久しぶりに古い友人と電話で長話をしていると意外な話が出てきた。一月ほど前に宗教家である友人の元に、かつての共通の友人が相談に訪ねて来たとの事であった。僕は別な高校に通う事になったので、中学を卒業した後のその友人の事を僕は全く知らなかった。伝え聞くところに拠れば、高校ではさほど問題のない生活を送っていたのだが、社会に出る少し前から精神のバランスを崩し始め、そしてそのまま働いては辞め働いては辞め、を繰り返して来たとの事だった。
 それで彼はどうにもならなくなり、手当たり次第に周囲に助けを求めるも何の救いも得られず、回り廻って友人の所へ頼ってきたのだった。宗教家の友人は話を聞きながら、訪ねて来た友人の変わりように衝撃を受けたようだ。僕が覚えているのは、いつもニコニコと白い歯を見せて笑っていた彼である。あれからもう20年以上経つ。そんなにも長い間、バランスを欠いた己の精神を抱えて生きてきたのだ。少し想像しただけでも目眩がする。

 そう言えば中学の頃、その宗教家の友人の兄がこう言ったそうだ。「おまえらの学年は他の学年に比べて何処か違う。」何を持ってそう言ったのかは不明だが、そうかも知れないとは思った。とにかく面白い奴が多かったのだ。それだけに楽しい学校生活を送る事が出来たので、僕は密かに自慢に思っていた。しかし後年になって、ちらほらと耳に入ってくる同級生達は何だか大変な事になっている奴が多い。社会が大きく変動した訳でもないので、たかだか一二年の差に何かが在るとは思えない。なので僕の年代だけがそうである訳ではなく、どの世代でも同じように皆大変な事になったりするのだろう。

 かつて、僕だけがおかしいのではないかと未だ悩んでいた頃。或る時期、或るきっかけで、誰もがそれぞれ少しずつおかしいという事に気付いた。そしてそのせいで誰もが日々酷い目に遭っている。その事実に対して僕は生まれて初めて絶望した。己が生まれ出たこの世界に言いようのない嫌悪感と無力感を味わったのだ。しかしそのままでは死ぬしかないので、僕は無理矢理にでもそれを認めるしかなかった。飲んで喰らって消化するしかなかったのだ。
 それから長い年月を経て、今では随分と慣れた。世界の成り立ちとしてその事実を認める事が出来る。しかし、それでも、かつての時間や空間を共有した懐かしい人達には、幸せでいて欲しいのである。