DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

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『長野日記』には、翌元禄十五年にも、福岡城内で上覧相撲の行われたことを記しているが、この時は福岡・博多両市中対抗の取組みで、福岡二十五人、博多二十八人の力士の名があげられている。この中には、前年の勧進相撲にはなかった三十人の新しい顔ぶれが見られ、筑前力士の層の厚さがうかがわれる。そして、これらの中から、越前藩や四国丸亀藩のお抱え力士になった者も出ている。

 (中略)

 江戸時代も後期になると、江戸大相撲の全盛期となり、博多・福岡での興業は、一七九九年(寛政十一年)の箱崎浜と福岡西町浜の興業を皮切りに、一八〇二年(享和二年)の博多浜小路浜、一八〇五年(文化十二年)の博多櫛田神社境内、一八一一年(文化八年)の福岡西町浜、一八一五年(文化十二年)の那珂川河原、一八二〇、二一年(文政三、四年)の下市小路浜と、ひんぱんに見られる。
 大関雷電・押尾川・千田川等にまじって、筑前出身の田子浦、久留米出身の久紋龍、博多出身の鬼面山・平岩等に人気が集まった。

朝日新聞福岡本部編『江戸の博多と町方衆〜はかた学5〜』葦書房 1995年 pp.142-143

『長野日記』には、翌元禄十五年にも、福岡城内で上覧相撲の行われたことを記しているが、この時は福岡・博多両市中対抗の取組みで、福岡二十五人、博多二十八人の力士の名があげられている。この中には、前年の勧進相撲にはなかった三十人の新しい顔ぶれが見られ、筑前力士の層の厚さがうかがわれる。そして、これらの中から、越前藩や四国丸亀藩のお抱え力士になった者も出ている。

 (中略)

 江戸時代も後期になると、江戸大相撲の全盛期となり、博多・福岡での興業は、一七九九年(寛政十一年)の箱崎浜と福岡西町浜の興業を皮切りに、一八〇二年(享和二年)の博多浜小路浜、一八〇五年(文化十二年)の博多櫛田神社境内、一八一一年(文化八年)の福岡西町浜、一八一五年(文化十二年)の那珂川河原、一八二〇、二一年(文政三、四年)の下市小路浜と、ひんぱんに見られる。
 大関雷電・押尾川・千田川等にまじって、筑前出身の田子浦、久留米出身の久紋龍、博多出身の鬼面山・平岩等に人気が集まった。

朝日新聞福岡本部編『江戸の博多と町方衆〜はかた学5〜』葦書房 1995年 pp.142-143

2014年ワールドカップサッカーブラジル大会決勝戦雑感

 14日早朝、薄い頭痛と共に目を覚ました僕はテレビを点けた。アルゼンチン対ドイツの決勝戦を観る為である。それまでの放送は余り熱心に観ていなかった。なにしろずっと体調を崩していたので、睡眠時間を削って真夜中や早朝の放送を観たいとは思えなかったからだ。しかし決勝戦くらいは、と思って無理矢理起きたのだった。それでも、試合は面白かった。相反するスタイルのサッカーが拮抗し延長戦までもつれ込んで、ドイツの若いストライカーの一蹴りでとうとう勝負がついた。
 ドイツ側の選手もスタッフも観客も、雪崩のような爆発的な喜びを全身で表し、ピッチやスタンドを席巻した。あれほどまでに歓喜に満ちあふれた人々の姿はなかなかお目にかかれない。何となく、ベルリンの壁が崩壊した際のニュース映像を思い出した。あの時ドイツの人々は次々に壁の上によじ登り、諸手を掲げ、旗を振っていた。上に登った者が地上の者を引き上げ、肩を組んでは声の限りに歌い上げていた。解放され、喜びに満ちた人々を眺めるのが僕は好きである。事情は違うが、オリンピックの閉会式も同じ理由で好きだ。ワールドカップはそういう映像を流す事が少ないが、オリンピックでは延々と閉会式の映像を流すので、僕はそれをぼうっと眺め続けていたりする。ただ単に調子に乗ってる連中を見ても腹立たしいだけだが、それが努力の末のものであったり、長い間待ち望んだものであったりする場合は別である。何となく羨ましい。その立場に居ない自分が口惜しい。そんな気分にもなる。あれほどまでに喜べる機会を持てる特権を、どれほどの人が有する事が出来るのか。

 ところでアルゼンチン側。スタンドの観客は呆然としたまま立ち尽くし意気消沈していて、スタンドの最前列で齧り付きで応援していた少年は泣きじゃくっているし、選手達の中には突っ伏して泣いている者も居た。なかなかに残酷な映像だった。しかし、ドイツチームが優勝記念の写真撮影をする頃になると、アルゼンチンの選手達は立ち上がり一カ所に集まってきた。こちらもメディア向けの撮影の為だと思われるが、フロントにメッシが立ち、数歩後ろに監督、その背後を覆うように他の選手達が立っている。もともと彫りの深い顔立ちである上に、負けたばかりなので皆表情が暗い。しかし誰もが前を見据え(恐らくドイツチームを見ていたのだと思うが)一言も喋らずにただ立っていた。呆然とした雰囲気は全くない。そこでメッシがペットボトルの水をぐいと飲む。何だか、映画で描かれるマフィアのようでカッコ良かった。既に四年後に向けて闘志を燃やしているのだろうか。四年後の大会の決勝戦の後で、彼らの喜ぶ姿を見たいものだ。そう思った。

フィギアスケート・グランプリ・ファイナル 2008

 そもそも僕はフィギアスケートに余り興味がない。スポーツなのかそれとも舞踏なのかハッキリしないところが好きになれないのだ。競技を試合と呼んだり演技と呼んだり一体何をさせたいのか。一つのプログラムの中で指定された頻度でジャンプを行う事が採点の対象となり、そのジャンプの回転数を競い合うところがスポーツたる所以なのだろうけれど、個人的には興味が持てない。それよりもそのジャンプを如何に美しく舞うか。その事の方が僕には興味がある。どうせならもっとバレエとかに近付いて行けば良いのにと僕は考えている。
 更にこの競技の放映に対しても色々と文句が有る。カメラはずっとクローズアップしたまま競技者を追い続けるので、スケーターの流麗な動きやスピード感が損なわれているような気がする。それに音楽を会場から拾わずに直接ラインで繋いで欲しい。細かな音が聴こえないではないか。しかも実況や解説が煩わしい。はっきり言って邪魔である。そしてこれは最近の傾向なのだろうけれど、総合格闘技のような変な盛り上げ方が気に入らない。一体何のつもりなのだろうか。

 で、これだけ文句を並べておいて言うのも何だが、昨日のショートプログラムを何となく観ていたら妙に気になってきて、結局今日のフリープログラムまで観てしまった。気に入らない部分は相変わらず気に入らないままなのだが、良いところだって在った。取り分け良かったのはキム・ヨナ選手。スポーツだから選手。
 音楽との親和性が一番高く、しなやかな肢体がとても美しく、スポーツという観点から観れば無駄に情熱的な演技にとても色が在る。彼女は優れた運動家であり舞踏家なのであろう。

上の動画、最初は日本で放映されたものを載せていたのだけれど、削除されてしまったので韓国で放映された映像に差し替えた。実況の雰囲気もカメラアングルも随分と違うものである。

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