DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: November 2016

 彼らが好きなのは虚構を実体化することではない。よくいわれるように現実と虚構を混同することでもない。彼らはひたすら、ありものの虚構をさらに「自分だけの虚構」へとレヴェルアップすることだけを目指す。おたくのパロディ好きは偶然ではない。あるいはコスプレや同人誌も、まずこのように、虚構化の手続きとして理解されるべきではないか。人気のあるアニメ作品には、必ず「SS(ショート・ストーリーないしサイド・ストーリー)」と呼ばれる物語の書き手がついてくる。彼らはアニメーション作品の設定や登場人物はそのままに、異なったヴァージョンの小説ないしシナリオを書き、パソコン通信のフォーラムなどにアップロードする。この一文にもならない表現行為は、何のためになされているのか。自己顕示? 他のファンへのサーヴィス? しかしそれなら、パロディや評論の方が、ずっと効率が良いだろう。私の考えでは「SS」こそ、まさにおたくによる作品所有の手段にほかならない。作品をみずからに憑依させ、同一の素材から異なった物語を紡ぎ出し、共同体へと向けて発表する。この一連の過程こそが、おたくの共同体で営まれている「所有の儀式」なのではないか。

斎藤環著『戦闘美少女の精神分析』ちくま文庫 2006年 pp.40-41

「オタク」はジャンル・クロスオーヴァーする。この点で単一のジャンルにこだわる「マニア」とは異なっているという。これはつまり、たんなるアニメファンに留まらず、関心領域が特撮、映画、コミックなどの複数の領域にまたがっているということだ。

斎藤環著『戦闘美少女の精神分析』ちくま文庫 2006年 p.26

 なぜ、そこまでメインカルチャーは抑圧の力が大きいのか? 少し説明してみよう。
 メインカルチャーのルーツは、キリスト教とギリシャ哲学だ。
 まずギリシャ哲学の頃からの伝統的考え方として「世の中のすべてには理由がある。物事はすべて論理的に存在していて、人間が努力して賢くなればあらゆる事は解明できる」という思想がある。
 その考え方をキリスト教が少しアレンジする。世の中には、はっきりとした秩序(コスモス)の部分と、はっきりしない無秩序(カオス)の部分がある。コスモスが神の世界、カオスが悪魔の世界だ。
 この世界観をよく表すエピソードとして、教会の鐘の音、というのがある。中世の城塞都市には、必ず町のど真ん中に教会がある。これは、教会の鐘の音の聞こえる範囲が教会の安全保障ラインだ、という考え方から来ている。つまり、鐘の音が聞こえる範囲はコスモスで神の世界、聞こえない森の中はカオスで悪魔の世界、ということなのだ。森の中のことに神様は責任を持ってくれない。
 実際、中世ヨーロッパの都市は鬱蒼とした森の中にぽつんと穴があいたように、とこだけ切り開いて町を作っている。一歩町から外へ出ると悪魔の世界という考え方も自然なことかもしれない。『ドラクエ』で町を離れるとモンスターたちが徘徊する平原というのも、実はこういった考え方がもとになっているのだ。
 こういう中世の世界観の中で科学は生まれた。
 もともと科学は森とか海とか植物とか、そういった魔の世界を研究してその中に秩序を見つけ出してコスモスにする、という行為だったのだ。科学は「魔の世界」に光を当てて、「神の世界」に取り戻す、という宗教的戦いだった、ともいえる。
 こうやって生まれた科学を中心とするメインカルチャーは秩序だっていること、論理だっていることがもっとも大切とされる。

岡田斗司夫著『オタク学入門』新潮OH!文庫 2000年 pp.341-343

 以前、フランスの版画家集団アトリエ・アルマーのアーティストたちと話したことがある。彼女たちはフランス政府から援助を受けながらアーティストとして活動している。アトリエはナポレオン時代に要塞だった建物を改造したもの、日本の美術展への出展も政府後援だった。いわゆる、「ちゃんとしたアーティスト」なわけだ。そんな彼女たちに僕は、「マリオやソニックなどのコンピューターゲームを、アートとしてどんなふうに評価しているか?」と聞いた。

 (中略)

「ゲームはアートじゃない。うちの子もゲームが好きで、放っておくとゲームばかりやりたがる。だからゲームは日曜日に1時間だけと決めている。日曜日は家族で子供を美術館や博物館に連れていって、アートとは何かをちゃんと教えている」
 僕は「これだから教養のない人は」という目で見られてしまった。彼女たちにしてみれば「アート」とは教養として学ぶべきものなのだ。けっして子供たちが自分から自然に飛びつくような「おもしろい」ものではない。その「おもしろさ」と、いわゆるアカデミックな世界の「アート」とは何の関係もない。本来、関係ないからこそ、「アートは教養として学ばないと身に付かない」ものなのだ。

 (中略)

 彼女たちが子供に教えようとしている「本格的・正統的文化」とは、メインカルチャーと呼ばれているものだ。メインカルチャーとはおおざっぱにいうと、アート、文学、科学、歴史、クラシック音楽といったアカデミックかつクラシックなもの。もっと平たくいうと大学で昔から研究してきたようなもののことである。
 彼女たちが所属しているヨーロッパ文化圏では、メインカルチャーを身につけるのが当たり前である。それも出来ない人は「クラスが低い」とされてしまう。いまだ階級社会の色合いを強く残しているヨーロッパでは、「メインカルチャーを身につけず、自ら階級を下げる」なんてことは半分自殺行為のようなものなのだ。

岡田斗司夫著『オタク学入門』新潮OH!文庫 2000年 pp.336-339

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