DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Category: Hobby (page 1 of 16)

ブログシステム入れ替えの告知

 準備が出来てしまったので、そろそろブログシステムを Nucleus から WordPress に入れ替える。実作業は一週間後くらいの予定。

 結局記事は大方を手動で移植した。全てではない。これはつまらない事を書いてるな、と思った記事は削除した。当てにしていたエクスポートのプラグインが巧く作動せず、記事中に独自のクラス要素をいろいろ使っていたので巧く行く気もしてなかったし。今後はそういう独自のクラス要素なんかを使う事はしないようにしよう。
 しかし、どうして全部やってしまったのかというと、記事やコメントで過去の記事に対して言及している箇所が幾つか在って、それをカバーしようとすると結構昔の木嶋で遡ってしまい、ここまでやったのなら全部やろう、となった訳である。なんとなくそうなる気はしてたんだよね。出来れば避けたかったんだけど。

 そもそもこういう告知の記事を書く必要はないように思えるが、もしかしたら Feed で読んでいる人が居るかも知れないし、そういう人は非常に奇特なので配慮したいと考えたのである。現在の Feed は http://www.doggylife.org/rss2.xml もしくは http://www.doggylife.org/atom.xml なのだが、これが http://www.doggylife.org/?feed=rss2 になるはずである。

 ところで、必要に迫られて過去記事を斜め読みしたのだが、想像に反して現在とあまり変わらないテイストで書き続けていた。昔は結構恥ずかしい文体で恥ずかしい内容を書いていたような気がするなあ、と思っていたがそんな事はなかった。記憶違いも甚だしい。自分を貶めるような記憶を捏造してどうする。たまに色気づいて情報系の記事を書いたりもしているが、その場合は結構恥ずかしい文章になっていたと思う。内容も浅はかだし面白くないのだ。似合わない事はするべきではない、と本気で思った。
 しかしながら、10年以上も変化の少ない文章を書き続けているというのはどういう事か。それなりに経験し知識も増やしているはずなのだが、どうにも精神的な成長が見られない。人というのはそういうものなのか、どうか。少なくとも僕は同じ事を繰り返して行くのだろうな、とは思っている。

2014.09.30:Wordpress に移行済み。

記事の移植

 実を言えば前記事の、Nucleus CMS が最新の PHP に対応していないという事実を知ってから暫くして、ちょうど時間が余っていたのでローカル環境に WordPress をインストールして大まかには作っていたのだけれど、これまでの記事を移植する事に思い当たってから何となくやる気を無くしてしまった。なにしろ面倒なのだ。NP_ImpExp というプラグインを使えば MT 形式にエクスポート出来るそうなのだが、テキストはそれでいけるとしても、例えば画像へのリンクのサーバ内階層なんかは手動で書き換えるしかないんじゃないだろうか。そういうやり方試した事がないので詳しくは知らないんだけど。もしそうだと考えると、とてもやる気がしない。このブログは当初 Blosxom という Perl で書かれたシステムを使っていて、それが2008年の3月頃に今の Nucleus に乗り換えた。その時はそれほどの記事数でもないと思った(勘違いだったが)ので手動で全部移し替えたんだけど、実際にはとても大変だったので、あれ以上の記事数を手動でやろうなんて酔狂さは今の僕には無い。
 いっその事、記事数0から始めたら良いのではないかとも考えるとが、それはそれでちと寂しいし、それに幾らかの記事はこのインターネットの海に浮かべておきたいと考えるものもあるからである。ならば、載せておきたい記事を抜粋して、それを改めて当時の日付でアップロードをすれば良いかとも考えるが、そうなると全ての記事を読み返す作業が必要になる。それは嫌である。僕は基本的に過去に自分が書いた文章を読み返したくはない。とくに日記的なものだと恥ずかしくて堪らない。なのでこの案は却下。あくまで却下。
 いろいろ考えると、或る期間を決めて、その分だけ手動で移植するのが良いように思える。例えば、福岡に越したタイミングで2013年移行の記事に限定するとか。残したい記事の大凡は削られる(つまり東京での記録は全て無くなる)が、手間は大いに省ける。ある程度の体裁も保てる。その辺りが妥協のしどころのような気がする。

2014.09.30:Wordpress に移行済み。

ブログシステムの終焉

 情報の取得として遅いのだが、今年になってこれらの記事を見つけた。

 なんと、PHP5.4またはMySQL5.5.xでNucleus 3.64って動かないそうですよ。PHP5.4にプラグインが対応していないものも多いらしくそれをいれているとなんと「E_ERROR」Criticalエラー発生して白紙になるそうです。NucleusからWordpressへ移行できない7の理由 (2011)

 自分用の開発環境にVMwareを使っている。このサイトもそれに開発環境を乗っけているわけだが、先日PHP 5.3から5.4にアップグレードした際に、Nucleusが動かなくなった。PHP 5.4にアップグレードしたらNucleusが動かなくなった件

 Nucleus CMS のバージョンアップはしていたが、システムを弄る気がまったく無かったので、その辺りの情報には無頓着であったから今頃気付くはめになったのだが、使用している「さくらのレンタルサーバ」で現在使用している PHP のバージョンは5.2。すでに 4.0 のサポートは終了している。提供は続けるが自己責任でね、という事だそうだ。今のところ問題はないが、いずれにしてもサポートする PHP のバージョンは徐々に上がっていき、数年後には Nucleus を使うのが難しくなってしまうだろう。そしてその件に関しての対応は滞っているとの記事も見かけたので、徐々にでも Worldpress あたりに移行する準備を進めておいた方が良いだろうと考えていた。自分で PHP を書いて改良したりして運営を続けられる技術があればどうにかやっていけるのかも知れないが、僕は出来ないからね。
 そうこうしているうちに先々月、とうとう本家から開発終了が宣言された。

 Over the last few years, development of Nucleus CMS has slowed to a standstill. Unfortunately, most of the people who contributed over the years to keep new versions coming out (and the website updated) can no longer do so. After consulting with Wouter Demuynck and other developers, it has been decided to officially sunset Nucleus CMS.Announcement

 公式とは別に開発を継続していくプロジェクトも予定されているのだが、いずれにしてもプログラムが書けない僕が運用出来る代物ではなくなるだろう。

 オリジナルチームによる開発は終了しますが、公式最終版である Nucleus CMS 3.65 からフォークして、PHP 5.4 以降で発生している障害などを修正した LMNucleus 3.66 というプロジェクトが紹介されており、LMNucleus は、今後の開発継続の意向が示されています。Nucleus CMS 開発終了と、これから

 仕事としてこのブログシステムを扱っている人にとっては、この事実は単に技術的な変換の問題(労働時間や費用の問題などを含む)なのだろうと想像するが、極めて個人的な理由で使っている者にとっては、付随していろいろと考えてしまうものである。この話は少し続く。

2014.09.30:Wordpress に移行済み。

愛媛県八幡浜市立日土小学校

 ただの寄せ集め記事である。今朝観ていた NHK の「あさイチ」で紹介され、とても気に入ってしまったのでその確認用に。まずは YouTube に写真をコマ撮り風にまとめたものが在ったのでそれを。

 静止画で見たければこちらのブログを。見学会に参加した際に撮った写真でリポートしている。そして Wikipedia にも頁があった。概要は以下。

 1956年竣工の中校舎と1958年竣工の東校舎はいずれも同県大洲市出身の建築家松村正恒(1913年~1993年)が八幡浜市建築課に勤務していた時の設計による2階建て木造建築で、鉄筋コンクリート造や鉄骨造がほとんどのモダニズム建築を木構造により実現した極めて稀なもの。学校建築としても日本でクラスター型教室配置計画を採用した唯一木造による最初期のもの。
八幡浜市立日土小学校 – Wikipedia

 情報を加えるなら、上記した見学会参加の記事中にこうある。

 松村氏は1913年(大正2年)愛媛県大洲市に生まれ、東京の武蔵高等工科学校(現・東京都市大学)や土浦亀城建築設計事務所で欧米のモダニズム建築を学びました。戦後は故郷愛媛に戻り、八幡浜市職員(建築技師)として勤務した時期も。この日土小学校や病院関連施設など、多くの優れた公共建築を設計されました。八幡浜市立・日土小学校を見に行ってきました – 愛媛 南予にきさいや

 それから、東京の建築ギャラリーサイトにも写真と文章と図面で紹介されており、神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科のサイトの記事には、夕景の写真が在る。

偏奇館跡を訪ねる

 去年の10月の終わりに上京した際、もう一カ所訪ねた場所があった。永井荷風が大正9年から、空襲で焼け出される昭和20年まで住んでいた偏奇館の跡地である。在京している間も訪ねてみたいと思いながら何となく行かず仕舞いであったが、これまた川本三郎が著した「荷風と東京」を読んで改めて行きたくなった。上巻の「崖の上の家ー偏奇館独棲ー」の中にはこうある。

 サントリーホールや全日空ホテルのある六本木アークヒルズから飯倉に向かう道を左に折れると、道源寺坂と西光寺という寺が相接してある。両寺にはまだ小さいながらも墓地が健在で、その墓石を見下ろすようにアークヒルズの建物が建っている。
 この道源寺坂をのぼった崖の上が、荷風の偏奇館のあった麻布市兵衛町である(現在の町名は六本木一丁目)。このあたりはいまでもアークヒルズの隣接地とは思えないような古き良き、静かな町である。個人の住宅がまだ何軒か残っているし、細く、曲がりくねった道が、車が入ってくるのを拒んでいる。

(中略)

 道源寺から、まさに「間道」のような細い道を右に折れ、左に折れしながら歩いて行くと崖の上に出る。そこにヴィラ・ヴィクトリアという五階建ての小さなマンションが建っている。そこが荷風の偏奇館があったところで、マンションの傍に港区教育委員会が昭和五十二年建てた「偏奇館跡」のささやかな碑がある。碑のそばに、沈丁花が植えられている。沈丁花(瑞香)は荷風が好んだ花のひとつ。
川本三郎著『荷風と東京(上)』岩波原題文庫 2009年 pp.98-99

 そして章末にはこんな注意書きが添えられていた。

 追記 この原稿を書いてから、偏奇館周辺は地形を変えてしまうほどの再開発によって激変した。偏奇館のあとに建てられていたヴィラ・ヴィクトリアはいまやあとかたもない。現在は、泉ガーデンタワー(二〇〇二年竣工)という大きなビルが建っている。敷地内に偏奇館跡の小さな碑が作られているのが救い。
川本三郎著『荷風と東京(上)』岩波原題文庫 2009年 p.110

 読む限りかなり残念な状況になっている様子が伺えるが、取り敢えず行ってみる事にした。

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 この日、実際には森美術館で展覧会を観てから行ったのだが、地下鉄に乗る為に深い階段を上り下りするのが煩わしくて結局六本木一丁目まで歩いた。で、この写真は六本木一丁目駅付近に向かって撮ったもの。右側に見える白い高層ビルが泉ガーデンタワー。

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 そして、六本木一丁目駅の出口を越え、六本木二丁目交差点の手前で右に折れ、細い坂道の少し登ると西光寺がある。

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 道源寺坂と呼ばれるそうだ。坂道は緩やかに弧を描きながら続いていく。

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 すると道源寺の山門が見えてくる。これを過ぎて坂を上り切ったところが崖の上、という感じでもなかった。なんせ見晴らしというものがないのだ。そしていよいよ偏奇館跡碑は何処だろうと探し始めた。上図を見ると簡単に行き着きそうだが、実際にはかなり探した。泉ガーデンの敷地内である事は間違いないだろうと、隈無く歩いてみたが見つからず、変だなあと敷地の周りを歩いていたら見つけた。

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 生け垣の外側ではあるが縁石の内側で、これは確かに敷地内である。もっと見えづらい場所にうち捨てられたような佇まいを想像していたので、予想外であった。

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 平成14年の日付があるが、もともと在った碑を移したのだろうか。しかし教育委員会がねぇ、荷風をねぇ。何だか妙な感慨があった。実は、僕がこの碑を見つけた時には先客が居た。60代と思しき男性が佇んでおり、一頻り眺めた後に写真を撮って立ち去って行った。なので僕は少しの間待っていたのだ。貴方も荷風お好きなんですか? と話しかけても良いような気もしたが、そんな馴れ合いを荷風は好むまいと思い、止めておいた。

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