DOG ON THE BEACH

A season passes. A castle can be seen. Where is a soul without a wound ?

Month: May 2007

視るという信念

 一昨日の事だ。東京地方は夏日とも思える陽気で、街行く女性達の中には二の腕を露わにした人も幾らか見受けられた。そんな日の夜の事。仕事帰りの僕はいつものように晩酌の為の酒を手に入れようと帰り道沿いに在るカクヤスに立ち寄った。そして自動扉を意気揚々とかいくぐった僕の目に飛び込んできたのは、カットオフジーンズの下に長く伸びた白く艶やかな女性の脚であった。僕は突然の事に声も表情も失いその場所に立ちすくんでしまったのだが、哀れむような、それでいて威圧的な店員の視線に気付き目を覚ました。
 そしてその後、その女性はあろう事か陳列棚の低い位置に置いてある酒のラベルを見ようとしてか、お辞儀をするように上体を前へ屈したのである。そうするってーとどうなるかというと、わざわざ書く事でもないが、脚のずっと上の方、つまり尻の際までもが僕の面前に押し出される形になるのである。とすれば普通に考えて「こりゃあ堪らねえ。こいつを見逃す手はねえ。」って場面なのだが、ここで僕の悪い癖が出る。ここまで挑戦的に見せられるとついムカっときてしまい「絶対に視てやらねえ。」みたいな事を思ってしまって、そそくさと他の陳列棚へ逃げてしまうのである。

 勿論そうしてしまった場合、視なかった事に対して後悔するのである。その時はその後悔は直ぐさま襲ってきて、別な酒を探すフリをして当の女性の背後に戻ろうと思いはした。したのだけれど、店員(男二人女一人)の視線がその女性に集まっていたのでどうにも戻り難い。男の店員の視線は同じ穴のむじななのでこの際どうでも良い。しかし一人の女の店員の視線が僕を躊躇させるのである。三日に一度はこの店に立ち寄っているので、今後どんな目で見られるか判ったものではない。悪くすれば、もう二度と僕に酒を売ってくれなくなってしまうかも知れない。くわばらくわばら。
 結果、その女性の脚を二度視する事は出来なかった。惜しい事をしたものである。あそこまでの美しい脚は滅多にお目にかかれないだろう。どうせなら、対象となる女性に至近距離まで近付き、それはもう舐めるように凝視出来るくらいの男になりたいものである。

盛り蕎麦とざる蕎麦

 十数年前に上京して以来、関東の食べ物に親しんでいる。がしかし、どうにも納得出来ない事がままある。西日本で生まれ育った人間にとって蕎麦・饂飩(うどん)のつゆが醤油でやたらと黒いというのがその代表的なものであったりするのだが、今回はそれではなく「盛り蕎麦」と「ざる蕎麦」との価格差である。
 実は、僕が未だ福岡に住んでいる頃には「年越し蕎麦」以外に蕎麦を食べる習慣がなかった。とすると当然蕎麦を外食する事もなかったので「盛り蕎麦・ざる蕎麦」の類は食べた事がなかった。つまり上京して始めて蕎麦をつゆに浸けて食べるという事を経験したのだが、それが一体どのタイミングで口にしたのかは覚えていない。素麺を食べるのと違いはないので抵抗があった訳ではない。それでも習慣とは恐ろしいもので、恐らく上京後数年経ってからようやく口にしたのではないかと思う。

 話が逸れた。今では、この季節から秋口までは蕎麦を食べる事を毎年楽しみにしている僕であるが、やはり「盛り蕎麦」と「ざる蕎麦」の価格差が腑に落ちない。どう見ても、一掴みの刻んだ焼き海苔が蕎麦の上に乗っかっているかそうでないかの違いしかない。それでいて50円から店に拠っては100円の価格差が有る。一消費者である僕が考えるに、焼き海苔のトッピングは20円か30円程度にしか思えない。「海苔がなんでそげん高かとか!」何度そう叫びそうになった事か。しかしながら他の客はその事実を普通に受け容れ蕎麦を啜っている光景を目にすると、なかなかそう騒ぎ立てる事も出来ず、かと言って納得は出来ないので店員に訊くのである。「あのう、盛り蕎麦とざる蕎麦ってどう違うんですか?」返ってくる答えは何処で訊いても同じ。「海苔が付いてるか、付いてないかです。」
 以来僕は煮え切らぬ腹を抱えたまま、海苔も食べたきゃ「ざる蕎麦」を注文し、そんなの要らんと思えば「盛り蕎麦」を注文していた。外出した際にたまたま立ち寄った蕎麦屋で、答えは分かっている癖に、懲りもせずに同じ質問をした事も一度ではないのだが、やっぱり同じ答えしか返って来ず、この不可解さを一体誰と共有すべきかを考えたりしていたのだ。

 しかしである。つい数日前になんとなーく Wikipedia で蕎麦を調べてみたところ、驚くべき事実を知る事になった。以下はその引用。

 盛り蕎麦とざる蕎麦の違いは、その蕎麦つゆにある。ざる蕎麦は砂糖を用いた蕎麦つゆで、盛り蕎麦は味醂等で味付けした蕎麦つゆで食べる。江戸時代、当時はまだ砂糖は貴重品であり、区別を明確にするために蕎麦を盛る器に違いをつけたり、高級品であった海苔を散らしたとされる。砂糖が誰にでも手に入るようになった現在では、そういう区別をする蕎麦屋は少ないかも知れない。なお、冷たい蕎麦に刻んだ海苔を散らすようになったのは明治以降である。

 気付かなかった・・・。当時海苔が高級品だったのだろうなくらいは想像していたのだけれど、砂糖と味醂の差であったとは・・・。同じ店で「盛り蕎麦」と「ざる蕎麦」をそれぞれ食べた事はあるが、それは全然別な日にたまたま別なメニューを注文したのであって、同時に二種類注文して食べ比べた訳ではなかったのだ。自分の味覚が鈍磨されているとは思っていないし、砂糖と味醂の味の差は何となくでも判るつもりでいたのだが、これはどうした事か。この事実を確認するにはやはり、誰か付き添って貰って「盛り蕎麦」と「ざる蕎麦」をそれぞれ注文して食べ比べてみるしかないのだろうか。

 それはそうとして、この現代に於いて「焼き海苔の有無」と「砂糖と味醂の価格差」であの価格差はやはり納得出来ないように思える。海苔のトッピングやつゆのチョイスはサービスという事でも十分やっていけると思うのだけれど、わざわざメニューまで分け続けているというのは、伝統の形骸化と言えなくもないように思う。

2007.05.28 : コメントを戴き、実は諸説在る事が判った。

腐点

 本日の東京は最高気温28.8℃を越え、真夏日とまではいかなくとも既に夏である。今この瞬間にも、エアコンの温度表示を観てみれば25℃である。Fishmans の「 Wether Report 」という曲中で「5月なのに25℃を越える日もあるさ」などと歌っているが、今日はそれ以上だ。

 こんな日の終わりに部屋に戻ってみれば、いつもとは少々違う事に気付く。朝見た時にはあんなにも元気そうにしていた向日葵の切り花は、花瓶の水を半分以上も減らしてうな垂れているし、台所からは妙な匂いが漂ってくる。腐敗の兆候である。
 この自然界には沸点や融点もあるのだから、腐点というのも在りそうな気がするのだが、どうなのだろう。一昨年だったであろうか、日中の最高気温が39℃を越えた日、町中を歩いているとこれまでに嗅いだ事のない腐敗臭が漂っていた。いや、何かが腐敗した匂いなのかどうかも判らない。兎に角得体の知れない匂いを僕の鼻腔を擽ったのである。その時に僕は思った。この世に存在する有機物には、それぞれ腐敗し始める腐点のようなものが在るのではないかと。

 話は変わって、これは比喩でしかないのだが、人間にも腐点は在りそうだ。人それぞれが持つ己の欲求。似たような欲求でも人に拠って臨界点が違う。ここで言う臨界点とは、その値を超えると周囲の人間の存在が無に帰す事、社会性を無くす事である。時折、その臨界点が極端に低い人と出会う。傍目には面白いと思えなくもないが、実際に関わっていると迷惑なだけである。ただ、その人が全ての領域に於いてそうであるのではなく、部分的に(僕の主観では)腐っているだけなので、それ以後も相変わらず付き合っていく羽目になる。でもまあ、その領域が広ければ広い程疎ましく感じるのは事実なので、場合に拠っては離れざるをえないと判断する事も出てくるのである。
 とまあ、偉そうに書いてみたが、そういう事に基準を作るのは難しいねえ。

田原坂

 およそ20年前の、確か夏。僕は福岡から民営化されたばかりのJR九州の列車に乗って、当時好きだった1歳年上の女の子に会う為に熊本へ行った。とこう書くと、当然僕は一人で列車の座席にぽつねんと座っている姿を想像するであろうが、実際には連れが居たのである。しかも女の子。彼女達は仕事場の同僚であり、僕の好きな女の子は社員で、連れの女の子はバイト。店が福岡から撤退し熊本に移ったので「半年ぶりに会いに行こうよ。」という誘いに迂闊に乗ってしまった訳である。
 そう。今思えば何と間の抜けた事をしたものだと思う。その二人連れで会いに行けばどう思われるか判りそうなものだが、当時の僕はそれが判らなかったのだ。童貞とは実に愚かな生き物である。いやまあ、そんな事はどうでも・・・良くはないが今回の話には余り関係がない。

 好きな女の子の顔を久しぶりに見て、その後熊本新市街で散々遊んだ挙げ句、終電ぎりぎりの福岡行きの列車に乗る。その復路での事。密度の高い肥後の夜を、線路を軋ませながら走る列車はやがて田原坂駅に停車した。無人駅のホームを照らす照明以外は全くの闇で、轟音にも近い虫の声が僕の鼓膜にまとわりついた。そこが西南戦争時の古戦場である事を僕は知っていたと記憶するのだが、歴史に疎い僕がそんな事に興味を持っていたとは思えないので、その場での連れの女の子が教えてくれたのだろうと思う。
 圧倒的な闇と虫の声に取り囲まれた無人駅。列車内の明かりの中とホームを照らす明かりの下は、どうにか許された人間のせめてもの居場所である。その光景は今でもたまに思い出す。都市部に住んでいると、人間以外のものに圧倒される事は殆ど無い。その時の状況が僕にとって「快」をもたらしていた訳ではない。連れの女の子の事は別に好きでも何でもなかったので、早く家に帰りたいなあと煩わしく思っていただけだし、一刻も早くその場所を去ってしまいたいとさえ思っていたはずである。しかしながらあの無数の虫の声の塊は、漠然とした恐れと共に僕の頭の中の一角を占めて消えてくれないのである。

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