DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

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常用酒

 長年飲酒生活を送っていると、ゆったりとだが常用する酒の種類や銘柄が変遷していくようである。

 以前関東に住んでいた頃の話をすると、昔の事だから朧気にしか憶えていないが、ジンばかり飲んでいた事もあったし、ラムばかり飲んでいた事もあったし、ウィスキーやワインや日本酒がそれに代わっていた事もあった。当時のこの酒の種類の変遷にはどういう理由があったのか、今ではそういう飲み方をしないので判然としないが、何かしらおいしい酒を飲む機会があって、その流れで飲み続けていたのではないかと思う。
 そして、そのような「ジン期」や「日本酒期」等の中で好みの銘柄が出て来るのだが、その選択肢の殆どは住んでいた地域に在るディスカウントショップの品揃えにほぼ限られる。他所の町まで出かけて買い求めて持ち帰るのは面倒だし、通販で買うにしてもそれは希な事であった。ジンで言えばボンベイサファイアタンカレーがそれで、日本酒だと酔鯨銀盤立山が好みであった。
 ただ、これがまた別な変遷していくのである。それがどのような経緯で変化していくのかと言えば、あ、先に但し書きをしておくと、この変化は洋酒に関しては経験が無い。洋酒はどの銘柄をいつ飲んでも変わらない印象を受ける。時期によって変化するように思えるのは日本酒や焼酎などである。話を戻して、例えば「酔鯨」。ある時期にはこれほどに清涼な飲み口の酒はないと思いながらそれこそ鯨飲していたのだが、自分の中のブームが過ぎて、今度は他の種類の酒を飲み続けて一年以上が経った頃、再び飲んでみると今度は酒粕臭い気がして余り好きではなかった、というような経験が在る。この味覚の変化は何が原因なのか。その時期の自分の体調が違うのか、それともその年の酒の仕上がりが違うのか。要因は幾らでも在りそうだが、とにかく気に入らないというか違和感が有るので、その銘柄に見切りを付けて違う銘柄を試していく事になる。その次に飲み続けた日本酒が「銀盤」であったと思う。実際にはもっと色々あったかも知れないが、もう憶えていない。
 さて、ここからは現在の話である。関東から九州へ戻って生活する環境が大きく変わったせいか、酒の好みも結構変わったと思う。関東に住んでいる頃はマンション住まいで仕事は内勤だったので、外気に触れる機会が少なかった。しかし九州に戻ると不完全な空調の一軒家に暮らし、仕事で外に出ることも多いので外気に触れる機会が多い。むしろ外気の中で暮らしているという感覚だ。そういう住環境の変化のせいだと思うのだけれど、季節の移り変わりにに伴って飲む酒の種類が入れ替わるようになり、飲み方も変えるようになった。

  • 初春:芋焼酎か米焼酎のお湯割り、例外として酒蔵祭で日本酒。
  • 仲春から晩春:麦焼酎の水割り、もしくは日本酒かワイン。
  • 初夏から梅雨:麦焼酎か黒糖焼酎の水割り。
  • 盛夏から晩夏:泡盛の水割り、またはラムかウィスキーのソーダ割り、いずれも氷は入れる。さもなければ麦酒。
  • 初秋:麦焼酎の水割り。
  • 中秋から晩秋:麦焼酎か米焼酎のお湯割り、もしくは日本酒かワイン。
  • 初冬:米焼酎か芋焼酎のお湯割り。
  • 仲冬から晩冬:芋焼酎のお湯割り、もしくはホットウィスキ−。例外として年末年始に日本酒。

 その年の天候に因っては多少前後したりもするが、大まかな流れとしてはこんな感じである。基本は通年で焼酎を飲んでいる。これは手に入れ易いというのと、廉価であるからである。今はお金が無いので廉いに越した事はない。芋米麦黒糖を入れ替えているのは、それぞれの季節にはそれらが合っていると何となく感じているからに過ぎない。そしてそれ以外の種類の酒をちょいちょい飲んでみたりしている。日本酒やワインは好きだが量を飲んでしまうので、金は掛かるし糖質の摂取も控えたいので常飲はしないようにしている。暑さ寒さが厳しい折に飲もうとは思わないが、春秋の落ち着いた気候の中ではやはり飲みたくなってしまう。それから真夏は泡盛やラムを飲みたくなり、どうやっても暑いのでソーダ割りの酒や麦酒を飲みたくなる。何故かしらその方が気分が落ち着く感じもする。但し飲食店で飲む場合にはこの限りではない。空調の効いた空間の中では季節感は関係ない。どちらかと言えば料理に合わせる感じだろうか。
 そう言えば日本酒の味の好みも関東から九州へ移動するタイミングで変わった。関東に住まう頃は北陸の辛口の酒が好きだったが、今では九州の甘口の酒が好きである。何故このように変化したのか、それは加齢の影響かも知れないし気候の影響かも知れない。やはりその土地で作られた物が一番おいしく感じられるのではないだろうかとは思う。沖縄で飲んだ泡盛はとてもおいしく感じられたし。しかしそう想像するだけでよくは判らない。

 話はもう少し続いて芋焼酎。関東にいる頃は白岳以外に選択肢はないので、仕方なく前倒しで芋焼酎に手を出した。当然海童を試した訳だが、これも何だか違う感じ。しっくり来ないのである。全然ダメだという事ではないし飲み続ければ気にならなくなるかも知れないと思ったが、何だか落ち着かないのである。さて困った。が、ただ困っていてもどうにもならないので他の銘柄を試してみる事にした。
 最初に試したのは白霧島である。以前に水割りで飲んだ事があり「すっきりと飲みやすい」という印象を持っていた。湯で割って飲んでみてもその印象は変わらず悪くはなかったので、暫く飲み続けた。これで良いんじゃないかと思っていたが、だんだんと物足りなさを感じるようになった。では違う酒造会社の酒を試してみようと黒伊佐錦を飲んでみた。これは以前飲んだときにも感じたが、何処かしら粉っぽさを感じる口当たりが気になってしまうし味が地味だ。ならば木挽はどうかと試したが、どうもこれを最適だとする理由を見つけられない。
 取りあえず白霧島に戻ったが、やはり他の銘柄を試してみたくなる。どうもシックリこないのだ。そう、探しているのは「シックリ」感だ。そこで思い切って黒霧島を試した。どうして思い切る必要があったのかと言うと、昔飲んだ時に芋の臭みが気になってあまり好きではなかったからである。しかし今回飲んだらそのような印象は受けず、白霧島に比べれば味は濃く輪郭がはっきりしていて寧ろ丁度良かった。白霧島と黒霧島を行きつ戻りつして飲み比べてみると、これが不思議なもので、それまで悪くはないと思っていた白霧島は味が曖昧に過ぎる感じがして来て、これは少なくとも今の自分には適していないと判断した。判断したとか偉そうに書いたが、要は「どうも違う」という事である。
 さて、気に入ったのなら黒霧島を飲み続ければ良いだけの話なんだが、欲が出た。もうちょっと何かあるんじゃないかと。さすがに数多存在する芋焼酎を全て検証する気は毛頭ないが、何処のスーパーマーケットやコンビニエンスストアにも置いていそうな銘柄だけは試しておきたいと考えたのだ。そう、残るは白波である。実を言えば白波は昔に飲んだ事があるようなないような、それくらいに遠い存在であった。なのでこれを機会にこの酒を知るのも良いと思ったのだ。まずさつま白波を試したところ、これまで試した中では一番特徴の有る芋焼酎であった。臭みとは違った芋らしさというか、これが日本酒やワインであればフルーティと称したであろう甘みがあり、それが濃厚なのだ。これはこれで良い。良いが常飲するのはちと味が鮮やか過ぎるように感じた。そこで次に黒白波を試した。白霧島から黒霧島へと飲み換えた時のような違いを予想していたが、かなり違った。濃厚な甘味は薄れ、代わりに甘味がすっきりと際立つ感じである。これは良いかも知れない。結果的に黒霧島と似た印象を持ったが、やはり違いはある。さてどちらにしようかと飲み比べてみると、黒霧島はいささか地味で、黒白波の方が華やかさを感じるようだ。迷ったが、黒白波がより現在の自分に適していると判断した。決定。今季に常飲する芋焼酎は「黒白波」に決めた。

 こんなにも手間を掛けて常用する酒を選ぶという行為を今までした事はなく、珍しいので留めておこうとこれを書いている訳だが、果たして長い文章になってしまった。しかもようやく銘柄を決めたは良いが、私的な芋焼酎の季節はもうすぐ終わるし、次の冬にまた黒白波を飲んでも気に入らないかも知れない。何だか非常に無駄な事していたような、そんな気がしている。

叔母のこと

叔母が死んだ。

 高校を卒業して大阪に出て、それから東京へ流れた。仕事を幾つか変えながら、最後には飲み屋の女将をしながらそのまま東京で長年暮らした。中年も遅くなった頃に結婚して幸せに暮らしていたが、数年後に夫と死別した。葬儀を独りで取り仕切ったが、亡くなった夫は再婚であった為に成人した子供がおり、結果相続で揉めた。本当は思い出の残る家でそのまま暮らしていたかったが、売却して資産を分配しなければならず、年金と相続した金を持って、横浜郊外のマンションで未亡人として暮らした。その後数年をかけて相続の問題に片が付き、先方の墓を整理したらようやく肩の荷がおりて、落ち着いた余生を送ることになった。暫くの後、年老いていろいろと不自由するようになって、そろそろ臨終の土地を考えなければならないと思い始めた頃に、体中に炎症が起きるようになった。病院で色々調べた結果、膠原病だった。通院しながら暴れる免疫を抑える薬を飲み、なんとか暮らし続けた。しかしその後体内に小さな癌が見つかった。そして間もなく、長年飼い続けた老犬が死んだのをきっかけに、故郷へ戻る決意をした。介護付きの施設に暮らしながら、穏やかに日々を過ごす。近くに戻ってきた為に元々仲の良い兄弟との往来も増え、通院のついでに色々な場所へ行ったりもした。そんな生活が続いた半年後、身体の痛みが増え強くなったので、大学病院の緩和病棟へ移った。そしてその数日後に容態が急変し、叔母は深夜に息を引き取った。

 叔母の最期を看取り、葬儀やその他一切を担ったのは叔父であるが、その彼が言うには叔母は自分の死期について話した事があるそうだ。自分は今まで好きなように生きて、色々やった。しなければならない事も、出来る限りやった。それだけやって来られたのだから、もう思い残すことはない。そう話したそうだ。本当だろうか? と思う。本当だったら良いな、とも思う。亡くなる4日前に病室を見舞った時、薬で痛みを抑えているからなのかとても元気で、死を間近に控えている人間には見えなかった。1時間ほどの間ずっと喋り続け、楽しそうであったり相変わらず口が悪かったりしたて、いつも通りの叔母であった。そのいつも通りであった人が急に居なくなる。啞然とするしかないが、今後もこういう別れを繰り返しつつ、終わりを見つめるような気持ちで生き続ける事を学んで行くのだろうな、と思った。

ナイツのちゃきちゃき大放送のテーマ曲

 少し習慣が変わって、去年の11月から「土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送 」というラジオ番組を聴き始めた。お笑いコンビの「ナイツ」がパーソナリティーを務める、笑いが中心の番組だ。冒頭から軽い漫才で入り、続いてフリートーク、そして東京各地からの中継や、コメンテーターやゲストを迎えての四方山話、その他リスナーからの投稿や電話でのやり取りなどのコーナーで構成されている。番組の雰囲気はどことなく寄席っぽく、中継コーナー(TBSラジオの番組には中継コーナーが多い)は毎年元旦の午前中にフジテレビで放送される爆笑ヒットパレードの中継コーナーに近いと思う。とにかく楽しげであり、実際に聴いていて楽しいのだ。そして、その楽しげな雰囲気をさらに盛り立てているのが番組のテーマ曲やジングルである。ピアノと打楽器(楽器の種類はいろいろ)だけのシンプルな楽曲だが、和風かつ流麗なアレンジが施されていて、良いBGMとなっている。取り分け良いのが番組の冒頭に流れるテーマ曲だ。ピアノと(たぶん)ちんどん太鼓だけの曲で、ピアノも打ち付けるような弾き方で、音が軽やかに飛び跳ねる。聴いているこちらの気持ちも軽くなるようで、とても良い。この放送が始まる時間にウォーキングしている事が度々あって、左右が田畑の農道やら、河川の土手やらを歩いている時にこのテーマ曲が流れてくるとかなり良い気分になる。ましてやそれが晴れた日であれば、音が青空の中に伸び上がっていくような気さえして、文字通りに晴れ晴れとした気分になる。例えば学校で嫌な事があったり、仕事量が多くて疲れ果てていたり、職場で理不尽な目に遭ったりした一週間であっても、土曜日の午前中にこの曲を聴けば、ほんの少しでも救われたような気になるのじゃないだろうか。話を大袈裟にしてしまっているかも知れないが、そのような働きがあるような気がしてならない。制作側にそのような意図があったかどうかは分からないけど。

 さて、これは誰が演奏しているのかとネットで検索してみてもなかなかヒットせず、唯一見つけられたのは当人のサイトのページだった。同じ誕生日の女性二人によるユニットであるようだ。番組開始以降に出したアルバムの楽曲をアマゾンのページで試聴出来るので試してみると、これには収録はされていない。どうやら CD 化されてはいないようだ。しかしよくよく考えてみると、挿入曲として使われていて、番組の内容と相まっているから良いのであって、曲単体で聴くとそうでもないのかも知れない。テーマ曲で「快」の部分を呼び覚まし、番組の内容で気持ちを解していくような流れがたぶん良いのだろう。

散歩する少年、再び。

 ほぼ一年前のこの記事の続き。去年の夏頃からは、その少年の姿をあまり見かけなくなっていた。まったく見ない訳ではなく、たまには見かけていたので、時間帯を少し変えたりしているのだろうと思っていた。

 僕は今、一日おきに散歩を兼ねたウォーキング時々ランニングをやっているのだが、今朝はトレーニングではない散歩をしたかったので、いつもとは違うコースを遠回りに歩いてみた。(散歩コース参照)資材ゴミ置き場跡の手前で農道に入って堤防に突き当たり、未舗装の道を上流に向けて歩いて橋を渡り、今度は反対側の堤防の道を下流に向けて歩き、突き当たった道路を上って途中で農道に入り込み、これまで一度も歩いた事のない地域を探訪したりしていた。
 その後はいつものように神社へ参拝し、橋を渡って南へと進み住宅地に戻ってきた辺りで、東側から歩いてくる少年の姿が見えた。相変わらずに髪型で相変わらずの黒っぽいジャージ姿だった。去年は10代半ばくらいだと思っていたけど、今日見たら10代の終わりか20代初めかも知れないという印象。成長したのだろうか。途中からは、彼が僕の後を追う形になった。どうも僕の散歩コースと似通った道のりを歩いているようだ。しかし何故こんな時間に歩いているのだろうかと思ったが、考えてみれば、午後に見かけなくなったのは朝歩くようになったからかも知れない。憶測でしかないけれど、昼頃に起きる生活から朝起きる生活へとシフトしたのだろう。とすると、彼の状態が上向きになっているという事だろうか。そうだと良い。そうであるなら、何となく嬉しい。

岩田屋のクリスマス

 昨日は外出しており、その出先でちょっとした事があって僕は少し寂しい思いをしていた。遣る瀬無い感情を持て余しながらトボトボと歩いていると、福岡天神駅のコンコースで一人の老女の姿が目に留まった。その老女は腰が前方に70度ほど曲がっており、さらには右斜めにも傾いていた。とても痩せていて、帽子を目深に被り、灰色のジャケットを羽織り背中にリュックサックを背負って、左手には岩田屋の紙袋を下げていた。歩く事も困難なようで、コンコースの中を少しずつ少しずつ移動して、段差があれば壁に手を突きながら脚を下ろす。その姿はあたかも周囲を行き交う人々とは違う時間軸に生きているようであった。僕はその後の予定など無かったし、その老女が転んだり突き飛ばされたりしないかと心配になってきたので、少し見守ってみる事にした。
 さっと行って声をかけ、困ってるようなら代わりに荷物を持って、彼女の行きたい所へ連れていってあげたら良いのではないかとも考えたが、何となく躊躇される。大変そうではあるがどうにか歩けてはいるし、もし歩行の手助けをするとするならば、その場合は家まで送り届けるという事になると思うが、そんな事を望むだろうか。彼女は怪我をしている訳ではない。常日頃もその体調であるだろうし、それを承知で行動しているのだから、それはきっと放っておいても問題ないだろうと考えたのだ。しかし、放っておいても大丈夫だと思える要素が見つけられないのである。そしてそれとは別に、自分が老女に声をかけないのは、声を掛けるのが恥ずかしいとか、面倒な事になったら嫌だとか、そんな風に考えているからではないのかなどと自問し始めてしまった。おかげで考えが全然まとまらず、その結果、ただ見守り続けるというおかしな行動を取ることになった。

 その後、ついに老女はコンコースを抜けて駅前の歩道に出た。そこを渡ろうとしている。人通りが多いので危ない。行き交う人々が老女を避けるように歩き、どうにか車道側のベンチまで辿り着いた。恐らくベンチに座って休もうとしているのだろう。頭を上げて辺りを見回している。しかし生憎とベンチは埋まっていた。老女の姿を認めた若い女性が立ち上がってベンチを譲ろうとしたが、彼女はそのまま素通りしてしまった。恐らくその若い女性が立ち上がった様子が見えなかったのだろう。試してみると判るが、腰を70度折り曲げるとほとんど地面しか見えない。前を見るには頭を上げた状態を維持しなければならないが、その姿勢は楽ではないし、その姿勢のままでは歩きにくいようで、歩くときは頭を下げていた。
 老女は歩道の端を左側に歩き始めた。そちらには地下街へと降りる階段がある。もしかしたら地下鉄で帰ろうとしているのだろうか。しかし彼女の歩行スピードだと一時間くらいはかかってしまいそうだし、辿り着けるかどうかも心配だ。そもそも階段を降りる事は出来るのだろうか。ここはやはり声をかけるべきではなかろうか、と考えていたら、老女は階段を降りずに階段口の向う側に回り始めた。そのスペースは自転車置き場になっている。まさか自転車に乗って帰る訳ではないだろう。もしそうならビックリだ。しかしこれも違った。老女はそのスペースを歩いて右側へ戻り、円形のベンチの反対側に座ろうとしていたのだ。あんなに歩くのが大変なのに、どうして席を譲ってくれるように頼まなかったのだろう。頼まれたら断る人なんて居ないだろうに。
 ベンチに座った老女はリュックサックを方から下ろして何やら荷物を漁っていた。何を取り出そうとしているのかは見えなかったが、やがて荷物を再びまとめ、ようやく身体を休める事が出来たようだった。

 さて、彼女は落ち着くことが出来たが、僕はまだ落ち着く事が出来なかった。彼女はこれからどうするつもりなのだろうか。ベンチのすぐ右横に横断歩道があり、その向こうに暫く歩くとバス停がある。そうかバスか。乗る為にはまた少し歩かなければならないが、地下鉄の改札よりはずっと近いし階段も降りなくて済む。十分に休んだら彼女でも問題なく辿り着けるだろう。彼女がバスに乗り込むのを見届けたら僕の役目は終わりだ。そう考えるに至ってようやく落ち着いてきた。
 暫くした後に老女は立ち上がった。そしてゆっくりと動き始めたと思ったら、今度は横断歩道の手前に置いてある腰高の植栽の縁に腰掛けた。何かを待っているように見えるが、何を待っているのかは判らない。やがて再び立ち上がり横断歩道に近づいたが、そのまま立ち尽くしていた。もしかして横断歩道を渡ろうとしているのか。そうだとしたら、彼女の脚では渡りきるのに10分くらいはかかりそうだ。それから何度か信号が変わって人々が行き来したが、老女はそのまま立っていた。そろそろ声をかけた方が良いかも知れないと考えていると、すぐ傍の植栽の縁に腰掛けて動物愛護の活動をしていた女性が老女に声をかけた。二言三言言葉を交わした後、動物愛護の女性は元に位置へ戻った。しかしそれからも老女は同じ場所にただ立ち続けた。何度も何度も信号は変わった。それでも老女は動かなかった。動物愛護の女性が再び声をかけたが、やはり元の位置に戻った。そしてとうとう老女が動いた。車道側に少し移動して、手の平を小さく上げたのだ。僕はその姿を見てやっと理解した。彼女はタクシーを拾おうとしているのだ。そりゃあそうだ。タクシーを使うのが一番楽だろう。どうして気付かなかったのか。しかし如何せん、腰の曲がった彼女が手を上げても手の平は頭の上にすら出ていない。こんな人混みの中だし、通りすがりのタクシーの運転手は気付けないだろう。僕はそれを手伝う事にした。ようやく役割を与えられた気がした。

 動物愛護の女性も老女を気にして見ていたので、先にその女性に声をかけた。「あの女性はタクシーを拾おうとされてるんでしょうか」「そうなんですよー」次に僕は老女に声をかけた。「手伝います」彼女がどう答えたのか思い出せないが、とにかく僕は車道に乗り出して左手を挙げた。タクシーは結構通るが、大概は「賃走」の表示を付けていた。ようやく「空車」と表示したタクシーが停まってくれたが、若いカップルが横から乗り込んだ。自分達が止めたのだと勘違いしたのかも知れないし、僕達の存在に気付かなかったのかも知れない。タクシーは走り去った。
 それから何台もタクシーは通ったが全て「賃走」だった。動物愛護の女性が老女に疲れただろうから少し腰掛けてはどうかと声をかけたが「大丈夫です」と老女は答え立ち続けた。「前は停まってくれたんですけどねぇ」と老女は言うが、それはどの程度前の話なのだろう。いつも同じやり方でタクシーを拾っているという事なのだろうけど、この状況では難しいだろうと思った。クリスマスイブの土曜日の夜で乗客は多いだろうし、横断歩道のすぐ横手はタクシーも停まりにくい。そして老女はよく見えていないようだ。メガネをかけているが、空車や賃走の表示も見えていないようだし、タクシーではない車に向かって手を上げる事もあった。僕らは手を上げ、立ち続けた。
 眼をこらして遠くを見ていると、どうもバス停の向う側辺りでタクシーが客を乗せている様子が何度か見て取れた。「向こうの方がタクシーを止めやすいようなので、行ってみましょうか」と提案してみると、老女はそれには答えず「あのー、アナタは?」と質問されてしまった。そりゃあ不審に思いもするだろう。「通りすがりです」と答えたら「そうですかー」と言いニッコリしていたが納得したとも思えない。しかしそれ以上の説明は出来ないのでしょうがない。
 何となくうやむやのまま、更に立ち続けた。そしてついに一台の空車タクシーが停まった。僕らはそそくさと移動し、老女は乗り込んだ。「脚がお悪いようなので、気にとめて上げて下さい」と運転手に言ってみたが、彼は老女をじっと見たまま返事をするどころかこっちを見ることさえしなかった。嫌な感じがしたが、他に選択肢はない。そのまま見送った。僕は動物愛護の女性に会釈し、その場を去った。

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 善いことをしたのかどうか、よく判らない。必要な事であったかどうかも判らない。僕が居なくても何も問題はなかったのかも知れない。あの老女にたいして何かしら行動したのは、僕が気付いた限りではベンチに座っていた若い女性と、動物愛護の女性だけである。他の道行く人々は誰も老女の事を気にとめていなかったように見えたし、存在に気付いてすらいなかったのかも知れない。つまり、何てことのない光景だったのかも知れない。そうすると、僕は何故そんなにも気にしたのだろう。僕が孤独感を感じるような状態であったから、辛い思いをしているように見えた老女に同情してしまったのだろうか。前述したように、彼女はその状態が日常であり、その上で「買い物」に来ていたのだ。老女が手に提げていた紙袋は岩田屋のもので、その百貨店は駅から少し離れている。健常な人なら歩いて二三分程度だが、彼女にとっては結構な距離になるだろう。何故そうまでして買い物に来たのだろう。クリスマス若しくは正月用に、毎年岩田屋で買っている商品があるとかそういう事だろうか。そうだとしても何故独りで来たのだろう。考えられるとすれば、今日の買い物は彼女の生活の中では特別な意味を持つような楽しみであるのかも知れない。あの状態から察するに、平素も外出はままならないだろう。家の中に閉じこもった生活はさぞ息が詰まる事だろう。だからこそたまの外出は、困難を押してでもやる意義のある事なのかも知れない。もしからしたらその困難を含む事にも意義があるのかも知れない。老女の人に頼ろうとしない態度からそんな事を想像してしまう。だとしたら、僕はそれを少し邪魔したと考える事も出来る。しかし老女の歩行の困難さは、歩いているというより脚を使って身体をずらしているという方が正しいと思えるようなレベルなので、どうしてもまず安全を考えてしまうのだ。
 僕はそんなモヤモヤを抱えながら歩いていた。酒でも飲もうかと考えたが、この状態だときっと飲みすぎるし、酔っぱらって電車に乗るのは嫌だったのでとにかく歩いた。ぐるぐる歩き回りながら、クリスマスに浮かれた人々の顔を眺めながら、モヤモヤはモヤモヤのまま丸呑みしなくてはならずに途方に暮れた。唯一、僕の一連の行動は全て、自分自身の為なんだろうなとう事だけは確かであるような気はしていた。

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