DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

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緒川たまき結婚報道がもたらすもの

 休日の朝遅くに目を覚ました僕は、カーテンを開け、晴れ渡る青空に目を細めた後、パワーブックを起動させる。そしてブラウザを開いた僕の目に飛び込んできたのは緒川たまきとケラリーノ・サンドロヴィッチの結婚報道。僕は声も無く嘆いた。それは複雑に過ぎる混じり合った感情の押し出された形なのかも知れない。きっと色々な人達が色々な事を書いてるだろうとグーグルのブログ検索で探ってみると「たまきちゃん結婚おめでとう!」とか「ケラリーノ・サンドロビッチって誰?ヘンな名前w」みたいな記事ばかりで、余りにもツマラナイので早々に読むのを止めた。そんな中、僕の巡回先に一人だけこの件について記事を書いている人が居て、それが秀逸で面白かった。

緒川たまき結婚で試される童貞力 / Webdog

 特にこの辺りの行が大好きである。

 結婚を報じるあらゆるニュース記事を読みながら僕はなにかを掴もうと必死になった。なんだかよく分からないけど眠っていた童貞力がめきめきと伸び始めた。伸び続けて止まらない。第一報を目にしてから30分、もはや僕はすっかり童貞だ。

 ああ、こんな風に思う事あるよなあ。上の記事にも在るように、原田知世が結婚した時とか森口瑤子が結婚した時とか本上まなみが結婚した時とか麻生久美子が結婚した時とかに僕はそんな感じだった。僅か数ミクロンの微かな希望でさえも手繰り寄せて縋りたくなるような心許ない気持ちというか、「切ない」という曖昧な表現の中にはこういう「憧れの対象への手の届かなさ」が多分に含まれているような気がする。「手が届かない」からこそ「憧れ」であり、「憧れ」ているからこそ心も下半身もねじ切るようにして見つめてしまうのだろう。「憧れ」るにはその対象となる人に関する情報量の少なさが必須であるように思う。メディアへの露出が比較的多く、巷でプライベートを報道されまくっているようなアイドルにはどうやっても「憧れ」る事が出来ない。

 それにしてもケラめ、おめでとうなんて絶対に言わないぞ。

 先日観た緒川たまきの神々しくさえある姿が、昼間の光に晒され、朧気に消えていく・・・。

渚のシンドバッド / 橋口亮輔

 先に書いておくと、登場人物の一人が浜崎あゆみである事に、エンディングロールを見るまで気がつかなかった。
 まあそれは良いとして、己の内なる欲望や欲求に対して羞恥心や罪悪感のようなものを持っている人間にとっては、思春期はまさに地獄の季節である。募り高まる性的な欲求と傷つきやすい自尊心とが最早膠着状態となり、対象を目の前にしてしまえば、世界と自分との距離感を全く掴めずに混乱したまま全てを告げてしまう。それは勿論自分自身と対象となる人間しか目に映っていないからであるが、そういう無様な若い人間の姿も、少し離れた場所から眺めれば結構美しく思えるものである。
 この映画ではそういう事が正確な上に密度をもって描かれている。しかもそれが次々と映し出されるものだから、観ているこちらとしては思わず一時停止ボタンを押してしまうのである。もう見ていられないのだ。かといってそれで観るのを止めてしまう事はなく、腹をくくり息を止めてまた再生ボタンを押す。

 誰かに受け容れられ安心出来る事を、不器用極まりないアプローチで追い求める登場人物達は皆必要以上に傷つき、そのまま生き続けていく事を恐れている。その恐れの中、傷つかず傷つけずに安心して生きて行くにはどうすれば良いのか。混沌とした迷いの中、彼らは懸命に日常を過ごして行く。
 この流れで言えば、次作が「ハッシュ!」となるのは凄く解る。橋口亮輔は一貫して、人の生き方を追い求めているのだと思う。僕はこういう作家が好きだ。音楽にしろ文学にしろ何にしろ、人の一生を描いたものはとても愛おしい。それがカテゴライズとして何と呼ばれるかなんて事は本当にどうでも良い。

 ★

 印象的だった場面を幾つか。

  • 浜崎あゆみ扮する、過去に強姦された経験を持つ女子高生が、精神科医との面談時にこう話す。「私、やられてる時にも人の身体って暖かいんだなあと思った。だから、私は人の温かさというものを信じない。」
  • 撮影の舞台となった長崎の美しい風景。蜜柑畑を抜けた先の陽の光に溢れた浜辺。
  • 山口耕史扮する男子高校生が、自分が河に沈めた自転車を引き上げ、それに乗って走る場面。自転車を駆る少年は美しい。

Violin Concerto, Op.35 I Allegro moderato / Peter Ilyich Tchaikovsky

 一体どういう流れでこの曲のCDを買うに至ったのか全く覚えていないのだが、僕は学生の時に、1988年に発売されたロンドン交響楽団チョン・キョンファが演奏するCDを手に入れ、それから長い間度々この曲を聴いてきた。
 同じ曲を何人もの人が演奏している場合、どうしても最初に聴いた音が基準となってしまい、その後は基準曲に対する比較として聴いてしまうのは常である。他の人が演奏したものをラジオなどで何組か聴いてはいるのだが、どうも違うというか物足りないというか、結局その他の音源は買うまでには至らず、このCDだけを聴き続けている。何というか煮えたぎるような情熱が足りない。ハイフェッツなんかだと、余りにもさらっとし過ぎていてうっかりと聴き流してしまいそうになる。

 今年の正月にのだめカンタービレの特番を観ていたところ、劇中ではこの曲が「派手な曲」扱いされている事が意外に思えた。この曲を知った頃の僕の精神状態のせいか、それともチャイコフスキーの半生を知った際のの印象なのか、僕はこの曲に対して長い間負の印象を持っていた。曲中、バイオリンのソロの部分で、所々に奏でられる粗野とも言えるような目の粗いくぐもった低音や、押し殺した叫びのような断続的な高音が、そのような印象を僕にもたらすのかも知れない。それらの音を経ているからこそオーケストラの爆発的なメロディーが、まるで突然に世界が開けたような歓喜を呼び起こすのだろう。

 ところで、これは全くの蛇足で本当に余計な事だとは思うが、この曲の最後で全ての音が収束する時のリズムが、射精直後の、開放感と後悔と諦めとが複雑に入り交じったあの感覚によく似ている。

雑踏の中の静寂

 前年末の夜に新宿を彷徨いていた時、西口の小田急百貨店近く、シャネルのショーウィンドウの前辺りで、何年ぶりかに「私の志集 三00円」と書かれたプラカードを首から提げて、頭上を渡る遊歩道の柱の前に立つ女性を見かけた。彼女の名前は冬子という。東京在住の人なら一度くらいは新宿へ赴いた際に見かけた事があるであろう、半ば都市伝説となりかけている女性である。「私の志集」で検索すれば幾らでも出てくる。その女性を見かけた人、詩集を買った人、その女性に話しかけた人。中には冷やかしどころかからかい半分で近づく輩もいたりする。僕はそういう事をする人間が大嫌いなのでそれらの記事は無視するとして、実際にその女性に話かけた人達の書いた記事を抜粋して下にリンクする。それらを読めば、人々が彼女を見てどういう風に感じ、そして接していったのかが分かる。まあ、僕のフィルタを通しているので多少偏った選択にはなっていると思うが。

 1999年に発行された田口ランディの「もう消費すら快楽じゃない彼女へ」という随筆の中にもその女性の事が書かれていて、田口ランディもその女性に話しかけたようなのだけれども、事情が上記にリンクしたサイトの運営者達の話とは随分と違う。田口ランディの聞いた話だとその女性は三代目であるというのだ。僕は訝りながらもあとがきを読んだ。すると「本当と嘘が混ぜっこぜになってしまった。」と書いてあったので、恐らく半分以上が創作であるのだろう。しかしそこに書かれている当の女性の発言は非常に現実味を帯びて僕に迫ってくる。

(中略)私の詩を買ってください、という目的のもとにこうして雑踏のなかに立っていることが、なんともいえない気分なのです。適度にちっぽけで、適度に無記名で、適度に主張していて、そしてこのすべての世界とつながっていると思える。不思議な感覚です。

(中略)だって私には主張したい事なんてないんです。だからずっと自分がなんなのかわからなかった。でも、こうしているとよくわかります。これが私です。

 その日僕は少しの間躊躇した後に、彼女に歩み寄り声をかけた。一部下さい。それまで虚空を見つめていた(何故かしら皆この表現を使う)彼女はの目は、ふいに近付いて来た僕をしっかりと見据えて応えた。はい、どうぞ。僕は100円玉三枚と引き替えに差し出された志集を受け取った。何か話かけてみようかとも思ったのだが結局、どうも、とだけ言い残してその場を離れた。この人の邪魔をしてはいけない。彼女の虚ろで強く、ほんの少しだけ温度を感じる眼差しを見てそう思った。彼女に声をかけ志集を買ったのは興味本位である。その上更に色々と知ろうとするのは、非常に邪であるように思われた。
 昔、僕が未だ上京したての頃の一時期、毎週末渋谷に出かけ、ハチ公前の地下街からの出口付近の擁壁の上に座り込んで、駅へと流れていく群衆を眺めて過ごしていた事がある。ただぼんやりと眺めるだけで、声をかけられる事も声をかける事もなく、ただただ奔流から取り残された石ころの如く其処に居た。そんな風に過ごしていて、一体どうしたかったのか未だに自分でもよく解らない。刺激に飢えていたのか、それとも人間そのものに飢えていたのか。とにかく、群衆に対峙する事に拠って何かを満たそうとしていたのではないだろうか。昔から人付き合いが余り得意ではないので、いつ何処に居ても気付けば本流から外れていた僕は、そうする事に拠って何かを補おうとしていたのかも知れない。たぶんその当時は別な事を考えていたのだとは思うけれど。

 ★

 人は他者との接触に拠ってしか自分を確認する事が出来ない。というような事を誰かが書いていた。他者に対して強く自分を主張するには気力も体力もネタも要る。それらの要素が乏しい場合に自分を主張しようとするならば、己の肉体を晒すしかないように思う。自分の存在を他者に知らしめるには、ただただ己の肉体を晒し続けるしかない。それは苦痛を伴った安堵をもたらすだろう。

 こうしてこれを書いている今も、きっと彼女は意志を持つ新宿の風景として立ち続けているのだろう。

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 しまだゆきやすという人が「私の志集 三〇〇円」というタイトルで20分程の短編のドキュメンタリ映画を撮っていて、第2回ガンダーラ映画祭に出品している。去年の7月にも上映されていたらしいのだが僕は全く知らなかった。また何処かで上映してくれないかなあ。

A pop star was killed by a human being today in 1980

 僕が生まれたのは、丁度ジョンヨーコが同棲を始めた頃である。そしてジョンが一人の青年によって命の灯火を消されてしまった時、僕は未だ鼻糞の詰まった小学生だった。日本の片田舎に暮らし、毎日の御飯と、プロ野球やスーパーカーや8時だよ全員集合や好きな女の子のスカートの色や少年漫画、それに毎週のように入れ替わるたわいのない遊び以外には何の興味もなかった僕の耳には、一人のイギリス出身のロックスターの悲報が届く事はなかった。だから、同時代的な思い入れなどあるはずもない。
 中学生になり、ラジオやテレビから頼みもしないのに流れてくる音楽だけでなく、自ら選んで聴く音楽を求めるようになってようやく、ジョン・レノンというロックスターが既に死んでしまっている事を知る事になる。とは言え、それは情報として知っただけの話で実感としては何もない。それにただ死んだのではなく、殺されたという事を知ったのも未だ少し先の話である。

 要するに今日は John Winston Ono Lennon の27回目の命日だ。どのラジオ曲でも今日は追悼番組をやっているのだろうと思っていたが、新聞の番組表を見るとそうでもないらしい。昔はその企画だけで4時間の番組を組んでいたりした気がするが、古い話は忘れ去られていくのは仕方のない事なのだろう。僕は今日一日、部屋で The Beatles と John Lennon ばかりを聴いている。

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 さて、ジョン・レノンに対してさほどの思い入れもない僕が、何故こうやってしこしこと書いているのかというと、まあよく解らない。僕はどちらかと言えば音楽家としてのジョン・レノンよりも、人間としてのジョン・レノンの方に興味があり、それ故に命日というのはわりと気にしてしまうのだ。ロックスターとして欧米の空の上に君臨したのは、彼の正確な本望だったのかどうかは解らないが、極東の地までツアーで来たり、インドに赴きグルの教えを請うたり、現代音楽や現代美術に傾倒したり、スクリーミング療法に通ったり、自分の音楽的原点に回帰したり、女性解放運動や平和運動に参加したりと、そういう行動家としてのジョン・レノンに興味がある。
 彼は一体何に成りたかったのだろうか。先ほど聴いていた J-WAVE の追悼番組。DJ の小林克也は「博愛主義で音楽的才能に溢れたポール・マッカートニーに対し、ジョン・レノンはひねくれ者で(自分自身と)戦い続ける男だった。」というような事を語っていた。まさしく、そういうジョン・レノンの姿に共感を覚えるのである。自分が成りたい自らのサンプルとしての人間が近くに存在しなかった場合、人は当てずっぽうに彷徨い歩くしかない。彷徨い歩き、少しでも共感を覚える世界には思い切って首を突っ込み、暫くして其処に違和感を感じるようになれば去り、また彷徨い続ける。その繰り返しである。ポップスターと成り万人にその姿を晒すようになっても尚、迷い彷徨う意気地を隠さない。それこそが僕が知るジョン・レノンである。

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