五月雨の時期になると中学生・高校生は衣替えと称して、一斉に孵化した昆虫のように夏服に着替える。そうするってえとどうなるかというと、女子が着ている白い開襟シャツの背中に、薄い生地を通してブラジャーが浮かび上がるのである。そうなったらもう男子どもは狂喜乱舞してそれを眺め尽くすのであるが、或る者は友達と馬鹿話をするふりをしながら横目で窺い、或る者は前の席に座る女子の背中を凝視する。
 僕の事で話すならば、もう20年以上も前の話だし九州の田舎の事であるので、ブラジャーの色としては白が圧倒的に多かった。今思えばその事実は少々時代錯誤な気もするが、そこはほれ、封建的なクソ田舎なので仕方がない。そんな中、クラスの中で数人の女子はピンクのブラジャーを着けていた。着色された下着は野暮ったさから解放され、柔らかい魅力を持って男子どもの目に突き刺さった。僕の勝手な想像だが、恐らくお母さんからのお仕着せではなく、少しの我が侭を通して買って貰ったのだろう。彼女達は先験的であったのだ。ピンクのブラジャーを着けている方が可愛いし男子にモテると。しかし本日の主題はピンクのブラジャーではない。水色のブラジャーである。

 水色のブラジャーを着けている女子は殆ど居なかった。学年で一人か二人。しかも彼女達が毎日同じ色のブラジャーを着ける事もないので、背中に透けた水色のブラジャーを見かけた時には「当たり!」と心の中で拳を突き上げたものである。こうも書くのだから、僕は水色のブラジャーが大好きであった。勿論だが男子の間で囁かれる「何色のブラジャーが好いとると?」の公的な質問には当然「水色がよか」と答弁していた。それが何故なのかはよく解らない。いやらしさで言えばピンクの方がそうだと思うのだけれど、僕は何故か水色を好んだ。まさか希少性に性的興奮を覚えるとも思えない。たまたま水色のブラジャーを着けている女子が僕の好みだったと考えられなくもないが、今ではそれが誰であったのか思い出せないのでその理由ではないだろう。では一体何故なのか?もしかしたらピンクの先を行くそのセンスが好きだったのかも知れない。でもまあ、これは今考えたこじつけであるので、実際はよく解らない。

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 此処まで書いておいて何だが、僕が通っていた中学の女子の制服は、冬期はセーラー服で夏期はジャンパースカートだったんだよねえ。そのジャンパースカートは確か背中の部分も覆われていた気がする。という事は背中に透けブラが見えるはずがないのである。おかしい。高校は確かに開襟シャツにスカートだけだったからその方が見えるのだけれど、内容の子供っぽさからして中学生の時の感覚であると思うんだけどなあ。変だなあ。

 因みに何故こんな事を書き出したかというと、僕が妙に水色を好むのはもしかしたらその事が原点ではないだろうかと思ったからである。己の嗜好の原点を辿るのは結構楽しい作業である。しかし行き着く先は得てして恥ずかしい事柄である場合が多い。