なぜ、そこまでメインカルチャーは抑圧の力が大きいのか? 少し説明してみよう。
 メインカルチャーのルーツは、キリスト教とギリシャ哲学だ。
 まずギリシャ哲学の頃からの伝統的考え方として「世の中のすべてには理由がある。物事はすべて論理的に存在していて、人間が努力して賢くなればあらゆる事は解明できる」という思想がある。
 その考え方をキリスト教が少しアレンジする。世の中には、はっきりとした秩序(コスモス)の部分と、はっきりしない無秩序(カオス)の部分がある。コスモスが神の世界、カオスが悪魔の世界だ。
 この世界観をよく表すエピソードとして、教会の鐘の音、というのがある。中世の城塞都市には、必ず町のど真ん中に教会がある。これは、教会の鐘の音の聞こえる範囲が教会の安全保障ラインだ、という考え方から来ている。つまり、鐘の音が聞こえる範囲はコスモスで神の世界、聞こえない森の中はカオスで悪魔の世界、ということなのだ。森の中のことに神様は責任を持ってくれない。
 実際、中世ヨーロッパの都市は鬱蒼とした森の中にぽつんと穴があいたように、とこだけ切り開いて町を作っている。一歩町から外へ出ると悪魔の世界という考え方も自然なことかもしれない。『ドラクエ』で町を離れるとモンスターたちが徘徊する平原というのも、実はこういった考え方がもとになっているのだ。
 こういう中世の世界観の中で科学は生まれた。
 もともと科学は森とか海とか植物とか、そういった魔の世界を研究してその中に秩序を見つけ出してコスモスにする、という行為だったのだ。科学は「魔の世界」に光を当てて、「神の世界」に取り戻す、という宗教的戦いだった、ともいえる。
 こうやって生まれた科学を中心とするメインカルチャーは秩序だっていること、論理だっていることがもっとも大切とされる。

岡田斗司夫著『オタク学入門』新潮OH!文庫 2000年 pp.341-343