DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: February 2016 (page 1 of 3)

 韓国の対日感情を知るには、やはり博物館を訪ねるのがよいだろう。ソウルの中心部には広大な米軍基地があり、そのすぐ近くに戦争記念館がある。おもな展示兵器や記念品ともっとも詳しい展示は、朝鮮戦争にまつわるものだ。しかし、一〇〇〇年以上に及ぶ軍事の歴史の展示もあり、その大部分は日本との戦争の歴史のように見受けられる。この二カ国は隣合っているから、当然かも知れない。イギリスだって同じだ。ーードイツが登場してフランスにとってかわるまでは、フランスとの戦争に明け暮れていたーーと揶揄されてもおかしくない。ここで注目すべきなのは、最近の朝鮮と日本の紛争で、戦争記念館によれば、一八九五年、李氏朝鮮(この時期は大韓帝国)の第二六代王の妃である閔妃(明成皇后)が、日本の暗殺部隊によって殺害されたときに、この「義兵闘争」がはじまったという。

 (中略)

 義兵というのは、実質的に農民兵などからなる不正規部隊だった。最初は、一九三一年に日本が完全に支配する前の満州に拠点を築き、ついでロシア領内でも結集して、そこからゲリラ攻撃を行った。一九三七年以降、中国領内では抗日統一戦線の祖国光復会や中国人の指揮する東北抗日連軍が日本軍と戦い、敗走して極東ロシアに逃れた一部がソ連軍に吸収された。そのなかに、のちに北朝鮮の独裁者となる金日成がいた。

ビル・エモット著/伏見威蕃訳『アジア三国志〜中国・インド・日本の大戦略〜』日本経済新聞社 2008年 pp.269-270

 東京の中心にある皇居のすぐ北に、日本の武道の中心地である日本武道館がある。そこと大通りを隔てた筋向いに、靖国神社は建っている。

 (中略)

 友人や親類が祀られているのでなければ、そう見るべきものがあるような神社ではない。一八六九年に建立されたのは、戊辰戦争などによる新政府軍側の死者を弔うためだった。

 (中略)

 この幕末期の戦死者も含め、靖国神社には祖国のために命を落とした二五〇万柱に近い「英霊」が祀られている。神道はもともと祖先崇拝であるが、この神社は特定の神ではなく、戦死者を崇める場となっている。靖国という名称は一八七九年に明治天皇が決めたものであり、それ以降ずっと、靖国神社は皇室と深い結びつきがある。天皇はむろん神道の中心であるのだが、明治維新のために死んだ人々が祀られているので、いっそう深い関係になっている。毎年の春と秋の大祭には、天皇の勅使が出席する。だが、一九七五年以降、昭和天皇も今上天皇も一度も参拝していない。一九七八年に靖国神社が「昭和殉難者」として、一九三〇年代から四〇年代に日本の政治・軍事指導者であったA級戦犯一四人を含め、有罪判決を受けて死刑になった戦犯一〇六八人を英霊として認めたからである。この一〇六八柱は、「神」として霊璽簿に記載されている。厚生省(当時)がこのために名簿を提供したことが判明し、問題になった。
 細かい法律面が問題となるのは、靖国神社が民間の宗教法人であるからだ。以前は国有だったのだが、戦後の新憲法によって政教分離が確立した。そのため政府の直接の管理が及ばず、戦没者を追悼する国家的な施設が民間にゆだねられているという、おかしなことが起きている。しかも、靖国神社は日本の国家制度のおおもとである天皇とも結びついているから、たいへんまぎらわしい立場にある。さらに、戦犯を祀ったのは神社自体だが、それには厚生省の協力があった。しかし、戦犯が合祀されたあと、一九八九年に崩御した昭和天皇は、靖国神社に参拝しないことを決意した。一九三〇年代から四〇年代に天皇をいただく政府の指導者であり、天皇の名においてなされた行為のために処刑されたA級戦犯が神として祀られている神社に自分が参拝するのは、問題があると判断したからだろう。今上天皇も、やはり一度も参拝していない。

ビル・エモット著/伏見威蕃訳『アジア三国志〜中国・インド・日本の大戦略〜』日本経済新聞社 2008年 pp.256-258

 ところが、盧溝橋の抗日戦争記念館は、戦争は一八七四年にはじまったとしている。この年、日本は、一八七一年に沖縄本島やその他の琉球列島の漁民五〇人が台湾に避難した際に虐殺された報復として、台湾に上陸した。朝鮮半島や台湾との距離が、日本の九州からの距離とほとんど変わらない南西諸島の琉球王国を、日本は公式に自国領であると宣言したところだった。この琉球併合は、日本の尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権主張の根拠にもなっている。この問題も、解決されていない。付近の海底油田とガス田に加えて、排他的経済水域を日中のどちらに優位に決定するかという問題がかかわって、いまの尖閣諸島は重要な存在となっている。だが、この争いの根はもっと深い。琉球王国は、中国に朝貢しており、何世紀にもわたって日本と中国の両方の文化を受けていた。現在の沖縄はアジア最大の米軍基地を擁しているが、中国と日本の歴史的摩擦の最前線に位置している。日本は、琉球併合と台湾上陸を皮切りに、東アジアの中心を自負する中国の地位を脅かす行為を開始した、と中国は解釈しているわけだ。

ビル・エモット著/伏見威蕃訳『アジア三国志〜中国・インド・日本の大戦略〜』日本経済新聞社 2008年 pp.253-254

 一九〇四年から〇五年の日露戦争で、日本軍は旅順のロシア軍を撃破、遼東半島南端の租借権を得て、南満州鉄道をロシアから譲渡された。さらに、鉄道保護のために守備兵を置く権利を得て、その後、清国の承認を得た。この駐留部隊が、関東軍の前身になった。

ビル・エモット著/伏見威蕃訳『アジア三国志〜中国・インド・日本の大戦略〜』日本経済新聞社 2008年 p.243

 燃料資源から見た人類史は、高カロリー化・高水素化の歴史でもある。木炭より石炭、石炭より石油、石油より天然ガスの順で重量あたり高カロリーで、水素含有比率が高い。また、水素比率の高い燃料ほど同じ発熱量での二酸化炭素の発生量は少ない。この点、天然ガスすなわちメタンの化学構造はCH₄で、炭素に対する水素比率がこれ以上高い燃料は、自然条件では存在しない。その意味で、重量あたりの熱量と環境負荷について、天然ガスは究極の化石燃料ということになる。
 ちなみに、よく誤解されていることであるが、熱量的に見て、また環境的にみて理想的なエネルギー源としばしば考えられている純粋水素=水素ガスは、そのままの形(水素分子、また極低温で液化された液体水素も同じ)では地球上の自然界に存在していない。常に他の元素との化合物としてしか水素という元素は存在しないのである。
 その意味で、燃料としての水素=水素ガスは必ず他の水素化合物から他のエネルギー源を利用して人工的に作り出されたものであり、如何なる意味でもエネルギー資源ではない。エネルギーの面から見ると、水素は他のエネルギー資源から変換されたエネルギー媒体にすぎない。

石井彰/藤和彦著『世界を動かす石油戦略』ちくま新書 2003年 pp.182-183

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