DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: June 2016 (page 1 of 2)

 普段、私は大学で教えているので、大学生の「バイト先」の話を聞く機会が多いのだが、現在の学生のバイト先の職場の様子は、1990年代に大学時代を過ごした私のころとはずいぶん変化している。それは一言で言うと、職場を構成している人々の多様性の高まりである。
 私の学生時代を思い出すと、バイト先のファストフード店で働いているのは、多くが年齢層も同じくらいで境遇も似ている人たちだった。つまり、学生のバイト先には学生が多かった。
 ほかにいるとしても主婦パートだが、彼女らは学生たちとは入る時間帯が異なる。その結果、主婦は昼間のシフト、夕方以降のシフトは学生たちで占められるといったことが多かった。学生同士なので、大学のサークルの延長線上のような感じで、割と楽しくバイトをしていた。
 しかし、今の大学生たちの話を聞いていると、だいぶ様子が違う。まず、自分たちより年齢層がちょっと上の人が多い。これは、(元祖)就職氷河期世代である70年代生まれのいわゆる「ロストジェネレーション」のフリーターたちが非正規労働市場に滞留しているためである。また、リタイア後、またはリストラされた中高年もいる。さらに最近は外国人も増えた。それに対し少子化の影響で学生は少ない。働いていても「気の合う人が少ない」とぼやく学生の話をよく聞く。
 私のころと比べ、職場が同質的なものでなくなってきている。それが、今の学生たちのバイト先の現状である。つまり、職場の状況を見ると、昔の学生よりも今の学生のほうが、多様性のなかでもまれていると言うことができる。

阿部真大著『地方にこもる若者たち〜都会と田舎の間に出現した新しい社会〜』朝日新書 2013年 pp.178-179

 このように、商店街が衰退しシャッター街になっていく風景は、地方の若者たちにとって、それまで盤石に思えていた「地域に残って生活し続ける」という将来に対する予期を揺さぶるものだっただろう。つまり「嫌でもここに残っていれば親世代と同じように安定した仕事にはありつける」という前提自体が崩れ去ったのである。しかしそれ以上に、地域社会の顔であった商店主たちが市場経済のなかでプライドを傷つけられ、惨めに散っていくさまは、強いからこそ反発のしがいがあった彼らにとっての「大人の世界」の強固な安定性をはげしく揺さぶるものであった。

阿部真大著『地方にこもる若者たち〜都会と田舎の間に出現した新しい社会〜』朝日新書 2013年 p.123

 80年代に猛威をふるった管理教育は、90年代以降、見直しが進められた。ふたたび国立国会図書館の資料を「管理教育」で検索すると、90年代以降、その見直しに関する記事が目につくようになる。

 (中略)

 事実、90年代に入って、80年代に見られたような露骨な管理教育はなりをひそめはじめる。管理教育という「鉄の檻」がなくなっていくことは、若者たちにとっては「大人たち」からの「解放」を意味した(その流れはその後、「ゆとり教育」へとつながっていく)。
 しかし一方で、そのことはそれまで強固であった「大人の世界」の揺らぎをも意味していた。92年の論文で辻創は学校における「自由放任」の問題を指摘し、後に社会問題化する管理教育の見直しがもたらす「学級崩壊」の弊害について論じている。それはまさしく若者がみずからを抑圧してくる「大人」という「敵」を失った瞬間でもあった。

阿部真大著『地方にこもる若者たち〜都会と田舎の間に出現した新しい社会〜』朝日新書 2013年 pp.119-121

 今でこそ信じられないかもしれないが、80年代は「管理教育」と呼ばれる徹底した規律訓練型の教育方法が多くの学校で取り入れられていた。そしてそれは多くの子どもや親の反感を招いていた。実際「管理教育」をキーワードに国立国会図書館の資料を検索してみると、80年代を中心に、その問題を指摘する記事や本が多数ヒットする。特に多かった81年を見ていくと、「つくられる『良い子』たちーー管理教育の実態を衝く」、「軍隊調も出た管理教育の凄まじさーー復古教師はひたすら深部へ浸透する」、「受験管理教育と非行」、「今こそ管理教育に抵抗する者の連合をーー『右傾化に揺れる学校現場』を読んで」、「ファシズムを先取りする『学校教育』ーー愛知県の管理教育の実態を衝く」など、刺激的なタイトルが並んでいる。

阿部真大著『地方にこもる若者たち〜都会と田舎の間に出現した新しい社会〜』朝日新書 2013年 p.40

 ホステスクラブは、「男らしさ・女らしさ」が過剰に演出される場所だ。店内では、男性はより男らしく(偉そうに・強そうに)、女性はより女らしく(従順に)ふるまうことが求められる。さらに店側は、ホステスと客との間に「恋人のような親密さ」を演出するため、女性が客からのセクハラや性暴力をはっきり拒絶することはできない。
 どうやって客のセクハラから身を守りつつ、同時に気に入ってもらうか。これがホステスの永遠の課題である。これに彼女たちがどう対処しているのかを明らかにしたのが、川畑智子による「ホステスの媚態」研究だ。
 川畑によれば、ホステスは客からのセクハラを予防するため、しばしば「媚態」という行動に出る。媚態とは、あえて自分から客に触れたり、客に自分の体を触れさせたりといった「思い切った行動」のことだ。要は、「こんなに親密にするのは、あなただけよ。だから、これ以上はセクハラしないでね」というアピールである。このような身体技法は、キャバクラ嬢にもよくみられるが、自分から客の身体に触れても、客からの性的侵入を完全に拒むことはできない。ときに媚態は、客のセクハラを助長することにもなってしまう。
 川畑は他にも、素人ホステスが「ホステスらしさ」を獲得していく過程で、男性に従順であることを強いられ、自由意思を抑圧されるメカニズムを描いている。このように、水商売の現場が女性の意志を制限することでおカネを発生させる仕組みであることは、本書でも前提としておかねばならないだろう。

北条かや著『キャバ嬢の社会学』星海社新書 2014年 pp.41-42

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