DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

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常用酒

 長年飲酒生活を送っていると、ゆったりとだが常用する酒の種類や銘柄が変遷していくようである。

 以前関東に住んでいた頃の話をすると、昔の事だから朧気にしか憶えていないが、ジンばかり飲んでいた事もあったし、ラムばかり飲んでいた事もあったし、ウィスキーやワインや日本酒がそれに代わっていた事もあった。当時のこの酒の種類の変遷にはどういう理由があったのか、今ではそういう飲み方をしないので判然としないが、何かしらおいしい酒を飲む機会があって、その流れで飲み続けていたのではないかと思う。
 そして、そのような「ジン期」や「日本酒期」等の中で好みの銘柄が出て来るのだが、その選択肢の殆どは住んでいた地域に在るディスカウントショップの品揃えにほぼ限られる。他所の町まで出かけて買い求めて持ち帰るのは面倒だし、通販で買うにしてもそれは希な事であった。ジンで言えばボンベイサファイアタンカレーがそれで、日本酒だと酔鯨銀盤立山が好みであった。
 ただ、これがまた別な変遷していくのである。それがどのような経緯で変化していくのかと言えば、あ、先に但し書きをしておくと、この変化は洋酒に関しては経験が無い。洋酒はどの銘柄をいつ飲んでも変わらない印象を受ける。時期によって変化するように思えるのは日本酒や焼酎などである。話を戻して、例えば「酔鯨」。ある時期にはこれほどに清涼な飲み口の酒はないと思いながらそれこそ鯨飲していたのだが、自分の中のブームが過ぎて、今度は他の種類の酒を飲み続けて一年以上が経った頃、再び飲んでみると今度は酒粕臭い気がして余り好きではなかった、というような経験が在る。この味覚の変化は何が原因なのか。その時期の自分の体調が違うのか、それともその年の酒の仕上がりが違うのか。要因は幾らでも在りそうだが、とにかく気に入らないというか違和感が有るので、その銘柄に見切りを付けて違う銘柄を試していく事になる。その次に飲み続けた日本酒が「銀盤」であったと思う。実際にはもっと色々あったかも知れないが、もう憶えていない。
 さて、ここからは現在の話である。関東から九州へ戻って生活する環境が大きく変わったせいか、酒の好みも結構変わったと思う。関東に住んでいる頃はマンション住まいで仕事は内勤だったので、外気に触れる機会が少なかった。しかし九州に戻ると不完全な空調の一軒家に暮らし、仕事で外に出ることも多いので外気に触れる機会が多い。むしろ外気の中で暮らしているという感覚だ。そういう住環境の変化のせいだと思うのだけれど、季節の移り変わりにに伴って飲む酒の種類が入れ替わるようになり、飲み方も変えるようになった。

  • 初春:芋焼酎か米焼酎のお湯割り、例外として酒蔵祭で日本酒。
  • 仲春から晩春:麦焼酎の水割り、もしくは日本酒かワイン。
  • 初夏から梅雨:麦焼酎か黒糖焼酎の水割り。
  • 盛夏から晩夏:泡盛の水割り、またはラムかウィスキーのソーダ割り、いずれも氷は入れる。さもなければ麦酒。
  • 初秋:麦焼酎の水割り。
  • 中秋から晩秋:麦焼酎か米焼酎のお湯割り、もしくは日本酒かワイン。
  • 初冬:米焼酎か芋焼酎のお湯割り。
  • 仲冬から晩冬:芋焼酎のお湯割り、もしくはホットウィスキ−。例外として年末年始に日本酒。

 その年の天候に因っては多少前後したりもするが、大まかな流れとしてはこんな感じである。基本は通年で焼酎を飲んでいる。これは手に入れ易いというのと、廉価であるからである。今はお金が無いので廉いに越した事はない。芋米麦黒糖を入れ替えているのは、それぞれの季節にはそれらが合っていると何となく感じているからに過ぎない。そしてそれ以外の種類の酒をちょいちょい飲んでみたりしている。日本酒やワインは好きだが量を飲んでしまうので、金は掛かるし糖質の摂取も控えたいので常飲はしないようにしている。暑さ寒さが厳しい折に飲もうとは思わないが、春秋の落ち着いた気候の中ではやはり飲みたくなってしまう。それから真夏は泡盛やラムを飲みたくなり、どうやっても暑いのでソーダ割りの酒や麦酒を飲みたくなる。何故かしらその方が気分が落ち着く感じもする。但し飲食店で飲む場合にはこの限りではない。空調の効いた空間の中では季節感は関係ない。どちらかと言えば料理に合わせる感じだろうか。
 そう言えば日本酒の味の好みも関東から九州へ移動するタイミングで変わった。関東に住まう頃は北陸の辛口の酒が好きだったが、今では九州の甘口の酒が好きである。何故このように変化したのか、それは加齢の影響かも知れないし気候の影響かも知れない。やはりその土地で作られた物が一番おいしく感じられるのではないだろうかとは思う。沖縄で飲んだ泡盛はとてもおいしく感じられたし。しかしそう想像するだけでよくは判らない。

 話はもう少し続いて芋焼酎。関東にいる頃は白岳以外に選択肢はないので、仕方なく前倒しで芋焼酎に手を出した。当然海童を試した訳だが、これも何だか違う感じ。しっくり来ないのである。全然ダメだという事ではないし飲み続ければ気にならなくなるかも知れないと思ったが、何だか落ち着かないのである。さて困った。が、ただ困っていてもどうにもならないので他の銘柄を試してみる事にした。
 最初に試したのは白霧島である。以前に水割りで飲んだ事があり「すっきりと飲みやすい」という印象を持っていた。湯で割って飲んでみてもその印象は変わらず悪くはなかったので、暫く飲み続けた。これで良いんじゃないかと思っていたが、だんだんと物足りなさを感じるようになった。では違う酒造会社の酒を試してみようと黒伊佐錦を飲んでみた。これは以前飲んだときにも感じたが、何処かしら粉っぽさを感じる口当たりが気になってしまうし味が地味だ。ならば木挽はどうかと試したが、どうもこれを最適だとする理由を見つけられない。
 取りあえず白霧島に戻ったが、やはり他の銘柄を試してみたくなる。どうもシックリこないのだ。そう、探しているのは「シックリ」感だ。そこで思い切って黒霧島を試した。どうして思い切る必要があったのかと言うと、昔飲んだ時に芋の臭みが気になってあまり好きではなかったからである。しかし今回飲んだらそのような印象は受けず、白霧島に比べれば味は濃く輪郭がはっきりしていて寧ろ丁度良かった。白霧島と黒霧島を行きつ戻りつして飲み比べてみると、これが不思議なもので、それまで悪くはないと思っていた白霧島は味が曖昧に過ぎる感じがして来て、これは少なくとも今の自分には適していないと判断した。判断したとか偉そうに書いたが、要は「どうも違う」という事である。
 さて、気に入ったのなら黒霧島を飲み続ければ良いだけの話なんだが、欲が出た。もうちょっと何かあるんじゃないかと。さすがに数多存在する芋焼酎を全て検証する気は毛頭ないが、何処のスーパーマーケットやコンビニエンスストアにも置いていそうな銘柄だけは試しておきたいと考えたのだ。そう、残るは白波である。実を言えば白波は昔に飲んだ事があるようなないような、それくらいに遠い存在であった。なのでこれを機会にこの酒を知るのも良いと思ったのだ。まずさつま白波を試したところ、これまで試した中では一番特徴の有る芋焼酎であった。臭みとは違った芋らしさというか、これが日本酒やワインであればフルーティと称したであろう甘みがあり、それが濃厚なのだ。これはこれで良い。良いが常飲するのはちと味が鮮やか過ぎるように感じた。そこで次に黒白波を試した。白霧島から黒霧島へと飲み換えた時のような違いを予想していたが、かなり違った。濃厚な甘味は薄れ、代わりに甘味がすっきりと際立つ感じである。これは良いかも知れない。結果的に黒霧島と似た印象を持ったが、やはり違いはある。さてどちらにしようかと飲み比べてみると、黒霧島はいささか地味で、黒白波の方が華やかさを感じるようだ。迷ったが、黒白波がより現在の自分に適していると判断した。決定。今季に常飲する芋焼酎は「黒白波」に決めた。

 こんなにも手間を掛けて常用する酒を選ぶという行為を今までした事はなく、珍しいので留めておこうとこれを書いている訳だが、果たして長い文章になってしまった。しかもようやく銘柄を決めたは良いが、私的な芋焼酎の季節はもうすぐ終わるし、次の冬にまた黒白波を飲んでも気に入らないかも知れない。何だか非常に無駄な事していたような、そんな気がしている。

叔母のこと

叔母が死んだ。

 高校を卒業して大阪に出て、それから東京へ流れた。仕事を幾つか変えながら、最後には飲み屋の女将をしながらそのまま東京で長年暮らした。中年も遅くなった頃に結婚して幸せに暮らしていたが、数年後に夫と死別した。葬儀を独りで取り仕切ったが、亡くなった夫は再婚であった為に成人した子供がおり、結果相続で揉めた。本当は思い出の残る家でそのまま暮らしていたかったが、売却して資産を分配しなければならず、年金と相続した金を持って、横浜郊外のマンションで未亡人として暮らした。その後数年をかけて相続の問題に片が付き、先方の墓を整理したらようやく肩の荷がおりて、落ち着いた余生を送ることになった。暫くの後、年老いていろいろと不自由するようになって、そろそろ臨終の土地を考えなければならないと思い始めた頃に、体中に炎症が起きるようになった。病院で色々調べた結果、膠原病だった。通院しながら暴れる免疫を抑える薬を飲み、なんとか暮らし続けた。しかしその後体内に小さな癌が見つかった。そして間もなく、長年飼い続けた老犬が死んだのをきっかけに、故郷へ戻る決意をした。介護付きの施設に暮らしながら、穏やかに日々を過ごす。近くに戻ってきた為に元々仲の良い兄弟との往来も増え、通院のついでに色々な場所へ行ったりもした。そんな生活が続いた半年後、身体の痛みが増え強くなったので、大学病院の緩和病棟へ移った。そしてその数日後に容態が急変し、叔母は深夜に息を引き取った。

 叔母の最期を看取り、葬儀やその他一切を担ったのは叔父であるが、その彼が言うには叔母は自分の死期について話した事があるそうだ。自分は今まで好きなように生きて、色々やった。しなければならない事も、出来る限りやった。それだけやって来られたのだから、もう思い残すことはない。そう話したそうだ。本当だろうか? と思う。本当だったら良いな、とも思う。亡くなる4日前に病室を見舞った時、薬で痛みを抑えているからなのかとても元気で、死を間近に控えている人間には見えなかった。1時間ほどの間ずっと喋り続け、楽しそうであったり相変わらず口が悪かったりしたて、いつも通りの叔母であった。そのいつも通りであった人が急に居なくなる。啞然とするしかないが、今後もこういう別れを繰り返しつつ、終わりを見つめるような気持ちで生き続ける事を学んで行くのだろうな、と思った。

ナイツのちゃきちゃき大放送のテーマ曲

 少し習慣が変わって、去年の11月から「土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送 」というラジオ番組を聴き始めた。お笑いコンビの「ナイツ」がパーソナリティーを務める、笑いが中心の番組だ。冒頭から軽い漫才で入り、続いてフリートーク、そして東京各地からの中継や、コメンテーターやゲストを迎えての四方山話、その他リスナーからの投稿や電話でのやり取りなどのコーナーで構成されている。番組の雰囲気はどことなく寄席っぽく、中継コーナー(TBSラジオの番組には中継コーナーが多い)は毎年元旦の午前中にフジテレビで放送される爆笑ヒットパレードの中継コーナーに近いと思う。とにかく楽しげであり、実際に聴いていて楽しいのだ。そして、その楽しげな雰囲気をさらに盛り立てているのが番組のテーマ曲やジングルである。ピアノと打楽器(楽器の種類はいろいろ)だけのシンプルな楽曲だが、和風かつ流麗なアレンジが施されていて、良いBGMとなっている。取り分け良いのが番組の冒頭に流れるテーマ曲だ。ピアノと(たぶん)ちんどん太鼓だけの曲で、ピアノも打ち付けるような弾き方で、音が軽やかに飛び跳ねる。聴いているこちらの気持ちも軽くなるようで、とても良い。この放送が始まる時間にウォーキングしている事が度々あって、左右が田畑の農道やら、河川の土手やらを歩いている時にこのテーマ曲が流れてくるとかなり良い気分になる。ましてやそれが晴れた日であれば、音が青空の中に伸び上がっていくような気さえして、文字通りに晴れ晴れとした気分になる。例えば学校で嫌な事があったり、仕事量が多くて疲れ果てていたり、職場で理不尽な目に遭ったりした一週間であっても、土曜日の午前中にこの曲を聴けば、ほんの少しでも救われたような気になるのじゃないだろうか。話を大袈裟にしてしまっているかも知れないが、そのような働きがあるような気がしてならない。制作側にそのような意図があったかどうかは分からないけど。

 さて、これは誰が演奏しているのかとネットで検索してみてもなかなかヒットせず、唯一見つけられたのは当人のサイトのページだった。同じ誕生日の女性二人によるユニットであるようだ。番組開始以降に出したアルバムの楽曲をアマゾンのページで試聴出来るので試してみると、これには収録はされていない。どうやら CD 化されてはいないようだ。しかしよくよく考えてみると、挿入曲として使われていて、番組の内容と相まっているから良いのであって、曲単体で聴くとそうでもないのかも知れない。テーマ曲で「快」の部分を呼び覚まし、番組の内容で気持ちを解していくような流れがたぶん良いのだろう。

散歩する少年、再び。

 ほぼ一年前のこの記事の続き。去年の夏頃からは、その少年の姿をあまり見かけなくなっていた。まったく見ない訳ではなく、たまには見かけていたので、時間帯を少し変えたりしているのだろうと思っていた。

 僕は今、一日おきに散歩を兼ねたウォーキング時々ランニングをやっているのだが、今朝はトレーニングではない散歩をしたかったので、いつもとは違うコースを遠回りに歩いてみた。(散歩コース参照)資材ゴミ置き場跡の手前で農道に入って堤防に突き当たり、未舗装の道を上流に向けて歩いて橋を渡り、今度は反対側の堤防の道を下流に向けて歩き、突き当たった道路を上って途中で農道に入り込み、これまで一度も歩いた事のない地域を探訪したりしていた。
 その後はいつものように神社へ参拝し、橋を渡って南へと進み住宅地に戻ってきた辺りで、東側から歩いてくる少年の姿が見えた。相変わらずに髪型で相変わらずの黒っぽいジャージ姿だった。去年は10代半ばくらいだと思っていたけど、今日見たら10代の終わりか20代初めかも知れないという印象。成長したのだろうか。途中からは、彼が僕の後を追う形になった。どうも僕の散歩コースと似通った道のりを歩いているようだ。しかし何故こんな時間に歩いているのだろうかと思ったが、考えてみれば、午後に見かけなくなったのは朝歩くようになったからかも知れない。憶測でしかないけれど、昼頃に起きる生活から朝起きる生活へとシフトしたのだろう。とすると、彼の状態が上向きになっているという事だろうか。そうだと良い。そうであるなら、何となく嬉しい。

散歩する少年

 僕は二三日毎に、昼食後にスーパーへ買い物に出かける習慣があるのだけれど、去年の秋頃から一人の少年と度々すれ違ったり見かけたりするようになった。年の頃は十代の半ば、いつも黒っぽいジャージの上下を着ている。しかしそれはまったく同じものを着ているという訳ではなさそうで、色の濃さやデザインが少し違っていたり、寒くなるとネックウォーマーをしたりして変化している。履いてるスニーカーが違う事もある。たぶん黒が好きなのだろう。
 で、そんな少年が、平日昼間の決まった時間帯に散歩をしている。堂々とした歩き方ではないし、溌剌ともしていない。楽しそうではないが、トボトボ歩いている訳でもない。歩く事自体が目的で歩いているが、彼自身が今ひとつしっくり来ていないという印象がある。学校には行っていないのだろう。土日には見かけない気がするので、人目は避けているのかも知れない。一時的な不登校なのか。長患いした後のリハビリ期間なのか。それでも、その少年からは悲壮感のようなものが伝わってこないのは、決まった時間帯に散歩をしているという安定感だろうか。彼の実情に想像は及ばないけれども、何かしらの目的があって歩いているのだろうから、きっと大丈夫だよね、と思える。
 と、こんな事を勝手に悪い方へ想像しているが、もしかしたらあの若さで既にプログラマーとして自活しており、一日中座りっ放しでは身体に悪いので、日に一度の散歩くらいはしておかないとな、と考えているのかも知れない。どちらかと言えばそうであって欲しいが、実際がどうであるかなんて傍目からではとんと判らない。しかし、若い人が独りぼっちで行動している姿は、どうにも気になってしまうのである。

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