DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Tag: diary (page 3 of 32)

ただならぬ人

 一月ほど前の事。近所のスーパーへ食材を買いに行くと、どうにも見覚えのあるただならぬ雰囲気の男を店内で見かけた。短髪で、ハイネックの長袖のT シャツを着て、横の部分に派手な模様をあしらったジャージを穿いていた。そして背は高くはなく細身で、目がぎょろりとしている。僕は買い出しリストのメモを片手に陳列棚を彷徨いながら、あれは誰だったかと思い出そうとしていた。もちろん、そんな人が僕の事を覚えていてフレンドリーに声をかけられたりするのは是非とも避けたいので、エリアが被らないように目を配りつつ移動した。
 暫く経った後、朧気に思い出した。彼は僕の中学の時の先輩である。確か一学年上で、僕が一年の時に三年の恐い先輩達(友達の兄ちゃんだとか、小学生の頃に一緒に遊んでいた人達だったりするのだが)にくっついていたと思う。要は使い走りのような立ち位置だった。そして更に思い出したのは、僕らは彼を非常に怖れていたのだった。しかしそれが何故なのかが思い出せない。恐らく「あの人はこんな事をしでかしたらしいよ」という感じで噂に聞いたのだろうと思う。そういう噂は派手な尾ひれを付けて伝わるものだが、当時の僕らはその話をまるっきり信じ込んでいて闇雲に怖れていたような気がする。そして今の僕には、その怖れを抱いた経験のみが思い出され、その記憶を元に彼におののいている。まぁ、それだけではなく、彼の様相そのものがただならない雰囲気を持っているので、その雰囲気が故に尾ひれのついた噂が飛び回っていたのではないか、と今となっては考える。その「ただならない」感じをどう説明すれば良いのかとても難しいのだが、若い頃の鳥肌実をさらに爬虫類に近づけた感じと言えば想像出来るだろうか。
 それにしても、確実に老けてはいるが、彼が中学の頃とさほど変わらない様子である事に驚く。この30年以上の年月をどう生きて来たのか。何となく想像出来る気もするが、余り知りたくはないという気もする。

高熱の思い出

 僕の平熱は36.2度などその辺りで、割と低めである。そのせいかどうかは判らないが、熱が出にくい体質であるようだ。風邪をひいて熱を出したとしても37度前半などで、滅多な事では38度までは上がらない。そもそも風邪をひいても熱を出す事が少ない。しかしそのせいだろうと思うけど、治りにくいし、口唇ヘルペスが出来たりする。どちらかと言えば厄介な体質である。しかしそんな体質の僕が過去に一度だけ39度という大台を超えた事がある。今回はその時の話。

 あれは随分と昔、2000年にはなっていなかったと思う。金曜日の夕方に寒気を覚えたが仕事が終わらず、夜ともなればとうとう悪寒と頭痛がし始めたので帰宅し、夕食も摂らず風呂にも浸からずにそのまま布団に潜り込んだ。酷い状態だったが、明日一日寝ていればどうにかなるだろうと高を括っていた。しかし甘かった。翌朝僕は、全身の痛みと共に目を覚ました。何がどうなっているのか判らないが、体中が痛くて起き上がれないし、頭部の中心から熱を発しているようで意識も混濁しているようだった。這うようにして体温計を探し、計ってみたところ39度を越えていた。これが39度の世界か。そんな事を考えながら、数分の後に意識を失った。
 その後何度か同じ事を繰り返した。意識はぶつ切れなので時間の感覚はない。しかし窓の外から黒夢の曲が聞こえていたのを覚えている。黒夢を知っている人は想像出来ると思うが、高熱にうなされて目を覚ます度に黒夢の曲を聴かされるのである。一体何の呪いなのか。当時僕が住んでいたマンションの斜向かいに古いアパートが在り、そこには近くの新聞販売店の従業員達が住んでいた。その後にもそのアパートの一室から黒夢の曲が漏れ聞こえていたので、その日もそいつが流していたのだろう。それにしても大音量で一日中となると迷惑極まりないが、こちとら重病人である。どうする事も出来ない。(因みに、窓を開け放っていたところをみると温暖な季節だったのだろう)
 更に翌朝日曜日。夜が明けた直後のようでまだ薄暗い時間に目を覚ました。すると外から自家発電機のようなディーゼル音が聞こえてくるので、何とか身体を起こした僕は窓の外を覗いてみた。二階から見下ろす道路には誰も歩いておらず、ディーゼル音だけが聞こえてくる。暫くまっていると、全身白い衣服を身に纏った二人の女性が、蒸気のようなものを噴出している機械を載せた荷車を曳きながら歩いてきた。蒸気は消毒液の匂いがしていた。僕は「保健所の職員の方が消毒作業をされているんだな。ご苦労様だなあ」などと思いながらその光景を眺めていた。女性達はマスクのせいでくぐもった声で何やら話しながらゆっくりと歩き、やがては煙った道路の先に消えて行った。どことなく幻想的なその光景を見遣った後、起き上がっている事に疲れた僕は再び布団に潜り込んだ。
 その後も目を覚ましては寝てを繰り返して、その日の夕方には随分とマシになり、コンビニと薬局から当座を凌ぐ物を買ってきて、翌月曜日には出社したと思う。若かったせいだろうか、よくそんな事が出来たものだと思う。今だったらきっと死んでしまう。

 以上が僕が人生最高の熱を発した時の思い出話なのだが、それを数日前、柔らかな陽差しの中を散歩していた時にふいに思い出した。そして一つの疑問が頭をもたげる。あの二人の女性は実在したのだろうか。
 というのも、15年以上も前だとは言え、何処かの機関がそのような方法で消毒作業をしていたのだろうか。方法として古臭い気がするし、あの方法だと消毒されるのは道路際までである。そんな対処は有効なのだろうか。そんな事を考えたからである。そもそもあれは何の為の消毒作業だったのだろう。その前後に何かしらの感染症が蔓延していたからと今まで僕は考えていたが、そう言えばそんな話は何も聞いていない。僕が患ったのがインフルエンザだとして(結局医者にはかかっていない)、その対処にそんな作業をするものなのだろうか。「保健所 消毒液散布 白い衣服」などで検索してみたが、なにもヒットしない。
 そんな事を考えていると段々不安になってきた。今まで15年以上もその事に何の疑問も持たずに過ごしてきていたので、自分の思いつきなのに驚いた。もし、もし仮にあの光景が幻視だとすると、もしかして僕は死にかけていたのだろうか。おまけに、あの二人の女性の白ずくめの姿が本当は白装束であったような気もしてきた。今更だが、そうでない事を願う。今は元気なのだからそんな事はどうでも良いだろうとも思うが、自分が死にかけていたとは余りショックだ。春の訪れにすっかり綻んでいた気持ちが、すっかり異世界に紛れ込んだような気分だ。

初恋動物園

 先日、福岡市動物園がリニューアルしたとのニュースを眺めていて思い出した事がある。

 僕は幼き頃に連れて行って貰った動物園で、親からはぐれたのか一時独りで行動しており、ふと視界の開けた高台の休憩所ような場所に居た。柵に囲まれ、ベンチがあり、お金を入れて見る事の出来る双眼鏡も在ったように思う。其処で僕は「これ以上の僕の好みに合う女の子は居ない」と思えるほどの同い年くらいの女の子に出会ったのだ。僕は長い事じっと見ていたのであろう、やがてその子も僕に気付いた。ニコっと笑ってくれて僕を見ていた。僕ももちろん見ていた。そのうちにお互いにモジモジし始め、何となく離れがたいような気分になったし、相手もそうであるように見えた。しかし僕は親の元へ帰らねばならない。きっと相手ももそうだろう。一言も発する事はなかったが、離れがたきに耐えるような、胸が締め付けられるような気持ちに陥った。

 という事を、随分と成長した後(成人はしていなかったと思うが、それまでのどの時期だったかは判然としない)に鮮明な映像としてその事を思い出した。という事を今回思い出した。話は複雑なのである。
 そして、最初に思い出した当時(その後何年かに一度くらいは思い出しているが同様に)は、その女の子の表情や着ていた服までもはっきり思い出したくせに、その記憶に自信が持てなかった。何故かと言えば、その光景以外には動物園での記憶が全くないからである。それに僕には、自分の記憶だと信じ切っていたものが事実ではなく、記憶を歪曲したかそれとも夢を見たとしか考えられないという事がたまにあって、それもあってその記憶を疑っていた。考えてみれば都合の良い話だし、動物園には行った事はないような気がするし、たぶんまた夢に見た事を勘違いしているのだろうくらいに考えて、やがて忘れていった。

 で、今回はせっかくなので事情聴取してみた。母が言うには、熊本市動物園には父の運転する車で行った事があり、福岡市動物園には保育園の遠足で行った事があるそうだ。全く記憶にはなかったが行った事はあったのだ。そして、何れにしても保育園の時だが、福岡市動物園は高台に在るので双眼鏡の在る休憩所も在ったかも知れないとの事。僕の記憶にやおら信憑性が出てくる。妙に楽しい気分になってきた。
 しかし疑問はまだある。通っていた保育園には当然女の子も居たし、彼女達に関しても微かな記憶はあるのだがほぼ興味はなく、一緒に遊んでいた男の子達の印象の方が遙かに強い。そして僕は当時で言う保母さんの一人がとても好きで、何となくそれが僕の初恋だと思っていた。そんな男子児童が、上記したような行きずりの女児に一目惚れなんてするだろうかね、という疑問。ああしかし、小学校に入学した僕はフツーにクラスメートの女の子を好きになったりしていたので、もしかしたら保母さんに恋をした後に件の女の子との出会いがあったりしたのだろうか。そう考えると何となく話がうまく収まるような気はするなあ。いやでも「これ以上の僕の好みに合う女の子は居ない」なんて幼児が考えたりするだろうか。その辺りの感情の記憶が歪曲されているのかも知れない。

晩秋の小径

 現在居候している実家を父が建てる前は、少し離れた場所に在る古い一軒家を借りて家族で住んでいた。で、その数年前にはそのすぐ近くの更に古い一軒家に長い間住んでいたのだけれど、平成三年の台風17号・19号により屋根が半壊してしまったので、急遽前述の借家を父が何処からともなく借りてきた。その二つの一軒家は同じ道沿いに在ったので引っ越しは容易であったが、近所の風景が変わり映えしないので、住む場所(世界)を変えるという昂揚感は薄かったように思う。前の家は袋小路の行き止まりの手前に在り、後の家はその袋小路の入口に在った。
 その一帯は、その縦横に走る道の幅や曲がり具合からして、車を通す事を念頭に置く事すら考えないくらいに古くからある民家が寄り集まった場所のようで、敷地の広さも、家屋が建てられた年代も様々な家々が立ち並んでいた。話を戻すと、その袋小路へ繋がる道と、クネクネと曲がる小径(軽自動車がようやく通れるくらい)が交わるT字路の角地に僕の家は建てられていたので、二階の窓からは、視界は狭いがわりと良い景色を眺める事が出来た。

 そして、僕の家の道向こうの古い人家には、庭に柿の古木が在り、その枝々は小径の半分くらいを覆っていた。柿の木と言えば、夏には黒くて毛の長い毛虫がよく幹を這っており、刺されるともの凄く痛い。「ヂカヂカヂカッ」と擬態語とも擬音語とも言えないが、そういう音で表現出来るくらいにその痛みに特徴がある。もうとにかく痛い。秋も深まれば実を結ぶが、誰も収穫しないところを見るとどうやら食べられない種類のようだし、晩秋ともなれば熟れすぎた実が地面に落ち潰れ、辺りに甘ったるい腐臭を撒き散らす。良いところなど一つもないので僕は柿の木が嫌いであったのだが、何故かしら今でも、晩秋の頃の肌寒い空気の中に満ちるその匂いや、葉も落ちて変貌した黒く湿っぽい樹木の立ち姿を思い出す。そして今ではもう、それが嫌な思いとしては蘇ってこないのだ。何故だろうか。子供の頃から成人するまで毎年のように嗅ぎ、見ていたので擦り込まれてしまっているのだろうか。いつの時も晩秋と聞いて思い出すのはそれなのだ。

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 場所変わって、東京で住んでいたアパートの前には子育て地蔵尊が在り、その脇の小径を歩いて行くと右側の人家の庭にも柿の木が在った。そしてこれもブロック塀を越え枝が道路まで延びていた。風情としては良いのだけれど、道路側に伸びた枝の手入れをしないというのは、何かそういうスタイルが世の中に在るのだろうか。その柿の木も古かったが小振りなもので、結ぶ実も多くはなかった。しかしやはり、熟れすぎた実はアスファルトの上に落ち、そのままにしてあった。たぶんその頃からだろう、そういう始末の仕方もその季節の記憶となると、良いものであるのかも知れないと思い始めたのは。少なくとも、橙色を通り越して朱色となった柿の実を、灰色の寒空を背景に見上げるのは良いものであった。
 しかし、僕が東京を去る一年ほど前にその人家は建て替えられ、柿の木も切り倒された。

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 少し気になったので今日、僕が以前に住んでいた家を自転車を漕いで見に行った。その場所へと続く道の入口を見落としてしまうくらいに一帯は様変わりしており、僕が住んでいた家も含め、おおよそ半分くらいの人家が建て替えられていた。柿の木の在った家はかろうじてそのままであったが、柿の木は何処にも見当たらなかった。
 こうして思い出の場所は別なものに差し替えられ、思い出もやがて薄れてしまう。そしてその思い出を持つ人間が死んでしまえば、それはもう存在しなかったのと同じ事になってしまうのだ。

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 2007年に、その家に住んでいた当時の事を記事に書いているのを思い出した。よく見たら台風の番号を間違えている。「脳幹を巡る音楽

生き直し

 昨朝観た夢の話。

 ある朝僕はテレビコマーシャルだか広告だか何だかで、以前の知り合いが著名な美容師となって日本へ凱旋帰国する事を知った。どこぞの美容室を借りて、そこで先着何名かを選び、彼女がヘアカットするのを公開でやろうという催しだ。僕は彼女会いたさに、当日その店をまで足を運ぶ。以外にも僕は被験者に選ばれ、今や遅しと彼女の登場を待つ。そして、記者や取り巻きを引き連れついに彼女は現れた。が、すっかり人が変わってしまった様子に僕は愕然する。
 僕がかつて知っていた彼女は、色白で髪の毛は短く、どこか危なっかしい印象があるが朗らかな性格の持ち主だった。しかし今僕の目の前にいる彼女は、体格こそ変わっていなかったが、当時の面影はなく、肌は浅黒く長髪で、細かった顎は力強く角張って、ブラックジーンズに革のベストをぴっちりと着込み、黒いショールを羽織っていた。そして何よりも僕の目を引いたのは、彼女の右目のまぶたが黒い糸で縫われて片目になっていた事だった。

 彼女に一体何が起きたのだろう。僕は狼狽しながらもそんな事を考えていた。僕の番が回ってきても、彼女は顔色一つ買えずに淡々と作業をこなした。その頃には人違いだったのかも知れないと思い初めていた。彼女はとても珍しい名前で、それだけに間違うはずもないと思い込んでいたが、こうまで印象が違うと段々と自信を失ってくる。

 催しも終わり、帰り支度を始めた彼女に僕は話しかけた。どうしても確かめたくなったのだ。果たして、彼女はやはり当人であった。僕の事も一応は憶えていたらしい。そして尋ねてもいないのに自分はヘヴィメタルが好きだと言う。そんなのはその出で立ちを見れば想像出来るし興味もなかったが、僕は彼女の短い身の上話を聞いていた。
 僕は彼女に尋ねる。どうしてそんなに変わってしまったのかと。すると彼女は答えた。昔の自分は仮の姿であり、自分が望んだものではなかった。今の自分が本来のものであり、ずっと求めて止まなかった姿であると。そう言って彼女は笑った。かつては余分な肉など1mmも付いていない、ほっそりとしていた顎にはたっぷりとした肉が付いていた。

 僕がかつて(幾らかの恋心を以て)見ていた彼女の姿は仮のものであり、彼女曰く幻想に沿って誂えた偽物であった、などと告白されると遣る瀬無い気分になる。僕は一体彼女の何を見ていたのだ。表層のみに惑わされ思い上がっていただけではないのか。僕はかつての彼女の姿を恥ずかしいほどに信頼し、彼女は偽りを演じ続けていた。突然突きつけられたその現実に僕は呆然とするばかりであった。
 そんな僕を見て彼女は笑う。その目尻には、かつての彼女と同じ皺が刻まれていた。

 という夢を見た。

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