一体どういう流れでこの曲のCDを買うに至ったのか全く覚えていないのだが、僕は学生の時に、1988年に発売されたロンドン交響楽団チョン・キョンファが演奏するCDを手に入れ、それから長い間度々この曲を聴いてきた。
 同じ曲を何人もの人が演奏している場合、どうしても最初に聴いた音が基準となってしまい、その後は基準曲に対する比較として聴いてしまうのは常である。他の人が演奏したものをラジオなどで何組か聴いてはいるのだが、どうも違うというか物足りないというか、結局その他の音源は買うまでには至らず、このCDだけを聴き続けている。何というか煮えたぎるような情熱が足りない。ハイフェッツなんかだと、余りにもさらっとし過ぎていてうっかりと聴き流してしまいそうになる。

 今年の正月にのだめカンタービレの特番を観ていたところ、劇中ではこの曲が「派手な曲」扱いされている事が意外に思えた。この曲を知った頃の僕の精神状態のせいか、それともチャイコフスキーの半生を知った際のの印象なのか、僕はこの曲に対して長い間負の印象を持っていた。曲中、バイオリンのソロの部分で、所々に奏でられる粗野とも言えるような目の粗いくぐもった低音や、押し殺した叫びのような断続的な高音が、そのような印象を僕にもたらすのかも知れない。それらの音を経ているからこそオーケストラの爆発的なメロディーが、まるで突然に世界が開けたような歓喜を呼び起こすのだろう。

 ところで、これは全くの蛇足で本当に余計な事だとは思うが、この曲の最後で全ての音が収束する時のリズムが、射精直後の、開放感と後悔と諦めとが複雑に入り交じったあの感覚によく似ている。