DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: January 2015

グスターボ・ドゥダメルとシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ

 最近また視聴する機会があったので、この際に何となくまとめておく事にした。

 最初にこの動画を観たのだったと思う。それで、この動画を観るきっかけになったのは一体何だったか。たしかこのような記事を読んで興味を持ったのだったと思う。これは当時読んだ記事ではないが、該当の記事では「のだめのSオケのパフォーマンスは、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラのからヒントを得たものである」くらいにハッキリ書いてあった。「のだめカンタービレ」のドラマは2006年10月からの放映で、2006年からドゥダメルはシモン・ボリバル・ユース・オーケストラを指揮しているようので、その頃からベネズエラや海外ではあのようなパフォーマンスをやっていたのだと考えると、その可能性はありそうだ。因みに今話しているのはドラマ版のだめカンタービレの第四話、Sオーケストラ演奏会の様子である。更に因むと、原作の漫画版では第三巻の内容で、これは2002年が初版である。パフォーマンスもずっと地味で、これはあまり関係なさそうだ。

Wikipedia – グスターボ・ドゥダメルWikipedia – シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ

 上に載せた動画は2008年12月にドゥダメルとシモン・ボリバル・ユース・オーケストラが初来日した時の映像のようだ。おそらくテレビで放映されたものなのだろう。当時の公演のインフォメーション・サイトがまだ残っていた。解説も期待感をかなり呷っている。しかし、動画のコメント欄には指揮者とオーケストラはノリノリなのに客が冷めていて勿体ない、というような書き込みも出てくる。でも何のコンサートでも日本人はそうなので、決して受けなかった訳ではないと思う。客までもノリノリだとこんな感じになるらしい。カラカスはベネズエラの首都である。

 ドゥダメルとシモン・ボリバル・ユース・オーケストラを育てたエル・システマに関する映画もあって、それは未視聴なのだが、YouTube にトレイラー動画が在った。これだけでも様子が掴めると思う。

Wikipedia – エル・システマ

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 これはBBC プロムスという英国の音楽祭におけるアンコール演奏の様子なのだが、アンコールでオーケストラはベネズエラのナショナルカラーを使ったユニフォームに着替えて出てくる。この映像に限らないのだが、オーケストラのメンバー達の表情がとても誇らしげである。上のリンク先の内容と重複するが、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラの概要を記す。

 「エル・システマ」を実践するFESNOJIVが1999年に設立。エル・システマは、元政治家で経済学者のホセ・アントニオ・アブレウ等の提唱により1975年から始まった。
 エル・システマ生徒の中には元ストリートチルドレンで麻薬の密売や強盗を経験した者もいるが、こうした者を更生させたり、放課後に子どもたちを音楽に従事させることで犯罪から守る役割を果たしている。エル・システマのモットーは、”Tocar y Luchar”(奏でて戦う)である。
 FESNOJIVは、現在ベネズエラに200もの青少年オーケストラを運営している。14歳未満の子どもたちからなる児童オーケストラ、14歳から25歳までの青少年からなるテレサ・カレーニョ・ユース・オーケストラ(2009年設立)などである。その中から選抜されたメンバーで組織したのがこのオーケストラである。オーケストラのメンバーは25歳以上の青年からなる。

 文中にある団体「FESNOJIV」の理念にもあるように「貧しい子供達のための、クラシック音楽に拠る無料の教育」の成果なのである。

 ここからは僕の勝手な想像に過ぎないが、このオーケストラの団員であること、そして自分自身であることへの誇りがこうした表情に顕れているのではないだろうか。彼らの演奏を聴いたり、その様子を観たりすると、自分の中から「嬉しさ」が湧き上がってくる。それは彼らの中に喜びが溢れていて、それが美しい音となって流れ出し、しかしそれでも全然足りないので、ドゥダメルの指揮の元、半ば統制されたパフォーマンスとして発露しているからではないだろうか。

平成二十七年正月記

 正月は二日から寝込んでいた。元日の午前に末弟の家族が埼玉へ帰り、やれやれ静かになったと午後を静かに過ごしていたのだが、夜になって急に身体が疲労して耐え難くなったので早めに床に入った。そして翌朝は頭と喉と背中と腰が痛くて起き上がれなかった。熱はあるがさほどでもなく、計ってはいないが恐らく38度少しくらいなものだったろう。大晦日辺りから咳が少し出てはいたのだけれど、突然の災厄であった。

 そこまではたまにある事なのでどうでも良いのだが、三日ほど寝込んだうちの前半は、覚醒した状態と昏睡した状態を行ったり来たりしながら長い時間を過ごした。時間の経過が感じられたのは、目を覚ました時に気付く部屋に差し込む光の量が変化するせいであって、痛みと苦しさに荒く呼吸しているだけの存在と成り果てていた自分には何も考える事すら出来なかった。ただし、目をつむってしまうと瞼の裏に映像のようなものが見えた。それは健常な時でもたまに見える抽象的な色彩パターンではなく、やけにリアルな具象ばかりであり、大きな意味でのパズルのようなものだった。鉄片を切り取った複雑な形のジグソウパズルのようであったり、悪質な人々であったり、文字としての恨み辛みを繰り返す言葉だったりした。それが何かの答え合わせをするかのように二つのものが組み合わせを確かめ、大概は上手くいかずに次のものに入れ替わった。それは4分の1拍子くらいの速度で入れ替わり、それがずっと続くのだ。ああ、とうとう頭がおかしくなったのかと思っていると意識が消える。その繰り返しだった。途中何度か家人から声を掛けられ、生返事をするという事を何度かしている。差し入れて貰った果実を食べたり、ポカリスエットを飲んだりもしていた。

 それから二日目の午後に目を覚ますと身体が随分と軽くなっていたので、どうにか起き上がって台所へ行きマンゴージュースを飲んだ。その時に気付いたのだけれど、口の中からフリスクの破片のような白い物質が驚くほど出てくるし、鼻をかめば血の混じった地獄絵のような粘液が出てくるし、下唇の皮が痛みもなくペロリと全部剥がれた。一体自分はどうしたのか。もしかしたら本気でヤバかったのではないか。考えると恐くなるので自室に戻って再び床へ戻った。身体を横たえて目を閉じると、瞼の裏の映像は見えなくなっていた。僕は深く安堵し、今度は長く眠った。
 しかし睡眠は浅かったようで、今度は夢をいくつも見た。それは映像の断片が脈絡もなく繋ぎ合わせられているようなもので、陰影が強く、色彩が派手な映像だった。しかも物凄く解像度が高くて、思わず(夢の中なのに)眼を凝らしたり前のめりになってしまった。内容は殆ど覚えていないが、人や風景だったような気がする。とても美しい映像だったと思うが、いささか疲れる夢だった。

 現在では完治はせずともだいぶ復調している。思い返せば珍しい体験だったので多少面白く感じるが、二度は御免である。初夢が一富士二鷹三茄子どころか、禍々しい魑魅魍魎のパズル絵だったとは恐ろしい。この体験が厄落としにでもなってくれれば良いと願うのと同時に、後から見た夢のように刺激的で美しい光景に自分の現実が飲み込まれる事を願ってやまない。

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