演歌師が初めて現れたのは明治の中頃、東京でのことだった。昭和の初期まではまだ姿を見かけたという。頭と足許だけは洋風で、山高帽と靴、それにいつでもヴァイオリンで弾き語りをしたけれども、そのほかは和服で街角に立ち、時事的な歌をうたって小銭をかせいだ。レパートリーには色恋の歌もあったが(ここから艶歌という当て字も生まれる)、最初はむしろ政治的、風刺的な歌がもっぱらだった。今でいうヒット曲に当たるものとして「松の声」というものがある。女学生のデカダンぶりを諷刺した歌で、これなどはむしろ艶歌とは正反対と言えるかもしれない。後に日本の代表的なテノールとなる藤原義江も、最初はこの「松の声」を歌った男に弟子入りし、まず演歌師として歌手生活を始めたのである。

エドワード・サイデンステッカー著『東京 下町山の手』ちくま学芸文庫 1992年 pp.225-226