DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

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 正月の祝い酒に屠蘇を飲むのは、そもそも九世紀に中国から伝わった風習で、宮中では唐を見習った正月行事が催されていたと伝えられている。
 唐の由来では、草庵に住む賢人が大晦日に村人に薬包を配り、それを浸した酒を元日に飲むと疫病防止になると教えたという故事にちなんだ儀礼だという。その庵の名である「屠蘇」をとって屠蘇散と名付けられたようだ。宮中ではその処方にのっとって調合し、元日に飲んでいた。
 それが江戸時代になると民間にも広まっていく。屠蘇に使われる漢方は、その種類を伝える史料により多少のちがいがあるものの、たいてい七種か八種の薬草を砕いて赤い袋に入れ、大晦日から井戸に吊るしてエキスが出やすくしておく。元旦にそれを取り出し、袋ごと酒か味醂に浸してお節料理の前に飲むとされた。
 薬草の種類は大黄・桔梗・防風・蜀椒・桂心・虎杖・白朮・烏頭のほか陳皮、赤小豆などが加えられる場合もある。各家庭では、これらの薬草を漢方薬店で買い求め、自宅で屠蘇散を作って一年の健康を祈念していたのだ。
 たしかに、薬草の効能は、健胃、咳止め、解熱、鎮痛などがいわれていて、滋養強壮に役に立つ。まさに年はじめに飲むのにふさわしい薬酒といえよう。

歴史の謎を探る会編『江戸の食卓 おいしすぎる雑学知識』KAWADE夢文庫 2007年 pp.191-192

 一四世紀に西欧で起こった大航海時代は、コショウを手に入れんがための船出だった。まだ中国との交易程度しか世界への窓を開いていなかった日本だが、じつはそのときすでにコショウの存在を知るばかりか、立派に栽培もおこなっていた。
 日本への伝来は八世紀半ばのこと。なんでもかんでもこの人の功績にされがちだが、鑑真和上が伝えたともいわれている。
 江戸時代には、香辛料として一般に広く使われるようになっていて、舶来のものと意識せず、日常的に料理に登場していた。
 いちばん多い使われ方は、粉末にしたものを汁物の吸い口(吸い物に浮かせて香味をつけるもの)としていた。やはり吸い口の王者だったユズと双璧をなしたようだ。当時の料理書には、うどんをゆでて味噌ダレや鰹のダシ汁で食べるときにもコショウが登場している。とろろ汁や豆腐料理にも、仕上げにはコショウ。どちらも淡泊な素材だから、ピリリとしたアクセントがたまらなかったのだろう。
 変わり飯のなかには、コショウ粉末をふってご飯を炊き、それにダシ汁をかけて食べるという「胡椒飯」まであった。
 ユズも風邪予防などの薬効から、吸い口だけでなく料理のつけあわせ、小鉢の一品に活躍した。香辛料として、皮のすりおろしやへぎゆずが多用されていた。
 この二大香辛料がタッグを組んだ料理もある。
『新着料理 柚珍秘密箱』に登場する「柚飯」だ。白いご飯に酒・醤油・ユズの搾り汁を混ぜたものを茶碗に盛り、そのうえにユズの皮と煎った粒コショウをのせたご飯とされる。五臓六腑までしみ渡る料理で、これを食せば冬にそこら辺でごろ寝をしても風邪をひかないといわれたほどのパワーフードらしい。

歴史の謎を探る会編『江戸の食卓 おいしすぎる雑学知識』KAWADE夢文庫 2007年 pp.155-156

 七草は前日の六日に準備する。すべてをまな板にのせたらその日のうちに、包丁、杓子、銅杓子、すりこぎ、菜箸、火箸、薪という七つの台所道具で、この順に一つの道具で七回ずつ七草を叩いていく。
 そのときの囃し歌が「七草なずな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントンと たたきなせえー・・・」というもので、七五調ならぬ四三調でリズムをとる。ワンフレーズがちょうど道具一つ分に相当するわけだ。

歴史の謎を探る会編『江戸の食卓 おいしすぎる雑学知識』KAWADE夢文庫 2007年 p.134

川床カッフェー

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 左が2001年に上洛した折、詳しくは思い出せないが町屋が寄り集まった区域の掲示板に貼ってあったイベントのポスターなのだが、使っている写真がとても気に入って写真にまで撮ってしまった。一体何の写真なのか気になってはいたのだけれど、何の情報も得られないままで、いつしかその写真の事は忘れ去っていた。そして右は、11年後の去年末に再び上洛した折、河原町の商業ビルの入口の柱に、別なイベントのポスターとして貼ってあった。再び興味は再燃したが、やはり何の手がかりも見つけられなかった。

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 そして今年に入って Tumblr のダッシュボードに前述のポスター写真の原型であろう上記の写真画像が流れてきたのだ。ここで逢ったが百年目、まさに狂喜乱舞した僕であるが、流れて来たのは写真だけで、その他には何の情報も得られなかった。

 全体の雰囲気からして、明治大正期のカッフェーであるように見える。客の男は40代から50代くらいの銀行員ではないかと想像する。二人の女給はとても若そうで、着物や髪飾りが派手なところを見ると舞子だろうか。そしてその二人の間に白い欄干が見える。揚屋でこのような欄干を使う事はないと思うので、もっと新しい施設であろう。仮設のものであるかも知れない。そうすると川床であろうか。そして更にその向こうに見える灯りが賑やかで、河床から見た川向こうの灯りだとすると近すぎるので、隣接した川床の灯りを映しているのだと想像する。右側の影になった方の女給の左手には指輪が光り、金属製の盆の上に乗せられているのはずんぐりとした酒瓶。麦酒であろうか。見ていると色々と気になってくるものである。

 長年に渡り繰り返し使われている写真のようなので、恐らく有名なものであるのだろう。僕の当て推量に間違いがないとすれば、その当時のカッフェーの様子を此処まで濃密に映した資料を他に見た事がない。もしかしたら現代になってセットで撮影されたものかも知れないが、それならそれで凄いと思う。何だろうか、この写真は。もの凄く気になる。というか僕が其処に居たい。

 追記 20131115:Patron of Nightclub Uruwashi having his cigarette lit by geisha というのがこの写真のタイトルであるようだ。撮影者は Eliot Elisofon という、1911年生まれの米国のフォト・ジャーナリスト。1962年3月26日にライフ紙に発表されたものであるようだ。

白拍子の舞

 NHK大河ドラマの「平清盛」のオープニング映像に出てくる、白拍子の舞がやたらと格好良いので調べてみたところ、踊っているのはフラメンコ・ダンサーの鍵田真由美とその他であるらしい。どうしてそういう起用になったのか経緯が不明だが、経緯や意図はどうであれ、とても良い。日本古来の舞踊はこんなにも心躍るものであるのかと感心してしまうくらいに。しかしまあ、恐らく本来の舞よりもずっと動的な踊りになっていると予想される。
 で。そう言えば、白拍子という存在については暫く前から(遊女の起こりとして)知ってはいるけれども、その舞については、当たり前だが観た事はない。伝統芸能として伝えられているものでもなさそうだし、取りあえず検索して出てきたものの中で、気になったものを貼っていく。

 これは鎌倉まつりで演じられる鶴岡八幡宮「静の舞」。しかしこれは当時の白拍子の舞を演じているのではなく、たぶん江戸時代辺りに静御前を主人公として作られた長唄の類いのように見える。なんと言っても使ってる楽器が違うので。

 この動画のクレジットに、The 1st music video from a Japanese electronica-club-jazz artist SIENNA (www.sienna-web.com) who is based in Norway. とある。ノルウェイのシエナさんという方の作品のようだが、何故白拍子に興味が在るのだろうと思ったら、ノルウェイ在住の日本人のようだ。( CLICK )White rhythms というのが直訳っぽいので気になったけど、訳し難いと言えばそうか。( CLICK

 桜井真樹子(アクセス出来なかったらこちらを CLICK )という、白拍子の芸能を研究し演じている方が、イスラムの曲を白拍子でカバーしているものらしい。恐らくこれが本来の姿に一番近いのではないだろうか。当然と言えば当然だけど。

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