DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

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 一四世紀に西欧で起こった大航海時代は、コショウを手に入れんがための船出だった。まだ中国との交易程度しか世界への窓を開いていなかった日本だが、じつはそのときすでにコショウの存在を知るばかりか、立派に栽培もおこなっていた。
 日本への伝来は八世紀半ばのこと。なんでもかんでもこの人の功績にされがちだが、鑑真和上が伝えたともいわれている。
 江戸時代には、香辛料として一般に広く使われるようになっていて、舶来のものと意識せず、日常的に料理に登場していた。
 いちばん多い使われ方は、粉末にしたものを汁物の吸い口(吸い物に浮かせて香味をつけるもの)としていた。やはり吸い口の王者だったユズと双璧をなしたようだ。当時の料理書には、うどんをゆでて味噌ダレや鰹のダシ汁で食べるときにもコショウが登場している。とろろ汁や豆腐料理にも、仕上げにはコショウ。どちらも淡泊な素材だから、ピリリとしたアクセントがたまらなかったのだろう。
 変わり飯のなかには、コショウ粉末をふってご飯を炊き、それにダシ汁をかけて食べるという「胡椒飯」まであった。
 ユズも風邪予防などの薬効から、吸い口だけでなく料理のつけあわせ、小鉢の一品に活躍した。香辛料として、皮のすりおろしやへぎゆずが多用されていた。
 この二大香辛料がタッグを組んだ料理もある。
『新着料理 柚珍秘密箱』に登場する「柚飯」だ。白いご飯に酒・醤油・ユズの搾り汁を混ぜたものを茶碗に盛り、そのうえにユズの皮と煎った粒コショウをのせたご飯とされる。五臓六腑までしみ渡る料理で、これを食せば冬にそこら辺でごろ寝をしても風邪をひかないといわれたほどのパワーフードらしい。

歴史の謎を探る会編『江戸の食卓 おいしすぎる雑学知識』KAWADE夢文庫 2007年 pp.155-156

 七草は前日の六日に準備する。すべてをまな板にのせたらその日のうちに、包丁、杓子、銅杓子、すりこぎ、菜箸、火箸、薪という七つの台所道具で、この順に一つの道具で七回ずつ七草を叩いていく。
 そのときの囃し歌が「七草なずな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントンと たたきなせえー・・・」というもので、七五調ならぬ四三調でリズムをとる。ワンフレーズがちょうど道具一つ分に相当するわけだ。

歴史の謎を探る会編『江戸の食卓 おいしすぎる雑学知識』KAWADE夢文庫 2007年 p.134

 毎年四〜五月、将軍御用の宇治茶を宇治から江戸へ運ぶ茶壺道中が出る。街道では運ばれる茶壺に向かって土下座させられる。この茶壺に付添うのが御数寄屋坊主で、ふだんは江戸城中で老中や諸奉行に茶をいれて出すのが役目である。煮ても焼いても食えぬ連中だった。その茶坊主が京の宿に泊まっているとき、主人に、「島原や祇園の遊女・妓女(プロ)ではなく、常の女(アマ)と交わりたいものだ」と、京おんなへの長年の望みを口にした。「それならばいっそのこと、内裏の官女はんはどうどすか。少々お金はかかりはるが、ある者に頼めば望みがかないます」と言う。茶坊主は生涯の思い出に頼んだ。
 当日は祇園の茶屋に席をもうけて待つうち、二十歳ほどの美しい上﨟が乗物で到着した。老女と老侍が付き添っている。数寄坊主は上﨟から歌学の教えを受けるという名目になっている。付き添いの二人はたまの外出なので、八坂神社に参詣したいと席を外した。
 茶坊主は一刻(二時間)ほど、二人だけの時間を過ごした。そして茶屋や上﨟、陸尺など、斡旋人にまとめて払った金は六十両ぐらいになり、さすがに、「よしなき望みにて無益の入用かけし」と、あとで意気消沈している。そころが、この官女というのがニセモノで、京都と大坂にだけいた「白人」と呼ばれる売女(私娼)が、官女を装ったものであった。白人は外見は美人で、京都では建仁寺あたりに多く出没した。いずれ多くは惣嫁(夜鷹)に落ちていく。

歴史読本編集部編『物語 幕末を生きた女101人』新人物往来社 2010年 pp.228-230

 一方、軍用機のデザインはどのような傾向をみせているのか。マーキングに関して言えば、軍用機は旅客機とまったく逆の途をたどるのである。第二次世界大戦以前の戦闘機や爆撃機は一般に、当時の旅客機よりはるかに派手な塗装が施されていた。主翼、尾翼ともに星や鉤十字などの軍のマークがでかでかと入れられ、機首には眼や獰猛そうな牙をむき出しにした口が描かれたりした。編隊やパイロット個人のエンブレム、撃墜数を表す敵軍のマークを勲章のように入れることもあった。ほとんど暴走族の車のごとき様相を呈していたのである。
 これは何も飛行機に限らず、古来、世界のどこでも兵器や武具にはそうした派手な装飾が施されることが多かった。美術品のように飾られることも多い鎧や甲冑などは、その端的な例であろう。派手な色使いやさまざまな勲章、装飾は、見方の戦意高揚と同時に、敵を畏怖させる力をすら帯びており、立派な戦術機能を持っていたのである。

森川嘉一郎著『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』幻冬舎 2003年 pp.203-204

「オタクの連合赤軍」とも呼ばれたオウム信者たちにとって、ハルマゲドンを契機とする英雄譚に宗教的なまでの憧れがあったことは、当時幾度も指摘された。ただしここで重要なのは、それにより富士山が帯びた彼らにとっての特別な象徴性である。大災害を表象することによって、それは逆説的に救済の表象となったのである。大聖堂の尖塔に頂く十字架のように、あるいはステンドグラスから降り注ぐ光のように。宗教建築が担ってきたその機能が、富士山に移譲されていたのである。シェルターとしての機能のみを残し、表象機能を分離させて富士山に憑依させた宗教建築の姿。それが、サティアンなのである。

森川嘉一郎著『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』幻冬舎 2003年 p.180

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