DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: July 2008 (page 1 of 2)

Chineseman in Tokyo

 僕が上京したての頃、当時は未だ東京で学生をしていた友人と夜の山手線に乗った時の話。

 乗客の少ない車両に乗り込んだ僕等の耳に男の怒号が聞こえてきた。「おまえ中国人だろう!」「よお、おい!お前は中国人だろうってんだよ!」見れば薄汚れた身なりの老人が口角に泡を溜めながら怒鳴っていた。老人の目の前の座席にはステンカラーコートを身に纏った若い男が背筋を伸ばして座っていた。歳は20代の後半くらいか。見た目で彼が中国人であると判断出来る要素は何処にもない。それでも老人はしつこく繰り返す。泥酔しているのか、同じ言葉をただ大声で繰り返している。車内は凍り付いたように静まりかえっていて、罵倒されている男はじっと堪えていた。
 やがて扉が閉まり、電車は動き出した。それでも止まない老人の追求に、僅かに男の表情が揺らいだかと思うと俄に立ち上がってこう言った。「そうだよ、俺は中国人だよ!だけどそれの何が悪い?俺は一生懸命働いて日本で暮らしてるんだ!中国人だからって何で馬鹿にされなきゃいけないんだよ!」本当に彼は中国人だった。僕はその事に驚いていた。それにしても老人は何故彼が中国人だと判ったのだろうか。男に怒鳴り返され、老人は言葉を失っていた。まさか言い返してくるとは思わなかったのだろう。態度が急に軟化し始める。そして次の駅に到着した時「電車降りて話そう」そう言って男は老人と共に電車を降りて行った。

 車内の残った僕と友人は「あの人カッコええなあ」などと単純な感想を言い合っただけで済ましていたのだけれど、僕はその後度々その時の事を思い出していた。
 一方は、年若く男前で、背も高ければその服装からして金も十分に稼いでいそうな中国人の青年は、見ず知らずの薄汚れた老人から、自分が中国人というだけの理由で罵倒されるのを何故我慢しなければならなかったのか。そしてもう一方は、どういう理由なのかは知らないし知りたくもないが、時代錯誤な差別意識に頼らなければ自分自身を保つ事が出来ない程の状況に何故陥ったのか。こんなにも悲しい場面にはそうそうお目にかかれないし、それ故いつまでも忘れる事が出来ない。

山手線沿線を歩く(恵比寿〜目黒〜五反田)

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 左上: 山手線の線路とその向こう側に恵比寿ガーデンプレイスを眺めながら、緩やかな坂道を歩く。どうでも良い写真だが説明の為に一応載せておく。何の説明なのかは後述する。

 右上: 整備された街を歩いていると時折こういうのを見かける。しかし大概はその土地の区や施設の名称が彫り込んであるものだが、これはそういうのは一切無かった。絵柄は周囲の風景にそぐわないし、一体どういうつもりの物なのかが不明。

 左下: 街の片隅に、こういった感じで街灯や電柱や信号機やカーブミラーが佇んでいると、思わず写真を撮ってしまう。物を擬人化するのは余り良くない習慣だとは思うのだが、どうしても止められない。

 右下: ガード下の踏切。複雑な障害物が進路を執拗に妨げる。恐らく自転車や何かで、ぎりぎりのタイミングでこの踏切を突っ切ろうとする輩がたくさん居るのだろう。そんな気分になるのは解る気がする。
 さて、左上の写真の右側には、余った土地を無理矢理に利用したような、ただただ整備しただけのつまらない公園がある。公園と言えども地べたは土ではなく全てインターロッキングに覆われ、ベンチが二台と意味のよく解らないオブジェのようなものが設置された、とても憩う気分にはなれないような空間。僕は其処で俄には信じ難い光景を目にしたのである。
 二台あるベンチの内の一つに一人の女が座っていた。髪型や肌の白さや大きな目が緒川たまきに似たその女性は美しく、この日の天候の穏やかさを慈しむが如く微笑んでいた。そしてその両膝には男が半身を投げ出し顔を埋めていたのである。彼女の左手は男の肩に置かれ、右手は男の髪の毛を優しく撫で続けていた。大きな公園、例えば代々木公園や新宿御苑ではこういう光景をたまに見かけるし、いーなあ羨ましいなあ俺もあんな風に女に優しくされてえなあと涎をダバダバ垂れ流すくらいで済む話なのだけれど、今回は少し事情が違う。何が違うかと言えば、その男はどう見ても一般的には浮浪者と呼ばれてしまうような出で立ちであったからである。
 薄汚れたブルゾンにこれまた薄汚れたスウェットパンツにスニーカー。そのどれもが元の色が判別出来ないくらいに退色している。ベンチの傍らには僕が中学生の頃に乗っていたようなかなり古いタイプの自転車が駐めてあり、荷台にはダンボール箱に色々な物が詰め込まれた状態で括り付けてある。女の膝に埋まっているので顔は判らない。しかし彼女が撫で続けている髪の毛が白髪混じりな事から、男は中年以上の年齢であるのだろう。僕は狼狽しながらも目が離せずにいた。何故だ。何故この組み合わせが成立しているのだ。僕はその現実離れした光景に目を奪われ、その場に立ちつくしていた。
 そのまま見つけている訳にもいかないので僕は取り敢えず彼らの前を通り過ぎた。しかしどうしても気になる。このツアーでは、行き止まりでもない限り後戻りする事を自らに禁じていた僕であるのだが、今回ばかりは戻った。一度戻り、再びコースに乗る為にもう一度通り過ぎた。その際に女と目があった。その目に拒否の色が見て取れたので僕はそのまま歩き去らざるをえなくなった。後ろ髪引かれる思いとはまさにこの事である。僕はこの二人に物凄く興味を持った。何なら写真を撮ってインタビューでもしたいくらいである。彼らの背景に物凄く濃厚な物語の存在が伺えて、その予感に強く惹かれるのである。しかしながら、その物語の中に僕が足を踏み入れるのは非常に失礼な気がして、僕は歩き去る事にした。

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 : 右側の線路と左側の住宅地へと伸びる二股に挟まれる形で設置された公衆電話ボックス。公衆電話自体が急激に減っているこのご時世だが、このボックスは当分残されているような気がする。立地条件がとても良い。手前に立つ樹木が何なのか確認し忘れたが、桜のような気がする。春も盛りの真夜中に、街灯に白く浮かび上がる桜に身を隠しながら、恋い焦がれる誰かに電話したくなる絶妙な舞台装置だ。今時そんな人は居ないかも知れないけど。

 : 五反田駅。何の面白みもないどころか、荒んだ気持ちになる面構えだ。

 恵比寿で見かけた二人の事が余程気になって頭から離れなかったのか、目黒駅の写真を完全に撮り逃している。

山手線沿線を歩く(渋谷〜恵比寿)

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 渋谷駅の南側、国道246号線・高架上に首都高速3号線を渡り恵比寿駅方面へ歩く。渋谷駅周辺はグラフィティやそれに及ばない落書きが本当に多い。他の街に比べて若い連中が集う比率が大きいからだろうか。出来の如何を問わず、許可を受けていない場合には当の建物の持ち主にとっては質の悪い悪戯に過ぎないであろう。全くの部外者が眺めれば結構面白いんだが、個人宅に落書きするのは止めた方が良いと思う。かく言う僕は、小学校低学年の頃に余所様の家のブロック塀を、煉瓦の破片をクレヨンのように使って赤く塗り上げた事がある。勿論酷く怒られた。共犯者の中にその家の子供が混じっていたので怒られるだけで済んだけど、消すのが大変だったな。
 右上の写真の直前くらいに、店舗は割と大きいが立地と店の向きがひっそりとした美容室があり、ちょうど僕が通りかかった時に、店内からスタッフ2人に見送られて物凄い美人が出てきた。その姿を惚けて見ていたら目が合ってしまい、その美人は急ぐように歩き去ってしまった。別にどうでも良い話ではあるが、思い出したので書いておく。

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 恵比寿に近づくにつれて往来を歩く人と落書きの数は減っていく。恵比寿だってそんなに小さな街ではないが、誰でも彼でも「取り敢えず恵比寿に行こう」という発想にはならないと思う。だから人が少ないのだろう。その分歩きやすくて良い街だと思う。個人的には東京都写真美術館くらいしか当てにする場所がないので滅多に行かないが。しかし滅多にしか行かない為、以前来た時に入った店にもう一度入りたいと思っても潰れている事が多い。僕にとってはなかなか付き合い辛い街である。

渚のシンドバッド / 橋口亮輔

 先に書いておくと、登場人物の一人が浜崎あゆみである事に、エンディングロールを見るまで気がつかなかった。
 まあそれは良いとして、己の内なる欲望や欲求に対して羞恥心や罪悪感のようなものを持っている人間にとっては、思春期はまさに地獄の季節である。募り高まる性的な欲求と傷つきやすい自尊心とが最早膠着状態となり、対象を目の前にしてしまえば、世界と自分との距離感を全く掴めずに混乱したまま全てを告げてしまう。それは勿論自分自身と対象となる人間しか目に映っていないからであるが、そういう無様な若い人間の姿も、少し離れた場所から眺めれば結構美しく思えるものである。
 この映画ではそういう事が正確な上に密度をもって描かれている。しかもそれが次々と映し出されるものだから、観ているこちらとしては思わず一時停止ボタンを押してしまうのである。もう見ていられないのだ。かといってそれで観るのを止めてしまう事はなく、腹をくくり息を止めてまた再生ボタンを押す。

 誰かに受け容れられ安心出来る事を、不器用極まりないアプローチで追い求める登場人物達は皆必要以上に傷つき、そのまま生き続けていく事を恐れている。その恐れの中、傷つかず傷つけずに安心して生きて行くにはどうすれば良いのか。混沌とした迷いの中、彼らは懸命に日常を過ごして行く。
 この流れで言えば、次作が「ハッシュ!」となるのは凄く解る。橋口亮輔は一貫して、人の生き方を追い求めているのだと思う。僕はこういう作家が好きだ。音楽にしろ文学にしろ何にしろ、人の一生を描いたものはとても愛おしい。それがカテゴライズとして何と呼ばれるかなんて事は本当にどうでも良い。

 ★

 印象的だった場面を幾つか。

  • 浜崎あゆみ扮する、過去に強姦された経験を持つ女子高生が、精神科医との面談時にこう話す。「私、やられてる時にも人の身体って暖かいんだなあと思った。だから、私は人の温かさというものを信じない。」
  • 撮影の舞台となった長崎の美しい風景。蜜柑畑を抜けた先の陽の光に溢れた浜辺。
  • 山口耕史扮する男子高校生が、自分が河に沈めた自転車を引き上げ、それに乗って走る場面。自転車を駆る少年は美しい。

山手線沿線を歩く(原宿〜渋谷)

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 左上: 明治神宮南参道入口。高い木々に囲まれたこの木製の鳥居が素晴らしく好きである。余り彼方此方の神社を訪ねた事はないのだが、僕の実家の近所にある結構大きな神社の鳥居は石で造られている。社務所や社殿は古いのに鳥居だけ新しく妙に近代的なので何だか変な気がする。

 右上: 渋谷駅方面への線路脇の道。右手には国立代々木競技場。なだらかに下るこの坂道をもう何度歩いただろうか。今では渋谷に行く事は殆どないのでこの道も通らなくなってしまったが、20代の頃には毎週末とは言わないまでも頻々に歩いていた。人通りが少なく歩きやすかったというのもあったのだろう。

 左下:そのまま下っていき渋谷の繁華街に近くなってくると、このようにバイクやスクーター、自転車がたくさん駐めてある。

 右下: 宮下公園。街の真ん中に在る公園には児童の姿はない。大人の身体を持った子供達ばかりが目に映る。とは言え冬の最中(この写真を撮ったのは2月初旬)にはそういう連中すら居ない。うら寂しい限りだが、家族連れが集まってくるような大きな公園でもなければ、東京の公園は、街に人間が多いだけに何処も寂しい。

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 左上: 高い位置を走る山手線と同じレベルに在る宮下公園を降りた道路から撮った写真。

 右上: 明治通り沿いの建物と山手線の間に挟まる駐輪スペース。渋谷は本当にバイクが多い。恐らく路肩やその他、彼方此方に駐め易いからなのだろう。

 左下: それを更に進むと、小さな飲み屋が軒を連ねている場所に続く。こういう空間はずっと無くならないでいて欲しいのだが、呑む人間も商う人間も段々と歳を取って、やがては其処に宿った全ての記憶と共に消え去ってしまうのだろうな。やたらと明るく清潔なカフェやレストランばかりが増えても、人は居場所を無くして困るだけだと思うのだけれど。

 右下: 渋谷駅。たまに来る度に何処かしらが変化している。思い出はいろいろあっても、映画を観に来る以外では本当に用がないので、新しい記憶が上書きされる事もない。中途半端な過去に流された街である。

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