先日観たので少し書き留めておく。

 前回観た「藏」とこの「春燈」そして「櫂」は、宮尾登美子原作の NHK ドラマ三部作のような扱いになっているが、最初の「藏」の原作本が発刊されたのは1993年で、「春燈」が1988年、「櫂」が1972年と、何故かしらドラマは原作の執筆時期を遡るように制作されている。しかしまあ、その事自体にはさして意味などないだろうから流すとして、女衒の家に生まれたこの物語の主人公は、成長するにつれて父親の職業に疑問を持つようになり、その職業故に進学に支障を来し、友人を失う。父親の呪縛から逃れようと決心し遠く離れた分校に教師として赴任するも、そこでも権力者である父親の影響下から出る事が出来ていない事実に絶望した主人公は、夫を説得し満州へと渡る。というのがこの物語の粗筋であるが、これは原作者の半生と重なる。
 最終話において、確執の行き詰まった父娘は口論を極め、「何故そんなに俺を嫌う?」という父の悲痛な叫びは宙へと消える。お互いに決して譲る事の出来ない想いを持ち続けた、長きに渡る父娘の愛憎の物語であった。

 「藏」の場合、そのタイトルはまず酒蔵を指すのだろうし、次に蔵の中の暗さと視力を失った主人公の世界の暗さを重ねたものであるだろう。では「春燈」にはどのような意味が込められているのか。かつて俳句雑誌に「春燈」というものが在ったようだけど、余り関係なさそうである。ドラマのオープニングで、遊郭の軒に下がる提灯が印象的に映し出されているが、これかも知れない。「春を販ぐ」場所である遊郭の「燈り」だ。遊郭の軒下でその燈りが風に揺れる様と、その家に縛られた主人公の人生を重ねる事は出来そうだ。