神経症者としてのダーガーは、永遠の思春期を病んでいた。社会的な関係を制限し、徹底してひきこもること。なるほど確かに彼は就労し、「社会参加」していたかも知れない。しかし私には、ダーガーが社会からみずからを完璧に隔離すべく、「就労」していたように思われてならない。もし就労していなければ、生活のために福祉施設を利用するか、あるいはホームレス仲間に身を投じるしかない。いずれの方向を選んでも、むしろ煩わしい対人交渉を余儀なくさせられる。社会的な向上心を放棄し、目立たない最低限の職業を維持することは、彼の存在をいっそう透明なものにするだろう。ダーガーはこうした「擬態としての就労」によって、みずからの聖域を完全に封印し得た。その結果として六〇年もの間、彼の思春期は保存され続けたのだ。

斎藤環著『戦闘美少女の精神分析』ちくま文庫 2006年 p.332