DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: November 2005 (page 1 of 2)

イルミナシオン

 12月の初めからクリスマス当日まで、部屋に電飾を施すようになって随分経つ。そんな事をやり始めたきっかけは何だったのかと思い出すと、なるほどちゃんと理由は在った。

 何年前なのか思い出せないくらい昔、12月にオアフ島に行った時の事。夜のダウタウンに繰り出して、ポルノショップを冷やかしたり、顎が外れそうなくらいにデカいハンバーガーを食べたり、ストリップバーに連れ込まれたり、実弾撃ったりして遊んだりした後、連れだった数人でほろ酔い加減でホテルまでの道を歩いて帰る途中だった。
 入り江の橋を渡ると、何棟ものコンドミニアムが夜の中にそびえ建っていた。その中の一つの部屋のベランダに、小さなイルミネーションが飾りつけてあり、砂粒のように小さな三原色の光が、何をも照らし出す事なく点滅していた。その姿が、ひっそりと何かを祝い、何かを祈っているようでとても良かった。僕は夜の中に立ったまま、暫くの間その点滅を見上げていた。

 そしてその次の年の冬。僕はその光景を思い出し、真似てみようと思ったのだった。あんな風に何かを、祝ったり、祈ったりしてみたかったのだ。その時の僕に、何かしらその対象となるものが存在していたのかどうかは全然思い出せない。もしかしたら、何でも良かったのかも知れない。ただ、そうしてみたかっただけなのかも知れない。

Nikki / くるり

 待ちに待った新譜。今日繰り返し聴いてみて思った事。岸田君は(僕は基本的にくるりは岸田繁のワンマンバンドだと思っている。本人は否定するだろうけど。)すっかり苛立ちが成りを潜め、皮肉が少なくなったなあ、と思う。岸田繁という名の一人の男の成長が、正確に伝わってくる。それが音楽の本質かどうかという議論は置いておく。僕はそういう人間の成長を見て取れるというのが好きなのだ。リアルタイムで聴いていた訳ではないが、The Beatles や The Rolling Stones を聴いていてもそれを感じ、あたかも冗談のように長い長編小説を読んでいるような感覚がある。椎名林檎も同じ。言ってみれば文学に近い。それに歌詞も随分変わって来た気がする。これまでは、演奏と歌詞は独立しているような印象であったが、このアルバムでは両方が同時に聴かれなければ、伝わって来ないような気がする。
 新譜が出る度に、その変化にすぐに馴れる事が出来ないが、後々、結局全てのアルバムを好きになってしまう。何時までも聴き続けていたいバンドである。

Middle Tempo Magic / 安藤 裕子

「ドラマチックレコード」目当てで買って、その他の曲はすっかり聴き流していたのだが、11曲目の「隣人に光が差すとき」をラジオで聴いて、少し気になったので改めてCDを聴き直してみた。ら、予想を超えて「妬み」の歌だった。「アナタニナリタイ」と言わしめるその歌詞は、絶望的なまでの切実さで、戦慄すら覚える。繰り返し聴いたらマズイだろうなあ、と思いながら何度も聴いてしまう。本人の固い意志の元に設定した曲順らしいが、12曲目があって本当に良かった。

涅槃

 今朝見た夢。

 其処は、廃業した古いホテルを改装して造られたギャラリーだった。ホテル自体はとても小さな建物で、5フロアしかない。でもギャラリーにしては大き過ぎる程であろう。壁には真っ白な漆喰が塗り込められ、玄関のガラスを格子柄にはめ込まれた扉からは、暖かそうな光が洩れている。僕は招待状を手に玄関に足を踏み入れた。

 エントランスロビーには多くの人々で溢れていた。老若男女、様々な様相の人達が居た。タキシードやナイトドレスで正装している老いた男女。学校帰りにでも立ち寄った感じの全く普段着の少年や少女。そしてそれらを両極としたグラデーションのような格好の人々。それらの人々は、これから展示作品を観るのか、それとも見終わったところなのか、グラスで酒を飲んでいたり、煙草を吸ったりしていた。
 右側にフロントの受付。正面には二階へと続く階段。その階段を上ると展示室に行けるようだ。階段の右側の凝った彫刻を施した手摺りの前に、一人の女性が立って客達に挨拶をしていた。赤いドレスを来て、白いハーフコートを羽織っていた。誰に訊かずともその人が作家である事が判った。それより何より、その人が先日海辺で、波間に消えた人である事を唐突に思い出した。良かった。生きてたんだ。以前の髪型とは違い、前髪を額の中程で切り揃えていた。そのせいか、表情がとても明るく見える。以前は、少し離れて見ると、顔に差す影が実際以上に濃く見えて、僕はそれがずっと気になっていたのだった。

 そしてその人は、僕が以前から見慣れているように、客が近付いて来る度に、ぎこちない態度で微笑みかけたり、お辞儀をしたりしていた。運営のスタッフから独り離れて、あたかもそれが自分に課せられた使命であるかのように、誰にでも平等に、精一杯の気持ちを込めて。僕は暫くその姿を眺めていた。出来ればそのままそうしていたかったのだが、そんな訳にも行かず、意を決して僕はその人に向かって歩いた。その人は、他の客と変わりない笑顔を浮かべて僕にお辞儀をした。その人は僕が僕であると気付いてはいないようだ。見えていないのか。忘れているのか。そう考えた瞬間ある事を思いついた。この人はきっと、生まれ変わりたかったのだ。どういう理由なのかは解らないが、きっとそうなのだ。だからあの時、僕の目の前から居なくなったのだ。そうであるのなら、それを受け容れる以外に僕に出来る事などあるまい。
 僕は声もかけぬまま、その人の前を通り過ぎ、階段を登った。

 部屋に入ると、10号のキャンバス・サイズの絵が並べてあった。どの絵も地色は赤で、それに青や黄色や黒や金色で、どうにか具象として認識できる何かが描かれている。下塗りは油であるようだが、それ以外は何を使って描いているのか全然判らない。エナメルや金属を塗り込めているようにも見える。形態としてはホアン・ミロに似てる気もしたが、色彩が全然違う。
 次の部屋は、サイズと色彩が違うが、描かれている物は同じであるようだ。
 その次の部屋に行くまでの間、渡り廊下があって、其処は照明が落とされモニターにヴィデオ作品が展示されていた。モニターへ近付こうと三方枠を抜けた途端に自分の身体に像が浮かぶ。廊下の両側から投写してホログラフィーを投影しているようだ。自分の身体に浮かんだ像とは、人間の筋肉である。その筋肉が過剰な輝きと形態を持って自分の身体を覆い尽くす。それに自分が動く毎に、真っ赤な筋肉は蠢き変容する。目の前のモニターには、仄かに明るく浮かぶ人間の頭部が映し出されている。その頭部は夜の街で、排水溝のステンレスの蓋を食べている。口元を緑色に光らせ、ガリガリと金属を食べ尽くそうとしている。

 そこで目が覚めた。朝の6時頃の話。続きを見たくて二度寝したが、見る事は出来なかった。

海辺へ続く道

 波打ち際で一緒に遊んでいた誰かが、僕の忠告に耳を貸さずに、段々と岸から離れて海へ入っていく。風も強くなってきて、波も高くなり始めた。僕が大声で呼んでも、その人は聞こえていない振りをしてずんずんと前へ進んでいく。とても心配だったが、僕は何故か海へ入って行く事が出来なかった。風に煽られた海水が僕の目を打つ。次に目を開けた時、その人の姿は何処にもなかった。僕はそこでようやく海の中へ走り込んだ。その人がそこら辺に沈んでるのではないかと、海水の中を何時間も歩き回った。怖くて堪らなかった。そして歩き疲れた頃、もう見つからないであろう事を確信した。悲しくてやるせなくて、それでも泣く事は出来なかった。潮風が白く目を掠める。横に流れる白と波の音が感覚を占め、やがて視界の全てが白く霞んだ。
 というところで目が覚めた。こんな夢は初めて見たが、物凄く堪える。居なくなってしまった人が一体誰であったのか、全然思い出せない。

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