DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: June 2009 (page 1 of 2)

愛と誠

 早乙女愛である。太賀誠である。石清水宏である。しかしながら読んだ事はない。絵柄は知っているが内容は知らない。週刊少年マガジンにて連載が始まったのは1973年。小学校に上がって間もない僕が、劇画調で内容のキツそうなこの漫画を読んでいるはずもない。後年になって彼方此方でたまに取り上げられているのを見聞きして、何となく雰囲気だけは掴んでいるような感じだ。
 んで、つい先日何故かしらこの漫画のタイトルが頭に浮かび、興味がなくもないから興が乗れば読んでみようかな、などと考えながらポチポチと検索していたところ、どうも面白いらしい。しかも左記のサイトを開く際のダイアログにも出てくるが、この漫画のタイトルの由来になっている言葉がなかなか凄いので非常に気になってきた。

愛は平和ではない。愛は戦いである。武器のかわりが誠実(まこと)であるだけで、それは地上における、もっともはげしい、きびしい、みずからをすててかからねばならない戦いである――わが子よ、この事を覚えておきなさい。ネルー元インド首相の娘への手紙

 そういう事で読む事にしたのだけれど、未だ買ってない。しかも読むより先にタイトルをパクって mix を作ってしまった。

Love & Sincerity from doggylife on 8tracks Radio.

新宿ソワレ

 先週末の事。東口のやんばるにて豆腐チャンプルー定食を食した後、サイタマノラッパーの上映時刻までには1時間半ばかりの間が空いてしまったので、紀伊国屋書店や東急ハンズを冷やかしたりしていたのだが、やる事もすっかり無くなって、JR新宿駅南口改札とフラッグスビルの二階入口前の、ちょうど往来の交差する辺りで、行き交う人々をぼんやりと眺めていた。しかし幾らぼんやりしている最中だとしても、生来が神経質な質であるが故、視界を塞がれる事を僕は好まない。勿体振った言い方をしてしまったが、要は、急に目の前に現れた一組のカップルが邪魔臭くて仕方がないのである。しかもだ。その二人は事もあろうか揉めているのだ。

「なーにー? マジでムカつくんだけどー」

 そんな言葉が僕の耳に届く。年の頃なら20代前半。25はいっていないと思われる。髪の毛は長くカールして、化粧もばっちりで、目の覚めるようなホットパンツを穿いた女の子が笑いながら怒っている。方や男の子の方は、背は高くないが可愛い顔立ちの美青年。すこしダブついた服を着こなした洒落た出で立ち。困っているのか、それともスカしているのか、ニヤニヤと笑っている。

「ねぇ、どうすんのー?」女の子は男の子の腕に手を乗せて尚も攻める。

 なあ・・・どうすんだよ。事情は知らない。知らないんだけどさ、どうすんだよ。大まかな判断をすれば、要は彼女の要求をオマエが渋ってるんだろ。なあ、どうすんだよー? 兎に角さ、オレの目の前で揉めるのは止めてくんないかな? オレはさ、大都会新宿南口でさ、見ず知らずの人達が垣間見せる人生の一瞬を眺めて楽しもうって腹なんだよ。そんなとこで何時までも揉めていられると困るんだよなー。
 でさ、こんな事オレが言うのも何なんだけどさ、オマエ結構可愛い顔してんじゃない。だからモテると思うんだ。だろ? で、モテるオマエなら判ってると思うけど、彼女笑ってるだろ。でもさ、ちょっと引き気味に見てみな。彼女の笑った顔の何処か、その何処かはよくわかんないんだけど、何処かが笑ってないよな? だから、今すぐ手を振り払ってダッシュで逃げるか、若しくは地面に頭擦りつける勢いで降伏して彼女に従う以外は道がないんだよ。なあ、判ってる? さもないとさ、まるで蝋燭の火みたいに彼女の顔からすーっと笑顔が消えて表情を無くすんだよ。そうなったらもう、あれだよ。今まで一度も言われた事のないような残酷な言葉を死ぬほど浴びせかけられて、下手すりゃ殺されるんだよ! あー怖い。全然他人事なのに物凄く怖い!

 僕がそうやって煩悶しているうちに、そのカップルは少し離れた場所へ移った。しかし尚も押し問答をしている様子。可愛い顔した男の子は、女の子の手の甲をぽんぽんと軽く叩いて、何やら宥めようとしている様子。無駄だ。無駄だよ君。君は今まさに雌カマキリに食われようとしている雄カマキリの立場なのだ。立場を弁えない傲慢さが自身の不幸を招くのだよ。
 暫くの後、やはり、男の子は諦めた風情で屈服し、女の子に手を引かれて甲州街道を下って歩き去って行った。

 あれっ・・・ねえちょっと! ラブホ街はあっちだよ! 歌舞伎町の裏だってば! 何だったら、おじさん案内しようか?

 ★

 夏の夜の、永遠の一幕。

SR サイタマノラッパー / 入江悠

 いとうせいこう大根仁が激賞していたので、渋谷のユーロスペースで ” SR サイタマノラッパー ” をリバイバル上映を観てきた。

 若い頃(最近この言葉をフツーに使えるようになった)というのは、あらゆるシーンに於いて悔しい思いをするものである。とにかく、やる事なす事全てにケチが付く。粋がって格好つけてみても失笑されるだけだし、グレてみても本気の人達を見ていたらとても怖くなってやる事が中途半端だし、フツーにやれと言われてやってみればどうにも浮いてしまう。一体どうすれば巧くいくのかさっぱり判らないし、だいいち何処が悪いのかさえ判らない。言うならば、個人史に於ける馬鹿の時代である。思い返してみても、毎日毎日延々と燻っていた記憶しかない。そして、そういう人間を傍から見れば非常に痛々しく感じる。基本、そういう映画であった。

 この映画の特筆すべき素晴らしい点は、上記の二人が既に書いてしまっているので、それをなぞる形になってしまうが、取り敢えず書いてみる。
 みひろ扮する元AV女優の同級生が東京に戻るべく、駅へと続く階段を登る場面。みひろが重いスーツケースを引っ張り上げながら階段を登り、数人の男子高校生が階段上から降りてきて擦れ違う。ただそれだけのシーンでほんの一瞬なのだけれど、それはもう舞踏劇を観ているような素晴らしい光景であった。
 そしてラストの、いとうせいこう氏が言うところの口説きの部分。俯いて、ボソボソと吐き出される言葉が、ひとたびリズムを刻んで繰り出された瞬間、突如として攻撃性を帯びて暴れ出す。状況からすれば滑稽にも見えるそのスタイルは余りにも切実である。その切実さは、巧くいかない己の人生を思い患い燻っていた魂を再燃させているかのようであった。

Free ENKA

 先週末に放映された「湯けむりスナイパー」の中で、谷桃子扮する芸者小雪がカラオケにて ” ここにいるよ ” を歌い、それを遠藤憲一扮する主人公が聴いて「これは、21世紀の演歌だ」と嘆き涙を流すという場面があったのだけれど、それを観て僕は何か腑に落ちるものがあった。2年前にラジオから繰り返し流れてくる上記の曲を聴きながら、こんなにも湿っぽい内容の歌詞を僕よりもずっと若い人達が楽曲としてまとめて発表し、そしてそれが世間で売れているという事実が少し不思議に思えたのだ。それは恐らく僕の若い人達に対する偏見からくるもので、若い人達はおしなべて皆ドライな感覚で生きていると思っていたようなのである。しかし実際はそうでもないらしい。

 21世紀の演歌。もしかすると演歌的なものは昔からずっと、綿綿と受け継がれているのではないだろうか。音楽のジャンルとしてではなく、演ずる側聴く側双方の感覚的なジャンルとして。そう考えていると色々と思い当たる。この曲は何だか演歌っぽいなあ、という感じで。明確な基準はなく、飽くまで漠然とした感覚で。そういう曲を集めて繋いでみた。新しい曲ばかりだと解りづらいので古い曲も織り交ぜて。

Free ENKA from doggylife on 8tracks Radio.

 Wikipedia – 演歌を読んでみると冒頭に「演歌(えんか)とは、日本の大衆音楽のジャンルのひとつであり、日本人独特の感覚や情念にもとづく娯楽的な歌曲の分類であるとされている。」と書かれてある。まあそういう分類なんだろうなあ。しかし「情念」とは強い言葉を使ったものだ。その言葉を当てはめると定義が結構明確になる気がする。その他には音階や歌唱法によって特徴付けられているようである。今回色々と聴いていて思ったのだけれど、こんなにも素晴らしい歌唱力・表現力を持つ歌い手達の受け皿が無くなるのは勿体ない。最近は少し盛り返しているようだけれど、演歌というジャンルが衰退して久しい。大瀧詠一松本隆が楽曲を提供し森進一が歌った「冬のリヴィエラ」とか、福山雅治が楽曲を提供し前川清が歌った「ひまわり」とか、杉真理が曲を書いて石川さゆりが歌った「ウィスキーが、お好きでしょ」とか、そんな感じに混交していけば良いのになあ。先日、くるりが企画して毎年催される京都音楽博覧会に石川さゆりが出演する事が発表されたが、一体どういう事になるのやら判らないけれど、何だか楽しい気分にさせてくれる話である。

 で、音楽とは関係ない話なのだけれど、石川さゆりって昔っから結構好きである。実家に帰省した際に両親が「演歌の花道」なんかを観ていると、出演の是非を確認せずにはいられない。

 ★

 そう言えば、上の「湯けむりスナイパー」のカラオケでのエピソードは原作にもあるのかと思って調べたらそうではないようで、原作では椎名林檎の曲みたいだ。どの曲かまで判らないが台詞は「これは、女の殺し屋の歌だ!」で。脚本・演出の大根仁ブログに原作のエピソードが書いてあった。

便所本

 誰しも自宅でウンコをする際には何かしらの本をトイレに持ち込むだろう。持ち込まない人も居るかも知れないが、そういう人はきっと多いと思う。僕にしても余程切羽詰まった状況でもなければ大概は本を持ち込む。便意を催したらトイレではなく先ず本棚に向かって、適当な書籍を選び取った後に初めてトイレに向かう。
 さて、このトイレに持ち込む書籍はその用途をしてかなり厳選される。先ず小さい事。文庫本サイズが望ましい。僕の部屋はユニットバスで、それにトイレも含まれており大変狭い。扉を閉めてしまえばその息苦しさに用も足せない程だ。そんな空間に持ち込む書籍は小さいに越したことはない。次に短い時間で鑑賞し終える構成である事。時間にして数十秒から長くて3分。これだと小説や漫画の類は無理。エッセイ集や雑誌もギリギリ駄目だ。その本から何かを得るのに時間が掛かかるものは適さないし雑誌は大き過ぎる。そう考えると写真集か詩集になるだろうか。色々試したが、以下に僕の定番便所本を掲げる。

新宿+ / 森山大道: 写真集「新宿」の文庫版。森山大道の写真集の中では一番キャッチーだと思う。しかし版のサイズは良いのだけれど厚さが5cmもあるので少々扱い難い。そのうちに頁がバラけてくるんじゃないかと思う。

今日のつぶやき / リリー・フランキーとロックンロールニュース: リリー・フランキーのHPのコンテンツを書籍化したもの。ホントに一言だし、適度に下品なところが良い。これが「誰も知らない名言集」だと少し長過ぎる。

TOKYO STYLE / 都築 響一: 東京における住空間の混沌と美を集めた写真集。僕はお洒落で高級な住空間より、こんなにも創意工夫に溢れ、人々の生活の機微が目に見えてくるような空間の方が好きだ。とても暖かい。

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 余り関係ないけど、松本大洋の「青い春」の単行本の帯に「不良本である」とあって、なんてカッコ良いコピーなんだ!と思った記憶がある。このエントリのタイトルはそこからの流用なんだけど、そこまで知っていてその本は持ってない。でも内容は知ってる。何故だ? 因みに映画版のDVDは持ってるがそこには出てこない。不思議だ。

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