DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: April 2014

ヲタ芸とよさこいソーラン

 先日 World Order の PV でのヲタ芸に関連していろいろ観ていた時に思った事がある。取り敢えずは下記の動画を観て頂きたい。

 詳しいクレジットについては面倒なので書かないが、大まかに分類した「ヲタ芸」と「よさこいソーラン」である。比較しやすいように、なるべく近い条件の動画を探したのだが、状況がまちまちなのでこれがやっとだった。要は何が言いたいのかと言うと、似てるな、と。そりゃあ違う。違うと言えば違う。その規模や、そこから伺える社会に対する馴染み方や、衣装や、BGM に使用している音楽や、言葉が違う。でも似てる。地面にしっかりと足を据え、腰を軸にして踊る様が似ている。人種(今どきこんな言葉で表現する人はいない気がするが)が全く違う人達だと思っていたのに、似ているのはどういう訳なのだろう。彼らに共通するものが何処から来たのかと考えると、これくらいしか思い浮かばない。

 竹の子族一世風靡セピアである。よさこいソーランなんて衣装のセンスも似てるし、集団性も似ている。思うに、長らく日本の社会に守られてきた伝統芸能ではなく、幼い頃からそれらを外側から眺めてきた彼らが、より自分達にマッチするように変化させた結果が表出しているのだと思う。漫画やアニメーションにも同じように影響している様子が伺える。「日本」ではなく「ニッポン」や「ジャパン」というような感じ。まぁ、彼らが海外を意識しているとは思えないんだけど。
 では、海外で紹介されていたりするのだろうか。と思って調べると次のような動画を見つけた。

 米国のアーカンソー大学での映像だそうで、楽曲は「ソーラン節」だが、踊っているのはよさこいソーランであるように見える。日本からの留学生が広めたのか、それとも日本に留学していた学生が自国に戻って広めたのか。いずれにしても受けているようである。しかしそれが、内容が面白いから受けているのか、それとも友人がやってるからと内輪受けしているのかはちょっと判らない。
 そして、これは少し趣きが違うので、一体これは何なのだろうかと更に調べていると、どううやらこれが元ネタのようである。

 なんと金八先生である。コメント欄を読むと、この場面に思い入れのある人が多いようだ。きっと多くの人達がこのパフォーマンスに感銘を受けたのだろう。であれば、それを模倣して広めようとする人もそこそこ居るに違いない。
 ではこれは一体何処から来たものなのか。更に見ていくと(さっきの Wikipedia のソーラン節の記事の中に記述があった)、北海道の稚内市立稚内南中学校で考案されたもので「南中ソーラン」と呼ばれるものらしい。

 だんだん訳が判らなくなってきた。この記事の書き始めでは、何かしらまとまったものを書くつもりであったのだが、いろいろ調べている内に収拾が付かなくなってしまった。
 それはさておき、よさこいソーランと同じく、この南中ソーランも全国的に広まって来ているようで、タイトルに南中の文字が入った動画がたくさんアップロードされている。何れにしても、今後とも国内では広がっていきそうな感じである。

ロボティック・ライフ

 須藤元気については、昔格闘技の試合をテレビで観た事があるような気がするし、映画に出演しているのを観た事もあったが、取り立てて興味も湧かずに終わっていた。音楽とパフォーマンスをやり始めた事も耳にはしていたが、やはり流してた。ところがつい先日、配信されてきた記事の中に彼が率いるグループ World Order の新作が載っていたので、どういう訳か観てみようという気になった。それがこの動画。

 ロボットダンスとは意外だった。格闘家というイメージと風貌から、よさこいソーランのようなものを勝手に想像していた。当人の事をよく知らないからこその偏見だ。しかも結構出来が良いと思う。楽曲自体はそんなに良いとも思えないが、パフォーマンスの BGM としては充分だし、何度も聴いているうちにだんだん好きになってきた。YouTube にもチャンネルがあってこれまでの作品を観る事が出来る。それぞれになかなか楽しい。ロボット歩行ダンスの手本にしたのは、この年代のアシモだろうか。(下記動画参照)このコマーシャルも出来が良い。

 ロボティックな動きというのは愛嬌があり、それでいて見ていて悲哀をも感じるは何故なんだろうか。動きがぎこちなくて不自由そうだからだろうか。一生懸命に動いていて、それ故に邪心を持っていなそうだからだろうか。人間の勝手な思い込みには違いないが、一体そこに何を見ようとしているのだろう。
 World Order の場合は、スーツを着込んで髪の毛を整えているところから、日本社会のサラリーマンの非人間的な生活を揶揄したり同情したりしているのだろう。そしてこれが Perfume となると、恋に焦がれる籠に捕らわれたアンドロイドというような表現になっている気がする。もしかしたら社会に於ける女性の姿を模しているのかも知れない。(下記動画参照)

 で、World Order の話に戻って、上記の動画の中で、ロボリーマン達が他のファンに混じって AKB 劇場でオタ芸を打つ(高じる事をそう呼ぶそうな)場面があるが、あまり楽しそうには描かれていない。ファンはただがむしゃらにペンライトを振り回しているだけだし、華やかな笑顔で歌い踊るアイドルはステージを降りると憂鬱な表情で佇んでいる。ロボリーマンやアンドロイド姫となんら変わりはないように見える。楽しそうには見えないが、しかしそれは彼らが選んだ幸福であるのかも知れない。アイドルは生身の感情を捨て去りステージの上で花と咲き、ファンは応援しているというより一心にアイドルと同化しようとしている、ように見える。
 World Order の他の動画に比べ、この動画はそういった厭世観が色濃く表現されている。須藤元気という人は、結構そういう事ばかり考えながら生きている人なのかも知れない。

 ギャラリーでのプライマリー・プライスは、同じ種類であれば作品のサイズによります。ほかにも価格を左右する要素として「素材」と「数」があります。
 素材とは、ペインティング(油彩画、アクリル画)、ドローイング(線画、水彩画)、エディション(版画等)の違いです。制作に時間と労力を要し、よってアーティストのタブローとしての意味合いを持つペインティングは、価値がもっとも高くなります。ドローイングにも秀作は多くありますが、紙に描かれた線画や水彩画は、基本的にはペインティングより安価です。
 もっと安価なのが、複製可能なエディション作品です。アート作品は、世界にたった一つしか存在しないからこそ価値があるのが原則だからです。銅版画、リトグラフ、シルクスクリーンなど技法はさまざまです。最近では高画質デジタル印刷も版画に仲間入りし、複数製造が可能なフィギュア作品がエディションとなる場合もあります。ただし、複数とはいっても限定制作によって価値が管理されています。この限定番号のことをエディション番号と呼びます。(和田)

小山登美夫著『現代アートビジネス』アスキー新書 2008年 pp.110-111

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