DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: December 2007 (page 2 of 2)

炬燵ライフに於けるその装具、供物及び着衣についての考察

 休日に一日部屋に籠もってぼけーっとしていると、いろいろと下らない事を考えてしまうものだ。昨日なども柔らかい陽射しが差し込む部屋の中で、オイルヒーターと加湿器で暖められた空気に微睡んでいたのだが、ふいに炬燵が欲しいなと思いついた。思いつくのは勝手だが我が家は狭い。ベッドかテーブルを始末しない限りは炬燵を置くスペースは無い。その歴然とした事実は如何ともしがたいので、炬燵を購入する件はすっぱり諦め、僕にとっての理想的な炬燵ライフについて考え始めたという訳である。以下にその諸条件を記す。

  • 炬燵布団には暖色を用いる。江戸前の藍と灰色と黒の縦縞も考えたが、何処となく寒々しいので止める。因みに僕の実家では、母の好みが大きく反映されていて、色は赤から橙までの色で、格子柄が多かったように思う。それでなければゴブラン織りのような重圧な文様柄。
  • 天板は木目を用いる。まあ、それ以外の物って見た事ないけど。
  • その天板の上に配置されるのは、急須・湯飲み・竹編みの容器に収まった蜜柑若しくは林檎・サラダ一番・アルファベットチョコレート、そして新聞広告を折って作った屑入れ・花瓶が一つ。
  • 部屋の隅には画面の大きなテレビ。自分の周りに放置されているのは漫画と小説。
  • どうせその内に横になるので座椅子は要らない。その代わりに枕代わりにする座布団。
  • そんな空間での自分の衣服はというと、丹前。これは外せない。その下には着古したスウェットシャツ若しくはセーター。で下半身にはやはりジャージだろうか。出来ればバッタもんである事が望ましい。「 adidos 」とか「 Pama 」とか「 Mike 」が適当だろう。
  • ここまで揃えればかなり充実した炬燵ライフを送る事が出来る。しかし欲を言えば、言わせて頂くならば、外を眺めるのに雪見障子が欲しいところである。そして勿論眺めるべき庭も。

 とまあ、こんな事を考えていたのだが、かなり個人的な経験に基づくものになってしまったので、僕以外の誰の役にも立たないだろうという気はする。世の中には炬燵と共に冬を過ごさない人はたくさん居るのだろうし、最早炬燵に愛着を感じる人の方が少ないかも知れない。炬燵を用いると掃除が大変だし、それを怠ると不衛生であるし、考えてみればちっとも合理的ではない。しかし、あの暖かさはいつまでも冬の記憶として忘れられないのである。

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 これまで佐野元春宮沢和史岸田繁と共演・共作・カヴァーしていたが、矢野顕子が歌い始めた途端に、完全に彼女の曲になってしまうような印象を持っていた。共演者が喰われてしまうようなコラボレーションは失敗だと思うのだが、何故か懲りずに繰り返すのは何故なのだろうか。そんな事を考えていたら、今度はレイハラカミとユニットを組んだという事で聴いてみると、これは巧い具合にバランスが取れていて、とても幸せな関係を築いていると思える。お互いを邪魔する事無く、まるでじゃれ合うように音楽を作り上げている。やはり矢野顕子と一緒に歌ってはいけないのだな、と思った。もし彼女に匹敵するくらいに歌える人が居れば話は別だけど。

山手線沿線を歩く(日暮里〜西日暮里)

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お洒落ポスト: 恐らく35年くらい前では「お洒落」と称されていたであろう郵便受け。その昔に化粧品を買った際の包装紙に使われていたようなグラフィック。時代に取り残された流行であるが、流行が二回りほどした今現在では、僕個人の感覚を持って言えば「あり」な気がする。なんなら僕の郵便受けをこんな感じに変えたいくらいだ。この辺りは長い事建て替える事なく維持されているアパートが結構建ち並んでいるようで、そんな場所には人間の痕跡が埃を被って放置されていたりするので、見ていて飽きない。

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Y字路: 強引な定義付けのような気もするが、この角は気に入った。左に行けば高架上の線路を潜る道。遮断機とガードが見える。右に行けば線路沿いを進む道。歪んだフェンスとその向こうの雑草の生え具合が堪らない。踏切付近の光景は何故こうも郷愁を誘うのだろうか。この場所には、陽が傾いた時刻、若しくは夜に再び訪れたい気になる。踏切に設置されている照明に照らされた姿はさぞ美しいだろう。

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ガード下の歩道: ガードレール代わりの柵の影が路面に創り出す模様が面白い。僕は柵の影を踏まないようにジグザグに歩いた。小学生の頃、登下校の道々にいろんな遊び方を持っていた事を思い出した。「退屈」が存在する事を知らなかったあの頃の僕は一体何処へ・・・。

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目隠しにエロ: 駅の近く、焼鳥屋や携帯電話ショップなどが軒を並べるその一角。何の店かは忘れたが、店内を除く輩の目から隠す為に貼られたグラビア。陽に灼けて古く見えるが、モデルの髪型見たりするとそう古くもないようだ。こういうのを眺めていると、小学生の頃に橋の下でよく見かけたエロ本を思い出す。記憶は朧気だが、比率としてエロ漫画7割、エログラビア3割くらいであったかと記憶する。

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西日暮里駅: 僕はこの駅で降りた事がなかったのであるが、意外にもガード下に入口が在った。とは言え、新橋のガード下のように飲み屋が連なる訳でもなく、わりと閑散とした駅周辺であった。要するに歩いている人が少ない。けれどその方が歩くには都合が良い。雑踏の中を歩くのも嫌いではないけれど、ずっと其処に居るのは気が滅入る。気持ちが荒んでくるのだ。

 東京に来て、下町や取り残された区域の廃れ寂れた光景を眺めるのがいつの間にか好きになった。郷愁に似た感覚があるのでそういうものかと思っていたが、時折帰る故郷にそのような風景は殆どない。では一体何なのだろうと考え続けているのだが、未だにその答えは思いつかない。
 因みに、Flickr を眺めていると、どの国の人でも鉄道の在る風景を好きな人は多いようだ。男ばかりだが。

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