DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: August 2016 (page 2 of 2)

 ひきこもり事例の治療は、なぜなされなければならないのでしょうか。社会学者のタルコット・パーソンズという人が、病者の権利について、次のようなことを述べているそうです。「病者は労働を免除され、治療を受ける権利がある。また病者の義務とは、治ろうとする意志を持ち、治療者に協力することである」。そう、健康な成人の義務が労働であるとするなら、病気にかかった成人の義務は「治療努力をすること」なのです。このように断定することで、素朴でしっかりした「臨床の視点」を定めることが可能になります。「治療主義」との批判はもとより覚悟の上です。私は一人の臨床家として、このような基本姿勢のもとで、社会的ひきこもり事例と向き合ってきました。そしてこの間、基本姿勢を変更する必要を感じたことは、ただの一度もありませんでした。

斎藤環著『社会的ひきこもり〜終わらない思春期〜』PHP新書 1998年 p.118

 私はよく、「ひきこもり」の治療を成熟の問題と結びつけます。しかし「成熟とは何か」とあらためて問われると、これはまたきわめて難しい問題です。精神医学、とりわけ精神分析の分野では、まさに「成熟」は一大テーマです。しかし本書では、ごく実用的な視点から、成熟のありようをごく簡単に述べておきたいと思います。私なりの「成熟のイメージ」は、次のようなものになります。「社会的な存在としての自分の位置づけについての安定したイメージを獲得し、他者との出会いによって過度に傷つけられない人」。もちろんこれは暫定的なものですが、おおむね私は、患者さんが最終的にこうあってほしいという理想像を持ちつつ治療に当たっています。

斎藤環著『社会的ひきこもり〜終わらない思春期〜』PHP新書 1998年 pp.113-114

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