DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

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転々 / 三木 聡

 先の土日、テアトル新宿で観てきた。勿論、二日続けて観るくらいだから相当気に入ったのだが、それは一体何故なのだろうとかいう事はこれから追々考えていく事にする。こんな観方をしたのは「四月物語」と「珈琲時光」くらいなものか。

 観ていて本当に楽しかった。出演者である小泉今日子がインタビューで話しているように「あぁ、今日はいい日だったなぁ?!」というような気持ちにさせてくれる。僕はこれと同じ様な事を「時効警察」を観ていても感じる。一時期、僕は「時効警察」のDVDを毎晩、数週間に渡って観ていた事があったのだが、それはまさに、一日の終わりをそういう気分で過ごしたかったからに他ならない。仕事がキツかったり、他人との関係で嫌な事があったり、女にフラれたり、というかそういう事が全部重なってこれ以上ないくらいに打ちのめされていた毎日を、僕は「時効警察」を観てやり過ごしていた。一日の終わりにどうにかこうにか帳尻合わせをしていたのだ。

 主人公の二人が歩く東京の街々。自分が歩いた記憶のある街もあれば、未踏の街もある。懐かしさもあれば、未知との遭遇もある。例え同じ道を自分が歩いた事があっても、他人の視線を持ってその道を歩くのは楽しい。諸事情に拠り、暫くの間止めたままになっていた「東京を歩く」という趣味を復活させたくなった。最初は荒木経惟の写真集に触発され、当時は連れも居たので、二人それぞれにカメラを手にして、それはもう彼方此方を歩き回った。しかしいつしか連れは居なくなり、僕は独りで歩くようになった。写真を撮るには独りである方が都合が良い。相手を気遣う事なく被写体に向かえるからだ。それでもやはり、散歩は二人の方が楽しい気がする。時折喧嘩したりもするが、道々に何かが刻み込まれるからだろうか。その際に撮られた写真には思い出が宿る。しかし単独行で撮った写真には、写っている物以外には何もなく、ただ荒唐無稽な光と影の作り出す残骸が映し出されるだけのように思える。普段は一向にそれが気にならないのだが、たまに自分の撮った写真を眺めていて、その虚無感に愕然とする。

電車男 / 村上正典

 観たのは随分前だしこのエントリは映画のレビューでもないのだが、僕はこの映画はロードショーで観ていて、割と身につまされる話であったりする。しかしながら、その当時僕の周囲では「主人公の男が気持ち悪い。」とか「主人公の男の子は私の好みではないですねえ。」とかそんな感想ばかりが耳に入った。そりゃまあ、そうなんだろうけど。
 人生のとある場面で(若しくは様々な場面で)排除され、挫折し、その事件から己を守る為に諦める事を覚えた人間。そういう経験を経たが故に、自分が誰かを求める資格が在るとか無いとか、そういう事に躓いている人間が少なからず存在する事を彼らは知らないのだろうか。自分自身が経験せずとも、家族や友人の中の一人ががそういう世界観の元に生きているという事はないのだろうか。無いんだったら仕方ない気はするけど。そんな事を考えた事を思い出した。

さくらん / 蜷川 実花

 何だか勿体ない。蜷川実花と土屋アンナと椎名林檎を持ってきたのは良いと思うのだが、話の流れが淡々とし過ぎている、というより急ぎ足で原作をなぞっているだけという感じがして、物語を楽しめない。役者を揃えて、それを蜷川に撮らせたかっただけという印象ばかりが残る。美術や画自体は結構気に入ったのだけれど。
 そしてラストが本当にしょーもない。最後に光を求めるのならば、例えばもっと絶望的な世界観を持った女性の監督を据えた方が良かったのではないだろうか。全体が平坦過ぎて、希望を光として見つめる事が出来ないのである。

アイデン&ティティ / 田口トモロヲ

 ずいぶん前に誰かから薦められていたのに、何やかんやで先延ばしにしていた。何やかんやと書いたが、実は僕の場合は誰かに何か薦められたとしても直ぐに観たり読んだり聴いたりする事は殆どなく、タイトルだけは記憶に留めておいて、何かの際にふと興味が沸いてようやく手にしてみるという事が多い。そういうものは未だたくさん在る。つれないと言われればそうなのだけれど、レンタル屋や本屋やCD屋で目にしても何となく「未だその時期ではない」と思って流してしまう事はしょっちゅうである。何かと出会うには適切なタイミングが在ると、僕は昔から信じている。

 さて、感想を記す。冒頭の、みうらじゅんを始めとする懐かしい「イカすバンド天国」の面々のインタビュー映像の次に、ギターのハーモニクスとブルースハープのメロディーと共に映し出されるJR高円寺駅の光景を目にした瞬間「あー、この映画はきっと好きだな。」と思った。それが何故なのかは説明出来ないけれど、ただそう思ったのだ。
 夜、何となしに観始めたので、僕はイトーヨーカドーのしょうゆヌードル(結構旨い)を食べながら画面を眺めていた。しかし気がつけば僕は涙を流しており、途中からは鼻水を啜るので精一杯で途中で食べるを止めてしまった。物語の内容は省く。そんな事書いても仕方がない。
 この映画の中で僕が大好きな場面が二つ在る。一つは、銀杏BOYZの峯田和伸扮する中島が、麻生久美子扮する彼女の部屋から、打ちひしがれて自転車を押しながら夜道を帰っていくところだ。道端で中島が部屋から出てくるのを待っていたディラン(劇中にはボブ・ディランが中島の見る幻影として登場する)が、俯きながら自転車を押す中島にそっと寄り添うように後ろをついていくという場面。
 そうなのだ。かつて僕が敬愛していたロック・ミュージシャンが歌った言葉や、インタビューか何かで語った言葉を、僕自身に何か起きた時や悩んでいる時なんかに口の中で復唱していた。信じるに値する言葉がもしあるのなら、それら以外には無いと思って毎日を生きていた。ロック・ミュージックとは音楽であると同時に文学でもあるような気がする。ひたすらに崇高なる美を求めるものではなく、収拾の付かない泥深泥の感情を拾い上げてくれるような、そんな音楽であるように思える。

 そして二つめは、中島と彼女がアパートの窓から少し身を乗り出すように、雪降る夜を眺めている場面。いーなあ、と思いながら観ていた。言ってみれば四畳半フォーク的な場面だが、好きな人と肩を並べて雪を眺めるというのは、とても美しい時間であると思うのだ。少しニュアンスは違うけれど、みうらじゅん原作の漫画にも同じ場面が隅の方にたった一コマ描かれている。僕の勝手な解釈だが、田口トモロヲもきっとその一コマが大好きであの場面を撮ったんだろうなあ。

岩松 了

 「帰ってきた時効警察〜第八話」は、三日月120%という感じで大変気に入っているのだけれど、早いもので残すは今週末の最終回を残すのみ。一抹の寂しさを感じる。
 そんな時に、兼ねてより予定されていた岩松了が監督を務める、仮題「たみおのしあわせ」が「そして夏がきた」というタイトルに変更され、6月1日からクランクインしたという知らせを見つけた。主演はオダギリジョーと麻生久美子。二人の結婚へと至る騒動を描いたものであるらしい。最終回がどうなるのかは判らないのだけれど、時効警察での二人を見ていて、結婚というイベントに巻き込んでみたくなったのだろうか。

 Wikipedia の頁にも在るように、岩松了は俳優より以前に劇作家・演出家であるのだが、いかんせん僕は戯曲は読まないし演劇には疎い。彼がどのような舞台を作り上げている人なのか全然知らない。知っているのは、色々な映画やテレビドラマに端役として出ているのを見かけるのと、幾つかの作品に脚本家として参加している事くらいだ。
 岩松了脚本で観た事があるのは、荒木経惟とその妻陽子を描いた「東京日和」と、「私立探偵濱マイク〜第七話」と、「時効警察〜第三話」くらいだが、どの話も夫婦の話だ。しかもどの夫婦も漠然とした疑念を抱えながら暮らしている。そんな話ばかりを書いていた岩松了が結婚へと至る話を撮ると聞いて僕は「へえ。」と思った。その「へえ。」とは下世話な興味でしかないのだが、何だか楽しみである。何より「そして夏がきた」というタイトルが気に入った。静岡県島田市の風景と共に、僕は勝手にラストシーンを思い浮かべてしまう。そこにはとても幸せな光景が広がっているのだ。撮り終えるのが今年一杯だという事だから、公開されるのは来年になるのだろうが、そういう物語を観たいと思っている自分を、実のところ持て余している。僕が未だに未婚だからかも知れないのだけれど。

 6月も既に5日は過ぎ、その内に雨が多くなってくるのだろう。昔ほどは梅雨が嫌いではなくなってきた。雨が降っている方が気持ちが落ち着く。しかしながらそうした季節もやがては過ぎ去り、気がつけば、強烈な光に溢れた夏が手を広げて待っている。

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