DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Category: Days (page 3 of 35)

初恋動物園

 先日、福岡市動物園がリニューアルしたとのニュースを眺めていて思い出した事がある。

 僕は幼き頃に連れて行って貰った動物園で、親からはぐれたのか一時独りで行動しており、ふと視界の開けた高台の休憩所ような場所に居た。柵に囲まれ、ベンチがあり、お金を入れて見る事の出来る双眼鏡も在ったように思う。其処で僕は「これ以上の僕の好みに合う女の子は居ない」と思えるほどの同い年くらいの女の子に出会ったのだ。僕は長い事じっと見ていたのであろう、やがてその子も僕に気付いた。ニコっと笑ってくれて僕を見ていた。僕ももちろん見ていた。そのうちにお互いにモジモジし始め、何となく離れがたいような気分になったし、相手もそうであるように見えた。しかし僕は親の元へ帰らねばならない。きっと相手ももそうだろう。一言も発する事はなかったが、離れがたきに耐えるような、胸が締め付けられるような気持ちに陥った。

 という事を、随分と成長した後(成人はしていなかったと思うが、それまでのどの時期だったかは判然としない)に鮮明な映像としてその事を思い出した。という事を今回思い出した。話は複雑なのである。
 そして、最初に思い出した当時(その後何年かに一度くらいは思い出しているが同様に)は、その女の子の表情や着ていた服までもはっきり思い出したくせに、その記憶に自信が持てなかった。何故かと言えば、その光景以外には動物園での記憶が全くないからである。それに僕には、自分の記憶だと信じ切っていたものが事実ではなく、記憶を歪曲したかそれとも夢を見たとしか考えられないという事がたまにあって、それもあってその記憶を疑っていた。考えてみれば都合の良い話だし、動物園には行った事はないような気がするし、たぶんまた夢に見た事を勘違いしているのだろうくらいに考えて、やがて忘れていった。

 で、今回はせっかくなので事情聴取してみた。母が言うには、熊本市動物園には父の運転する車で行った事があり、福岡市動物園には保育園の遠足で行った事があるそうだ。全く記憶にはなかったが行った事はあったのだ。そして、何れにしても保育園の時だが、福岡市動物園は高台に在るので双眼鏡の在る休憩所も在ったかも知れないとの事。僕の記憶にやおら信憑性が出てくる。妙に楽しい気分になってきた。
 しかし疑問はまだある。通っていた保育園には当然女の子も居たし、彼女達に関しても微かな記憶はあるのだがほぼ興味はなく、一緒に遊んでいた男の子達の印象の方が遙かに強い。そして僕は当時で言う保母さんの一人がとても好きで、何となくそれが僕の初恋だと思っていた。そんな男子児童が、上記したような行きずりの女児に一目惚れなんてするだろうかね、という疑問。ああしかし、小学校に入学した僕はフツーにクラスメートの女の子を好きになったりしていたので、もしかしたら保母さんに恋をした後に件の女の子との出会いがあったりしたのだろうか。そう考えると何となく話がうまく収まるような気はするなあ。いやでも「これ以上の僕の好みに合う女の子は居ない」なんて幼児が考えたりするだろうか。その辺りの感情の記憶が歪曲されているのかも知れない。

地獄の電子音

 今朝見た夢の話。

 巨大な宇宙船が空を覆っており、その宇宙船の外装は金属よりもっと軽そうな、極彩色のパネルで構成されていた。例えるならルービックキューブの各色を20色くらいにグラデーションさせて、各色のその一辺が10メートルくらいと考えてもらえれば良いだろう。そういう巨大なパネルが複雑に構成され、何の機能が在るのか判らないが、宇宙戦艦ヤマトの底部の第三艦橋のようなタワーらしきものが突き出ている。そして僕らは谷底のような場所に居て、四方を崖に囲まれている。つまり、上空に見えるはずの空を宇宙船が蓋をしてしまった状態だ。なので僕らが見ているのは宇宙船の底部のみという事になる。
 僕らと書いたが、実は谷底には何百人もの男達が居て、僕を含めたそいつら全員が、幅10メートルくらいの、横から見ると山型に組まれた梯子を登っている最中で、一体何の為にそうしているのか判らずにいた。宇宙船に乗り移ろうとしているように思えるかも知れないが、宇宙船は梯子の突端の遙か上空である。それでも皆やみくもに梯子を登り続けている。恐らく、谷底にそのまま居続けると何かしら良くない事が起きるのだろう。宇宙船の底部に在る艦橋が伸びて、自分を受け入れてくれるのを期待しているのかも知れない。

 突然電子音が鳴り響き、宇宙船のパネルがまるで板が倒れるような様子で動いた。谷底に居る男達全員が呆気にとられ、動きを止めて頭上を見上げていた。そしているうちに宇宙船のパネルは次々と動き出し、それに連れて電子音も一定のリズムを持つようになり音階まで現れた。ただ、巨大な物が動いている割りには風圧を感じないし、作動音や何かがぶつかり合うような衝撃音も聞こえてこない。電子音が谷中に響き渡っているだけである。それでも、巨大な物が眼前で動くのだから視覚的には威圧感がある。やがてパネルの動きはスピードを増し、動き方も複雑になった。電子音の旋律も複数になり、それらが絡み合うようにうねる。僕はだんだん怖くなってきた。
 ふと気付けば、僕は梯子の最上段に掴まっていた。僕より先に梯子を登っていた男達はどうしたのだろう。怖くなって降りたか、それとも落ちてしまったのか。振り返ると、僕の背後で大勢の男達が僕を見上げていた。

 とその時、電子音が一際大きく響き、僕が驚いて頭上を見上げると、宇宙船の底部艦橋が形状を次々に変えながら僕らの方へ伸びてきた。それはもう、どう考えても僕らを救おうとしてくれている雰囲気ではない。何かしら、とんでもない事を今まさに起こそうとしているとしか思えなかった。僕は半ばパニックに陥り、為す術もなく梯子にしがみついた。こんな恐ろしい事が起こって良いのか。何故に僕がこんな目に遭わなければならないのか。混乱する頭で僕は考え続けた。そしてふと思い付いた。これは夢だ。こんな事が起こる訳が無い。何故か僕はそう確信し、目をつぶり頭を振った。
 すると電子音が突然止み、一瞬の空白の後に僕の耳には人の話し声が聞こえてきた。恐る恐る目を開けると、僕は陽光の差し込む一室で、見知らぬ男女数人と一緒にお茶を飲んでいた。

 というところで目が覚めた。まさかの二段落ち。

生き直し

 昨朝観た夢の話。

 ある朝僕はテレビコマーシャルだか広告だか何だかで、以前の知り合いが著名な美容師となって日本へ凱旋帰国する事を知った。どこぞの美容室を借りて、そこで先着何名かを選び、彼女がヘアカットするのを公開でやろうという催しだ。僕は彼女会いたさに、当日その店をまで足を運ぶ。以外にも僕は被験者に選ばれ、今や遅しと彼女の登場を待つ。そして、記者や取り巻きを引き連れついに彼女は現れた。が、すっかり人が変わってしまった様子に僕は愕然する。
 僕がかつて知っていた彼女は、色白で髪の毛は短く、どこか危なっかしい印象があるが朗らかな性格の持ち主だった。しかし今僕の目の前にいる彼女は、体格こそ変わっていなかったが、当時の面影はなく、肌は浅黒く長髪で、細かった顎は力強く角張って、ブラックジーンズに革のベストをぴっちりと着込み、黒いショールを羽織っていた。そして何よりも僕の目を引いたのは、彼女の右目のまぶたが黒い糸で縫われて片目になっていた事だった。

 彼女に一体何が起きたのだろう。僕は狼狽しながらもそんな事を考えていた。僕の番が回ってきても、彼女は顔色一つ買えずに淡々と作業をこなした。その頃には人違いだったのかも知れないと思い初めていた。彼女はとても珍しい名前で、それだけに間違うはずもないと思い込んでいたが、こうまで印象が違うと段々と自信を失ってくる。

 催しも終わり、帰り支度を始めた彼女に僕は話しかけた。どうしても確かめたくなったのだ。果たして、彼女はやはり当人であった。僕の事も一応は憶えていたらしい。そして尋ねてもいないのに自分はヘヴィメタルが好きだと言う。そんなのはその出で立ちを見れば想像出来るし興味もなかったが、僕は彼女の短い身の上話を聞いていた。
 僕は彼女に尋ねる。どうしてそんなに変わってしまったのかと。すると彼女は答えた。昔の自分は仮の姿であり、自分が望んだものではなかった。今の自分が本来のものであり、ずっと求めて止まなかった姿であると。そう言って彼女は笑った。かつては余分な肉など1mmも付いていない、ほっそりとしていた顎にはたっぷりとした肉が付いていた。

 僕がかつて(幾らかの恋心を以て)見ていた彼女の姿は仮のものであり、彼女曰く幻想に沿って誂えた偽物であった、などと告白されると遣る瀬無い気分になる。僕は一体彼女の何を見ていたのだ。表層のみに惑わされ思い上がっていただけではないのか。僕はかつての彼女の姿を恥ずかしいほどに信頼し、彼女は偽りを演じ続けていた。突然突きつけられたその現実に僕は呆然とするばかりであった。
 そんな僕を見て彼女は笑う。その目尻には、かつての彼女と同じ皺が刻まれていた。

 という夢を見た。

Light my fire

 昔、小学校高学年の頃の話。いつの間にか仲良くなっていた友人の家が神道系の教会を営んでおり、そこの信者やその子供達が集って行われる催しに時折参加していた。僕の家族は誰一人そこの信者ではなかったのだけれど、何故かしら僕は呼ばれていた。当時はその教会の息子の友人だからだとばかり思っていたのだが、実は、町に初めてその教会が設立される際に、僕の祖父が先代の先生(とその教会では呼ばれている)の家族共々、色々と世話をしたらしい。その話はずいぶん後になって母から聞かされたのだが、恐らくそういう経緯があって僕は気を遣われていたのだろう。でもあまあ、そんな事は本筋と関係ないのでどうでも良い。

 ★

 ある年、夏休みを利用してキャンプが計画された。何処へ行ったのかはまるで思い出せないが、適当なその辺りの山間だったのだろう。僕が育ったのは平野部だったが、その周囲には山々が連なっており、車を走らせればキャンプ施設は結構あちこちに在った。
 その時は、教会の友人の他にも同級生が何人か(その時はかなり大人数が参加していたので、僕の他にも非信者を呼んでいたようだ)居たせいもあって、結構楽しいキャンプだった憶えがある。とは言え、この催しについての記憶はかなり薄く、殆ど一つの場面しか憶えてない。それを今から書く。

 昼間さんざん暴れて、陽が落ちては美味しい夕食(カレーだったと思う)を食べ、それを終えればもうたいしてする事はない。適当な間隔で据えられたテントに潜り込んで、ランタンの灯りを頼りにお互いの顔を確認しながらお喋りに講じるだけである。とは言え、一体何の話をしていたのか。人間というよりもまだ、動物に近い生き物である小学生男子にたいした話がある訳もない。どうせ学校での噂話にでも花を咲かせていたのだろう。それか、それ以前に話もせずにただふざけ合っていただけかも知れない。そんなものだ、小学生男子なんて。
 ところが、その幼稚な夜に未知なる存在が訪れた。僕の知らない信者の娘とその友人である。その二人が一体どういうつもりなのか男子の森に前触れも無く侵入して来たのだ。僕は全く知らない人(しかも年上の女の子)の登場にものの見事に動揺し、口もきけないでいたのだが、教会の息子である友人と、もう一人の友人には共に二歳上の兄があり、そのどちらもが侵入者である女の子達と同級生だかクラスメイトだかで面識があるようだった。まあ、それ以前に教会内で何度か顔を合わせた事があるのだろう。とにかく、二人は臆することも無く(しかし幾らかは興奮気味に)その夜の侵入者と喋っていた。
 僕はと言えば、相変わらずムッツリ黙り込んだまま会話を聞き流していたと思う。そりゃあ仕方ないだろう。そんな経験した事がなかったのだから。ここでひとつ説明を加えておくが、侵入者の二人は共に美しく、片方は黒髪で目が大きく、唇の厚い元気な女の子。片や一方は全体的に色素が薄く、顔の造作もやや冷たい感じのどちらかと言えば控えめな女の子であった。彼女達のそういった様子も相まって、僕はとにかく緊張して黙り込んでいた。ところが、である。

「あんた大人しかねぇ」

 一言も喋らない僕を気遣ったのか、前述の後者に当たる女の子が突然僕に話しかけてきたのだ。しかしそこではない。重要なのはそこではなく、その時の彼女の所作である。彼女は僕の顔を見据えたまま、なんと僕の剥き出しの膝小僧を撫でてきたのである。僕は飛び上がらんばかりに驚いた。はずなのであるが実はその辺りの事はよく憶えていない。どうせ「う、うん」とか口ごもっただけであろう。そんな行動に対応するようなスキルも根性も持っていたはずはない。今をもってすれば、考えるまでもなく僕は彼女にからかわれただけだ。こちらは毛も生え揃わぬ子供であり、彼女は既に思春期真っ只中である。対等である要素など何処を探しても見つかりはしない。
 そしてその時の後の事は一切憶えていない。恐らく、彼女達が退屈してさっさとテントを出て行ってそれで終わったんじゃなかろうか。何かが起きたりはしないと思う。小学生だし。

 彼女達の事はその後何度も見かけてはいる。例えば僕が中学校に上がった時に彼女達は未だ三年生で、時折校内で見かけはするのだが、地方のそのまた田舎では、派手で元気な人達はたいがい不良グループ(当時はまだヤンキーという言葉はなかった気がする)に属しているもので、つまり、彼女達を見かける際には漏れなくその周囲に怖い先輩達が集っているので、もし僕にそんな勇気があったとしても、とても話しかけられるような雰囲気ではなかった。僕がその女の子を想っていたという事はなかったと思うが、意識の端っこには居たような気がする。少なくとも中学の時までは。いや、そうでもない気がして来た。僕の女性へ対する好みの一部としては受け継がれているかも知れない。
 そして数年後、再び僕は彼女と邂逅した。どういう場であったか、これまた全く記憶に無いが、社会人となった彼女は何処かの化粧品メーカーの美容部員として働いており、化粧も巧みで更に美しくなっていた。この人はホントに綺麗な女性なんだなー、と想った記憶のみが残っている。

 ★

 長々と書いてきたが、たったこれだけの話である。別に面白くも無いし。しかしこの話は何年かに一度は思い出すので、せっかくなので文章として残しておこうと考えたのである。人の記憶は年月を経て行くと共に細部が誤魔化され、都合の良い美しさを増していくものだが、このまま放っておくと酷い事になりそうな気がしたので取りあえず書いてみた。

寺と雨

 僕が通っていた小学校の隣には寺が在り、小学校の裏門と、寺の裏口は道を挟んで向かい合っていた。この寺の境内を抜けた方が近道になるので、僕は通学路としてよく足を踏み入れていた。それに加えて、境内は僕らの放課後の遊び場にもなっていたので、僕はこの境内で色々な経験をしたと思う。その中で、今でも梅雨の入口で静かな雨に降られていると思い出す事がある。

 さすがに小学生の頃の事なので、記憶もかなり薄れてハッキリしない事が多いが、明るい雨降りの中、僕は一人で境内の中に佇んでいた。何をしていたのかと言えば、それだけは明瞭に覚えているが、僕は雨と木々の匂いを嗅ぎたくて其処にいたのである。境内の中には大小様々な樹木が植えられており、雨水を吸い上げたそれらは豊潤な香りで境内を満たしていたのだ。僕はそれまでの短い人生の其処此処に於いて、その匂いが自分に心地良さを与える事を知り、それを思い切り満喫出来る機会を待っていたのだろう。今ではこうやって説明出来るが、その頃の僕にはその力はなく、自分の中に在る何やらモヤモヤした気持ちとして仕舞い込んでいた。なので、誰にも説明する必要が発生しない機会を心密かに待っていたのだ。恐らく、その日は友達と連れだって帰るという事はせず、こっそり自分だけ境内に潜り込んだに違いない。雨の日に誰かが遊びに来る事もないだろうし、僕は安心しきって、山門の敷居に腰掛け、膝を抱えるようにして目をつぶり、雨が葉々を打つ音を聴きながら、樹木の匂いを心ゆくまで吸い込んでいた。

 今でもそのような匂いを嗅いだりすると、当時の光景を思い出すし、現在も尚あの場所に自分が居るように錯覚する。

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