DOG ON THE BEACH
晩年
- 2012-03-17
- Category - People
- Tag - sociology / philosophy
先週から NHK 連続テレビ小説「カーネーション」では、糸子が70を超えた晩年を迎えている。その中で、かつて親しかった人達の遺影を眺め、子供達が皆遠くへ行ってしまって独りになった事に思いを馳せる場面があった。何故こんな風になってしまったのだろう、と。さらりと流して描かれていたし、その後も繰り返す事はなかった。その辺りを余り強調したくなかったのだろう。僕はその場面を観て、リリー・フランキーの「東京タワー」の中で、主人公の二人の祖母の晩年に関する記述を思い出した。
若くして死んでしまうのでもなければ、我々は老境を過ごさなくてはならない。肉体と精神の老い、そして社会的に朽ちていく事に耐えねばならない。それでも、そんな苦痛を背負いながらも生きようとしてしまう。40を超えると初老と呼ばれるが、衰えなどはとっくの昔に始まっている。先は長いのか短いのか判らないが、楽な事はなさそうだ。どえらい所に立たされたものだ、と思う。
原作を読んでないし実際の経歴も知らないのだが、ドラマの中では、糸子は晩年になって過酷なプレタポルテ業を始める決意をする。それはもしかすると、老境での孤独に立ち向かおうとしているのかも知れないと僕は思っている。
筑豊のばあちゃんは相変わらずひとりで、黄色くなったジャーの中の御飯を食べていた。家の中には線香とサロンパスの匂いは充満していて、その匂いを嗅ぐたびに、なにか淋しい気分になっていた。膝を悪くして、和式トイレの便器の上には、簡易様式トイレの便座が置かれてあった。出版当時に、氏が出演していたラジオ番組の中でも、何かのイベント時に収録したのだであろう、読者の声がインタビューされていた。「感動しました」「泣けました」「母親を大事にしようと思いました」等々、宣伝目的なので当たり前だが、そのような陳腐極まりない言葉が繰り返し流れた。久世光彦はこの小説を指して「ひらかなで書かれた聖書だ」と宣われたらしい。その言葉からしても、この小説は単なる母の子へ対する愛情の物語ではないと思っているのだが、それ以外の感想を目耳にした事がない。この本は人生に対する諦念と、人の愚かしさと、その中で生きて行かねばならぬ覚悟を描いているのだと僕は思っている。
家財道具、自分の身体はどんどん古くなり、くたびれてゆく中で、毎日、日めくりのカレンダーだけが新しくめくられている。
誰も居なくなった家で、黄色くなった御飯を食べながら、心臓病の薬を飲み、映りの悪くなったテレビを観ている。ばあちゃんにとって、一日のどんな時が楽しいのだろう? 人生の何が楽しみなのだろう? どうあれば幸福を感じ、なにが起きれば悲しむのだろうか?
(中略)
小倉のばあちゃんも同じように、誰も居なくなった我が家にひとりで住んでいる。子供たち、孫たちは、それぞれに新しいことが連続する毎日の中で、息つく暇もないほどに動き回っている。ばあちゃんたちはそれとは逆に、毎日同じ風景と残像の中で、ただ息をつき、日めくりだけが新しくめくれてゆく。
(中略)
結局、廃れてしまう、寂れてしまう、離れてしまう、誰もいなくなってしまう。
若くして死んでしまうのでもなければ、我々は老境を過ごさなくてはならない。肉体と精神の老い、そして社会的に朽ちていく事に耐えねばならない。それでも、そんな苦痛を背負いながらも生きようとしてしまう。40を超えると初老と呼ばれるが、衰えなどはとっくの昔に始まっている。先は長いのか短いのか判らないが、楽な事はなさそうだ。どえらい所に立たされたものだ、と思う。
原作を読んでないし実際の経歴も知らないのだが、ドラマの中では、糸子は晩年になって過酷なプレタポルテ業を始める決意をする。それはもしかすると、老境での孤独に立ち向かおうとしているのかも知れないと僕は思っている。
- Last Modified : 2012-03-17
軍服
- 2011-12-06
- Category - People
- Tag - politics / sociology / psychology
一昨日の夜「坂の上の雲」を観ながらつらつらと考えていた。軍服というものは機能が最優先であるはずなのに、昔のそれはどうしてああも美しく作られているのだろう。装飾も華美だ。昨夜初めてそう思った訳ではなく、以前からそれは感じていた。
そして思い付いたのは、あの美しさはプロパガンダなのではないかという事。戦地へ赴く者が美しい装束を身に纏っていれば、それを観る者は彼ら(とそれを取り巻く状況)を良きものとして認識してしまうのではないだろうか。それは、美しい俳優を使って、優秀な撮影技術に拠って撮られた映像のように、人々を戦禍へと導くのではないだろうか。
そして思い付いたのは、あの美しさはプロパガンダなのではないかという事。戦地へ赴く者が美しい装束を身に纏っていれば、それを観る者は彼ら(とそれを取り巻く状況)を良きものとして認識してしまうのではないだろうか。それは、美しい俳優を使って、優秀な撮影技術に拠って撮られた映像のように、人々を戦禍へと導くのではないだろうか。
首都脱出
2月の終わりに見た夢の話。
★
夜半過ぎ、地響きのような轟音に目を覚ました。僕は何故かその時、本郷台地の上に建つ古い旅館に泊まっており、畳敷きの部屋で布団に寝ていた。木枠の窓をビリビリと鳴らす音に驚き、飛び上がるように起き上がった僕は、窓外の燃えさかる火の海に慄然とした。高台の麓に川が流れていて、それに阻まれ火の手がこちらまで伸びる事はなさそうだったが、現実では有り得ない視力で、僕は燃えさかる火の中に何が燃えているのか見つめていた。そこには、燃えるのではなく、溶けていく人間の姿が見えた。ムンクの絵の中の人のように、人間が叫びながら溶けていた。
一体何が起きたのだろう。僕は暫し考えた。何処ぞの国の飛行機が爆撃したとは思えない。それならばもっと長く爆発音が続いたはずだ。地震も違う。大地の揺れがそれとは違った。大火のようでもない。これほどまでの火が広がるまでには何かしらの騒ぎがあって然るべきだ。地響きと共に大地が燃え始めたとしか思えない。それも地上の全てが溶けるような高温で。
考えるのに飽きて、僕は部屋から出でて廊下に出た。さすがにこの状況では旅館の中も騒然としており、他の泊まり客達が慌てふためいた様子で走り回っていた。僕はそれらの人々を避けながら廊下を当てもなく歩いた。すると、向こう側から若き日の忌野清志郎が浴衣に丹前を羽織って歩いて来た。懐に手を差し込んでてれてれと歩いている。夢の中でも彼のファンであるらしい僕は、ついつい声をかけてしまった。
「キヨシローさん、どうしたんですか」
「いや、ちょっと部屋に」
「部屋に?」
「そう、ギター持ってこようかと思って」
既に彼の部屋の前だったようで、引き戸を開けて部屋に入っていった。そして直ぐさま彼はギブソンのハミングバードを抱えて出て来た。そのままふらふらと歩いて行く彼に僕も追従した。
僕らが泊まっていたのは旅館の二階で、長い廊下の突き当たりに出窓がある。彼は両開きの窓を開け放ち、そこに腰掛けた。窓の外では相変わらず大地が燃えている。彼は暫くの間言葉もなくその光景を見つめていたが、ふいに弦を爪弾き歌い始めた。僕の聴いた事のないバラードだった。それに、この状況にまったくそぐわない。彼は一頻り歌った後、窓を閉め少しばつの悪そうな顔で微笑んだ。
「もう寝ようぜ」
「危なくないですかね」
「うん、こっちまで火は来ないだろうしさ、逃げるにしたって周りは全部火事だよ」
「逃げようないですよね」
「そうそう、だから寝るんだ」
「そうですね」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
僕は部屋に戻り、窓硝子とカーテンの向こうの、赤く揺れる光を感じながら布団に潜り込んだ。
-
翌朝目を覚ますと、部屋の中に薄く煙が漂っていた。僕は取りあえず部屋を出て、階段を降り、待合室を覗いて見た。廊下を誰も歩いては居ないし、待合室にも誰も居なかった。ただ、テーブルの上の灰皿が端に寄っていたり、塵くずのようなものが散らばっているところみると、誰かが慌ててこの場所から立ち去った事が伺える。
僕は待合室を出て廊下を歩いた。帳場、浴場、食堂、それから二階の客間。隈無く歩いてみたが誰も居なかった。僕が寝ている間に皆逃げてしまったようだ。これ以上この旅館に留まっていても仕方がないので、僕は自室へ戻り荷物を纏め持った。
開け放たれた玄関を出ると、そこにキヨシローさんが佇んでいた。
「眠れた?」
「はい、少し暑かったんですけどね」
「見てみなよ。そこら中が焼け野原だよ」
「ホントですね」
高台から見下ろせる、かつては町であった大地は見渡す限り真っ黒に燻っていた。しかしずっと先の方、新宿や池袋の高層ビル群は崩れ落ちる事なく、銀色に輝いている。
「これじゃ地下鉄なんか動いてないでしょうね」
「うん」
「どうするんですか」
「家族が心配だから三鷹に帰るよ」
「歩いてですか」
「しょーがないよね」
「そうですよね」
「キミはどーすんの?」
「うーん、都心に残っているのは危なそうだから、取りあえず上野まで行ってみます。もしかしたら列車が動いてるかも知れないし」
「そーか、オレも池袋か新宿の駅に寄ってみようかな」
「その方が良いですよ。キヨシローさんギターあるし」
「そうだね」
「じゃあ、行きましょうか」
「うん、元気でね」
「はい、お元気で」
春日通りを、キヨシローさんは手を振りながら右へ。僕は左へと曲がった。
-
上野駅まではそう遠くはない。真っ黒に焦げた街を横目に春日通りを東へと歩く。崩壊した建物と、道路を塞ぐように放置された自動車、そして炭と化した人間の遺体。この辺りになると生きている人間の姿がちらほら見受けられた。何処かへ向かって歩いている人。瓦礫の中から何かを掘り起こそうとしている人。ただ泣き叫んでいる人。いろいろだ。
程なくして上野駅に着いた。駅舎は部分的に崩れ落ちてはいたが、機能しているようだ。外壁の時計は動いていた。構内には人がごった返している。皆一様に大きな荷物を背負い、先を急いでいるようだ。しかし怒号が聞こえる事もなかったし、泣き叫んでいる人も居ない。皆押し黙って、整然と改札へと吸い込まれていく。
僕は取りあえず日本海側へ抜けるまでの切符を買った。当てなど何もなかったが、出来るだけこの場所から離れたいと思ったからだ。改札を抜けて、僕はホームへ降りた。驚いた事にディーゼル機関車が停車している。僕はホームをずんずん進み、牽引車のすぐ後ろの車両へ乗り込んだ。既に満席に近く、僕は空いていた席に身体を押し込んで、バッグを抱えた。暫くして列車は動きだし、僕は他の乗客や車窓からの景色を眺めていたのだが、その内に寝てしまった。
-
乗客が席を立つ物音で目を覚ました。皆それぞれに荷物を抱え出口に向かっている。この列車はどうやら此処で終点のようだ。僕は他の乗客に習って列車から降りた。
ホームなどは無く、そのままコンクリートを打った地面へと降り立った。見渡すと其処は検車区であるかのように、敷地に何本もの列車が停車していて、周囲を山に囲まれた盆地だった。そもそも駅なんかではないようで、駅舎は見当たらず、離れた場所に事務棟のような二階建ての古い建築物が建っていた。此処が一体何処なのか見当もつかなかった。長野か、それともまだ埼玉なのか。列車を下ろされてもどうする事も出来ないじゃないか。
仕方なく、前を歩く人々の後について歩いていると、突然横から現れた女に呼び止められた。アジア人の顔つきで、肌が白くアタマは金髪。赤と白に縫い分けられたジャンプスーツを着ていた。
「あなたはこちらの列車に乗り換えてください」
「僕・・・ですか?」
「そうです」
「ええと、あなたは僕の事を知ってる?」
「勿論です」
それ以上尋ねる事も思い浮かばないし、行く当てもないので、僕はその女について行く事にした。最後尾の車両を見せて停まっている列車が数本在り、僕らはその中の一本に近付いて行った。
-
そこかしこに大昔の憲兵のような詰め襟の制服を着た男達が立っている。デザインはクラシカルだが、素材が現代の物であるようだ。薄い灰色に白い刺繍が施されている。大体は脛にゲートルを巻いた若い青年達だが、中には長靴を履いた上官らしき男が混じっている。彼らは乗客の持ち物を調べたり、帯剣や肩に担いだライフル銃に軽く手を当てたまま周囲に注意を向けている。
僕らは比較的新しい車両に乗り込み、予め決まっていたであろう座席に座った。
-
僕と女は、ボックス席に向かい合わせに座って支給された弁当を食べている。鮭と煮物と白米だけの簡素な物だった。それを食べ終え、缶入りの緑茶を飲みながら、僕はぼんやりと車窓の外の風景を眺めていた。内陸部の退屈な、田畑や森林の多い風景。散在する人家や電信柱が目の前を飛び去って行く。
広大な平野を走り抜け、列車はトンネルへ入った。窓硝子に映る自分の姿を見て驚いた。僕は詰め襟の制服を着ていた。さっきの駅に居た憲兵達と同じ軍だ。一体いつ着替えたのだろう。全く記憶にない。
「あなたはこれから、その服で過ごして貰います」
「ずっと?」
「はい、役目を終えるまではずっとです」
「その役目って何でしょうか?」
「・・・それは目的地に着いたら解ります」
「それまでは教えられないって事ですか?」
「まあ、そういう事になりますね。とにかくそれまではゆっくりしていて下さい」
考えても無駄な気がしたので、僕は少し眠る事にした。
-
目を覚ますと車窓には、透明度の高い青々とした雲一つ無い空と、太陽光を反射する緑色の山々が遠くで大地を取り囲んでいた。そして上体をかがめて上空を見上げると、そこには驚くべき事に巨大な建造物が浮かんでいた。空を覆うようなその建造物は、銀色に輝く金属で造られた十二角形の立体に放射状に金色で装飾が施されている。そしてそれが、何本もの丸太のようなケーブルで地上に繋がれており、見廻せば、他にも同じような建造物が何基も空に浮かんでいた。音も無く、光を遮るのではなく反射しながら、今まで見た事もないような威圧感を持って浮かんでいた。
「あ・・・あれは?」
「あなたがこれから生きていく場所です」
「場所?」
「施設・・・のようなものでしょうか」
「よく解らない」
「あなたはあそこに住んで、働くのです」
「何の為に?」
「行けば解ります」
「またそれ」
「ええ、まあ」
僕は驚きと共に、これから僕の身に起こるであろう事を考えてみようと試みたが、全く想像が出来なかった。何故僕が選ばれたのかもよく解らないし、一体何の為の施設なのかが判らない。この国のものなんだろうけれど、非常に軍事的なものであるように思える。とは言え自衛隊とは全く趣きが異なるので、もしかすると国民の殆どがその存在すら知らない国家機能が、今僕の目の前に在るという事なのかも知れない。
一体何なのだろうか。昨晩の、一夜にして東京の街が燃えてしまった事と関係があるのだろうか。そして、何故僕なのだろうか。その後暫くの間、呆然としたまま、空に浮かぶ建造物を眺めていた僕は、列車の汽笛に呼び起こされた。
★
という夢を、震災の半月前に見ていたのですよ。何の因果か知らないけれど。
★
夜半過ぎ、地響きのような轟音に目を覚ました。僕は何故かその時、本郷台地の上に建つ古い旅館に泊まっており、畳敷きの部屋で布団に寝ていた。木枠の窓をビリビリと鳴らす音に驚き、飛び上がるように起き上がった僕は、窓外の燃えさかる火の海に慄然とした。高台の麓に川が流れていて、それに阻まれ火の手がこちらまで伸びる事はなさそうだったが、現実では有り得ない視力で、僕は燃えさかる火の中に何が燃えているのか見つめていた。そこには、燃えるのではなく、溶けていく人間の姿が見えた。ムンクの絵の中の人のように、人間が叫びながら溶けていた。
一体何が起きたのだろう。僕は暫し考えた。何処ぞの国の飛行機が爆撃したとは思えない。それならばもっと長く爆発音が続いたはずだ。地震も違う。大地の揺れがそれとは違った。大火のようでもない。これほどまでの火が広がるまでには何かしらの騒ぎがあって然るべきだ。地響きと共に大地が燃え始めたとしか思えない。それも地上の全てが溶けるような高温で。
考えるのに飽きて、僕は部屋から出でて廊下に出た。さすがにこの状況では旅館の中も騒然としており、他の泊まり客達が慌てふためいた様子で走り回っていた。僕はそれらの人々を避けながら廊下を当てもなく歩いた。すると、向こう側から若き日の忌野清志郎が浴衣に丹前を羽織って歩いて来た。懐に手を差し込んでてれてれと歩いている。夢の中でも彼のファンであるらしい僕は、ついつい声をかけてしまった。
「キヨシローさん、どうしたんですか」
「いや、ちょっと部屋に」
「部屋に?」
「そう、ギター持ってこようかと思って」
既に彼の部屋の前だったようで、引き戸を開けて部屋に入っていった。そして直ぐさま彼はギブソンのハミングバードを抱えて出て来た。そのままふらふらと歩いて行く彼に僕も追従した。
僕らが泊まっていたのは旅館の二階で、長い廊下の突き当たりに出窓がある。彼は両開きの窓を開け放ち、そこに腰掛けた。窓の外では相変わらず大地が燃えている。彼は暫くの間言葉もなくその光景を見つめていたが、ふいに弦を爪弾き歌い始めた。僕の聴いた事のないバラードだった。それに、この状況にまったくそぐわない。彼は一頻り歌った後、窓を閉め少しばつの悪そうな顔で微笑んだ。
「もう寝ようぜ」
「危なくないですかね」
「うん、こっちまで火は来ないだろうしさ、逃げるにしたって周りは全部火事だよ」
「逃げようないですよね」
「そうそう、だから寝るんだ」
「そうですね」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
僕は部屋に戻り、窓硝子とカーテンの向こうの、赤く揺れる光を感じながら布団に潜り込んだ。
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翌朝目を覚ますと、部屋の中に薄く煙が漂っていた。僕は取りあえず部屋を出て、階段を降り、待合室を覗いて見た。廊下を誰も歩いては居ないし、待合室にも誰も居なかった。ただ、テーブルの上の灰皿が端に寄っていたり、塵くずのようなものが散らばっているところみると、誰かが慌ててこの場所から立ち去った事が伺える。
僕は待合室を出て廊下を歩いた。帳場、浴場、食堂、それから二階の客間。隈無く歩いてみたが誰も居なかった。僕が寝ている間に皆逃げてしまったようだ。これ以上この旅館に留まっていても仕方がないので、僕は自室へ戻り荷物を纏め持った。
開け放たれた玄関を出ると、そこにキヨシローさんが佇んでいた。
「眠れた?」
「はい、少し暑かったんですけどね」
「見てみなよ。そこら中が焼け野原だよ」
「ホントですね」
高台から見下ろせる、かつては町であった大地は見渡す限り真っ黒に燻っていた。しかしずっと先の方、新宿や池袋の高層ビル群は崩れ落ちる事なく、銀色に輝いている。
「これじゃ地下鉄なんか動いてないでしょうね」
「うん」
「どうするんですか」
「家族が心配だから三鷹に帰るよ」
「歩いてですか」
「しょーがないよね」
「そうですよね」
「キミはどーすんの?」
「うーん、都心に残っているのは危なそうだから、取りあえず上野まで行ってみます。もしかしたら列車が動いてるかも知れないし」
「そーか、オレも池袋か新宿の駅に寄ってみようかな」
「その方が良いですよ。キヨシローさんギターあるし」
「そうだね」
「じゃあ、行きましょうか」
「うん、元気でね」
「はい、お元気で」
春日通りを、キヨシローさんは手を振りながら右へ。僕は左へと曲がった。
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上野駅まではそう遠くはない。真っ黒に焦げた街を横目に春日通りを東へと歩く。崩壊した建物と、道路を塞ぐように放置された自動車、そして炭と化した人間の遺体。この辺りになると生きている人間の姿がちらほら見受けられた。何処かへ向かって歩いている人。瓦礫の中から何かを掘り起こそうとしている人。ただ泣き叫んでいる人。いろいろだ。
程なくして上野駅に着いた。駅舎は部分的に崩れ落ちてはいたが、機能しているようだ。外壁の時計は動いていた。構内には人がごった返している。皆一様に大きな荷物を背負い、先を急いでいるようだ。しかし怒号が聞こえる事もなかったし、泣き叫んでいる人も居ない。皆押し黙って、整然と改札へと吸い込まれていく。
僕は取りあえず日本海側へ抜けるまでの切符を買った。当てなど何もなかったが、出来るだけこの場所から離れたいと思ったからだ。改札を抜けて、僕はホームへ降りた。驚いた事にディーゼル機関車が停車している。僕はホームをずんずん進み、牽引車のすぐ後ろの車両へ乗り込んだ。既に満席に近く、僕は空いていた席に身体を押し込んで、バッグを抱えた。暫くして列車は動きだし、僕は他の乗客や車窓からの景色を眺めていたのだが、その内に寝てしまった。
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乗客が席を立つ物音で目を覚ました。皆それぞれに荷物を抱え出口に向かっている。この列車はどうやら此処で終点のようだ。僕は他の乗客に習って列車から降りた。
ホームなどは無く、そのままコンクリートを打った地面へと降り立った。見渡すと其処は検車区であるかのように、敷地に何本もの列車が停車していて、周囲を山に囲まれた盆地だった。そもそも駅なんかではないようで、駅舎は見当たらず、離れた場所に事務棟のような二階建ての古い建築物が建っていた。此処が一体何処なのか見当もつかなかった。長野か、それともまだ埼玉なのか。列車を下ろされてもどうする事も出来ないじゃないか。
仕方なく、前を歩く人々の後について歩いていると、突然横から現れた女に呼び止められた。アジア人の顔つきで、肌が白くアタマは金髪。赤と白に縫い分けられたジャンプスーツを着ていた。
「あなたはこちらの列車に乗り換えてください」
「僕・・・ですか?」
「そうです」
「ええと、あなたは僕の事を知ってる?」
「勿論です」
それ以上尋ねる事も思い浮かばないし、行く当てもないので、僕はその女について行く事にした。最後尾の車両を見せて停まっている列車が数本在り、僕らはその中の一本に近付いて行った。
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そこかしこに大昔の憲兵のような詰め襟の制服を着た男達が立っている。デザインはクラシカルだが、素材が現代の物であるようだ。薄い灰色に白い刺繍が施されている。大体は脛にゲートルを巻いた若い青年達だが、中には長靴を履いた上官らしき男が混じっている。彼らは乗客の持ち物を調べたり、帯剣や肩に担いだライフル銃に軽く手を当てたまま周囲に注意を向けている。
僕らは比較的新しい車両に乗り込み、予め決まっていたであろう座席に座った。
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僕と女は、ボックス席に向かい合わせに座って支給された弁当を食べている。鮭と煮物と白米だけの簡素な物だった。それを食べ終え、缶入りの緑茶を飲みながら、僕はぼんやりと車窓の外の風景を眺めていた。内陸部の退屈な、田畑や森林の多い風景。散在する人家や電信柱が目の前を飛び去って行く。
広大な平野を走り抜け、列車はトンネルへ入った。窓硝子に映る自分の姿を見て驚いた。僕は詰め襟の制服を着ていた。さっきの駅に居た憲兵達と同じ軍だ。一体いつ着替えたのだろう。全く記憶にない。
「あなたはこれから、その服で過ごして貰います」
「ずっと?」
「はい、役目を終えるまではずっとです」
「その役目って何でしょうか?」
「・・・それは目的地に着いたら解ります」
「それまでは教えられないって事ですか?」
「まあ、そういう事になりますね。とにかくそれまではゆっくりしていて下さい」
考えても無駄な気がしたので、僕は少し眠る事にした。
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目を覚ますと車窓には、透明度の高い青々とした雲一つ無い空と、太陽光を反射する緑色の山々が遠くで大地を取り囲んでいた。そして上体をかがめて上空を見上げると、そこには驚くべき事に巨大な建造物が浮かんでいた。空を覆うようなその建造物は、銀色に輝く金属で造られた十二角形の立体に放射状に金色で装飾が施されている。そしてそれが、何本もの丸太のようなケーブルで地上に繋がれており、見廻せば、他にも同じような建造物が何基も空に浮かんでいた。音も無く、光を遮るのではなく反射しながら、今まで見た事もないような威圧感を持って浮かんでいた。
「あ・・・あれは?」
「あなたがこれから生きていく場所です」
「場所?」
「施設・・・のようなものでしょうか」
「よく解らない」
「あなたはあそこに住んで、働くのです」
「何の為に?」
「行けば解ります」
「またそれ」
「ええ、まあ」
僕は驚きと共に、これから僕の身に起こるであろう事を考えてみようと試みたが、全く想像が出来なかった。何故僕が選ばれたのかもよく解らないし、一体何の為の施設なのかが判らない。この国のものなんだろうけれど、非常に軍事的なものであるように思える。とは言え自衛隊とは全く趣きが異なるので、もしかすると国民の殆どがその存在すら知らない国家機能が、今僕の目の前に在るという事なのかも知れない。
一体何なのだろうか。昨晩の、一夜にして東京の街が燃えてしまった事と関係があるのだろうか。そして、何故僕なのだろうか。その後暫くの間、呆然としたまま、空に浮かぶ建造物を眺めていた僕は、列車の汽笛に呼び起こされた。
★
という夢を、震災の半月前に見ていたのですよ。何の因果か知らないけれど。
ドガと郭絵師
数ヶ月前に録っていた日曜美術館のエドガー・ドガの回を観ていたら、なかなか面白い事を紹介していた。
ドガがよく描いたバレエの踊り子達。その妖しくも可愛らしい踊る姿の向こう側の、分厚いカーテンの影に佇む男達はどういう人間であるのか、という考証。当時のフランスのバレエ界は困窮しており、劇場の運営や、スタッフや踊り子達の生活を維持していく為には、金持ちの客達をパトロンに付けるしかなかったのだ、というような意味の事を言っていた。踊り終えた踊り子達は、カーテンの裏側で贔屓にしてくれている男達の相手をしていたとか。その「相手をする」というのがどの意味まで含めたものなのかは明言していなかったけれど、まあ、それは事情によって色々だろうな。
そして、そういう状況は日本の花柳界や歌舞伎界とよく似ているんじゃないかと思い始めたら、下世話な話だけれども、俄然興味が沸いてきた。今までドガが何故踊り子を描くのかなんて考えた事もなかったけど、彼女達の姿に自分を重ねる事もあったのだろうか。そういう事を考えていると、郭に通い詰めながら遊女達を描き続けた、江戸時代の絵師達を思い起こす。江戸のジャポニスムの運動とそれは、まあ関係ないよな。でも、欧州でジャポニスムが長い間影響を与え続けたのは何故なのか、少し調べてみたくなった。
ドガがよく描いたバレエの踊り子達。その妖しくも可愛らしい踊る姿の向こう側の、分厚いカーテンの影に佇む男達はどういう人間であるのか、という考証。当時のフランスのバレエ界は困窮しており、劇場の運営や、スタッフや踊り子達の生活を維持していく為には、金持ちの客達をパトロンに付けるしかなかったのだ、というような意味の事を言っていた。踊り終えた踊り子達は、カーテンの裏側で贔屓にしてくれている男達の相手をしていたとか。その「相手をする」というのがどの意味まで含めたものなのかは明言していなかったけれど、まあ、それは事情によって色々だろうな。
そして、そういう状況は日本の花柳界や歌舞伎界とよく似ているんじゃないかと思い始めたら、下世話な話だけれども、俄然興味が沸いてきた。今までドガが何故踊り子を描くのかなんて考えた事もなかったけど、彼女達の姿に自分を重ねる事もあったのだろうか。そういう事を考えていると、郭に通い詰めながら遊女達を描き続けた、江戸時代の絵師達を思い起こす。江戸のジャポニスムの運動とそれは、まあ関係ないよな。でも、欧州でジャポニスムが長い間影響を与え続けたのは何故なのか、少し調べてみたくなった。
温故知新
- 2010-06-30
- Category - People
- Tag - sociology / philosophy
最近この言葉に言いようのない魅力を感じる。昔から知っている言葉だが、何故かしらこの頃になって気になり始めた。きっかけは恐らく山下達郎のラジオ番組「サンデーソングブック」で、その中でキャッチフレーズとして「オールディーズ・バット・グッディーズ」「温故知新」という言葉が繰り返し謳われるので、何となしに言葉が頭に残り、後に意味が朧気に頭に入り込んできた。
それが後ろ向きに振り返り、過去の大海を眺め、自分に合いそうな領域を見据えながらゆっくりとその場所へ近づいて行く。そういうやり方は実にしっくりくる。性格的な事だと言ってしまえばそうだが、要は忙しいのが嫌なのだろうな。勢いの良い流行のものであるとかそういうものは「知る」のではなく「知らされる」のであって、どうもそれが押しつけがましく感じるし、言ってしまえば迷惑である。もっとゆっくりと楽しませて欲しいのだ。
歴史的観点からすればそれが過去の遺物であったとしても、その存在を知らなった僕個人の歴史にとっては新作である。目新しく良き物事を知るのはとても楽しい。この頃では、マーケットプレイスで古本や中古 CD ばかり買っている。Used という意味だけではなく発売された時期自体も古い。しかも安く買える事が多いのでお得である。
★
と、ここまで書いて、どうにも話が纏まりそうにない事に気付いた。大体が、自分にもよく解らない事を、書きながらどうにか整理しようとしている事が多いので、話をどう結ぶのか考えもしないで進めている。つまり今回は失敗したという訳だ。しかし記録としてはそれでも構わないので、あやふやなまま終わる事にする。
本当なら、上に書いた事とは全然別の、アンティーク趣味というニュアンスに近い事にも興味を持ち始めているので、そこら辺も纏められれば良いなと思っていたのだが、やはり実践を伴わないと書けないようである。
過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解をひらくこと。「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」と訓読する。というように辞書には出ている。僕はそこまで堅苦しく考えている訳ではないが、例えば本にしろ音楽にしろ、最近では古いものを紐解く方がより楽しく思えてきた。今現在流布している本や音楽に興味がない訳ではない。ただ、それらは正面から波のように僕に迫って来て、あっという間に通り過ぎそして忘れ去られて行く。まごまごしていると何も手にする事なく時間だけがどんどん進んでいくので、手に触れるものを取りあえず咥え込んでいくのだが、元来そういう網でトンボを捕るようなやり方がどうも性に合わないといつも感じている。
それが後ろ向きに振り返り、過去の大海を眺め、自分に合いそうな領域を見据えながらゆっくりとその場所へ近づいて行く。そういうやり方は実にしっくりくる。性格的な事だと言ってしまえばそうだが、要は忙しいのが嫌なのだろうな。勢いの良い流行のものであるとかそういうものは「知る」のではなく「知らされる」のであって、どうもそれが押しつけがましく感じるし、言ってしまえば迷惑である。もっとゆっくりと楽しませて欲しいのだ。
歴史的観点からすればそれが過去の遺物であったとしても、その存在を知らなった僕個人の歴史にとっては新作である。目新しく良き物事を知るのはとても楽しい。この頃では、マーケットプレイスで古本や中古 CD ばかり買っている。Used という意味だけではなく発売された時期自体も古い。しかも安く買える事が多いのでお得である。
★
と、ここまで書いて、どうにも話が纏まりそうにない事に気付いた。大体が、自分にもよく解らない事を、書きながらどうにか整理しようとしている事が多いので、話をどう結ぶのか考えもしないで進めている。つまり今回は失敗したという訳だ。しかし記録としてはそれでも構わないので、あやふやなまま終わる事にする。
本当なら、上に書いた事とは全然別の、アンティーク趣味というニュアンスに近い事にも興味を持ち始めているので、そこら辺も纏められれば良いなと思っていたのだが、やはり実践を伴わないと書けないようである。
- Last Modified : 2010-06-30
十字路で待ち合わせ
数ヶ月に一度くらいの頻度でしか見かけないが、朝の通勤時の、駅までの道の途中、裏通りの狭い十字路に中学生の女の子が人待ち顔で時折立っている。スカートの丈は膝下まで伸び、学校指定の大きなサブバッグをたすき掛けに担いだ、どちらかと言えば朴訥な印象を受ける女の子だ。その子は僕が歩いて来る方向を向いて立ち、時々姿勢を変えながら、誰かが自分の元へやって来るのを待っているようなのである。その視線は歩いて来る僕のずっと後ろの別な十字路に注がれていて、誰かがそこを曲がって来る瞬間を見逃すまいと瞬きもせずにいる。そして彼女のその期待に満ちた表情の気恥ずかしく眩しい事といったらない。
僕もかつては、朝登校する際に友人の家まで行き、呼び鈴を鳴らしていたりしたのだけれど、勿論自分自身がどんな顔していたかなんて判らない。毎日の習慣であったし、まあ男同士だし、取りあえずインターフォンに出る友人の母親に愛想を振りまくくらいのものであったろう。
それに比べ彼女の表情は、ちょっと心配になるくらいに無防備だ。たかだか一緒に登校出来るくらいの事でどうしてそんなにも心躍らせる事が出来るのだろう。
と、ここまで僕は彼女は友達を待っているものとして書いてきたが、もしかしたらボーイフレンドなのかも知れない。それだったら解るし、決して珍しい事でもない。僕が不思議に思っているのは、今まで一度も彼女の待ち合わせの相手を見た事がないからである。
僕は毎日の同じ電車に乗って通勤しているので、その十字路を3分と違わない時間帯に通る。なのにその女の子を見かけるのは希だし、考えてみれば不思議なのだ。友達だろうがボーイフレンドだろうが、通学は毎日であるだろうに。
と書きながら何だか嫌な事を想像してしまった。これを書き始めるまで考えた事もなかったのに。でもその内容は書かない。自分の書いた文章で気分が悪くなったりしたくない。彼女達は、時々時間を変えながら待ち合わせしているのだと思う事にしよう。
★
十字路の角に立つ女の子の真横を僕が通り過ぎる時でさえ、彼女は注意を乱す事なくずっと向こうの角を見つめている。確信に満ちているからなのか、それとも期待が大きいからなのか、どことなく嬉しそうにも見える。僕は彼女のその佇まいがどうも気になるので、通り過ぎた後に振り返ってみた事がある。彼女の待ち合わせの相手とやらは早く来てあげれば良いのに、と思いながら。しかし彼女の見つめる先に人影はない。
一体いつから待っているのか。待ち合わせの場所に早く来すぎているのではないか。もっと自分の都合で行動しても良いのではないか。などと彼女の行く末が心配になったりするが、自分の好きなものを待つのも楽しい事であるのだ、と考え直したりもする。実際のところ、僕には何も解っていない。
僕もかつては、朝登校する際に友人の家まで行き、呼び鈴を鳴らしていたりしたのだけれど、勿論自分自身がどんな顔していたかなんて判らない。毎日の習慣であったし、まあ男同士だし、取りあえずインターフォンに出る友人の母親に愛想を振りまくくらいのものであったろう。
それに比べ彼女の表情は、ちょっと心配になるくらいに無防備だ。たかだか一緒に登校出来るくらいの事でどうしてそんなにも心躍らせる事が出来るのだろう。
と、ここまで僕は彼女は友達を待っているものとして書いてきたが、もしかしたらボーイフレンドなのかも知れない。それだったら解るし、決して珍しい事でもない。僕が不思議に思っているのは、今まで一度も彼女の待ち合わせの相手を見た事がないからである。
僕は毎日の同じ電車に乗って通勤しているので、その十字路を3分と違わない時間帯に通る。なのにその女の子を見かけるのは希だし、考えてみれば不思議なのだ。友達だろうがボーイフレンドだろうが、通学は毎日であるだろうに。
と書きながら何だか嫌な事を想像してしまった。これを書き始めるまで考えた事もなかったのに。でもその内容は書かない。自分の書いた文章で気分が悪くなったりしたくない。彼女達は、時々時間を変えながら待ち合わせしているのだと思う事にしよう。
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十字路の角に立つ女の子の真横を僕が通り過ぎる時でさえ、彼女は注意を乱す事なくずっと向こうの角を見つめている。確信に満ちているからなのか、それとも期待が大きいからなのか、どことなく嬉しそうにも見える。僕は彼女のその佇まいがどうも気になるので、通り過ぎた後に振り返ってみた事がある。彼女の待ち合わせの相手とやらは早く来てあげれば良いのに、と思いながら。しかし彼女の見つめる先に人影はない。
一体いつから待っているのか。待ち合わせの場所に早く来すぎているのではないか。もっと自分の都合で行動しても良いのではないか。などと彼女の行く末が心配になったりするが、自分の好きなものを待つのも楽しい事であるのだ、と考え直したりもする。実際のところ、僕には何も解っていない。
夢の残骸(後編)
やはり昨夜の女からだった。僕は携帯の番号を彼女に教えた覚えは無かったのだが、そこはほれ、どれだけ矛盾があろうとも夢の中では当然のように処理される。
「一緒に出るから待ってて」
「え?」
「いいでしょ?」
「まあ・・・いいけど」
「じゃあ、10分後に」
「今どこ?」
通話は切れた。僕は煙草に火を点けて、門に寄りかかって女を待つ事にした。
--
そして映像は飛んで、僕らは何処かの食堂に居た。いや、食堂と呼ぶにはかなり変わった店の作りをしていて、店の片側に厨房があり、それを囲むようにしてカウンター席がある。そしてその背後の壁は全て格子窓が覆っており、陽光が差し込んでいる。内装は殆どくすんだ木材で、背後の窓の向こうは線路であるらしい。光溢れる中を時折列車がガタゴトと通り過ぎる。
僕らは会話もなく、目の前の定食を平らげる事に専念していた。二人とも生姜焼き定食。肉汁とタレが千切りのキャベツに滴っている。僕は豚肉でキャベツを巻くようにして箸で掴み、勢いをつけて頬張った。隣を窺うと、女も同じようにして食べていた。生姜焼きの量がとても多い。僕らは黙ったまま咀嚼を繰り返した。
気付くと、女が誰かと喋っていた。僕は噛み砕いた肉を呑み込みながらそちらを見遣った。50過ぎくらいの男がニヤけながら女に話しかけており、女は食べるのを止めすっかり話し込んでいる。すぐ隣で喋っているのに、僕には内容がよく聞こえなかった。何故だろうか。夢だからとしか言いようがない。
僕はもうそちらを見ない事にした。何だか腹に違和感を感じるのだ。それは勿論嫉妬と呼ばれるものである事は承知していたが、思い入れの無いはずの女の事で嫉妬する自分を受け入れたくなかったのかも知れない。僕は女が食べかけている定食に手を伸ばした。
--
僕らは列車のボックス席に向かい合わせで座っていた。明るい空の下、瞬く間に流れていく風景をぼんやりと眺めながら、お互いに全然別の事を考えているようだ。女が何を抱え、何を思いながら生きているのか。僕には見当もつかないが、その横顔が綺麗だと思った。
「ねえ」
「なに」
「これからどうするの?」
「・・・」
「どうすんの?」
「取りあえず行く当てはない」
「じゃあなんでこの列車に乗ったの?」
「わからない」
列車はひた走り、やがて視界に海が広がった。
「一緒に出るから待ってて」
「え?」
「いいでしょ?」
「まあ・・・いいけど」
「じゃあ、10分後に」
「今どこ?」
通話は切れた。僕は煙草に火を点けて、門に寄りかかって女を待つ事にした。
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そして映像は飛んで、僕らは何処かの食堂に居た。いや、食堂と呼ぶにはかなり変わった店の作りをしていて、店の片側に厨房があり、それを囲むようにしてカウンター席がある。そしてその背後の壁は全て格子窓が覆っており、陽光が差し込んでいる。内装は殆どくすんだ木材で、背後の窓の向こうは線路であるらしい。光溢れる中を時折列車がガタゴトと通り過ぎる。
僕らは会話もなく、目の前の定食を平らげる事に専念していた。二人とも生姜焼き定食。肉汁とタレが千切りのキャベツに滴っている。僕は豚肉でキャベツを巻くようにして箸で掴み、勢いをつけて頬張った。隣を窺うと、女も同じようにして食べていた。生姜焼きの量がとても多い。僕らは黙ったまま咀嚼を繰り返した。
気付くと、女が誰かと喋っていた。僕は噛み砕いた肉を呑み込みながらそちらを見遣った。50過ぎくらいの男がニヤけながら女に話しかけており、女は食べるのを止めすっかり話し込んでいる。すぐ隣で喋っているのに、僕には内容がよく聞こえなかった。何故だろうか。夢だからとしか言いようがない。
僕はもうそちらを見ない事にした。何だか腹に違和感を感じるのだ。それは勿論嫉妬と呼ばれるものである事は承知していたが、思い入れの無いはずの女の事で嫉妬する自分を受け入れたくなかったのかも知れない。僕は女が食べかけている定食に手を伸ばした。
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僕らは列車のボックス席に向かい合わせで座っていた。明るい空の下、瞬く間に流れていく風景をぼんやりと眺めながら、お互いに全然別の事を考えているようだ。女が何を抱え、何を思いながら生きているのか。僕には見当もつかないが、その横顔が綺麗だと思った。
「ねえ」
「なに」
「これからどうするの?」
「・・・」
「どうすんの?」
「取りあえず行く当てはない」
「じゃあなんでこの列車に乗ったの?」
「わからない」
列車はひた走り、やがて視界に海が広がった。






