DOG ON THE BEACH
近況
先々週末に熱を出して寝込み、翌日には熱は引いたが今度は喉を痛め、かつてないほどの痛みと、地獄からの咆哮が如き声の変調を経験し、そしてそれも治まったかと思いきや、今度は咳嗽が止まらず、いつまでも完治せずに低調な毎日を送っていた。しかしようやく、本日をもって回復の兆しが見え一安心しているところである。
そんな中思っていたのは、喉を痛めると、噛み砕いたものですら飲み込むのがなかなか困難で、毎日の食事が愉しみでるあるどころか苦行に近いものがあり、そうなると毎日の暮らしに張り合いが無くなる。つまり「あと一時間もすれば旨い昼飯が待っているのでそれまで頑張ろう」だとかそういう自己暗示が出来なくなるので、どうにもやってられないのである。更には刺激の強いアルコールを摂取するのも、出来ない事はないが、いささか憚られるものがあり、夜に向けての張り合いも無くなる。こうなるともう、一日中どんよりとしている。僕はどちらかと言えば小食で、美食家でもない。そこそこの物をそれなりに食べていれば、一応は満足してしまう結構安上がりな人間である。毎日同じ献立であってもさほど問題は無い。そんな僕がこんなにも参ってしまうのだから、これが大食漢であり美食家でもある人物が喉を痛めたりしたら、とんでもない大打撃なのだろうなと考えたりしていた。
そして更に厄介なのは咳嗽。咳が続くとなーんにも出来ない。観るのも読むのも何かしら手を動かすのも考えるのも、何一つ集中出来ないのですぐに放り出したくなる。夜になると、炎症止めも咳止めも薬の効力が無くなってくるせいか、喉の痛みや咳嗽がこの時間帯に集中する。もはや身体はぐったりしているし、何もする気になれないので、兎に角横になりたい。横になったからといって症状が軽くなる訳でもないのだが、そうしているのが一番楽な気がしてくるのだ。しかし眠くもないのに横になっていて、余計な考え事なんかしたくはないので、ぼんやりテレビを眺めている。大概は語学番組だ。咳が治まっている時は発音練習をしたりもする。意外にこれが心地良く過ごせるので、ここ数日は毎晩やっている。おかげで何時の間にか、英語フランス語韓国語中国語を並行して学ぶ事になってしまった。ロシア語ドイツ語イタリア語アラビア語はさすがに多すぎるので避けた。いや、既に許容範囲は超えてそうだが、始めてしまったものは仕方がない。因みにテレビ番組のプログラムは半年間行われるが、これがいつまで続くのかは判らない。成り行き次第である。
そんな中思っていたのは、喉を痛めると、噛み砕いたものですら飲み込むのがなかなか困難で、毎日の食事が愉しみでるあるどころか苦行に近いものがあり、そうなると毎日の暮らしに張り合いが無くなる。つまり「あと一時間もすれば旨い昼飯が待っているのでそれまで頑張ろう」だとかそういう自己暗示が出来なくなるので、どうにもやってられないのである。更には刺激の強いアルコールを摂取するのも、出来ない事はないが、いささか憚られるものがあり、夜に向けての張り合いも無くなる。こうなるともう、一日中どんよりとしている。僕はどちらかと言えば小食で、美食家でもない。そこそこの物をそれなりに食べていれば、一応は満足してしまう結構安上がりな人間である。毎日同じ献立であってもさほど問題は無い。そんな僕がこんなにも参ってしまうのだから、これが大食漢であり美食家でもある人物が喉を痛めたりしたら、とんでもない大打撃なのだろうなと考えたりしていた。
そして更に厄介なのは咳嗽。咳が続くとなーんにも出来ない。観るのも読むのも何かしら手を動かすのも考えるのも、何一つ集中出来ないのですぐに放り出したくなる。夜になると、炎症止めも咳止めも薬の効力が無くなってくるせいか、喉の痛みや咳嗽がこの時間帯に集中する。もはや身体はぐったりしているし、何もする気になれないので、兎に角横になりたい。横になったからといって症状が軽くなる訳でもないのだが、そうしているのが一番楽な気がしてくるのだ。しかし眠くもないのに横になっていて、余計な考え事なんかしたくはないので、ぼんやりテレビを眺めている。大概は語学番組だ。咳が治まっている時は発音練習をしたりもする。意外にこれが心地良く過ごせるので、ここ数日は毎晩やっている。おかげで何時の間にか、英語フランス語韓国語中国語を並行して学ぶ事になってしまった。ロシア語ドイツ語イタリア語アラビア語はさすがに多すぎるので避けた。いや、既に許容範囲は超えてそうだが、始めてしまったものは仕方がない。因みにテレビ番組のプログラムは半年間行われるが、これがいつまで続くのかは判らない。成り行き次第である。
晩年
- 2012-03-17
- Category - People
- Tag - sociology / philosophy
先週から NHK 連続テレビ小説「カーネーション」では、糸子が70を超えた晩年を迎えている。その中で、かつて親しかった人達の遺影を眺め、子供達が皆遠くへ行ってしまって独りになった事に思いを馳せる場面があった。何故こんな風になってしまったのだろう、と。さらりと流して描かれていたし、その後も繰り返す事はなかった。その辺りを余り強調したくなかったのだろう。僕はその場面を観て、リリー・フランキーの「東京タワー」の中で、主人公の二人の祖母の晩年に関する記述を思い出した。
若くして死んでしまうのでもなければ、我々は老境を過ごさなくてはならない。肉体と精神の老い、そして社会的に朽ちていく事に耐えねばならない。それでも、そんな苦痛を背負いながらも生きようとしてしまう。40を超えると初老と呼ばれるが、衰えなどはとっくの昔に始まっている。先は長いのか短いのか判らないが、楽な事はなさそうだ。どえらい所に立たされたものだ、と思う。
原作を読んでないし実際の経歴も知らないのだが、ドラマの中では、糸子は晩年になって過酷なプレタポルテ業を始める決意をする。それはもしかすると、老境での孤独に立ち向かおうとしているのかも知れないと僕は思っている。
筑豊のばあちゃんは相変わらずひとりで、黄色くなったジャーの中の御飯を食べていた。家の中には線香とサロンパスの匂いは充満していて、その匂いを嗅ぐたびに、なにか淋しい気分になっていた。膝を悪くして、和式トイレの便器の上には、簡易様式トイレの便座が置かれてあった。出版当時に、氏が出演していたラジオ番組の中でも、何かのイベント時に収録したのだであろう、読者の声がインタビューされていた。「感動しました」「泣けました」「母親を大事にしようと思いました」等々、宣伝目的なので当たり前だが、そのような陳腐極まりない言葉が繰り返し流れた。久世光彦はこの小説を指して「ひらかなで書かれた聖書だ」と宣われたらしい。その言葉からしても、この小説は単なる母の子へ対する愛情の物語ではないと思っているのだが、それ以外の感想を目耳にした事がない。この本は人生に対する諦念と、人の愚かしさと、その中で生きて行かねばならぬ覚悟を描いているのだと僕は思っている。
家財道具、自分の身体はどんどん古くなり、くたびれてゆく中で、毎日、日めくりのカレンダーだけが新しくめくられている。
誰も居なくなった家で、黄色くなった御飯を食べながら、心臓病の薬を飲み、映りの悪くなったテレビを観ている。ばあちゃんにとって、一日のどんな時が楽しいのだろう? 人生の何が楽しみなのだろう? どうあれば幸福を感じ、なにが起きれば悲しむのだろうか?
(中略)
小倉のばあちゃんも同じように、誰も居なくなった我が家にひとりで住んでいる。子供たち、孫たちは、それぞれに新しいことが連続する毎日の中で、息つく暇もないほどに動き回っている。ばあちゃんたちはそれとは逆に、毎日同じ風景と残像の中で、ただ息をつき、日めくりだけが新しくめくれてゆく。
(中略)
結局、廃れてしまう、寂れてしまう、離れてしまう、誰もいなくなってしまう。
若くして死んでしまうのでもなければ、我々は老境を過ごさなくてはならない。肉体と精神の老い、そして社会的に朽ちていく事に耐えねばならない。それでも、そんな苦痛を背負いながらも生きようとしてしまう。40を超えると初老と呼ばれるが、衰えなどはとっくの昔に始まっている。先は長いのか短いのか判らないが、楽な事はなさそうだ。どえらい所に立たされたものだ、と思う。
原作を読んでないし実際の経歴も知らないのだが、ドラマの中では、糸子は晩年になって過酷なプレタポルテ業を始める決意をする。それはもしかすると、老境での孤独に立ち向かおうとしているのかも知れないと僕は思っている。
- Last Modified : 2012-03-17
軍服
- 2011-12-06
- Category - People
- Tag - politics / sociology / psychology
一昨日の夜「坂の上の雲」を観ながらつらつらと考えていた。軍服というものは機能が最優先であるはずなのに、昔のそれはどうしてああも美しく作られているのだろう。装飾も華美だ。昨夜初めてそう思った訳ではなく、以前からそれは感じていた。
そして思い付いたのは、あの美しさはプロパガンダなのではないかという事。戦地へ赴く者が美しい装束を身に纏っていれば、それを観る者は彼ら(とそれを取り巻く状況)を良きものとして認識してしまうのではないだろうか。それは、美しい俳優を使って、優秀な撮影技術に拠って撮られた映像のように、人々を戦禍へと導くのではないだろうか。
そして思い付いたのは、あの美しさはプロパガンダなのではないかという事。戦地へ赴く者が美しい装束を身に纏っていれば、それを観る者は彼ら(とそれを取り巻く状況)を良きものとして認識してしまうのではないだろうか。それは、美しい俳優を使って、優秀な撮影技術に拠って撮られた映像のように、人々を戦禍へと導くのではないだろうか。
ドガと郭絵師
数ヶ月前に録っていた日曜美術館のエドガー・ドガの回を観ていたら、なかなか面白い事を紹介していた。
ドガがよく描いたバレエの踊り子達。その妖しくも可愛らしい踊る姿の向こう側の、分厚いカーテンの影に佇む男達はどういう人間であるのか、という考証。当時のフランスのバレエ界は困窮しており、劇場の運営や、スタッフや踊り子達の生活を維持していく為には、金持ちの客達をパトロンに付けるしかなかったのだ、というような意味の事を言っていた。踊り終えた踊り子達は、カーテンの裏側で贔屓にしてくれている男達の相手をしていたとか。その「相手をする」というのがどの意味まで含めたものなのかは明言していなかったけれど、まあ、それは事情によって色々だろうな。
そして、そういう状況は日本の花柳界や歌舞伎界とよく似ているんじゃないかと思い始めたら、下世話な話だけれども、俄然興味が沸いてきた。今までドガが何故踊り子を描くのかなんて考えた事もなかったけど、彼女達の姿に自分を重ねる事もあったのだろうか。そういう事を考えていると、郭に通い詰めながら遊女達を描き続けた、江戸時代の絵師達を思い起こす。江戸のジャポニスムの運動とそれは、まあ関係ないよな。でも、欧州でジャポニスムが長い間影響を与え続けたのは何故なのか、少し調べてみたくなった。
ドガがよく描いたバレエの踊り子達。その妖しくも可愛らしい踊る姿の向こう側の、分厚いカーテンの影に佇む男達はどういう人間であるのか、という考証。当時のフランスのバレエ界は困窮しており、劇場の運営や、スタッフや踊り子達の生活を維持していく為には、金持ちの客達をパトロンに付けるしかなかったのだ、というような意味の事を言っていた。踊り終えた踊り子達は、カーテンの裏側で贔屓にしてくれている男達の相手をしていたとか。その「相手をする」というのがどの意味まで含めたものなのかは明言していなかったけれど、まあ、それは事情によって色々だろうな。
そして、そういう状況は日本の花柳界や歌舞伎界とよく似ているんじゃないかと思い始めたら、下世話な話だけれども、俄然興味が沸いてきた。今までドガが何故踊り子を描くのかなんて考えた事もなかったけど、彼女達の姿に自分を重ねる事もあったのだろうか。そういう事を考えていると、郭に通い詰めながら遊女達を描き続けた、江戸時代の絵師達を思い起こす。江戸のジャポニスムの運動とそれは、まあ関係ないよな。でも、欧州でジャポニスムが長い間影響を与え続けたのは何故なのか、少し調べてみたくなった。
温故知新
- 2010-06-30
- Category - People
- Tag - sociology / philosophy
最近この言葉に言いようのない魅力を感じる。昔から知っている言葉だが、何故かしらこの頃になって気になり始めた。きっかけは恐らく山下達郎のラジオ番組「サンデーソングブック」で、その中でキャッチフレーズとして「オールディーズ・バット・グッディーズ」「温故知新」という言葉が繰り返し謳われるので、何となしに言葉が頭に残り、後に意味が朧気に頭に入り込んできた。
それが後ろ向きに振り返り、過去の大海を眺め、自分に合いそうな領域を見据えながらゆっくりとその場所へ近づいて行く。そういうやり方は実にしっくりくる。性格的な事だと言ってしまえばそうだが、要は忙しいのが嫌なのだろうな。勢いの良い流行のものであるとかそういうものは「知る」のではなく「知らされる」のであって、どうもそれが押しつけがましく感じるし、言ってしまえば迷惑である。もっとゆっくりと楽しませて欲しいのだ。
歴史的観点からすればそれが過去の遺物であったとしても、その存在を知らなった僕個人の歴史にとっては新作である。目新しく良き物事を知るのはとても楽しい。この頃では、マーケットプレイスで古本や中古 CD ばかり買っている。Used という意味だけではなく発売された時期自体も古い。しかも安く買える事が多いのでお得である。
★
と、ここまで書いて、どうにも話が纏まりそうにない事に気付いた。大体が、自分にもよく解らない事を、書きながらどうにか整理しようとしている事が多いので、話をどう結ぶのか考えもしないで進めている。つまり今回は失敗したという訳だ。しかし記録としてはそれでも構わないので、あやふやなまま終わる事にする。
本当なら、上に書いた事とは全然別の、アンティーク趣味というニュアンスに近い事にも興味を持ち始めているので、そこら辺も纏められれば良いなと思っていたのだが、やはり実践を伴わないと書けないようである。
過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解をひらくこと。「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」と訓読する。というように辞書には出ている。僕はそこまで堅苦しく考えている訳ではないが、例えば本にしろ音楽にしろ、最近では古いものを紐解く方がより楽しく思えてきた。今現在流布している本や音楽に興味がない訳ではない。ただ、それらは正面から波のように僕に迫って来て、あっという間に通り過ぎそして忘れ去られて行く。まごまごしていると何も手にする事なく時間だけがどんどん進んでいくので、手に触れるものを取りあえず咥え込んでいくのだが、元来そういう網でトンボを捕るようなやり方がどうも性に合わないといつも感じている。
それが後ろ向きに振り返り、過去の大海を眺め、自分に合いそうな領域を見据えながらゆっくりとその場所へ近づいて行く。そういうやり方は実にしっくりくる。性格的な事だと言ってしまえばそうだが、要は忙しいのが嫌なのだろうな。勢いの良い流行のものであるとかそういうものは「知る」のではなく「知らされる」のであって、どうもそれが押しつけがましく感じるし、言ってしまえば迷惑である。もっとゆっくりと楽しませて欲しいのだ。
歴史的観点からすればそれが過去の遺物であったとしても、その存在を知らなった僕個人の歴史にとっては新作である。目新しく良き物事を知るのはとても楽しい。この頃では、マーケットプレイスで古本や中古 CD ばかり買っている。Used という意味だけではなく発売された時期自体も古い。しかも安く買える事が多いのでお得である。
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と、ここまで書いて、どうにも話が纏まりそうにない事に気付いた。大体が、自分にもよく解らない事を、書きながらどうにか整理しようとしている事が多いので、話をどう結ぶのか考えもしないで進めている。つまり今回は失敗したという訳だ。しかし記録としてはそれでも構わないので、あやふやなまま終わる事にする。
本当なら、上に書いた事とは全然別の、アンティーク趣味というニュアンスに近い事にも興味を持ち始めているので、そこら辺も纏められれば良いなと思っていたのだが、やはり実践を伴わないと書けないようである。
- Last Modified : 2010-06-30
十字路で待ち合わせ
数ヶ月に一度くらいの頻度でしか見かけないが、朝の通勤時の、駅までの道の途中、裏通りの狭い十字路に中学生の女の子が人待ち顔で時折立っている。スカートの丈は膝下まで伸び、学校指定の大きなサブバッグをたすき掛けに担いだ、どちらかと言えば朴訥な印象を受ける女の子だ。その子は僕が歩いて来る方向を向いて立ち、時々姿勢を変えながら、誰かが自分の元へやって来るのを待っているようなのである。その視線は歩いて来る僕のずっと後ろの別な十字路に注がれていて、誰かがそこを曲がって来る瞬間を見逃すまいと瞬きもせずにいる。そして彼女のその期待に満ちた表情の気恥ずかしく眩しい事といったらない。
僕もかつては、朝登校する際に友人の家まで行き、呼び鈴を鳴らしていたりしたのだけれど、勿論自分自身がどんな顔していたかなんて判らない。毎日の習慣であったし、まあ男同士だし、取りあえずインターフォンに出る友人の母親に愛想を振りまくくらいのものであったろう。
それに比べ彼女の表情は、ちょっと心配になるくらいに無防備だ。たかだか一緒に登校出来るくらいの事でどうしてそんなにも心躍らせる事が出来るのだろう。
と、ここまで僕は彼女は友達を待っているものとして書いてきたが、もしかしたらボーイフレンドなのかも知れない。それだったら解るし、決して珍しい事でもない。僕が不思議に思っているのは、今まで一度も彼女の待ち合わせの相手を見た事がないからである。
僕は毎日の同じ電車に乗って通勤しているので、その十字路を3分と違わない時間帯に通る。なのにその女の子を見かけるのは希だし、考えてみれば不思議なのだ。友達だろうがボーイフレンドだろうが、通学は毎日であるだろうに。
と書きながら何だか嫌な事を想像してしまった。これを書き始めるまで考えた事もなかったのに。でもその内容は書かない。自分の書いた文章で気分が悪くなったりしたくない。彼女達は、時々時間を変えながら待ち合わせしているのだと思う事にしよう。
★
十字路の角に立つ女の子の真横を僕が通り過ぎる時でさえ、彼女は注意を乱す事なくずっと向こうの角を見つめている。確信に満ちているからなのか、それとも期待が大きいからなのか、どことなく嬉しそうにも見える。僕は彼女のその佇まいがどうも気になるので、通り過ぎた後に振り返ってみた事がある。彼女の待ち合わせの相手とやらは早く来てあげれば良いのに、と思いながら。しかし彼女の見つめる先に人影はない。
一体いつから待っているのか。待ち合わせの場所に早く来すぎているのではないか。もっと自分の都合で行動しても良いのではないか。などと彼女の行く末が心配になったりするが、自分の好きなものを待つのも楽しい事であるのだ、と考え直したりもする。実際のところ、僕には何も解っていない。
僕もかつては、朝登校する際に友人の家まで行き、呼び鈴を鳴らしていたりしたのだけれど、勿論自分自身がどんな顔していたかなんて判らない。毎日の習慣であったし、まあ男同士だし、取りあえずインターフォンに出る友人の母親に愛想を振りまくくらいのものであったろう。
それに比べ彼女の表情は、ちょっと心配になるくらいに無防備だ。たかだか一緒に登校出来るくらいの事でどうしてそんなにも心躍らせる事が出来るのだろう。
と、ここまで僕は彼女は友達を待っているものとして書いてきたが、もしかしたらボーイフレンドなのかも知れない。それだったら解るし、決して珍しい事でもない。僕が不思議に思っているのは、今まで一度も彼女の待ち合わせの相手を見た事がないからである。
僕は毎日の同じ電車に乗って通勤しているので、その十字路を3分と違わない時間帯に通る。なのにその女の子を見かけるのは希だし、考えてみれば不思議なのだ。友達だろうがボーイフレンドだろうが、通学は毎日であるだろうに。
と書きながら何だか嫌な事を想像してしまった。これを書き始めるまで考えた事もなかったのに。でもその内容は書かない。自分の書いた文章で気分が悪くなったりしたくない。彼女達は、時々時間を変えながら待ち合わせしているのだと思う事にしよう。
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十字路の角に立つ女の子の真横を僕が通り過ぎる時でさえ、彼女は注意を乱す事なくずっと向こうの角を見つめている。確信に満ちているからなのか、それとも期待が大きいからなのか、どことなく嬉しそうにも見える。僕は彼女のその佇まいがどうも気になるので、通り過ぎた後に振り返ってみた事がある。彼女の待ち合わせの相手とやらは早く来てあげれば良いのに、と思いながら。しかし彼女の見つめる先に人影はない。
一体いつから待っているのか。待ち合わせの場所に早く来すぎているのではないか。もっと自分の都合で行動しても良いのではないか。などと彼女の行く末が心配になったりするが、自分の好きなものを待つのも楽しい事であるのだ、と考え直したりもする。実際のところ、僕には何も解っていない。
雨と冬の憂鬱
- 2010-05-31
- Category - Days
- Tag - diary / health / psychology
ずっと以前、僕は雨の日が大嫌いだった。梅雨の時期と、11月を過ぎた辺りの長雨は気分が沈み、晩秋で迎えた下降線はそのまま冬を越え、春になるまでそれは続いた。しかし何故か数年前から、徐々にではあったがその状態を強く感じる事が少なくなった。今では長雨を幾らかは楽しめるようになったような気がする。
そして、冬鬱というものが存在する事を最近になって知った。かつての僕は冬の間は生ける屍とでも呼べるような生活を送っていたのだけれど、それも最近では軽減してきた。雨期の不調もそれと似たようなものかも知れない。気温の下降変化や気圧が関係するのだろうか。それとも血流の勢いに関係があるとか。冬鬱の場合は日照時間に関係があるようで、その治療法として毎日二時間光(太陽光でなくても可)に身を晒す事であるらしい。そういう施設も存在するとの事。しかし日常生活を営みながら、毎日それだけの時間を割いて治療に当てるというのは無理な話である。でも中には酷い鬱状態に陥る人も居るようなので、その人々には有用だろう。どのみち日常生活を送る事すら困難になっているのだから。
時折、それらの症状が軽減した理由を考えてみるのだが、何も思い当たらない。歳を取って体質が変化したのだと思う他はない気がする。
軽い鬱状態にある時はとにかく何もしたくないし、無理矢理に何かしらを為したとしても効率が余りにも悪過ぎて、段々と自分が嫌になってくる。だから「何もしたくない病」に罹っている時は、自堕落に過ごすしかないような気がしている。しかし社会生活を営んでいれば、どうしてもやらなければならない事は多々ある訳で、どうにか最低限の事だけを歯を食いしばってこなし、それでどうにか勘弁して貰うのがやっとの生活を送る事になるのだが、それはやはり憂鬱でしかない。
しかし考えてみれば、そういう話を余り耳にした事がないので、そんな状態に陥る人はきっと少ないのだろう。そう考えると、長雨や冬において鬱屈しない人間の状態が存在するという事になるが、一体どうすればそこに自分を持って行けるのだろうか。是非とも知りたいところである。これは僕の勝手な想像だけれど、日常生活の中で頻々に運動をしていればそうならずに済むような気がする。つまり血液の循環を良くして、身体を冷やす事を避け、新陳代謝を良くすれば軽減していくのではないだろうか。まあこれは本当に想像しているだけで、何も実践はしてないのだけれど。
ところで、年寄りが天気の事ばかり話題にするのは、それだけ影響が大きいからなのだろうな、と思う。そう遠くない将来、僕らも洩れなくそうなるのだ。やり過ごす方法を学んでおいた方が良いと思う。
そして、冬鬱というものが存在する事を最近になって知った。かつての僕は冬の間は生ける屍とでも呼べるような生活を送っていたのだけれど、それも最近では軽減してきた。雨期の不調もそれと似たようなものかも知れない。気温の下降変化や気圧が関係するのだろうか。それとも血流の勢いに関係があるとか。冬鬱の場合は日照時間に関係があるようで、その治療法として毎日二時間光(太陽光でなくても可)に身を晒す事であるらしい。そういう施設も存在するとの事。しかし日常生活を営みながら、毎日それだけの時間を割いて治療に当てるというのは無理な話である。でも中には酷い鬱状態に陥る人も居るようなので、その人々には有用だろう。どのみち日常生活を送る事すら困難になっているのだから。
時折、それらの症状が軽減した理由を考えてみるのだが、何も思い当たらない。歳を取って体質が変化したのだと思う他はない気がする。
軽い鬱状態にある時はとにかく何もしたくないし、無理矢理に何かしらを為したとしても効率が余りにも悪過ぎて、段々と自分が嫌になってくる。だから「何もしたくない病」に罹っている時は、自堕落に過ごすしかないような気がしている。しかし社会生活を営んでいれば、どうしてもやらなければならない事は多々ある訳で、どうにか最低限の事だけを歯を食いしばってこなし、それでどうにか勘弁して貰うのがやっとの生活を送る事になるのだが、それはやはり憂鬱でしかない。
しかし考えてみれば、そういう話を余り耳にした事がないので、そんな状態に陥る人はきっと少ないのだろう。そう考えると、長雨や冬において鬱屈しない人間の状態が存在するという事になるが、一体どうすればそこに自分を持って行けるのだろうか。是非とも知りたいところである。これは僕の勝手な想像だけれど、日常生活の中で頻々に運動をしていればそうならずに済むような気がする。つまり血液の循環を良くして、身体を冷やす事を避け、新陳代謝を良くすれば軽減していくのではないだろうか。まあこれは本当に想像しているだけで、何も実践はしてないのだけれど。
ところで、年寄りが天気の事ばかり話題にするのは、それだけ影響が大きいからなのだろうな、と思う。そう遠くない将来、僕らも洩れなくそうなるのだ。やり過ごす方法を学んでおいた方が良いと思う。
- Last Modified : 2010-05-31






