DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

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阿波おどりとセクシャリティ

 阿波おどりと言えば子供の頃から知ってはいるが、そういえばまともに見たことないなと思って暫く前に YouTube を漁っていた。東京に居た頃に何度か見かける事はあったのだけれど、それほど興味をそそられなくて通り過ぎる程度だった。では何故急に興味を持ち始めたのか。数ヶ月前の話だと思うのだけれど、きっかけが何だったのかすっかり忘れてしまった。
 それまでに持っていた阿波おどりのイメージは、二拍子で鳴らされる太鼓と鐘が踊り手を鼓舞し、踊り手は男女とも両手を前方上に突き出しながら割と激しく踊る祭り、という「いかに興味がなかったのか」が判るものだった。しかし動画をいろいろ観て回ってみれば、思いの外に性的なニュアンスの強い踊りであり、その部分に興味を抱いた。

 特徴が判りやすいかと思い、同じ撮影者の動画を並べてみた。阿波おどりにはたくさんの連(グループ)が参加しているそうだが、動画サイトにアップロードされるのは有名で大きな連であるのだろう。だいたい同じ名前の連の動画が列ぶ。前者が「さゝ連」で、後者が「阿呆連」。おそらくこの二つが最も有名なのではないだろうか。

 さてまず「さゝ連」。この連の踊りは非常に解りやすいというか、結構風刺的である。
 女踊りは編み笠を被り、法被を羽織り、長襦袢に下駄という格好であるが、腰にぴったりと貼り付いた長襦袢と、脚の動きに合わせて翻る裏地の赤が扇情的である。編み笠の後ろ側は大きく開いているので、髪をまとめ上げたうなじがこれみよがしの様子である。下駄にはかかとが有り、ハイヒールと同じくつま先立ちの姿勢と軽やかさを生み出す。腕を上げたままで踊るすがたも、何かしらの作用があるような気がする。そして女踊りの踊り手達は拡がったり、まとまったりしながら、後進の男踊りの踊り手達の目の前で華やかに、自分達の姿を見せつける。
 一方、男踊りの踊り手達は、どろぼうかぶりに、浴衣を纏い、草履履きで踊る。腰を落として背中を丸め、地を這うように、そろりそろりと忍ぶように進み、やけに横への動きが大きいその様子はとても下卑た印象を与える。そして滑稽である。
 役割というか、見栄と下心のせめぎ合いというか、あまり善とは言えない部分をそれぞれに強調されていて、面白い。

 つぎは「阿呆連」。格好には差はないが、こちらはそれほどあからさまではなく、前後の動きに勢いがあり、やっこ踊りがある。これまでに僕が見たやっこ踊りといえば、ひょっとこ面を被った男衆が凧役で、右へ左へと流され、それでもしっかりと糸で引っ張られている様子が滑稽な踊りであった。しかしこちらでは男女間でそれをやっているからか、滑稽な要素は見当たらず、情愛の駆け引きのように目に映る。それにお互いに囃し立て合い、挑発しているような場面もある。

 以上のように、土着的な性の捕らえ方と洗練が入り交じっていた様子が、とても興味深い。そして Wikipedia のページにあるように、最近では性別関係なく女踊りに参加する人が増え、男踊りに参加する女性もいるようなので、女踊り・男踊りの振り分けは性差ではなく役割分担のような形になっているようだ。
 阿波おどりの起源に関しては、徳島大学の論文に詳しい。(配布ページにはどうしても辿り着けず、PDF ファイルへ直リンク)

ヲタ芸とよさこいソーラン

 先日 World Order の PV でのヲタ芸に関連していろいろ観ていた時に思った事がある。取り敢えずは下記の動画を観て頂きたい。

 詳しいクレジットについては面倒なので書かないが、大まかに分類した「ヲタ芸」と「よさこいソーラン」である。比較しやすいように、なるべく近い条件の動画を探したのだが、状況がまちまちなのでこれがやっとだった。要は何が言いたいのかと言うと、似てるな、と。そりゃあ違う。違うと言えば違う。その規模や、そこから伺える社会に対する馴染み方や、衣装や、BGM に使用している音楽や、言葉が違う。でも似てる。地面にしっかりと足を据え、腰を軸にして踊る様が似ている。人種(今どきこんな言葉で表現する人はいない気がするが)が全く違う人達だと思っていたのに、似ているのはどういう訳なのだろう。彼らに共通するものが何処から来たのかと考えると、これくらいしか思い浮かばない。

 竹の子族一世風靡セピアである。よさこいソーランなんて衣装のセンスも似てるし、集団性も似ている。思うに、長らく日本の社会に守られてきた伝統芸能ではなく、幼い頃からそれらを外側から眺めてきた彼らが、より自分達にマッチするように変化させた結果が表出しているのだと思う。漫画やアニメーションにも同じように影響している様子が伺える。「日本」ではなく「ニッポン」や「ジャパン」というような感じ。まぁ、彼らが海外を意識しているとは思えないんだけど。
 では、海外で紹介されていたりするのだろうか。と思って調べると次のような動画を見つけた。

 米国のアーカンソー大学での映像だそうで、楽曲は「ソーラン節」だが、踊っているのはよさこいソーランであるように見える。日本からの留学生が広めたのか、それとも日本に留学していた学生が自国に戻って広めたのか。いずれにしても受けているようである。しかしそれが、内容が面白いから受けているのか、それとも友人がやってるからと内輪受けしているのかはちょっと判らない。
 そして、これは少し趣きが違うので、一体これは何なのだろうかと更に調べていると、どううやらこれが元ネタのようである。

 なんと金八先生である。コメント欄を読むと、この場面に思い入れのある人が多いようだ。きっと多くの人達がこのパフォーマンスに感銘を受けたのだろう。であれば、それを模倣して広めようとする人もそこそこ居るに違いない。
 ではこれは一体何処から来たものなのか。更に見ていくと(さっきの Wikipedia のソーラン節の記事の中に記述があった)、北海道の稚内市立稚内南中学校で考案されたもので「南中ソーラン」と呼ばれるものらしい。

 だんだん訳が判らなくなってきた。この記事の書き始めでは、何かしらまとまったものを書くつもりであったのだが、いろいろ調べている内に収拾が付かなくなってしまった。
 それはさておき、よさこいソーランと同じく、この南中ソーランも全国的に広まって来ているようで、タイトルに南中の文字が入った動画がたくさんアップロードされている。何れにしても、今後とも国内では広がっていきそうな感じである。

ロボティック・ライフ

 須藤元気については、昔格闘技の試合をテレビで観た事があるような気がするし、映画に出演しているのを観た事もあったが、取り立てて興味も湧かずに終わっていた。音楽とパフォーマンスをやり始めた事も耳にはしていたが、やはり流してた。ところがつい先日、配信されてきた記事の中に彼が率いるグループ World Order の新作が載っていたので、どういう訳か観てみようという気になった。それがこの動画。

 ロボットダンスとは意外だった。格闘家というイメージと風貌から、よさこいソーランのようなものを勝手に想像していた。当人の事をよく知らないからこその偏見だ。しかも結構出来が良いと思う。楽曲自体はそんなに良いとも思えないが、パフォーマンスの BGM としては充分だし、何度も聴いているうちにだんだん好きになってきた。YouTube にもチャンネルがあってこれまでの作品を観る事が出来る。それぞれになかなか楽しい。ロボット歩行ダンスの手本にしたのは、この年代のアシモだろうか。(下記動画参照)このコマーシャルも出来が良い。

 ロボティックな動きというのは愛嬌があり、それでいて見ていて悲哀をも感じるは何故なんだろうか。動きがぎこちなくて不自由そうだからだろうか。一生懸命に動いていて、それ故に邪心を持っていなそうだからだろうか。人間の勝手な思い込みには違いないが、一体そこに何を見ようとしているのだろう。
 World Order の場合は、スーツを着込んで髪の毛を整えているところから、日本社会のサラリーマンの非人間的な生活を揶揄したり同情したりしているのだろう。そしてこれが Perfume となると、恋に焦がれる籠に捕らわれたアンドロイドというような表現になっている気がする。もしかしたら社会に於ける女性の姿を模しているのかも知れない。(下記動画参照)

 で、World Order の話に戻って、上記の動画の中で、ロボリーマン達が他のファンに混じって AKB 劇場でオタ芸を打つ(高じる事をそう呼ぶそうな)場面があるが、あまり楽しそうには描かれていない。ファンはただがむしゃらにペンライトを振り回しているだけだし、華やかな笑顔で歌い踊るアイドルはステージを降りると憂鬱な表情で佇んでいる。ロボリーマンやアンドロイド姫となんら変わりはないように見える。楽しそうには見えないが、しかしそれは彼らが選んだ幸福であるのかも知れない。アイドルは生身の感情を捨て去りステージの上で花と咲き、ファンは応援しているというより一心にアイドルと同化しようとしている、ように見える。
 World Order の他の動画に比べ、この動画はそういった厭世観が色濃く表現されている。須藤元気という人は、結構そういう事ばかり考えながら生きている人なのかも知れない。

Spring of life / Perfume

 暫くパフュームには興味を失っていたのだけれど、ラジオから流れてきたこの曲を聴いて、これはちょっと久しぶりに良いかも知れないなどと思いながら Youtube で PV を観た。電源プラグコードに繋がれたまま、身に纏った高輝度 LED から光を放ちながら踊る姿がとても良い。この人達は、こんな風にロボトミーの悲哀を感じさせるような曲や映像がとても似合うと思うし、そこが大変な魅力になっていると思う。
 一時期は、声に過剰なエフェクトをかけられたりする事に耐えられないとかで、制作側と揉めてたようだけど、今でもそうなのだろうか。彼女達の個人を語られる事が殆どなくてよく判らないのだが、至ってフツーの人達のように見える。これだったら自分たちでなくても良いのじゃないか、というような反感を持っていたようだけれど、恐らく彼女達でなければこうはならないような気もする。例えば、彼女達よりもっと美形のメンバーを集めて同じ事をやったとしても、何処か空々しさを感じしてしまいそうだし、モーニング娘。とか AKB48 ような均質化した印象の人達が大勢でやっても、このような悲哀を醸し出す事はないような気がする。個性が際立ってもいけないが、かといってのっぺりとした能面のような印象を与えてもいけない。人数が少ない事が功を奏して、明確に見分けがついて、それがあたかもアンドロイド制作者が頑張って個性を創造した、というような印象を持てるところが良いのかも知れない。僕の妄想でしかないけれど、そういった絶妙なバランスの上に成り立っているような気もする。

 ★

 話は変わるが、少し前に、パフュームはもしかしたらキャンディーズの流れであるのかも知れないと考えた。単純な発想だけれど、キャンディ−ズの初期のマネージャーをやっていた大里洋吉が、Perfume が所属する芸能事務所アミューズの現会長であるから、というだけの話なんだけど、年老いた芸能事務所経営者が「キャンディーズの夢をもう一度」と考える事もありそうな話であるなあ、と。フツーの女の子に戻ってしまったキャンディーズを、20数年後にパフュームとして再生させるのは、なかなか面白い発想である。しかしそんな話は聞いた事がないし、これもまた僕の勝手な妄想でしかない。
 この人達は至ってフツーの人達のように見える、と前述したが、それも含めてキャンディーズに重ねてしまう。アイドルを目指し、その座を手に入れ、その立場に耐えられずにそこから降りてしまった人達と、同じような経緯で、今その絶頂に在る人達。彼女達も、いずれそこから降りる日が来るのだろうか。

白拍子の舞

 NHK大河ドラマの「平清盛」のオープニング映像に出てくる、白拍子の舞がやたらと格好良いので調べてみたところ、踊っているのはフラメンコ・ダンサーの鍵田真由美とその他であるらしい。どうしてそういう起用になったのか経緯が不明だが、経緯や意図はどうであれ、とても良い。日本古来の舞踊はこんなにも心躍るものであるのかと感心してしまうくらいに。しかしまあ、恐らく本来の舞よりもずっと動的な踊りになっていると予想される。
 で。そう言えば、白拍子という存在については暫く前から(遊女の起こりとして)知ってはいるけれども、その舞については、当たり前だが観た事はない。伝統芸能として伝えられているものでもなさそうだし、取りあえず検索して出てきたものの中で、気になったものを貼っていく。

 これは鎌倉まつりで演じられる鶴岡八幡宮「静の舞」。しかしこれは当時の白拍子の舞を演じているのではなく、たぶん江戸時代辺りに静御前を主人公として作られた長唄の類いのように見える。なんと言っても使ってる楽器が違うので。

 この動画のクレジットに、The 1st music video from a Japanese electronica-club-jazz artist SIENNA (www.sienna-web.com) who is based in Norway. とある。ノルウェイのシエナさんという方の作品のようだが、何故白拍子に興味が在るのだろうと思ったら、ノルウェイ在住の日本人のようだ。( CLICK )White rhythms というのが直訳っぽいので気になったけど、訳し難いと言えばそうか。( CLICK

 桜井真樹子(アクセス出来なかったらこちらを CLICK )という、白拍子の芸能を研究し演じている方が、イスラムの曲を白拍子でカバーしているものらしい。恐らくこれが本来の姿に一番近いのではないだろうか。当然と言えば当然だけど。

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