昨日は外出しており、その出先でちょっとした事があって僕は少し寂しい思いをしていた。遣る瀬無い感情を持て余しながらトボトボと歩いていると、福岡天神駅のコンコースで一人の老女の姿が目に留まった。その老女は腰が前方に70度ほど曲がっており、さらには右斜めにも傾いていた。とても痩せていて、帽子を目深に被り、灰色のジャケットを羽織り背中にリュックサックを背負って、左手には岩田屋の紙袋を下げていた。歩く事も困難なようで、コンコースの中を少しずつ少しずつ移動して、段差があれば壁に手を突きながら脚を下ろす。その姿はあたかも周囲を行き交う人々とは違う時間軸に生きているようであった。僕はその後の予定など無かったし、その老女が転んだり突き飛ばされたりしないかと心配になってきたので、少し見守ってみる事にした。
 さっと行って声をかけ、困ってるようなら代わりに荷物を持って、彼女の行きたい所へ連れていってあげたら良いのではないかとも考えたが、何となく躊躇される。大変そうではあるがどうにか歩けてはいるし、もし歩行の手助けをするとするならば、その場合は家まで送り届けるという事になると思うが、そんな事を望むだろうか。彼女は怪我をしている訳ではない。常日頃もその体調であるだろうし、それを承知で行動しているのだから、それはきっと放っておいても問題ないだろうと考えたのだ。しかし、放っておいても大丈夫だと思える要素が見つけられないのである。そしてそれとは別に、自分が老女に声をかけないのは、声を掛けるのが恥ずかしいとか、面倒な事になったら嫌だとか、そんな風に考えているからではないのかなどと自問し始めてしまった。おかげで考えが全然まとまらず、その結果、ただ見守り続けるというおかしな行動を取ることになった。

 その後、ついに老女はコンコースを抜けて駅前の歩道に出た。そこを渡ろうとしている。人通りが多いので危ない。行き交う人々が老女を避けるように歩き、どうにか車道側のベンチまで辿り着いた。恐らくベンチに座って休もうとしているのだろう。頭を上げて辺りを見回している。しかし生憎とベンチは埋まっていた。老女の姿を認めた若い女性が立ち上がってベンチを譲ろうとしたが、彼女はそのまま素通りしてしまった。恐らくその若い女性が立ち上がった様子が見えなかったのだろう。試してみると判るが、腰を70度折り曲げるとほとんど地面しか見えない。前を見るには頭を上げた状態を維持しなければならないが、その姿勢は楽ではないし、その姿勢のままでは歩きにくいようで、歩くときは頭を下げていた。
 老女は歩道の端を左側に歩き始めた。そちらには地下街へと降りる階段がある。もしかしたら地下鉄で帰ろうとしているのだろうか。しかし彼女の歩行スピードだと一時間くらいはかかってしまいそうだし、辿り着けるかどうかも心配だ。そもそも階段を降りる事は出来るのだろうか。ここはやはり声をかけるべきではなかろうか、と考えていたら、老女は階段を降りずに階段口の向う側に回り始めた。そのスペースは自転車置き場になっている。まさか自転車に乗って帰る訳ではないだろう。もしそうならビックリだ。しかしこれも違った。老女はそのスペースを歩いて右側へ戻り、円形のベンチの反対側に座ろうとしていたのだ。あんなに歩くのが大変なのに、どうして席を譲ってくれるように頼まなかったのだろう。頼まれたら断る人なんて居ないだろうに。
 ベンチに座った老女はリュックサックを方から下ろして何やら荷物を漁っていた。何を取り出そうとしているのかは見えなかったが、やがて荷物を再びまとめ、ようやく身体を休める事が出来たようだった。

 さて、彼女は落ち着くことが出来たが、僕はまだ落ち着く事が出来なかった。彼女はこれからどうするつもりなのだろうか。ベンチのすぐ右横に横断歩道があり、その向こうに暫く歩くとバス停がある。そうかバスか。乗る為にはまた少し歩かなければならないが、地下鉄の改札よりはずっと近いし階段も降りなくて済む。十分に休んだら彼女でも問題なく辿り着けるだろう。彼女がバスに乗り込むのを見届けたら僕の役目は終わりだ。そう考えるに至ってようやく落ち着いてきた。
 暫くした後に老女は立ち上がった。そしてゆっくりと動き始めたと思ったら、今度は横断歩道の手前に置いてある腰高の植栽の縁に腰掛けた。何かを待っているように見えるが、何を待っているのかは判らない。やがて再び立ち上がり横断歩道に近づいたが、そのまま立ち尽くしていた。もしかして横断歩道を渡ろうとしているのか。そうだとしたら、彼女の脚では渡りきるのに10分くらいはかかりそうだ。それから何度か信号が変わって人々が行き来したが、老女はそのまま立っていた。そろそろ声をかけた方が良いかも知れないと考えていると、すぐ傍の植栽の縁に腰掛けて動物愛護の活動をしていた女性が老女に声をかけた。二言三言言葉を交わした後、動物愛護の女性は元に位置へ戻った。しかしそれからも老女は同じ場所にただ立ち続けた。何度も何度も信号は変わった。それでも老女は動かなかった。動物愛護の女性が再び声をかけたが、やはり元の位置に戻った。そしてとうとう老女が動いた。車道側に少し移動して、手の平を小さく上げたのだ。僕はその姿を見てやっと理解した。彼女はタクシーを拾おうとしているのだ。そりゃあそうだ。タクシーを使うのが一番楽だろう。どうして気付かなかったのか。しかし如何せん、腰の曲がった彼女が手を上げても手の平は頭の上にすら出ていない。こんな人混みの中だし、通りすがりのタクシーの運転手は気付けないだろう。僕はそれを手伝う事にした。ようやく役割を与えられた気がした。

 動物愛護の女性も老女を気にして見ていたので、先にその女性に声をかけた。「あの女性はタクシーを拾おうとされてるんでしょうか」「そうなんですよー」次に僕は老女に声をかけた。「手伝います」彼女がどう答えたのか思い出せないが、とにかく僕は車道に乗り出して左手を挙げた。タクシーは結構通るが、大概は「賃走」の表示を付けていた。ようやく「空車」と表示したタクシーが停まってくれたが、若いカップルが横から乗り込んだ。自分達が止めたのだと勘違いしたのかも知れないし、僕達の存在に気付かなかったのかも知れない。タクシーは走り去った。
 それから何台もタクシーは通ったが全て「賃走」だった。動物愛護の女性が老女に疲れただろうから少し腰掛けてはどうかと声をかけたが「大丈夫です」と老女は答え立ち続けた。「前は停まってくれたんですけどねぇ」と老女は言うが、それはどの程度前の話なのだろう。いつも同じやり方でタクシーを拾っているという事なのだろうけど、この状況では難しいだろうと思った。クリスマスイブの土曜日の夜で乗客は多いだろうし、横断歩道のすぐ横手はタクシーも停まりにくい。そして老女はよく見えていないようだ。メガネをかけているが、空車や賃走の表示も見えていないようだし、タクシーではない車に向かって手を上げる事もあった。僕らは手を上げ、立ち続けた。
 眼をこらして遠くを見ていると、どうもバス停の向う側辺りでタクシーが客を乗せている様子が何度か見て取れた。「向こうの方がタクシーを止めやすいようなので、行ってみましょうか」と提案してみると、老女はそれには答えず「あのー、アナタは?」と質問されてしまった。そりゃあ不審に思いもするだろう。「通りすがりです」と答えたら「そうですかー」と言いニッコリしていたが納得したとも思えない。しかしそれ以上の説明は出来ないのでしょうがない。
 何となくうやむやのまま、更に立ち続けた。そしてついに一台の空車タクシーが停まった。僕らはそそくさと移動し、老女は乗り込んだ。「脚がお悪いようなので、気にとめて上げて下さい」と運転手に言ってみたが、彼は老女をじっと見たまま返事をするどころかこっちを見ることさえしなかった。嫌な感じがしたが、他に選択肢はない。そのまま見送った。僕は動物愛護の女性に会釈し、その場を去った。

 -

 善いことをしたのかどうか、よく判らない。必要な事であったかどうかも判らない。僕が居なくても何も問題はなかったのかも知れない。あの老女にたいして何かしら行動したのは、僕が気付いた限りではベンチに座っていた若い女性と、動物愛護の女性だけである。他の道行く人々は誰も老女の事を気にとめていなかったように見えたし、存在に気付いてすらいなかったのかも知れない。つまり、何てことのない光景だったのかも知れない。そうすると、僕は何故そんなにも気にしたのだろう。僕が孤独感を感じるような状態であったから、辛い思いをしているように見えた老女に同情してしまったのだろうか。前述したように、彼女はその状態が日常であり、その上で「買い物」に来ていたのだ。老女が手に提げていた紙袋は岩田屋のもので、その百貨店は駅から少し離れている。健常な人なら歩いて二三分程度だが、彼女にとっては結構な距離になるだろう。何故そうまでして買い物に来たのだろう。クリスマス若しくは正月用に、毎年岩田屋で買っている商品があるとかそういう事だろうか。そうだとしても何故独りで来たのだろう。考えられるとすれば、今日の買い物は彼女の生活の中では特別な意味を持つような楽しみであるのかも知れない。あの状態から察するに、平素も外出はままならないだろう。家の中に閉じこもった生活はさぞ息が詰まる事だろう。だからこそたまの外出は、困難を押してでもやる意義のある事なのかも知れない。もしからしたらその困難を含む事にも意義があるのかも知れない。老女の人に頼ろうとしない態度からそんな事を想像してしまう。だとしたら、僕はそれを少し邪魔したと考える事も出来る。しかし老女の歩行の困難さは、歩いているというより脚を使って身体をずらしているという方が正しいと思えるようなレベルなので、どうしてもまず安全を考えてしまうのだ。
 僕はそんなモヤモヤを抱えながら歩いていた。酒でも飲もうかと考えたが、この状態だときっと飲みすぎるし、酔っぱらって電車に乗るのは嫌だったのでとにかく歩いた。ぐるぐる歩き回りながら、クリスマスに浮かれた人々の顔を眺めながら、モヤモヤはモヤモヤのまま丸呑みしなくてはならずに途方に暮れた。唯一、僕の一連の行動は全て、自分自身の為なんだろうなとう事だけは確かであるような気はしていた。