DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: April 2007

サイレン

 一昨日の夜の事。部屋で寝転がって漫画を読んでいると、近所から男の子の泣き叫ぶ声が聞こえてくる。どうやら駅の方角から近づいてきているようだ。暫く耳を澄ませていると、男の子の泣き声に混じって母親らしき女性の声と、姉らしき女の子の声が聞こえてくる。声を嗄らし、裏返った声で絶叫する男の子を二人で窘めているようだ。
 男の子の叫び声は尋常ではない。夜を切り裂くように絞り出される。母や姉が何か不条理な事を彼にしたのか、それとも彼自身が不条理たりえた結果なのか、それは判らない。理由は何にせよ、彼は彼自身の世界の崩壊を訴えているように思えた。実際のところ、その男の子が何を訴えていようと僕には関係のない事だし、そもそも理解の範疇を越えていると思うので不快ならば耳を塞いでいれば良いだけの話なのだが、響き渡るサイレンは僕にも少なくない影響を与えるのであった。
 男の子の叫び声は、100Mばかり先の四つ角辺りで建物に遮られて消えた。夜は再び静けさを取り戻した。

健康優良不良少年

 AKIRA を久しぶりに読み返す。どれくらい振りだろうか。6巻を1993年3月に初版で発売していて、その発売を心待ちにしていた記憶がある。夜中までかかって一気読みして、その後も眠れなくなった。いつまで経っても刺激の多い漫画である。

 さて、バイクに跨り疾走する不良少年とは王道中の王道(解りやすいという意味で)であるが、何故にこうも憧れてしまうのだろうか。思えば優良少年にも不良少年にも成り損ねた僕は、中途半端なままで少年期を過ごした。友達の兄貴や小学校の頃に一緒に野球をして遊んでいた友人達は何故かしら半数以上が不良になってしまい、夜毎にバイクを乗り回していた。当時の僕は崩れ始めの時期で、不良品と言えばそうだったのだが彼等のような格好良さもなく、ただただ燻り続けていた。つまり外の世界へ出て行く事が出来なかったのである。今思えば不健康極まりない状態だ。バイクの疾走とはつまり行き場のない欲求を霧散する或る種の活路であったのだ。後年、中型の免許を取得し実際に自分で走ってみてよく解った。走っているだけで、自分の中に鬱積した実体の無い不快物質を遙か後方に置き去りにする事が出来るのである。

 近頃、何年も前にバイクを降りたはずの古い友人達が再びバイクを買ったと聞いた。息子が生まれたばかりなのに、中古で買った SR400 のマフラーを純正に換える事(正直この部分は理解しかねる)で頭が一杯のヤツとか。長女が幼稚園に上がったばかりなのに、愛車の交換部品を確保する為に同じ車種のジャンク品を買うヤツとか。
 僕もまたバイクに乗りたいなあ、と思う。何ならこの際大型の免許取ろうかな、とも思う。しかし今以上にやる事増やしても困るなあ、とも思うのである。

 すっかり AKIRA とは関係の無い話になって仕舞った。強引に纏めると、不良少年はずっと居なくならないだろうし、不良少年に憧れる少年(だった人も)も居なくならないのだろうな。

Unplugged / Arrested Development

 物凄く久しぶりに聴いたと思ったら、オリジナル盤の発売が1993年か。当時の同僚が繰り返し聴いていて、僕もよく判らないままに耳にしていたのだけれど、それから数年経ってから、ある日ふと耳に蘇ってきて聴きたくなったので買ったのだ。
 ギターもピアノも打楽器のように使う。勿論それで旋律も奏でるのだが、メロディーというより複雑な波を起こしているような感じ。全体的には打楽器のアンサンブルに人の声が絡んでいくような印象を受ける。こういう心地良さに耳を傾けていると、欧州や日本、中国その他の音階が主体の音楽はノイズの塊のような気がしてくる。それはそれで好きで聴いていたりもするのだけれど。

東京の桜

 思えば、子供の頃には桜なんかちっとも好きではなかった。どちらかと言えば花より、桜の木に棲息する毛虫の方が印象に残っている。そいつらに刺されると本当に痛い。そんな痛みの記憶ばかりが残っている。桜が好きになったのは歳を取ってからだと思う。それは何故だろうか。よく判らない。
 毎年観ていて思うのだけれど、桜の花は開花からほぼ一週間くらいで散る。待ちに待っての一週間である。更にはその時期には何故か必ず雨が降ったり風が吹き荒れたりする。切ない。そんな意地悪すんじゃねえよ、てな事を天に向かって嘆いたりしそうにもなる。それでも桜の花は淡い色彩を孕みつつ、豊満に咲き誇る。歳を取れば取るほどに梅の花が好きになっていくという説も在る。確かに梅の花は可愛いし可憐である。しかしながら色気という点で桜に適わない。桜には後も先も無い。溢れんばかりの過剰さで咲き乱れては、直ぐさま散って落ちる。かくも短い命の花だからこそ美しいのだと思う。

 この時期、電車に乗って東京の街を移動していると、こんな所にも桜の木が在ったのかと改めて認識するのであるが、それさえも二週間も経てば忘れ去ってしまいそうなのである。一年の間ひっそりと佇んでいた桜の木は、この一週間の間だけ、約束された光を浴びながら、狂おしいほどの熱情で天を仰いでいるのである。

桜坂

 東京は昨日から桜が満開であった。しかしながら昨日は所用で出かける事がままならず、本日のみの桜行脚だ。今日足を運んだのは東京は大田区に在る桜坂。東急多摩川線の沼辺駅から歩いて間もない場所に在る。福山雅治の歌で有名だし、タモリの「TOKYO坂道美学入門」でも紹介されているので、一度は行ってみたかったのである。

hobby_20070401a_01坂の中途に掛けられた橋の上から: 両脇の高い位置に桜の木が植えられていて、道路に追い被さるように花が咲き乱れている。この「桜が自分に覆い被さってくる」という感覚は実に良い。まあ、実際には道路は車道しかないので其処を歩く訳には行かないので非常に残念ではあるのですが。両側の高い位置にある歩道の横には住宅が建ち並んでいるので、其処の住人及び招待客達が駐車場にテーブルと椅子を並べて花見と洒落込んでいました。こういうのは地元の人達の特権ですね。羨ましい。しかしながら、此処の桜は車で坂を登ったり降りたりしながら観るのが一番美しいような気もします。

 余談ですが、此処数週間の間、僕の頭の中は「桜祭り」でありました。桜に関する歌を色々聴いたり、WEBの彼方此方で桜の画像を漁ったり、どういう訳だか解りませんが本当にもう桜色の花びらで一杯だったのです。

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