設に反対する野立て看板が立っていた。見慣れた美しい景観が失われるのを恐れる気持ちは解る。つい最近、僕が住む下町にもついに高層のマンションが建った。そのおかげでそれまで見渡せていた空の一部が遮られてしまうのである。それを見て人が感情的になるというのは今では十分に理解出来る。
網干坂: 小石川植物園の西側を通る坂道。植物園を囲むブロック塀が物々しい印象を受けるが、ブロックの創り出す垂直線に対して坂の勾配が認識しやすいので僕はなかなか好きである。写真に撮った場合も判りやすい。それと塀に沿って放置された自転車が侘びし気に見えてそれが良い感じである。
氷川坂: 先ほどの網干坂を登りきって、左に回るとこの坂が在る。最初は面白くも何ともないが坂下に近づくにつれて傾斜がきつくなり楽しくなってくる。写真は坂の途中に建つ民家。庭木の枝を建物の前面に這わせているのが面白い。思うのだが、坂の途中に建つ家に住むのはどういう気分だろう。窓から顔を出せば坂下を見下ろす事が出来て、玄関を一歩外へ出ればそこは傾斜する大地である。実際にそういう環境で育った人に出会った事がないのでよく判らないが、その事は人の物凄く基本的な部分に影響しそうな気がする。
播磨坂: こういった整備された道幅の広い坂は特に好きでも何でもないのだが、この坂は長く続くのでそれを歩いている時の体感は気に入った。観るのではなく、傾斜を身体で感じ続けるという事に坂道の美が伺えるのである。久しぶりに坂を鑑賞した訳だが、僕の習性として一旦歩き出すと疲れても何故かそのまま歩き続けてしまう。途中で脚を止め、辺りを見回せば面白いものでも見つけられるのだとは思うが、どうしてもそれが出来ない。これを貧乏性と言うのかせっかちと言うのか、何れにせよ落ち着きがないのである。
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