東京の中心にある皇居のすぐ北に、日本の武道の中心地である日本武道館がある。そこと大通りを隔てた筋向いに、靖国神社は建っている。
(中略)
友人や親類が祀られているのでなければ、そう見るべきものがあるような神社ではない。一八六九年に建立されたのは、戊辰戦争などによる新政府軍側の死者を弔うためだった。
(中略)
この幕末期の戦死者も含め、靖国神社には祖国のために命を落とした二五〇万柱に近い「英霊」が祀られている。神道はもともと祖先崇拝であるが、この神社は特定の神ではなく、戦死者を崇める場となっている。靖国という名称は一八七九年に明治天皇が決めたものであり、それ以降ずっと、靖国神社は皇室と深い結びつきがある。天皇はむろん神道の中心であるのだが、明治維新のために死んだ人々が祀られているので、いっそう深い関係になっている。毎年の春と秋の大祭には、天皇の勅使が出席する。だが、一九七五年以降、昭和天皇も今上天皇も一度も参拝していない。一九七八年に靖国神社が「昭和殉難者」として、一九三〇年代から四〇年代に日本の政治・軍事指導者であったA級戦犯一四人を含め、有罪判決を受けて死刑になった戦犯一〇六八人を英霊として認めたからである。この一〇六八柱は、「神」として霊璽簿に記載されている。厚生省(当時)がこのために名簿を提供したことが判明し、問題になった。
細かい法律面が問題となるのは、靖国神社が民間の宗教法人であるからだ。以前は国有だったのだが、戦後の新憲法によって政教分離が確立した。そのため政府の直接の管理が及ばず、戦没者を追悼する国家的な施設が民間にゆだねられているという、おかしなことが起きている。しかも、靖国神社は日本の国家制度のおおもとである天皇とも結びついているから、たいへんまぎらわしい立場にある。さらに、戦犯を祀ったのは神社自体だが、それには厚生省の協力があった。しかし、戦犯が合祀されたあと、一九八九年に崩御した昭和天皇は、靖国神社に参拝しないことを決意した。一九三〇年代から四〇年代に天皇をいただく政府の指導者であり、天皇の名においてなされた行為のために処刑されたA級戦犯が神として祀られている神社に自分が参拝するのは、問題があると判断したからだろう。今上天皇も、やはり一度も参拝していない。
ビル・エモット著/伏見威蕃訳『アジア三国志〜中国・インド・日本の大戦略〜』日本経済新聞社 2008年 pp.256-258
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